自分のコミュニケーション能力の問題から見えた、表現方法と文化の違いと自分の扱いへの気づき。

2017.06.30 03:52|思ったこと・気づいたこと
20170629.jpeg

以前、グループで作業をしている時に
日程を決めないといけなくなってね。

A案は、わたしにとっては大丈夫だけど
B案は、わたしは嫌だと思った。

一瞬「B案にも合わせようかな…」という思いが
頭をよぎったけど、でも、
それはわたしにとっては無理をすることだと感じたので
やっぱり嫌だ、と。

で、最初は、このままどうなるか見守ろうと思ったの。
そして、もしB案が通ったのなら、その後で
わたしはグループを抜けさせてもらおうと思った。

というのも、以前にも、このグループで日程を決めることがあり
「この日はしたいことがあるので、この後の別の日に…云々」
と伝えていたのに、
思いっきり、わたしのしたいことがある日と被った日程になったから。
今回も伝えてもダメだと思った。

そのことを友人と話してたら

「ともこさんのコミュニケーション・スキルの問題だ」と指摘してもらってね。

「嫌だ、じゃなくて、無理です、と伝えるの」と。

これがものすっごく目からウロコでね。
そうかーー、と。

で、自分の内をとことん見ることになった。
「無理です」と言わないといけないから。
「無理だ」と自分が感じるほど、したくないのか?と
自問し始めた。

自分は
何が本当にしたいのか、
何が本当に大切なことなのか、
何かを手放すことになってまで、それをしたいのか?

それを「したい」と表現するのでなく、
「絶対それをします」と言い切れるほど
わたしは本当にしたいのか?

そして、他のことを
「嫌だ」でなく「できない」とまで感じるのか?

…と、自分の内をとことん見つめた。
見つめてたら、他のことまで浮き上がってきて
勇気も要ったくらい、めちゃいろんな事に向き合うはめになった。
なにかを選択するということは、
他の選択肢を手放すことでもあるしね。

そんなこんなでとことん向き合ったら、スッキリしたし、

「A案だと、喜んでご一緒しますが
 B案だと、わたしは無理です。ごめんね」

と前もって伝えました。
グループを抜けてまでも、
提案Bの日程は自分の中でやりたいことがあったから。

そしたらね、面白いことが起こった!
提案Cが出てきたんですよ!!
まったく違う日程。
いやーー、人生何が起こるか分からない。


でね、今回、友人が

「コミュニケーション・スキルの問題だ」

と指摘してくれて、気がついたことは他にもありました。
それは、文化の違いと、自分の扱い。

まずは、気がついた文化の違いから。


日本でもね、相手を汲むことは
コミュニケーションをスムーズにする上で大切なこと、
じゃないですか。

でもね、例えば、

同じ日本の中でも「亭主関白」という言葉があるように
夫が妻・子供にまで対して、強い態度を示したりすることがある。
妻や子供の都合は、大袈裟に言うと、どうでもよくなったりね。
これは、夫の父親がそうであると、
それを見て育っているので、同じような態度を取ることがある。
(*皆が皆、そうではないです)
で、ここには悪気はないのね。
自分にとっては「それが当たり前で普通なこと」なのだから。
それしか知らないもの。

なので、ここで大切なことは

「亭主関白な旦那が悪い」とか
「威張る上司が悪い」とか
「押し付けてくる同僚が悪い」などと
被害者意識に陥らないこと。
そして、
「自分はどうしたいのか」をはっきりさせる。
相手に振り回されない。

自分の境界線をしっかりさせるんですね。

これも友人に指摘されてハッとしたんですが、
わたしの中で一緒くたになってたなぁと。
相手を自分の中に取り入れちゃって、混ざってた。
で、相手のしたいように従ってたんですね。

でも「相手は相手」なんですよ。
「自分は自分」で。

たとえグループで作業していて、
調和をもって作業したいと思ったとしても、
「自己犠牲」してまでは、調和ではないですから。
自己犠牲は、自分の中ですでに不調和になってる状態だもの。

なので、
自分の境界線を持って、自分でいること。
まずは自分の中で、自分自身が丸ごと調和であること。
この大切さをものすごく感じました。

文化から受ける影響は、
本人が気がつかないと変わらないから。
文化が悪いわけでなく、まして
そこに悪意があるわけでなく、
文化がその人柄にまで影響しているだけなので、
その人が悪いとかじゃないのね。
もうしょうがない。
だから、自分は「自分である」ことが大切で
それだけだなぁと。


あともうひとつ気がついたことは、
「自分で自分をどう扱っているか、それに伴う行動」です。

わたしね、いつも自分の代わりは在ると思ってるんですよ。
自分は唯一無二な存在だけど、でも、
自分が抜けても、誰か他の人が入って世界は回っていく、と。

でもね、

これと、
自分で自分の価値を認めて、自分を大切に扱っていくことは
違うんだ、と改めて気づいた。

話は変わるんだけど、
以前、自分の都合が悪くて
「チームワークだから、誰かひとりだけ(わたし)の都合で
 全体を変えることはできないと思うのですが」
と言ったことを覚えてるんだけど、
でも、よく考えてみたら、わたしはいつも
《誰かひとりだけの都合で全体を変えること》はしてたんですよ。
で、その《誰かひとり》ってのが、いつもわたし以外の他人。

わたし以外の他人に対しては出来てたのに、
自分に対しては出来ないのか??と強烈な疑問が、、、

ハイ。自分で自分のことを完全には認めてなかったなーと気付いた…

他人のことも大切で、
他人を認めて大切に扱うほど、
自分のことを大切に扱ってなかった。

「あなたは唯一無二で、わたしはいくらでも代わりがいるから」
みたいになってた。だから
「あなたの都合は絶対で、わたしはどうでもいいです」って感じでね、
勝手に自分に無理させて、その結果、
「もうヤダ。わたしの代わりはいくらでもいるでしょ?サヨナラ」
ってなってたかも、、、

わーー、面倒臭い人だ、わたし!!

自分で自分のことも唯一無二だと思うのなら、
そんな態度・行動をとっていく必要がある。
でないと、ただ思っているだけになるので
「思考(アイデア)」止まりになってる。

実現までもっていくには、行動(態度)が必要だな、と。

こんなことを思いました。

でね、もし自分の都合を「はっきりと」言って
「できない」「無理です」と伝えて、
グループを離れることになったのなら、
それはそれで好い事だと思うのね。

自分と波長が合う人と出会うチャンスや
自分のことを大切だと思ってくれる人と出会うチャンスへの
道へと導いてくれてることだと思うから。

それに、今までの自分と違う行動をとったのなら
周りの環境が変わってくるのは自然なことですから。

ー ー ー ー ー ー ー

家族や会社で、自分は大切にされていないと感じる?
対等に扱われていないと感じる?

まずは、自分で自分を大切に扱ってあげる。
対等な態度を自分が相手に対してとる。

それらをちゃんと行動する。

そして、思うことをはっきりと伝えること。
育った環境、文化の違いなどもあるから、
「したい」とか「嫌だ」では、
他人に伝わらないことがあるもの。
なので「します」「できない」「無理です」と
はっきりと伝える。

それで失うことがあったとしても、
得られることへの道も開いたのだから、
それでいい〜〜

自分の境界線をはっきりさせて
自分は自分でいる。
他人に振り回されない。

皆が、自分で自分のことを認めて
自分を大切に扱っていますことを〜!


さて、わたしはナポリに行ってきます。
あなたもどうぞ素敵なホリディを☆

後編(お金):「好きなことにお金を使いたい」のに…

2017.06.05 04:35|思ったこと・気づいたこと
20170604.jpeg

前の記事の続きです。
今回はお金に関して。

ズバリ。

お金が好きな人、手を挙げてーーー!



…どう?

お金が好きな人は、堂々と手を挙げられたかしら??
本当はお金が好きなのに、躊躇したりしなかった?

お金が好きな人も、苦手な人も、
ちょっと考えてみて欲しいです。

「自分にとって、お金とは何?」

お金って何ですか?
自分の内をとことん見てみて。
どんなことだっていいので、
ふと湧いた思いがあるのなら、
ちゃんと認めてあげてね。
否定しないで欲しいです。
自分を否定していることにも繋がるから。


では、どんどんいきます。
次の質問〜。特にお金が苦手な方へ。

「もし、物々交換の世界に居るとしたら、どうですか?」

自分が持ってる物、もしくは、
自分が出来ることに対して、何かと交換する…
という世界だったら居心地はどうですか?

どう?居心地は変わってくる?良い?悪い?

じゃあね、

「お金」と「自分が持ってる物・出来る事」の違いは何ですか?

どう違うかしら?

今、わたしたちが生きてる世界では
「お金」でいろんな物・事が手に入る。
そして、物々交換の世界では「自分が持ってる物・出来る事」で、
いろんな物・事が手に入る。

…あれ??似てる…?!同じとも言えるかも。
微妙な違いはわたしも感じます。
でも今は、それをちょっと横に置いて、
「どちらも同じように物/事と交換できる」にフォーカスしますね。


お金ってね、わたしは「便利な変換ツール」と感じています。

例えば、カフェに行って、500円玉を一枚出すと
コーヒーと変換できる、というような。

物々交換だとね、わたしの場合、
その場でヒーリング・セッションをさせていただいて、
コーヒーと変換してもらう…という感じじゃないですか?
もしくは、
農家さんだったら、お家から自分が栽培したお米を持ち歩いて
カフェに行って、何合かのお米とコーヒーを交換する、とか。

こういう交換も楽しいけど、まどろっこしい時もありますね。
その点、お金はいろんな場面でいろんな物・事に
変換できる道具だとわたしは思う。

ではここで。

今度は「お金を受け取れているか?」

あなたは、お金を受け取れていますか?
誰かがポーンと札束を差し出してくれたら
受け取れますか?

日本は、お金は汚いもの、とか
お金のことを話すのは露骨だ、
エゲツない、という風習があるように感じます。

特にね、癒しとか人生・太古の智慧の伝授とかで
人様のお役に立つ、ということになると
なぜだか「清貧であれ」みたいな感じになって
お金が受け取れない方も多くいるように感じます。

あの、これに関しては、いろんな考え方があると思うんですね。

例えば
「お金を払ってでも、これ(この仕事)をしたい!」
と本気で思うときもあると思うんですよ。
それをすることを考えると自分の魂が振えるほどで、
身体の全細胞がエネルギーで満ちてくる。
こういうときは、お金以外の「なにか」と
やりとりしていると思うんですね。

これを自分が思う仕事で
「清貧であれ」という方向性でも感じますか?

魂が振えるほどのことをしていると
経済的な辛さとかそれほど感じないんですね。
他人が何と言おうと自分の魂は
満たされていますから。

なので、もし、なにか引っかかるのなら、
自分の内を見てみて欲しいなぁ、と。

自分の行動に置いて、
提供していることと
受領することのバランスが取れていないと
疲労が出てくることがあります。
すると、
やりたいことをしているのに
疲労が激しくて、
止めちゃったりすることがあるんですね。

なので、ここで、エネルギー交換の
バランスを取る必要があると思うんですよ。

わたしが感じるのは
癒しやボディワーク、
教えることなどを仕事にしている方に
アンパランスな傾向が見られるかなぁ、と。
で、結局止めちゃう方もいらしてね。

前回の記事で
「自分の叡智」に対するお金との交換、と
表現したのだけど、
たとえ「自分が」勉強して学んだとしても、
その叡智は「自分の」物ですかね??
そして「自分の」物を誰かに伝えているのかな?

わたしは、自分の物じゃないと感じるんですね。
「誰か」特定の物でもなく
みんな共有というか、宇宙の智慧というような。

なので、宇宙の智慧を知ったのなら
それを共有していくこと(教えることなども)は
素晴らしいと思うのです。

だから、臆することなく
どんどん活動して欲しいとわたしは思います。

そして、エネルギー交換をして欲しい。
上記で「お金って何?」ということで、
いろんなことに「変換・交換できる」と表現しましたが、
そういう点でみると、
結局はお金もエネルギーだなと感じるんですよ。

でも、もし、自分がお金との関係がクリアでないなら…
例えば、小さいときに親から「お金は汚い物」などと
教えられていたら、それが根付いてしまってるんですね。
なので「自分にとってお金は何なのか」を
しっかり見ていく必要があります。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

さて。次の質問、

「自分にお金を使えますか?」

「自分のためだけ、
 遊び・無駄なことに、お金を使えますか?」

どうですか?
必要なこと、には、まだ使えるんですよね。
役に立つこと、とか。

でも、遊び・無駄なことに対して、
まして「自分のためだけ」ですから!
お金使える?

自分のためだけには使えない…と感じた場合、
「私(僕/俺)だけ幸せになってもいい」って
言ってみてください。

…言えるかな?
ざわっとする?何かひっかかる?

違和感を感じるときは
「お母さんを幸せにできなかった」
というような罪悪感が潜んでるときがあります。
「お母さんを助けられなかった」
「お父さんは大変だもの」とか。

もう大丈夫だから。
あなたは幸せになってもいいのね。
「自分だけ」幸せでも大丈夫なの。
だから、自分が幸せになる許可を
自分に出してあげてください。

でね、自分にお金を使うこと、ですが、
今まで「自分に無駄なこと」でお金を使ったことがない場合、
デパ地下とか、前から気になってたお店で、
以前から食べてみたかったけど、
なーんか買えなかったというようなのをひとつ、
自分に買ってあげてみてください☆
きっとこれだと馴染みやすいと思う。

あのね、お金ってね、
必要な時には、必要な分だけ
なんかよう分からんけど、回ってくるんですよ。

今までそんなことありませんでしたか?

車検に出さないと行けなくて、
でもお金が足りない…と思ってたら
おばあちゃんからお小遣いもらった、とか。

そんなのがあるんですよ!

で、自分が本当にしたいこと、
自分が満たされることにお金を使っていると
なんかよう分からんけど、お金はちゃんといつも手元にある。
お金使ってるのに!

で、もし、お金がどんどん減ってる…という場合、
「本当に自分が満たされることに使っているか?」ということなんですね。

刺激を得るためだけに使っていないか?ということ。

例えば、
仕事でストレスまみれになって
超疲れてお腹ペコペコなときに
カップ麺とか食べたくなるときないですか?
これは、刺激を求めてるんですね。
でも、自分は食べたいと思っているから
自分がしたいこと、と思っちゃうのだけど、
それはダミー(偽の姿)なんですよ。
そもそものところの
「そのストレスまみれの超疲れるようなこと」で
満たされていないんですね。
なので、そこを見る必要がある。

これと同じで、例えば、
芸能人のようにハワイでバカンスを過ごしたいと思って
ハワイに行って買い物して海にも行ってアクティブに過ごして、
SNSでも写真シェアして、コメント沢山もらって華やいだけど
なんか違う…と感じていたら、
その実、本当にしたかったのは、温泉に行ってボーッとしたかった、とか。

これが、
刺激のためにお金を使っているのか、
自分が満たされるためにお金を使っているのか、の違いなのです。

心地良い疲労じゃない「疲労」や
「なんか違う…」という変な違和感があるときは、
自分が満たされていないときかな、と思います。

でね、お金の使い方で言いたいのは、
最初からお金が上手く使えるわけじゃないです!
使える人もいるだろうけどね、
お金の使い方が今までよく分かっていなかった場合は、
無駄遣いすることもいっぱいあると思う。
何を隠そう、わたしがそうでした!!

欲しいと思って買ったのに
「本当は」欲しくなかった、とか。

これは、幼い頃に買いたかったけど買えなくて、
その時の気持ちだけが欲しいと思ってただけでした。
で、買ったはいいが「物」が欲しかったわけじゃないから、
「物」は最終的にはゴミになっちゃったのね。。
でも、こういう状況でも自分にOKを出しました。
幼い私が満たされたのだから、と。
これを何回か繰り返すとね、感覚的に分かるようになりました。
ああ、これは記憶/感覚が買いたがってるんだな、って。

なので、無駄使いして当たり前。
エネルギーを回しているんだ、という感覚で
お金と仲良くなる気持ちを持ち、
お金を使う勇気、
自分がしたいことへお金を使って欲しいなぁと
願っています。

あなたは価値があるのですから!


さて。わたしは、スロベニアにしばらく滞在してきます。
キャサリンのクラスに参加してきます!

そう、ロンドンのキャサリンのクラスから帰ってきたばかりだけどね、
今度は、スロベニアで違うクラスが開催されるので
そちらに参加してきます。
楽しんできますーー!

あなたも素敵な初夏を〜!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ロン&ドロシー来日、2017年10月開催
「ワンネスのハートの目覚め」ワークショップ


日程:2017年10月8日〜13日  
  (チェックイン:10月7日 
   チェックアウト:10月13日)

講師:ロン・ラプラス&ドロシー・ウォリス 

料金:305,000円       
  (7泊分の宿泊・食事が含まれています) 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ロンもドロシーも、ドランヴァロ・ メルキゼデクが創立した
スクール・オブ・リメンバリングの認定講師であり、
ATIH ワークショップの認定講師でもあります。

彼らはATIHが誕生するときから関わっており、
100名を超えるATIHティーチャーを
トレーニングする手助けもしてきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして今。
こんなハートに関するベテラン 講師のお二人が
ハートに入ることはできても、
居続けることが難しい方がいることに気づき、
「ハートの統合されたフィールドに居続けられるように」と
新しく創ったワークショップが

"Awakening the Heart of Oneness"
「ワンネスのハートの目覚め」です。


ロン&ドロシーと共に
ワンネスへ還る旅路を体験しませんか。

日本語通訳も素晴らしい方をお迎えします。
日高 奈津子(ひだか なつこ)さんです。
国内外でスピリチュアルな世界の通訳として活躍されています。
彼女は、講師が話していることの言葉だけでなく、
エネルギーそのものも伝えてくれ、ほんと素晴らしいです。

ワークショップの内容は、こちらのページをご参照ください。
ご案内はこちらのページに掲載しています。

ご質問やお話ししてみたい…など、なんでも
わたくし tomoko.it.IH@gmail.com
もしくは、澤田とも子さん tomoko13ih☆yahoo.com まで。
澤田とも子さんのブログはこちらです!

私たち全員 - ロン・ドロシー・なつこさん・とも子さん、と共に
あなたとワンネスの旅路をご一緒出来ることを楽しみにしています!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



前編:「好きなことで稼ぎたい」のに…

2017.06.04 04:27|思ったこと・気づいたこと
20170603.jpg

この間、メッセージを頂戴しました。
ロンドン滞在中だったので、
お返事をスマホでちまちま文字打ちしてたら、
話を端折り過ぎそうになってね、
「こりゃアカン、後で書き直そう」と保存した…
つもりが、送信されてました(汗)

そしたら、中途半端な返事にも暖かいお返事をくださって
「もし、返信が他の方にも役立ちそうなら、ブログに書いてくださっても」
とシェアの許可を頂戴したので、今日はそのお話をさせてください。
きっと他にも似た方がいらっしゃると感じるので。
(シェアの許可をありがとう!!)

さて。
頂戴したメッセージの内容は

「好きなことで稼ぎたかったはずなのにできていない」
「好きなこと(興味あるイベント参加など)をできる状態になりたい」

ということでした。

Wさん(仮名)は講座開催をすることもあります。
ご自身が得た叡智をお教えして、収入を得ているんですね。
でも、講座を低すぎる値段設定にしてしまったり、
ほかのメニューを高すぎる値段設定にしてしまったり。
そんなことになってしまって、
好きなことで稼ぎたかったのにできてない、とのこと。
そして、好きなことをやれていない…
例えば、イベントに参加したいと思うも、
参加できるまでになっていないとのこと。

こういう状況の要因は、個人で色々あるのだけど、
ざっくり大きくいうと

・自己価値
・自己信頼
・自分の叡智に対するお金との交換(*ここではあえて「自分」と表現しますね)
・自分とお金との関係
・自分にお金を使うこと

などが関係していると感じます。
(今回は、自己信頼などに関してのお話で、
 次回にお金に関してお話をしますね)

さて。

話はちょっと飛ぶのですが、

最近のわたしの周りの傾向として
「新しい癖を作っていく」方向をとっている方が多いです。

キネシオロジーセッションを受けることを長く頻繁に続けると、
ややもすると「原因探しの旅」みたいにもなり得るかな、と
感じたことが、以前ありました。

でね、最近では、その旅はお休みする方が増えていて
「新しい癖作りの行動をする」方向になっています。

わたしが感じるところはね、
原因探しって、キリがない部分があると思う。
探そうと思えば、いつまでも掘り下げることができる。
だって、いろんなことが関係しているのですから。

原因を探すことが必要な時はあるんですね。
でも、もうずーっとそういうことをしてきたり、
もしくは、なんか違うかなぁと感じ始めたのであれば、
方向性を変えてみてもいいかな、と思う。

例えば、今までの古い癖が抜けたところは、
ポカンと穴が空いてるような状態かな、と思うんですね。
なので、そこに新しい癖を入れるの。
自分で新しい癖を作ってね。
そして、その新しい癖を行動付けていく。
そうしないとね、古い行動癖が抜けても
新しい行動癖がないと、どうしたらいいか
分からない状態なのかしら?と感じています。

で、ここには想像性があるんですね。
「新しい行動をする」のだもの!
いろんなことが生まれ出てきます。
そこからいろんな展開もある。

…と、こんな話をしていると
「新しい行動をすることに苦手意識がある」
と話してくださる方もいるんだけどね、

ちょっと立ち止まってみて。

そして、落ち着いて、ゆったりとして、
息を自然なまま整えてください。

で、もう一度自分に問うてみて。

「本当に自分は新しい行動をするのが苦手なのか?」って。

「以前の自分と、今の自分は同じなのか?」

「本当に、今の自分は、そこまで苦手なのか?」

「今、この瞬間の自分はどうしたいのか?」


あのね、感情と感覚は違います。
これを同じことと認識していると、
何かの感覚があるときに、そこに同化して、
「自分は今その感情がある」と勘違いしちゃうのね。

違うの。ただ「感覚がある」という時がある。
なので、見極めないといけないの。

「あれ?新しい行動を考えると…
 ざわっとする感覚もあるような感じがするけど、
 なんか違う感覚もある。
 え??本当に自分は、苦手なのか??」

と、こんな感じで、自分の内に、感覚に、問うて欲しいです。

以前のあなたと、今この瞬間のあなたは違うんですよね。
だから、違うことを感じて当たり前なの。
毎晩、寝る度に新しいあなたに生まれ変わってます。

いや、毎瞬毎瞬、自分は新しいのよね。
なのに、自分で「以前の自分」の記憶を引きずってるだけ。
そこに気づいて欲しいなぁと思います。

特に、ずーっと特定の方法で調整してたのなら、
新しい方法を取り入れるのもいいと思います。

あの、今までしてきたことが間違ってたわけでは決してないですよ。
それは必要なプロセスだったのだから。
ただ、ずっと同じことをしてきて、今、自分が思うようになれていないのなら、
方向性を変える必要があるかな、ということなのです。

自分を信じてあげて欲しいです。
ほんとに、ものすごい変容を遂げられるのだから。
ただ、方法が合ってなかっただけなの。

そして、

自分に許可を出してあげて欲しい。
「その行動をとる」こと
「自分がしたいこと、好きなことをする」ことに対して。

自分を赦してあげて欲しい。
「今まで出来てなかった」ことに対して。

他人に対しても許すことができればいいけど、
究極な話、その人を許さなくてもいいと、わたしは思う。
無理な時もあると思うんですよ。
ただ「自分だけは」赦してあげて欲しいです。
今までそうやって、
「自分に足枷(あしかせ)をかけてきた」ことに対して。
誰かとの関係が原因で、そこに捉われているということは、
自分は自由じゃないんですよね。

自分の人生だもの。自由であって欲しいと思います。
自分の思うようにシナリオを書き、
行動していく必要があるのね。
「誰かがなんとかしてくれる」なぁんてことはないですよ〜

自分で自分の価値を認め
自分で自分を信頼する。

ねえねえ、自分の価値を知ってる?

マザーアース(母なる大地)の価値はどのくらいだと思う?
ファーザースカイ(父なる天)の価値はどのくらい?

わたしたちって、母なる大地・父なる天と
同じ価値があるんですね。同等なのです。
それくらい大きいんですよ。

それを感じて、思い出してもらえたらなぁと
切に願います。

そして、

「自分が好きなこと、したいことができる」
「自分が思うように行動できる」

ということを思い出して欲しいと願っています。
あなたには、その力があるのですから。

自分の中の光を思い出してね。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ロン&ドロシー来日、2017年10月開催
「ワンネスのハートの目覚め」ワークショップ


日程:2017年10月8日〜13日  
  (チェックイン:10月7日 
   チェックアウト:10月13日)

講師:ロン・ラプラス&ドロシー・ウォリス 

料金:305,000円       
  (7泊分の宿泊・食事が含まれています) 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ロンもドロシーも、ドランヴァロ・ メルキゼデクが創立した
スクール・オブ・リメンバリングの認定講師であり、
ATIH ワークショップの認定講師でもあります。

彼らはATIHが誕生するときから関わっており、
100名を超えるATIHティーチャーを
トレーニングする手助けもしてきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして今。
こんなハートに関するベテラン 講師のお二人が
ハートに入ることはできても、
居続けることが難しい方がいることに気づき、
「ハートの統合されたフィールドに居続けられるように」と
新しく創ったワークショップが

"Awakening the Heart of Oneness"
「ワンネスのハートの目覚め」です。


ロン&ドロシーと共に
ワンネスへ還る旅路を体験しませんか。

日本語通訳も素晴らしい方をお迎えします。
日高 奈津子(ひだか なつこ)さんです。
国内外でスピリチュアルな世界の通訳として活躍されています。
彼女は、講師が話していることの言葉だけでなく、
エネルギーそのものも伝えてくれ、ほんと素晴らしいです。

ワークショップの内容は、こちらのページをご参照ください。
ご案内はこちらのページに掲載しています。

ご質問やお話ししてみたい…など、なんでも
わたくし tomoko.it.IH@gmail.com
もしくは、澤田とも子さん tomoko13ih☆yahoo.com まで。
澤田とも子さんのブログはこちらです!

私たち全員 - ロン・ドロシー・なつこさん・とも子さん、と共に
あなたとワンネスの旅路をご一緒出来ることを楽しみにしています!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



個であるからユニティを感じる?

2017.05.12 22:15|思ったこと・気づいたこと
20170512.jpeg

もしかしたら、わたしの周りだけかも知れないけど
よく「ユニティ」とか「ワンネス」という言葉を聞きます。
わたしもそれは大事だと思うし、そこだとも思うのね。

でも、実は、わたしの中では「個」がテーマでもありました。

個の存在であること。
個の存在でいること。

ここ数日、折に触れて「個」について思い出すことがあり、
いろんなことが繋がって行き、落ち着いたところが

個であるから、ユニティを感じるんだ、ということ。

考えてみて!
「個」の感覚があるから、ユニティを感じられるんだもの。

「個」の感覚がなかったら、
どうやったらそれをユニティだと感じられる、分かるんだろう?と思ったの。
個としての分離の意識を感じたから、ユニティを感じたときに、その違いから
ユニティだ、と認識できると思った。

わたしたちは、比較することで認知できることが沢山あるから、
個の感覚があったからこそ、全体の美しさを知られる部分があると思う。

だから「個」であることを楽しむ。
個人で肉体を持って生きてゆき、感じ取り、個を知る。
そしたら、同時にユニティに近づいているのだなぁと。

そもそものところ、
わたしたちは大いなるひとつから、ここに生まれてきて、
「私」と認識する、身体の個の存在を持ってるじゃないですか。
この存在の仕組みが
ユニティと個の美しい表現がされていると思うのです。

個(人間)として生まれてきて、
個(人間)が集まることでユニティになる。

ユニティは英語表記だと UNITY となり、関連する言葉もいくつかありますね。
UNIT は、それ自身で完全な単一体という意味
UNITE は、一体にする、合体させる
UNION は、二つ以上のものを一つに結合すること、合体

こうみると、言葉自体の「ひとつ」ですら、
それに関連する他の言葉にも
一体にする、とか、二つ以上のものを一つに結合する、という意味も
関連しているということが分かります。

だからね、こう見てるとね、、、

人間として、今ここで「私」として存在し
皆でお互いに近づいていくと
ユニティにいけるんだな〜と感じるのです。
なんだ!今のままでいいじゃん、と。

でね、これね、マインドだけで理解しようとしても難しいと思う。
ハートでも理解すると、しっくり自分の中におちてくるのね。

マインドだけでも足りない。
ハートだけでも足りない。
マインドとハートが仲良くなって、
「個」の存在の自分でありつつ
「ユニティ」の存在でもある。

これを感じられたら、ものすごく生きやすくて楽しいと思います。

今ね、これらを体感できるようなワークショップ開催に向けて
素晴らしい講師を迎え、もうひとりの「ともこさん」と
通訳の「なつこさん」と一緒に準備をしているところです。
最高な体験になるだろうな〜と超ワクワクしています。
もうしばらくしたらご案内できると思うので楽しみにしててくださいね。

個の存在でありながら、ユニティの存在でもある。
わたしたちは、皆誰しもがそうです〜!

視点: いつも同時に「奥」を見ています

2017.05.05 04:08|思ったこと・気づいたこと
20170504.jpeg

ここ数日、わたしの視点について
メッセージを頂くことがありました。
なので、今日は、
人がとる行動についてのわたしの視点、ということで
わたしはどこを見てるのか??などのお話です。

で、その前に。
わたしの中で常に大前提があって、
それは、

「すべて絶対に大丈夫」

ということ。

何があったとしても、
何が起こったとしても、
それがどうなったとしても、
一時的に動揺することはあるかもしれないけど、
絶対になんとかなるし
すべては最高最善に進んでいる。

この思いがいつも根底にあり、
絶対に揺らぐことがないです。

「なんの根拠を持ってそう思うの?」
「どうやったらそう思えるの?」
という質問を時々頂くのですが、
これは、文字だけでは伝えきれないことがあり、
実際にわたしと会ってもらって
会話とエネルギーでお伝えできると
「やっと分かった」「なんとなく掴めたような気がする」
「体感できました。マインドで説明できないのが分かった!」
とお返事頂けることが度々です。
なので、よかったらわたしと会ってください〜。


でね、
わたしは、見るときは
「その奥」を見ていることが多いです。

実際に何かが起こっていても
「起きてること」を見つつも、
「その奥」を見ています。

なんでそうなるのか。
なぜ人はそういう行動をとるのか。

人がとる行動で、理解出来ないようなことは、
大抵の場合、恐れからきているとわたしは感じます。

傷つく恐れ。
受け入れてもらえない(と感じている)恐れ。
孤独の恐れ。
失う恐れ。

でもこれらも、根底は愛があるからこそ、なんですよね。

愛してるから、傷つけたくない、傷つけられたくない。
愛してるから、受け入れて欲しい、受け入れてもらえないのは痛い。
愛してるから、人といたい。
愛があるから、失うのが怖い。

わたしは、発端はこういうところかなぁと。
で、ここは分離の意識が影響しているところもあると
感じています。
ユニティ・フィールドの意識であると、
そもそも失うことはないと知ってるし、
受け入れる・入れないとかも、ないことを知ってるから。

でも人間だもんね。
分離の意識がちらつくこともあると思います。
それを味わうためにも、ここに居るのだから。

なので、わたしは、見るとき、
視点を奥に置いてます。

人がとる行動の「奥」を見る。

言い換えると、その人の立場に立ってみる、とか
その人の視点に立ってみる、ことにもなるかな、と。

イタリア語の表現で
「mettersi nei panni di qualcuno」というのがあります。
直訳すると、誰か(その人)の服を着る、という意味ですが、
その人の立場に立ってみる、ということです。

英語でも「put yourself in someone's shoes」という表現があり
これも直訳すると、誰か(その人)の靴を履く、となりますが、
その人の立場に立ってみる、ということですね。

これらの表現ね、イメージするときに、ものすごく役に立つと思うんですよ。

苦手だと思う人、
自分が理解できない行動をとる人、
なぜか分からないけど避けたい人、

そんな人を自分とはちょっと離れた所にイメージして、
少しずつ近づいていく。(とイメージで見る)
で、もし可能なら、その人の靴に足を入れてみる。
もしくは、上着に腕をとおしてみる。
そして、その人の目線で物事を見てみる。

するとね、また違ったことが見えてくると思います。
その人の視点で見えるから。
自分のマインド、エゴで見ていないもの。

あと、もうひとつの方法が、自分が鏡になる。

シルビア・プレースの「鏡」という詩がとても好きで
参考にしているので、一部をご紹介させていただきますね。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー

私はまがうかたなき鏡。
予断も偏見も持たず
目にしたものを即座に吞み込む。
好きや嫌いで曇らせず
あらゆるものをそのままに。
残酷ではなく、忠実な
私は小さき神の四角い目。


(*全文はこちらです)
ー ー ー ー ー ー ー ー ー

こんな感じで自分が「鏡」となり
自分の中に相手を映してみる。
偏見を持たず、判断もせず、
好き嫌いを投影させず、ただ映して見るだけ。
すると、「目」だけで見ていたときとは、
また違ったことがわたしは見えてきます。

でね、自分が苦手だと感じる人ってね、
自分の中にある同じ要素を持ってる人のことが多いです〜

自分の中で何か統合されていないようなことが
その人に接することで共鳴され増進されて
居心地が悪くなってるんですよね。

なので、結局は自分なのです。
で、居心地が悪くなる自分もOKなの。

自分が理解できないようなことが起こっていても
それは、ただ起こることが起こっているだけであり、
すべてはベストな方向にしか進んでいないので大丈夫。

ここが揺らがないと何を見ても大丈夫だと思うのです。

あなたの視点はどこを見ていますか?
あなたの世界はどんなのかしら?!

あなたバージョンもお聞かせいただけると、とても嬉しいです〜





愚痴はウンコみたいなときがある【愚痴をどう聞き流したらいいか分からないあなたへ】

2017.03.17 00:54|思ったこと・気づいたこと
20170316.png

わたしのセッションに来てくださる方は
真面目さんが多く、
人の話は聞かなければならない、とか
人に貢献したい、という思いをお持ちの方も多いです。

そうなると出てくるのが「愚痴を聞く」に関して。

真面目さんだから、つい聞いちゃうのね。
しかも、お友達とかだと余計に。

本当は聞きたくないのだけど

「聞いてあげないといけない」
「大変そうだし」
「辛そうだから」
「スッキリさせてあげたい」

と思って、聞きたくないけど聞いてしまう。

あの、人を思いやる気持ちや優しさってね、
いいことでもあると思うけど、
同時に、自分を傷つけることになりかねないと思う。

だってね、聞きたくない愚痴を聞くことで、

「他人に」優しくしてるつもりでも、
「自分には」優しくないもの。

本当の自分は、聞きたくない、
聞いたら居心地が悪いのに、聞いてる…
ということは、
自分を傷つけてることにもなるなぁと。

あのね。

愚痴の利点は、
・コミュニケーションをとる
・自分の弱さを出す(自分を出す、という表現)
・相手への信頼を示す
などがあるのですが、

でもさ、正直なところ、

愚痴は排泄物みたいなところもあると思うんですよ。
「出したらそれでスッキリ♪」
という感じなところがあると思うの。
そう、うんこみたい。

消化吸収されなくて、不要なものが出た、ということで。

そんな訳で、うんこ表現で続けていくと;
「他人のうんこ(愚痴)は、あなたが処分しなくていい」
ということなんですよ。

だから、聞かなくていいの。

「聞き流し方が分かりません」
「受け止めて流したらいいの?」
と言われる方もおられますが、
あの、そもそものところで、
聴かなくていい、受け(止め)ないでいいのですよ〜

本当はね、
「今は(あなたの愚痴を)聴ける余裕が自分にないから聴けないの」
と伝えられたらいいかな、と思うのですが、

とはいえ、突然、そのステップを踏むのも難しい場合もあると思う。
そういうときね、その場に居合わせる、ということをするのね。
音(愚痴)がきこえる場に「ただそこに居てるだけ」という状態に、自分を置く。

愚痴を「愚痴(言葉)」とするのでなく、
「音」にするの。「雑音」に。
BGMと表現したら分かりやすいかな。
音として聞こえてるんだけど、聴いてない、という。

そうすることで、
聴かないということに慣れてゆき、
そのうち
「あれ?なんで私はこんなことまでして、
 自分がしたくないことをしてるんだろう」と
気がつくとおもいます。

愚痴を言う・聴くということは、
コミュニケーションを取ることでもあり、
言う側は、相手への信頼を示す(自分の弱さをさらけ出す)ことであり
聴く側は、相手の弱さを知れたりもできて、
お互いにより親密になれる利点もあるので、
愚痴もよいところがあるのですが。

でも、もし、聞きたくないのであれば。

聴かない。

「人の愚痴を聴かなければならない」ということはないのですから。

「愚痴はウンコみたいなときがある」を合言葉(?)に
他人のウンコ処理はしなくていい、と思い出してくださいね。

人に優しくする(優しくしてるつもり)もいいけど、
自分に優しくあって欲しいなぁと思います。

「我がまま・自分勝手」って、、何?!

2017.02.20 22:31|思ったこと・気づいたこと
20170220.jpeg

前回の記事(タイトルがしっくりこなくて変えただけで、内容は同じです)
メッセージをいただき
ブログ掲載許可も頂戴したので
ご紹介させてくださいね。

ー ー ー ー ー ー ー ー

今日のブログ、読みました。
掃除機をかけながら、私の母方も、
父方の女衆はずっと我慢し続けてたんだろうな。
私が私のわがままを許すことをしようって、
それが先祖やこれからの子どもたちも癒すことに
繋がるんだろうなって、思っていました。
なんかシンクロしてて、なんだか嬉しかったので、
メッセージしてみました

ー ー ー ー ー ー ー ー


ほんと、わたしも同じことを思います。

自分が、自分のわがままを許すことは、
横軸的な、パートナーなどの周りの人だけでなく
縦軸的(時間を超えた)人の癒しにも繋がるなぁと。

あなたは、我がままが、出来ますか?
「我がまま・自分勝手」って何だと思う?

ちょっとスペースを空けるので
(出た!いつもの空白!と、空欄とるたびに思います…)
よかったら、考えてみてくださいね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
  
さて。

あなたは「我がまま・自分勝手」が、できてますか。
できてる??ふふふ〜、どうぞこれからも楽しんでくださいね。

では、出来てないあなた。
あなたにとっての「我がまま」とは何ですか?

持っていたらいけないこと?
和を乱すこと?
したら怒られること?
したら迷惑をかけること?
したら嫌われること?
してはいけないこと?

…だから、出来ていない、していないんだって?!

そっか、、じゃあね、次の質問。

「あなたのしたいことは、分かりますか」
あとね、
「好きな食べ物は何ですか?
 空腹時に食べたい物が分かる?」
 
…え?何の関係があるねんって?!
 まぁまぁ、よかったらお付き合いくださいよ〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

思いついた?!
 
自分がしたいことが分からない、であったとしても
自分の好きな食べ物、食べたい物が分かるのであれば
まだ自分の感覚を感じ取ることは出来てるかなと思うのだけど
もし、好きな食べ物・空腹時に食べたい物が分からないのであれば
自分の心を見過ごしていたり、
自分の感覚を感じ取れていないのかもしれないかな、、と。

で、なぜ自分の感覚が分からないのか。

傾向として

・真面目
・〜するべき/〜せねばの信念を持ってる
・正しいことをしようとする
・自己価値の低さ
・人の目が気になる
・我慢する

などを持っていることが多く、
それらが入り混じって
自分を許せてないんですね。
自分に許可を出せていない。

「自分が」楽しいことしていいよ、
「自分が」幸せに感じることしていいよ、

していいよ!って自分に言えていない。
いろんなことを、したらダメだって思っちゃってる。

昨日お会いした方は、ゲームで
「好きな食べ物を3つ言って」といわれるも
自分の好きな物がよく分からなかった…
とお話くださるほど、自分がどうしたいのか、
何が好きなのか、がはっきりと分からなくなっておられました。

こうなってしまった要因はいくつかあるのですが
そのひとつに「我がまま・自分勝手はいけないこと」という
思い込みがあったのです。

で、周りに合わせよう、周りを優先しようとしすぎで
自分は自分の行動の発端に入ってないんですね。
「自分」を見ていない。
「自分」はどうしたいのか、を感じようとしてないの。

だから「自分」が分からなくなる。
何がしたいのか、何が好きなのかさえも分からない。

他人に合わせて、自分を消してたら
そりゃー「自分」が分からなくなってしまうのもしょうがないんですね。

あのね。

我がまま・自分勝手って、
究極的な「自分がしたい」が詰まってると思うんですよ。

そこに「自分が在る」と思うんですね。

だから、

ちゃんと受け入れる。
見てあげる。
認めてあげる。

あの、

自分の我がまま・自分勝手を許すからといって、
突然、その我がまま:例えば
「暴れてやる!ウガガー」だと、
必ずしも暴れるわけじゃないんですね。

暴れてもいいんだけど、
その「暴れる」ということに対して
まずは、自分に許可を出す、ということなんですよ。
「暴れてもいいよ〜」って。

で、その後、実際に暴れてもいいし、
暴れなくてもいい。

大切なのが「暴れてやる」と感じた・思った自分を
ちゃんと受け入れる。

「見ないふり」とか
「そんなことしちゃダメ(と自分を否定)」とか
「まぁまぁそんなこといいじゃん(と達観、楽観)」とか
「無かったこと」になんてしない。

ちゃんと受け入れてあげるのね。
すると、そこで何かが変わってきますから。

この後で、自分に確認して

「暴れたい?じゃあ暴れよう!!」
「暴れたくなくなった?じゃあもういいか〜」

となるんですね。

我がまま・自分勝手には
「自分の思い」が在ります。

なので、

我がまま・自分勝手は
悪いことやいけないことじゃない。

ピュアな部分の自分が在る、だけ。

そして、そんな自分を許すことで
自由になるんですね。

それは、自分の癒しだけでなく、
先祖やこれからの子供達の癒しにも繋がっていると感じます。

自分を許すことで、
引き継がれてきた家系のパターンを断ち切ることになったり
気づきをもたらしてくれたことへの感謝などから
代々の先祖への癒しとなり
これからの世代の子供へも自由と癒しになると思うのです。

あとね、

自分の我がままの声をちゃんと聴いてあげる、
見てあげることで、
自分の中の「好き感度」「楽しい感度」が上がってきて、
自分の好きなことは何か感じ取れるし、
したいことも感じ取れる(分かってくる)しで、
日常の楽しさも上がってきます。

自分の我がまま・自分勝手を
両腕広げてウエルカムしてみてね〜

今までもこれからも癒されていますよう☆
 
 
 

自己犠牲を本当に抜け始めたと感じた日

2017.02.18 22:53|思ったこと・気づいたこと
20170218.jpeg

うーん。どこから書き始めたらいいのかのぅ、、
…と一瞬迷ってしまったくらい、
以前のわたしは「我慢・耐える」ことをしてました。
無意識の我慢をいれたら、
語りきれないくらい。

話はちょっとズレるのですが、

わたしたちは、生まれ育った環境から
大きな影響を受けます。
特に幼い頃なんて、外にひとりで出ていくことはないから
「家庭が世界」で、しかも、
自分を育ててくれる存在の親がいないと
生き延びれないので「親が世界」みたいになってくる。

なので

親がどうしているか、何を言ってるか、
親が自分に何をしてくるのか、何をどう要求してくるのか、

などの体験が、自分に大きく影響してくるんですね。

で、基本としては、これしか知らないんですよ。
「自分はその体験しかしてこなかった」から。

自分の世界=親がどうしてたのか、が、
基本となり、そして成長するにつれ、
他の大人と接して
別の大人の思考・行動を知っていくのです。
そうやって経験して自分の中が磨かれて
「独自」のものが出てくるんだけどね。

でも、そもそものところは「自分の親がどうしてたのか」が
自分の中に大きく影響してます。
特に、自分で疑問すらもたないような、
無意識でしてしまう(してた)行動なんかもね。

さて、わたしの話に戻るのですが。

わたしの母は耐える人でした。
とにかく我慢して周りを優先する人だった。
自分は二の次・三の次で、夫を立て
子供を優先し、親戚・家族にも応えて。

で、わたしの祖母(母の母)もそんな人だったのね。
まったく同じで、いや、それ以上だった。
歴史的なことや田舎という土地柄もあり
大家族で激動な人生でした。
耐えて耐えて耐え抜いて、
「女は食べられるときに食べないと、食べられない」
とよく言ってたのが印象的でした。

これは、忙しかったからというのもあるけど、なにより

「何か事態が発生すると、それに必ず対応しなければならない」
「目上や年上、男性から呼び出される・頼みごとをされると、
 何を置いてでもそれに対応しなければならない」

という信念が根底にあったから。
これは、曽祖母(祖母の母)も同じだったのね。

で、これらは、父方の家系の女性たちもそうでした。
父方の実家も田舎だったこともあるし
きっと日本の時代的なこともあるのでしょうね。

ということで。
わたしの中に上記そっくりそのままが
ベースにあったんですね。

・目上や年上の人を敬わなければ
・男性をたてなければ
・言われることを聞かなければ
・周りに応えなければ

などを「自分を犠牲にしてでも」しなければならない
と無意識で思ってました。
だって、親がそうだったもの。
そうしているところしか見たことがなかったから
他を知らなかったんですね。

なので、以前のわたしは、ボブに対して
「パートナーだから対等」という意識はあったものの
年上を敬わなければ、男性を立てなければなどという信念を
握ったままでした。

だから、当時は
自己犠牲してまでもボブを優先することは
日常茶飯事でした。

で、疲れちゃったりして、ね。

勝手に自己犠牲して
勝手に疲れて
勝手に不機嫌になって。

そして挙げ句の果てには

「わたしがこれだけ我慢してるのだから
 あなたもこれくらいは我慢できるでしょう?」

と、相手に対して期待(無言の要求)しちゃう。
だってわたしは我慢してるんだもん。

わたしが我慢してるんだから
あなたも我慢して当たり前、みたいな。

で、我慢してくれないと「なんでやねん!」と
まるで裏切られたかのように腹が立ち(ははは)。

勝手に我慢して
勝手に自己犠牲して
勝手に相手にも我慢を要求し
応えてくれないと、怒ってしまう

ああ〜〜、激しい一人芝居をしてました。

で、気がついたので、止めました。
自己犠牲・我慢・ボブ優先・自分は常に後回し・・・
これらをどーーんと止めたのね。

そしたら、ボブにしてみりゃ今まで「してくれてたこと」を
突然してもらえなくなったんだから、文句が出るわけですよ。
もう当たり前。しょうがないと思う。
わたしだって、今までしてくれてたのに、
してくれなくなったら「なんでー」と思うと思うもん。

でもね、やっぱり自己犠牲は息がつまると思ってね、
文句言われても、自分優先を続けてました。

そしたらね。

この間、わたしの我がままっぷりに笑ってたボブが
突然我がままを言いだしたので
「それワガママやで。
 あなたワガママですやん!」と言ったら

「君もワガママしてるやん!
 僕もワガママするんだ〜♪」

と嬉しそうに言いながら、笑って好き勝手してました。
これ聞けて、わたしはすごく嬉しくなってねぇぇ。

ああ、やっと、本当の意味での
耐える・忍ぶ・我慢・自己犠牲から
わたしは抜けることができ始めたんだなぁと。

あの、我慢・耐える・自己犠牲は悪い事じゃないと思います。
(良い事とも思わないけどね)
したかったら、したらいいんじゃないかな、と思う。

ただ、「しなければならない」という思いからの自己犠牲、
以前のわたしみたいなのは、
じわじわと自分を殺してたなーと思う。
自分の思いを抑圧して押し殺してましたから。

自分の思いをちゃんと聞いて、応える。
他人を満たす前に(他人に応える前に)、
自分をちゃんと満たしてあげる。

すると、勝手に、他人も満たされてるんですね。
自分が人を満たさなくても、
その人がご自身で満たしてるんですよ。

わたしは、自分がワガママになって、やっとそれが分かりました。

「内あるがごとく、外ありき」。
ボブが「僕もワガママする〜」と言うことは
わたしも「ワガママしてる」ということが反映されていると感じ、
やっと本当の意味での「自己犠牲・我慢・忍ぶ・耐える」から
わたしは抜け始めたんだ、と感じました。

ほんと、お互いが自由で
お互いが好きなようにしてて満たされています。

あなたはいかがですか。
あなたのパートナーとはいかがですか。

どうぞネコのようにふわりゆるりと
我が在るままに☆
2017021802.jpeg


我慢する、ということは自分をジワジワと…

2017.02.07 00:19|思ったこと・気づいたこと
20170206.jpeg

眠かった〜!めちゃ眠い日々が続いていました。
みなさま、いかがお過ごしですか?
ここしばらく眠かった方いらっしゃるかしら?!

この間ね、新月があったじゃないですか。
時々、月の満ち欠けの影響を受けてるのかも、と
感じる時があるのですが、この間の新月の数日前から
夜になると眠くてしょうがなかったです。
で、寝てました。
そしたら!セッションレポートがどんどん溜まっちゃってね。
「眠くて寝てます。レポート遅れてます。ごめんなさい」と
お伝えしたら、みんな優しくてねぇ。。
おかげさまでスッキリと寝てました。ありがとうございます♡
(レポートはすべてお送りしました。
 もし届いていなかったらごめんなさい!ご連絡くださいませね)


なんで眠かったんだろう?!
なんだかよく分からないけど、
寝てる間の夢も結構深かったみたいで
しゃべってた(寝言を言ってた)らしく
朝起きると必ずボブに「夢見てたでしょ」と指摘されてました。

最初のうちは、なんで分かるんだろう?!と驚いてたのですが
たずねてみると、はっきり覚えているような夢、
特に印象的な夢を見たときには必ず
わたしはしゃべってるようです。

ここ最近の眠い日々の夢も沢山で、
気づきがあった夢やら
大泣きしてる最中に目が覚めた夢とか。
特に大泣きの夢は、なぜ泣いてたのか思い出せなかったのですが
何かが解放された感じがあり、終わったんだなぁと。

先日は、敬愛し信頼を置いている方が
「魂が欠けている感じがしませんか」と
質問してくださって、わたしは瞬間的にハッとしてね。
ほんと気がついてなかったんだけど、
突然質問受けてハッとするほどの図星でした。

一瞬、頭は理屈的思考になって
「あれ?過去にセッションしてもらった
 IHプロトコル:魂の統合100%は何だったの?!」
などと、正直なところ、思ってしまったのですが
あれはあれで「あのときの自分で」本当に100%だったんだろうな、と。

今だからこそ手に入れることができたと感じています。

おかげさまで、なんだか大きくなったような感じがして
これはフィボナッチを受けた後の感覚にも似てて
自分の中の部屋が増えたような感じもあります。
なんだかよく分からないけど強烈に眠かった日々は
もしかしたら調整期間だったのかしら〜?!

さてところで。
前置きが長くなったのですが
ここ最近のセッションでよく出てきてるのが
「我慢する」ということ。

中には「我慢しなければならない、と思ってました」と
話してくださった方もいて、その我慢ぶりに驚いたほどです。

日本は和を尊ぶ国でもあるせいか
「自分さえ我慢すれば…」というのが多いような気がします。

例えば、複数人で食事に行って
みんながAランチを頼むと

「自分はBランチが食べたいけど、
 みんなAランチを頼んでるから、
 同じのを頼むと一緒に出てくるので
 みんなを待たせずに済むから
 本当はBランチがいいけど、Aランチを頼む」

という選択をしたり。

誰かに頼み事をされたら、
本当はしたくないけど
自分がちょっと我慢してやれば
事は丸くおさまる(と自分は思ってる)から、
しちゃう、とか。

あのね、思うのだけどね。

「我慢する」ということは、
大げさな表現をすると
自分をじわじわと殺しているようなことと感じます。

気がついて欲しいなぁと思うのが、
我慢って、自分に無理をさせてることなんですよね。
自分を抑えつけて抑圧させて耐え忍んでる。

そういうことを日常的にしていると
自分の感覚が鈍ってきます。
「自分」が分からなくなってくる。

…ということで、ジワジワと「自分」を
殺しているようなだなぁと感じるのです。

でね、多いなぁと感じているのが
「ちょっとの我慢に気がついていない」という人。

「私、嫌なことは嫌と言ってます!」と話してくださって、
本当にそうなんだけど、
でもそれは「超絶に嫌なこと」に関してで
「普通の嫌」に関しては
無意識で我慢してて、気がついていないのね。

で、こういう方って
「微妙な嫌」も沢山我慢してて
その上に
「普通の嫌」を我慢して重ねて
だからこそ
「超絶に嫌」は耐え切れないから嫌と言えて
そうなると
「嫌なことは嫌と言えている」と感じるんですね。

ちょっとちょっと、忘れてますよ〜
普通の嫌を見逃してますよ〜〜

あのね、普通の嫌、も、嫌だって言っていいの。
したくなかったら、しなくていい。断っていい。
自分のしたいことをしていい。
無理したり我慢したりしなくていいのね。

どうか自分を大切にしてあげて欲しいなぁと思います。
自分を可愛がってあげて欲しい。

自分を大切にしてるとね、
その大切さが自分から溢れ出て
勝手に相手(人)も大切にするようになっていきます。
自分が「人を大切にしよう」とする・思う以前に、勝手に。

自分の声を感覚を聴いてあげてくださいませね☆

「頼る」って…どういうこと?!

2017.01.16 23:01|思ったこと・気づいたこと
20170116.jpeg

昨日は、大阪でも薄っすらと雪が積もってました。
みなさま、いかがお過ごしですか?
「大阪で雪が見たい」と何年も言ってたボブですが
いざ雪が積もっていると、以前雪山でジョギング中に
足を骨折したのを思い出し「滑るのが怖いから」と
外出しなかったという…どないや!

そうだ。
時々ボブの体調に御心がけしてくださる方もいて
本当にありがとうございます。
おかげさまで元気にしてます。
今期は寒さを感じないらしく、
「僕、アンドロポーズ(男性更年期)かもね〜」などと
言ってたので、彼のことを『Mr.アンドロポーズ』と呼んだら
「その呼び方、どうなのよ?!」とツッこまれました、あはは〜
少し前にわたしのことを『モンスター』と呼んだので
ちょうどいいやん!って二人で笑ってたのですが、
今思い返せば何がちょうどよかったんだろう…(謎)

さて、ところで。
わたしのセッションをうけに来てくださる方は
頑張りやさん、一生懸命の方が多いです。

子育てに一生懸命だったり
介護を頑張ってたり
パートナーを支えようとひたむきだったり
仕事に懸命だったり。

ほんともんのすごーく頑張ってる。

でね「人に頼れますか?」とおたずねすると
ほとんどの方は頼るのが苦手だったりするのだけど、
なかには「まぁ頼れています」と言われる方もいてね、
でも、身体にたずねると「NO」と伝えてくるのです。
あれれ…?

最近、超がんばりやさんや人に頼れない方が
続けて来てくださっていたので、
今日は「頼る」をおききしたいです〜

あなたは「人を頼る」ことができますか?
日頃から人を頼ってるかな?

ちょっと空欄を入れるので、よかったら思い出してくださいね。
 
 
 
 
 
 

 
 
  
 
 
 
 
どうですか?頼れていますか?

でね、
「頼れている」と感じた人も
「頼れていない」と感じた人も
「どういう状況で」人を頼ろうとしているか
思い起こしてみてください。

どういう状況にいるときに、人を頼ろうとしますか?
あなたにとって「頼る」とは、どういうことですか?

また空欄を入れるので、思い出したりしてくださいね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
  
 
 
  
どうですかね?
あなたにとって「頼る」とは何ですか?
どういう時に頼ろうとしていますか?

自分ができないこと、があるときに人を頼る?
自分の手では負えそうにないとき?
もうこれ以上自分は頑張れないとき?
もうあかん、と思ったとき?

あのね、こういうときの「頼る」は、
頼ってるんじゃなくて「救助要請」をしてるのね。
助けてーー!って言ってるの。レスキューになる。

だってね、想像して思い出して欲しいのだけど

「自分じゃできない、自分の手で負えない、
 もうこれ以上はあかんわ…」

ってときは自分はどういう状態ですかね。
瀕死状態っぽくない?!
そうなると「救助を求めて」るのね。
 
 
じゃあ「頼る」って何なの?となるんだけど
わたしにとっての「頼る」とは、

「自分が出来ることを人に頼むこと」

です。そう、自分でも出来るけど、人にお願いするの。

自分でも「まだ」出来る。余裕ある、けど、
あえて人に「してください」とお願いする。

これが「頼る」だと思う。
 
 
あなたは、人を頼れていますか?
自分が出来なくなった状態からだと遅いのね。
もう疲れ切ってるし。
身体だけでなく、気力や心の疲労が特に大きいです。
そんな状態からだと回復に時間がかかる。

子育て、介護、仕事、などなど
頑張る理由はいろいろあると思うけど、
自分を大切にするからこそ
人も大切にできるのね。
自分に余裕があるからこそ
人へも余裕をもって接することができる。

子育て、介護などは特に
愛があるから・相手を思うから
世話を始めたと思うのだけど、
自分が頑張りすぎちゃって疲れてしまい
虐待しそうになったり、嫌いになったり、
拒否反応が出ちゃったり。

こうなったら本末転倒なんですね。
好きだから世話しようと思ったのに
世話してたら嫌いになっちゃった。。。

なので、自分に余裕がまだあるうちに
(まだ余裕を持って出来る状態のうちに)
人を頼ってくださいね。

まだ好きなうちに、これからも好きでいられるように☆

みなでお互いがお互いを頼って頼られて生きていますように。
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますこと、
再会できることを楽しみにしています〜!
(*セッションのご予約はこちら
ご参照ください。

*Facebookしています。
アカウントはこちらで、
お友達申請ウエルカムです〜。

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

お会いできることを楽しみにしてます。

アメブロにミラーブログ置きました。
読者登録など便利な機能があるので。
もしアメブロの方がご都合が良ければ
そちらでも宜しくお願いします。
http://ameblo.jp/lalunadigiorno

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

検索フォーム

【メールフォーム】

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示

QRコード

QR

ページトップへ