死刑がダメなのではなく「死刑はダメだと思っているわたし」がズレてた

2017.07.29 03:40|思ったこと・気づいたこと
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夏ですねー!
いかがお過ごしですか。

ここしばらくは、
遠方からイタリアに来てた家族同然の人と会ったり
ボブのお誕生日があったり
ちょくちょく波打ち際を歩きに海へ行ったり。
海はやっぱりいいな〜。大好きです。

トップの写真は、今日の海です。
今朝は風がきつく、雲もありました。
先週行った時は雲一つ無いほどの青空だったの。
その時の写真はこちら
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空の青さは大好きです。
どこまでも青い。
海を見てると、地球の大きさとか
「ひとつ」なんだな〜とか。
いろんなことが浮かんできます。

さてところで。
ナポリの話をしてて、途中なのですが
今は違う話をしたいので、ナポリはまた気が向いたときに…
(気侭で話が飛んでスイマセン)


なんかね、最近、自分の内が根こそぎ掻き混ざっている感じがあり
物事の見方、考え方が変容してます。

例えば、
昨日あったことなんだけどね。

うちの区域に森っぽい所があるのですが
そこが火事になり原因は放火でした。
大規模な火事になり、話題になって

「放火する奴なんて、死刑にすればいい!」
「首に紐をひっかけて吊るしてやればいいんだ!」

云々と知人が言ったんですよ。
聞こえた瞬間は、なんか言うてはるわーと思ったのですが、
わたしの内がザワッとした。

落ち着かない。

なに、このザワッと感?
何が落ち着かないんだろう。
死刑に関して?
凶暴性?
攻撃性?

…いや、違うわ。なんか違う、、
と自分の内を見てたらですね、ハッとした。

わたしは、この知人を丸ごと認めてなかったなー、と。

知人が言ったことって、

「死刑を認める」
「死刑を妥当と思う」
「死刑を求める」
「死刑を望む」
「死刑の細部を表現する」
「憎しみを声高々に表現する」

ということで、これらって
わたしが認識していないことだったんですね。
なので、
わたしの中には存在していないことだった。

わたしにとって死刑とは
「してはいけないこと」でした。
だから、それを望むなんてもってのほかだったし
まして「首に紐をひっかけて…」などと聞くのは
物騒でしかないし、
しかも憎しみを声高々に表現するなんて!!

いや〜…。でもさ、
知人から凶暴性を感じ、物騒なこと言わはるわーと
一瞬うっとおしさを感じたわたしですが、
このわたしが感じたこの「鬱陶しい」もよくよく見つめると
「腹立つ」であり、憎しみも混じってたな、と。

あら、いやだ。わたしと知人は同じじゃん。
わたしはただ外に向けて表現しなかっただけ。

で、この「腹立つ」ってね、
なんで腹が立つのかというと

「しちゃいけないことなのに
 なんであんたはしろ!って言うのよ」

だったんですね。で、もっとはっきりさせると

「(わたしは)しちゃいけないこと(と思ってる)のに
 なんであなたはしろ!と言うのよ」

なんですよ。自分の考えを押し付けてる。
で、今までのわたしは知人の中の「わたしが合意してる部分だけ」を
認めてたなーと気が付いた。

知人を丸ごと認めてなかったよ、、、


ここでのポイントは
「死刑はしてもいい、したらダメ」という観点ではない、ということです。

「自分がタブーと思ってることを
 してもいいと思ってる人を認める」です。

でね、究極なことを言うと

「自分がタブーとしていることを
 してもいいと思う」

の境地にいけたら
どーんと何かが自分の内でひっくり返るんだけどね。

正直なところ、死刑に関しては
今のわたしは「してもいいじゃん」とまだ完全には言えないです。
「そういうこともあるね」程度。
でも、自分の中でなにか枠が外れた感じがあります。


今回は、死刑が題材で気が付いたのですが、
自分がタブーとしていること
例えば、

・仕事に関して
・親の介護
・子供の世話
・パートナーとの関係性

とかでのタブーを
「してもいいじゃん」と思えると
ほんと変わってくる。
例えば具体的に言うと
「親の介護を放棄するのはタブー」を
放棄してもいいじゃんって思う、とか。

あの、実際に放棄を勧めてるわけでなく、
自分の中に「親の介護を放棄したらダメだ」という
思いはありませんか?という話なんですね。
(放棄したかったらしてもいいと思います)

「親の介護を放棄したらダメだ」
と思いながら介護をするのと
「親の介護を放棄してもいい」
と思いながら介護をするのとでは
同じことをしてても全然違いますから。

自分が認識していることだけで
自分の世界=生きてる範囲が創られてるから。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


死刑が悪いのではなく
死刑は悪いと思っているわたしがズレてました。

死刑にしちゃえと言う人を認めていなかったこと、が
わたしの内のバランスを崩していました。

自分がしちゃダメと思ってたことをまぁあるよねと認めると
自分の内のドス黒い部分も認められた感じがあります。
何がどうと言葉では表現できないのだけど、
自分の内のスペースが広がった感覚がある。

死刑に関しては、自分の中で大きなテーマだったので
「死刑してもいいじゃん」と思ってみるのは
大きなチャレンジでした。
ひゃー、ちと苦しかった。

さあ、次いきます。
(まだあるんかい!)


ナポリ3: 煌びやかな教会、サン・マルティーノ修道院

2017.07.16 03:41|
サン・マルティーノ修道院の続きです。

教会部分は、床の耐荷重安全が
あやしまれているとかで中に入れなかったので
入り口から拝見したのですが、
ものすごくきらびやかでした。
作りがものすごく細やかで
丁寧なのです。

正面からはこんな感じです。

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まず驚いたのが床。
パズルのように
大理石などを器用に切って
組み合わせてありました。

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これが床一面に延々と続いてるんですよ!
職人技がほんと凄い。
サイド側はこんな感じで

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天井はこちら

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入り口から眺めただけで
圧倒されるほどのきらびやかさでした。

ここには入れなかったのだけど、
ここに繋がっている
修道士たちが集まるような部屋
(名前忘れちゃったごめん)には
裏側から入れました。

そちらの入り口に続く回廊。
わたしね、教会そのものが好きなのですが、
中でも回廊が大好きなのです。
その回廊もこの美しさ。

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床の美しさはまだ続きます。

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古いはずなのに
現代っぽさも感じます。

こちらも

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この床の部屋ね。
外部に面しての壁に窓がありました。

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窓がある部分から、壁の分厚さが見えるかな。
当時はこれくらい壁の厚さがあったんですね。
そこにも綺麗な装飾がありました。
窓の間には絵も飾ってあり、
壁には隙間がないくらいな装飾。

で、反対側の壁はこちら。

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見た瞬間は気がつかなくて、間を置いてハッとしたのですが
窓がそっくりそのまま描かれてたんですよ。
向かいの本物の窓ガラスに透けて見える格子までそっくりそのまま。
遠近法といい、装飾といい、素晴らしいなぁと。

この部屋を抜けると、こちらのお部屋へ

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これまた天井がきらびやかなのですよ!

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絵だけでなく、絵の間にある装飾も
これまた緻密で丁寧なのです。

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ここの教会はほんと煌びやかでした。

で、教会と隣接している回廊です。
結構広くて

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上の写真で見えている部分は一部です。
庭の一部に低い柵がぐるっと囲っていて
その上に頭蓋骨をかたどった物が間隔をあけて
置いてありました。
なんでも、この頭蓋骨を触りながら柵の周りをまわって
お祈りしたりもしていたそう。
この柵と回廊の間に道があり、

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これも、ものすごく趣があって素敵でした!
風化状態から、当時のまま残ってるんじゃないかなと
想像するのですが、この磨り減ったような具合が
これまた歴史を語ってくるようでした。

あとね、こちらも風化が見えるのですが
当時のものかなぁと。

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こんな感じのドアは、イタリアの古い住居の
建物の入り口でも見かけます。
ドアがものすごく大きな作りになってるんですね。
で、実際に人が出入りするような大きさで
扉をつくるという。
ドアが重いので、人が出入りする分だけの大きさの扉の方が
確かに便利です。

さて、話は変わるのですが、
「プレゼーペ」をご存知ですか。
キリスト降誕のシーンをミニチュアで再現した物なのですが
ナポリはプレゼーペで有名です。
こちらのサン・マルティーノ修道院でも
大きな大きなプレゼーペがありました。

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薄暗かったので写真がクリアでなくてごめんなさい。
壁が青空に薄く雲がかかっているように塗ってあり
天使が空から降りてきているのを表現していて美しかったです。

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真ん中辺りに赤ちゃんがいるのが…見え辛いね。。
このプレゼーペは圧巻するほどの大きさの作りでしたが、
他にも幾つもプレゼーペがありました。
その中には、ミニチュアの衣装が物凄く古い布地の物もあり
なんだか当時の空気をまとっているかのようで
感慨深かったです。

こちらのサン・マルティーノ修道院は
回廊以外にも庭があるそうですが、
暑かったのもあり、わたしたちは見に行きませんでした。
最後に眺めのいい場所から。

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ここからの眺めも言葉が出ないくらい美しかったです!

ナポリ記事、まだ続きます。
もしよかったら、お付き合いください☆



ナポリ2: ナポリの歴史が垣間みれる博物館「サン・マルティーノ修道院」

2017.07.14 04:07|
ナポリ記事の続きです。
ヴォメロの丘の上に立つ「サンテルモ城」の隣にある
「サン・マルティーノ修道院」。

201707N14.jpg
(サンテルモ城からの眺め)

中は博物館みたいにもなっていて、
ナポリ王国時代が垣間見れ
とても興味深かったです。

見てるだけでワクワクしてくる
帆船が海を行き来している当時の絵とか

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いろんな資料があり、
古いナポリの地図も見かけました。

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で、この地図。
何年に作成されたのか忘れたのですが、
スパッカナポリがあったんですよ!
(*前のサンテルモ城の記事の最後に載せてた、まっすぐな道の写真)

スパッカナポリに印つけるとね、、

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赤い二つの線の中にある道がそれです。
せっかくせっかくなので、この丸印のお城から見えてる
現在のナポリの写真をもう一度。

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港は地図と同じようにありますね。
スパッカナポリはこちら

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地図にあるように、お城から本当に真っ直線です。

あとね、地図から見てとれるように
サンテルモ城は丘の上にあるので、
スパッカナポリはもちろんのこと、
その周辺の道を歩いてて、建物の切れ間から丘を見上げると
サンテルモ城が見えるのです。
昔も今も変わらないんだなぁと。

あとね、個人的にすごく気に入ったのがこちら。
ナポリ職人によって1600年代初めに作られたキャビネット。

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エボニー(黒檀)とローズウッドのベニアに
象牙で刻まれたものが覆われています。
左側の造りをアップすると

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海の神様、ネプチューンを彷彿させるような刻印もあり。
右側には日本もありましたよ。

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見辛いので、
アップして赤線を引くと

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1600年代初頭のナポリ人職人には
日本はこんな形と把握されてたのか!と興味深かったです。
ちゃんと西側に中国(CHINA)
南側にフィリピン(PHILIPINE)もあるし
ほんと世界地図だなぁと、感心しました。

こんな面白い物がいろいろあるんですよ。
他には、船もあって、

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これね、写真ではまるで模型のように
小さい雰囲気がありますが、
めちゃくちゃ大きいです!!
比較できる物がそばにないのが残念。。
あの屋根の下に大きな王座が
余裕で入るくらいです。
で、創りも素晴らしいの。
船前方の鷲も

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細部まで表現されてあり、
船のサイド部分もひとつひとつ丁寧です。

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写真には取らなかったのだけど
船はもう一隻あって、
青色でそれもものすごく大きかったです。

で、これらの大きな船。
どうやってここに入れたのですか?と
係員の人にたずねると、
この博物館を建てる前に入れたそう。
船を入れてから、壁を作り、屋根を作り…と。
どうりでこれだけの大きい船が室内に入ったのだなぁと。

他には、船の模型もありました。
海上で戦うために使った船とか。
王座もありましたよ。
ほんと盛りだくさん。

サン・マルティーノ修道院、長くなったので
次に続きます〜。

ナポリ1: 眺めが素晴らしいサンテルモ城

2017.07.13 04:01|
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(*Googleからお借りしました)

ナポリから帰ってきて数日経っているのですが
撮った写真を見てはボブとあれこれ話して
ちーっともブログアップが進まないです。。
それくらい、ナポリは美しくて楽しかった!
いろんな表情があって、そして、ほんとに綺麗だった。

スパッカナポリなどの旧市街地は下町っぽくて、
その趣があるのですが、
ケーブルカーに乗った先のヴォメロ(丘)など、
アールヌーボーの建物が残る地域の通りは、
フランスを思い起こさせるような美しさ。
歩いてたら本当にフランスか北欧に居る感覚に落ち入り、
イタリア語が聞こえて「イタリア人もいるな〜」と思ってから
「ここナポリだった!」と気がついたくらいでした。

あの、ナポリは危ないとかよく聞きません?
イタリア自体が危ないと昔は聞いていたので(今はどうなのかな)
比べるのはナンセンスとも思うのですが、
わたしとボブの感覚としては、
ナポリよりローマの方が危ない感じがあります。

確かに、ナポリはスペイン地区など
危なそうな雰囲気を察する区域もありますが、
スペイン地区は地元の人でも入らないぐらいですから。
そんな場所を避けて貴重品の管理をしっかりし、
財布はお尻のポケットに入れないなどの
海外旅行の安全ポイントを守っていれば
ナポリは緊張しなくても大丈夫だなぁと。

ローマは、街全体的にちょっと危ない感じが
わたしはあります。(*個人的感覚です)
ローマは移民も多く、ジプシーも見かけるので
そんな環境の殺伐さを感じるのだけど、
ナポリはイタリア人が多いのが影響あるのかなぁと。
あと、ローマ人の気質とナポリ人の気質の違いもあると思う。

イタリア全体で人懐っこい人が多いのですが、
ナポリ人の人懐っこさとオープンさといったら!
カフェでコーヒーを飲んでると、
隣のテーブルの人の会話が聞こえてきて、
気がついたら一緒に友人のように話してるとか日常だし。

道に誰か座り込んでたら、声掛ける人あり、
側の切り売りピザ屋にピザを買いにいく人あり、
そのピザ屋が無料でピザを届ける…などの展開が
すぐ広がるんですね。

こういうナポリ人の人情が
全体的な街の安全に一役かってるんじゃないかと感じました。
噂通り危なそうな地区もあるし、少数だけどいろんな人もいるけど、
ナポリの印象は必要以上に悪くないか?と疑問に思っちゃった。
実際に体験してみないと分からないですね。
あの美しさとエネルギーいっぱいの街はほんと大好き。
美味しい食べ物もいっぱいですよ!!

…と、前置きが長くなりました。
さっそく写真です。
(*写真は全てクリックして頂くと大きくなるのでもし良かったら)

こちらは、ヴォメロの丘からの眺め。

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奥に見えているのはヴェズヴィオの火山です。
現在は噴火していませんが、西暦79年に大噴火し
ポンペイの街が消失してしまった、あの有名な火山です。

で、この眺めが観れる丘にあるのが
サンエルモ城です。

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あの、お城の全体像の写真撮ってないです、ゴメン。。
ここね、お城を拝見するというより、
ここから眺めることができる景色が
もんのすごく素晴らしいです。
なので、お城の写真としてはちょっとよく分からないかも、だけど、
こんな城壁です

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お城の中も石畳で入るとひやっと涼しく
くねくねと続きます

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途中の窓から見えるヴェズヴィオと
ふもとに広がる街並み

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屋上に出ると
同じヴェズヴィオと麓の街の風景も
角度が変わって見晴らしが一段とよくなります
屋上の手摺りには工夫がしてあって
点字がありました。(写真手前)

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この点字は長い手摺りにずっと打ってありました。

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奥に薄い色で見えている向こう側が
ポジターノ、アマルフィになります。

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右側に見えている小さな島はカプリで
左側はソレント。

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左手に見えている港は観光用の港で、
続いている奥の街はポジリポ…だったかな。
右側の奥にイスキアがあります。

で、ここからも、もちろんヴェズヴィオ山が見えます

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左側に、真っ直ぐ通っている道が見えるかな。
緑色の屋根が見えているすぐそばです。
この道は、旧市街地で知られている
「スパッカナポリ」です。
別の角度から撮った写真がこちら

201707N28.jpg

下町でね、ものすごい趣があり、
The ナポリという感じがします。
歩いているとナポリ映画に入り込んだような
感覚があり、ものすごく楽しかったです。

続きまーす。

夫婦間で上手くいくには「妻は夫に甘える」「夫は妻とコミュニケーションをとる」ことも一つかな

2017.07.10 04:10|思ったこと・気づいたこと
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この間のナポリで出会った人と過ごしてた時に
夫婦間のことで思うことがありました。

わたしの周りの男性は
離婚歴がある人も沢山いらして、
その後、再婚している方も多いです。

で、再婚した男性のほとんどは
再婚してから家事をし始めたそうで、
なぜ初婚時に家事をしていなかったのかというのが

「何をしても当時の妻は文句を言ってたから」
「どうやっても当時の妻は怒ってたから」

だから、家事はしなかったそう。

家事をしたことがない男性は
お家のことは、どうしたらいいか分からないんですよね。
男一人暮らしの時は適当にしてたけど、
パートナーと暮らすようになったら状況が変わって
妻が家のことをするようになって。
で、大変そうな妻を見て、夫なりに思うことをするのだけど
妻としては…特に普段から忙しくて完璧主義を持ってる妻は
自分の中に段取りがあるので、そこを乱されるのでイライラしてしまう。

例えば、夫が食器を洗ったんだけど
食器の裏側を洗ってなくてベトベトしてる。
しかも油がグラスの足の部分にも残ってて、
すべてを洗い直すはめになっちゃって。
でも、夫は「洗ってやったぞー」みたいな顔して
ソファーにのけぞっていると、
疲れてる妻は泣きたくなるか、怒りになっちゃってもう、、

こうなるとさ、妻が文句を言いたくなったり
怒っちゃう気持ちも理解できるんですよ。
(あ、頷いてる人、いるでしょ?!)
でも同時に、洗ったのに妻に怒られて
悲しくなった・腹立った夫の気持ちもわかる。

まぁ落ち着いて。
自分なりの夫と妻の関係を、
時間を遡って見て欲しいなぁと思います。

妻の場合ね、
普段から「家事」と「仕事(子供の世話、親の介護なども含む)」を
(完璧に)両立させそうとしてませんか?
自分で何でもしようとしてませんか?
自分でした方が早いと思ってませんか?
夫とコミュニケーション(ボディタッチ含む)をしていますか?
夫に甘えることはできますか?
「見たらすること分かるだろ?空気読めよ」と夫に対して思ってませんか?
家事は「夫に手伝ってもらう」という意識はありませんか?

夫の場合ね、
仕事に時間を取られすぎてませんか?
妻とコミュニケーション(ボディタッチ含む)をしていますか?
妻と話すのは面倒臭いと思ってませんか?
妻が怒るくらいなら黙ろうと思ってませんか?
妻への愛情表現を日常的にしていますか?
言わなくても妻は分かってくれているという思いはありませんか?
家事は「手伝う」という意識はありませんか?

…どうかな?

当てはまっちゃった方、いるんじゃないかな〜
特に完璧主義を持ってる奥さん!
仕事(子供の世話、親の介護など在宅でのこと含む)と
家事を両立させようとする意識は捨てていいよ〜
そもそものところで「仕事と家事を両立させている」って
どんな状態のことですか?自分でちゃんと掴めてる?
で、それは、本当に現実的に可能なこと?
その状態で、あなたは気持ちに余裕があって幸せですか?

一番大切なこと、を思い出して欲しいなぁと思います。
「パートナーと一緒に生活しよう」と思った気持ち、ね。
仕事と家庭の両立のために結婚したわけじゃないと思うんですよ。

で、自分で何でもしない。
自分でした方が早くても、してもらう。
じゃないとさ、いつまで経っても「自分が」しちゃってるんですよ。

あの、甘えるってどういうことか掴めてますか?
わたしね、「自分で出来ることをしてもらう」のが
甘えることだと思うんですよ。

夫にしてもらうと、
いつもより時間がめちゃくちゃかかるかもしれない。
もしかしたら自分がし直さないといけないかもしれない。
でも、そんな「(ある意味)損」する勇気を持って、してもらうのね。

で、最初はめちゃくちゃでも
「夫が行動してくれた」ことに対して、
「ありがとう」「嬉しい♪」とちゃんと表現するんですね。
まずは「してくれたことが嬉しい」と伝える。
行動してくれたんだもの!!

その後で
「あなたがしてくれたのは嬉しい!
 でね、ここがこうなってたら、超最高に幸せになる〜♪」
という感じで、して欲しい方向性を伝える。

ポイントは「ダメ出しをしない」「でも…を言わない」こと。
ちょっとずつ、ひとつずつ、して欲しい方向を伝えるのね。
これを繰り返すと、大抵の場合(夫が覚えていられたら)、
妻の意向を組んでくれます。
夫も妻が喜んでくれるのは嬉しいのですから。

あのね、
「(状況などを)見たらすること分かるだろ」
という考えは通用しないです。

というのも、
妻が「見たらすること」と思ったこと、と
夫が「見たらすること」と思ったことは、違うから。

だから、ちゃんと伝える必要があるのね。
「これをして」という具合に。

夫は、何をしたらいいのか分からない場合が多い。
でも妻をラクにさせたいと思って手を出したら
妻に「そうじゃないのよ!」と怒られて、
夫は怒られるくらいならもうしないでおこう…となってしまう。

このパターンが多いです。

ああ、もったいない!とわたしは思うんですよ。
もうちょっとコミュニケーションがあったら、
状況は変わったのに、、と。
だって、夫は「妻にラクになって欲しい」という
愛からの行動だったもの。

なので、コミュニケーションをとる。
普段からコミュニケーションは取れていますか?

再婚してから家事をするようになった旦那さんが
奥さんといるところを拝見していると
例えば、食事時では奥さんが旦那さんに
指示してる場合が多いんですよ。
「あなた、サラダを持ってきて」
「このお皿下げて〜」
という具合に、妻が夫へ、して欲しいことをはっきりと伝えてる。
時には、例えばサラダだと
「サラダにはソースをかけて。
 ソースは、オリーブオイルがこれくらいで…云々」と
細かく伝えてるんですね。
これくらいするんですよ。
すると、夫もすることが分かる。
そして、食事の後は、各自がすることがはっきりしてました。
例えば、妻は残った食事を冷蔵庫に入れ、
夫は食器の処理をしている。

ここまではっきりしてるとラクだなぁと。
家事ってね、お互いが住んでいるお家のことじゃないですか。
なので、妻だけの仕事ではないと思うんですね。
だから夫に「手伝ってもらう」という意識はちょっとズレてるかも、と思うのです。
二人で住んでいる家のことなので、
お互いでクリエイトしていくことだと思うから。

そして、コミュニケーションに関してですが、
「話す」言葉のコミュニケーションもだけど、
「相手の目を見る」視線を交わすコミュニケーションと
「ボディタッチ」身体に触れるコミュニケーションも
大切です。

朝起きた時とか、寝る前は
ちゃんとお互い目を見て「おはよう・おやすみ」言ってますか?

ボディタッチは、頻繁にセッ クスしようとかでなく(それでもいいですが)
例えば台所で料理してる相手の背中に手を置いて「味見させて〜」とか。
ちょっと触れることを沢山増やしてみるとか、ね。

ほんと、ちょっとしたことが
仲をスムーズにさせてくれるのです。

旦那さんへ思うことがあって、仕事が忙しいというも分かるんですよ。
でも、妻とのコミュニケーションはとって欲しいなーと思います。

生活する時間帯が違う場合もあると思うのですが、
最低限を決めて、必ず視線を交わすコミュニケーションをして欲しいです。
妻は、自分の人生のパートナーとして一緒に生きているのですから。
もし、面倒臭いとか思ってしまうのであれば、
「自分にとっての妻とは何か?」を自問して頂きたいです。

「言わなくても分かってくれている」というのは
幻想ですよー、特に旦那さん!
もし相手が分かってくれているのなら、それは「たまたま」です。
「くじに当たった」みたいなラッキーなことです。

「言わなくても分かってくれている」は
「言わないと分からない」ですから。

あとね、日本は愛情表現をあまりしない文化で
お互いへの「今日も綺麗だね」「あなた格好良い〜」という
言葉は頻繁に交わされていないようですが、
これね、実は秘訣だと思ってる。

なんて言ったらいいだろ、スパイス的な役目があるんですよね。
日常生活にほんの少しかけるだけで、
お互いの関係が引き締まってくる。

あと、パートナーが綺麗・格好良くなってきますから。
ほんとに。言葉の魔法って凄い力がありますよ。

だから
「今日のその服似合ってる!いいじゃん」とか
「今日のあなた、いつもより格好良い!」みたいに
日常的に褒めるんですね。
すると、本当に美しく・格好良くなってきますから!

状況を変えるにはエネルギーと時間が必要かもしれないけど
いつかは「変える一歩」を始めないと、
いつまで経っても変化は始まらないです。

奥さん、夫に甘えてね。
自分で何でもしてしまわない。
夫にも活躍する場を渡してください。
男性の創造する力・作り出す力も相当なものですよ〜

旦那さん、妻とコミュニケーションしてくださいね。
メールとかじゃなくて、妻の目を見てコミュニケーションしてね。
そして時には褒めてくださいな。
え?褒め方が分からない??
じゃあね、奥さんを観察してみて。
ほら、似合う服来てるでしょ?
「その服似合うね」とか
「色の組み合わせ上手いね」とか。
他にはね、食事はどう?美味しい?
でしょう〜〜!そのまま伝えるの。
「ご飯美味しい〜。ありがとう」って。
普段褒め言葉を言ってないと
最初は超ハードルが高いと感じるかも、ですが
なーんてことないです。
ほんと最初だけだから。
2秒の勇気が必要なだけ。

些細なことがきっかけで
大きな変化がやってくるので
どうか自分のために、一歩を初めてくださいね。

お家がますます居心地の良いものでありますよう☆


やりたいことだと勘違いしてしまう「自分に合ってること」の落とし穴。

2017.07.08 05:07|思ったこと・気づいたこと
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ナポリから帰ってきました!
誕生日を迎えました。
沢山の暖かいメッセージをありがとうございます。

今日は朝からのんびりと過ごし、
あなたの暖かさにホクホクしてとても嬉しくて、
そして、太陽が地球の周りをまた一周したんだな〜
などとも思ったりして、とても感慨深い日を過ごしてます。

わたしの近況話としてはね。
今、強烈に感じているのは、
変わり目の時期だ、ということです。

いろーんなことをひとつずつ
丁寧に見ていってる日々です。
その中でも、とことん見てることは、
「自分が本当にやりたいこと」。

この間もお友達と
「合っていること」「やりたいこと」「好きなこと」
って、それぞれ違うねと話してました。

自分に合ってるけど好きじゃない、とか。
合ってて好きだけどやりたくない、とか。

例えば、わたしの場合だと、
ご老人のお世話をするのは向いてると言われること多くて、
させていただくのも好きだけど、
でも、今はそれを仕事(給料を貰う体制)でしたいとは思わない。

でね。この「自分に合ってる」ってのが
(わたしにとっては)クセものなんですよ。

自分に合ってるから、
してるとエネルギー交換されてるのもスムーズに感じるし、
居心地良いから、満たされしまうんですよね。

で、この満たされ感から
「好きなことなんだ」「やりたい」などと思っちゃう。

でも厳密にはズレてるんですよ。
だから途中からなんか苦しくなってくる。
「本当にしたいこと」とはズレてるから、
魂が叫んでくるというか。

で、ここでちゃんとこの苦しさを見ればいいのですが、
「まぁいいじゃん」「面倒臭い〜」となって「気のせいかな?」
などと誤魔化しちゃうとズルズルドロドロになってくる。
自分で自分を正当化させるために
ポジティブ思考が発動してくるんですね。

「あそこには自分の居場所があるでしょ?」
「楽しいでしょ?」
「求められてるじゃん?」
「感謝も届いてるじゃん!」

ってな感じでね。
でもこれらは、事実を捻じ曲げてるなーと気がついた。

事実は「わたしはなんだか苦しい」んだもの。

苦しいのに、
・居場所を手放す恐れ
・次の場所が見つからない恐れ
・感謝してくれてる人を裏切る(と勝手に思い込んでる)恐れ
そして何よりも
先がまったく見えていないことからの恐れが出て
苦しさを捻じ曲げてたなぁと。

で、この苦しさをちゃんと見ないと
後でまた出てくるんですよね。
これは、解消されるまで、何度も出てくる。

恐れは勇気を与えてくれる材料なので、
うまく使えばいいんだ、と思うんですよ。

「恐れ」を恐れない。
「勇気を与えてくれる道具」として使う。

すると、
「合っていること」「やりたいこと」「好きなこと」
がガッチリ組み合っていることを見つけるんだろう、と
感じています。

…と、こんなことも考えてた日々で、
お誕生日も迎えた今日この頃でした!

今は自己リトリート期間中な感じです。

表面上は混乱してるようで
すべてがドドーーンと出ているようで、
わたしは内に入って、内から整理していて…
あ、そのうちフッと抜けるな、という感覚があります。

ふふふ。抜けたら、何を選択してるのかな?!

あなたもどうぞステキな7月を☆

Happy July!!




自分のコミュニケーション能力の問題から見えた、表現方法と文化の違いと自分の扱いへの気づき。

2017.06.30 03:52|思ったこと・気づいたこと
20170629.jpeg

以前、グループで作業をしている時に
日程を決めないといけなくなってね。

A案は、わたしにとっては大丈夫だけど
B案は、わたしは嫌だと思った。

一瞬「B案にも合わせようかな…」という思いが
頭をよぎったけど、でも、
それはわたしにとっては無理をすることだと感じたので
やっぱり嫌だ、と。

で、最初は、このままどうなるか見守ろうと思ったの。
そして、もしB案が通ったのなら、その後で
わたしはグループを抜けさせてもらおうと思った。

というのも、以前にも、このグループで日程を決めることがあり
「この日はしたいことがあるので、この後の別の日に…云々」
と伝えていたのに、
思いっきり、わたしのしたいことがある日と被った日程になったから。
今回も伝えてもダメだと思った。

そのことを友人と話してたら

「ともこさんのコミュニケーション・スキルの問題だ」と指摘してもらってね。

「嫌だ、じゃなくて、無理です、と伝えるの」と。

これがものすっごく目からウロコでね。
そうかーー、と。

で、自分の内をとことん見ることになった。
「無理です」と言わないといけないから。
「無理だ」と自分が感じるほど、したくないのか?と
自問し始めた。

自分は
何が本当にしたいのか、
何が本当に大切なことなのか、
何かを手放すことになってまで、それをしたいのか?

それを「したい」と表現するのでなく、
「絶対それをします」と言い切れるほど
わたしは本当にしたいのか?

そして、他のことを
「嫌だ」でなく「できない」とまで感じるのか?

…と、自分の内をとことん見つめた。
見つめてたら、他のことまで浮き上がってきて
勇気も要ったくらい、めちゃいろんな事に向き合うはめになった。
なにかを選択するということは、
他の選択肢を手放すことでもあるしね。

そんなこんなでとことん向き合ったら、スッキリしたし、

「A案だと、喜んでご一緒しますが
 B案だと、わたしは無理です。ごめんね」

と前もって伝えました。
グループを抜けてまでも、
提案Bの日程は自分の中でやりたいことがあったから。

そしたらね、面白いことが起こった!
提案Cが出てきたんですよ!!
まったく違う日程。
いやーー、人生何が起こるか分からない。


でね、今回、友人が

「コミュニケーション・スキルの問題だ」

と指摘してくれて、気がついたことは他にもありました。
それは、文化の違いと、自分の扱い。

まずは、気がついた文化の違いから。


日本でもね、相手を汲むことは
コミュニケーションをスムーズにする上で大切なこと、
じゃないですか。

でもね、例えば、

同じ日本の中でも「亭主関白」という言葉があるように
夫が妻・子供にまで対して、強い態度を示したりすることがある。
妻や子供の都合は、大袈裟に言うと、どうでもよくなったりね。
これは、夫の父親がそうであると、
それを見て育っているので、同じような態度を取ることがある。
(*皆が皆、そうではないです)
で、ここには悪気はないのね。
自分にとっては「それが当たり前で普通なこと」なのだから。
それしか知らないもの。

なので、ここで大切なことは

「亭主関白な旦那が悪い」とか
「威張る上司が悪い」とか
「押し付けてくる同僚が悪い」などと
被害者意識に陥らないこと。
そして、
「自分はどうしたいのか」をはっきりさせる。
相手に振り回されない。

自分の境界線をしっかりさせるんですね。

これも友人に指摘されてハッとしたんですが、
わたしの中で一緒くたになってたなぁと。
相手を自分の中に取り入れちゃって、混ざってた。
で、相手のしたいように従ってたんですね。

でも「相手は相手」なんですよ。
「自分は自分」で。

たとえグループで作業していて、
調和をもって作業したいと思ったとしても、
「自己犠牲」してまでは、調和ではないですから。
自己犠牲は、自分の中ですでに不調和になってる状態だもの。

なので、
自分の境界線を持って、自分でいること。
まずは自分の中で、自分自身が丸ごと調和であること。
この大切さをものすごく感じました。

文化から受ける影響は、
本人が気がつかないと変わらないから。
文化が悪いわけでなく、まして
そこに悪意があるわけでなく、
文化がその人柄にまで影響しているだけなので、
その人が悪いとかじゃないのね。
もうしょうがない。
だから、自分は「自分である」ことが大切で
それだけだなぁと。


あともうひとつ気がついたことは、
「自分で自分をどう扱っているか、それに伴う行動」です。

わたしね、いつも自分の代わりは在ると思ってるんですよ。
自分は唯一無二な存在だけど、でも、
自分が抜けても、誰か他の人が入って世界は回っていく、と。

でもね、

これと、
自分で自分の価値を認めて、自分を大切に扱っていくことは
違うんだ、と改めて気づいた。

話は変わるんだけど、
以前、自分の都合が悪くて
「チームワークだから、誰かひとりだけ(わたし)の都合で
 全体を変えることはできないと思うのですが」
と言ったことを覚えてるんだけど、
でも、よく考えてみたら、わたしはいつも
《誰かひとりだけの都合で全体を変えること》はしてたんですよ。
で、その《誰かひとり》ってのが、いつもわたし以外の他人。

わたし以外の他人に対しては出来てたのに、
自分に対しては出来ないのか??と強烈な疑問が、、、

ハイ。自分で自分のことを完全には認めてなかったなーと気付いた…

他人のことも大切で、
他人を認めて大切に扱うほど、
自分のことを大切に扱ってなかった。

「あなたは唯一無二で、わたしはいくらでも代わりがいるから」
みたいになってた。だから
「あなたの都合は絶対で、わたしはどうでもいいです」って感じでね、
勝手に自分に無理させて、その結果、
「もうヤダ。わたしの代わりはいくらでもいるでしょ?サヨナラ」
ってなってたかも、、、

わーー、面倒臭い人だ、わたし!!

自分で自分のことも唯一無二だと思うのなら、
そんな態度・行動をとっていく必要がある。
でないと、ただ思っているだけになるので
「思考(アイデア)」止まりになってる。

実現までもっていくには、行動(態度)が必要だな、と。

こんなことを思いました。

でね、もし自分の都合を「はっきりと」言って
「できない」「無理です」と伝えて、
グループを離れることになったのなら、
それはそれで好い事だと思うのね。

自分と波長が合う人と出会うチャンスや
自分のことを大切だと思ってくれる人と出会うチャンスへの
道へと導いてくれてることだと思うから。

それに、今までの自分と違う行動をとったのなら
周りの環境が変わってくるのは自然なことですから。

ー ー ー ー ー ー ー

家族や会社で、自分は大切にされていないと感じる?
対等に扱われていないと感じる?

まずは、自分で自分を大切に扱ってあげる。
対等な態度を自分が相手に対してとる。

それらをちゃんと行動する。

そして、思うことをはっきりと伝えること。
育った環境、文化の違いなどもあるから、
「したい」とか「嫌だ」では、
他人に伝わらないことがあるもの。
なので「します」「できない」「無理です」と
はっきりと伝える。

それで失うことがあったとしても、
得られることへの道も開いたのだから、
それでいい〜〜

自分の境界線をはっきりさせて
自分は自分でいる。
他人に振り回されない。

皆が、自分で自分のことを認めて
自分を大切に扱っていますことを〜!


さて、わたしはナポリに行ってきます。
あなたもどうぞ素敵なホリディを☆

紙とペンのご用意を!タロット先生のリーディングゲームのご紹介

2017.06.29 03:49|自己ワーク
20170628.jpeg

わたしが敬愛するマルセイユ・タロットの
宮岡先生が、ブログでリーディングゲームを
してくださっています。

http://ameblo.jp/mvoler-tarot/entry-12287114852.html

宮岡先生がブログ上に用意してくださったことに対して
自分が感じたこと・思ったことをメモするなり、
記憶にとどめておいてください〜

明後日に概要を示してくださるそうです。

わたしもさっそく紙とペンを持って
先生のブログ記事を楽しんできましたよ。

これね、シンプルだからこそ
自分の深いところが見えると思う!

わたしは見えたよ、、
「ああ、これは恐れだな〜〜」とか、ね。

わたしが感じたことをシェアしようかなとも
思ったのですが、
何も知らないまま、先生の記事を見たほうがいいので、
ここでは何も書きませんね。

どうぞ楽しんで来てください。

「絵」だからね、そこを見るだけで
自分の中のいろんなことが反映されてくるから
それが面白かったです。
あ、こんなことも思ってたんだ、とか
文字じゃないからこそ見えてくる部分がありました。

特に、今、迷ってることがある人におすすめしたい!
痛いくらい、自分の迷いっぷりと、
どこが迷ってるのかが見えると思うから。。ひぃ〜

さぁ、紙とペンのご用意を。
マルセイユ・タロットの世界へ行ってらっしゃ〜い!

http://ameblo.jp/mvoler-tarot/entry-12287114852.html
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますこと、
再会できることを楽しみにしています〜!
(*セッションのご予約はこちら
ご参照ください。

*Facebookしています。
アカウントはこちらで、
お友達申請ウエルカムです〜。

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

お会いできることを楽しみにしてます。

アメブロにミラーブログ置きました。
読者登録など便利な機能があるので。
もしアメブロの方がご都合が良ければ
そちらでも宜しくお願いします。
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