2018年。新しい年の始まり。豊かさでいっぱい。

2018.01.01 23:50|思ったこと・気づいたこと
新しい年、おめでとうございます!
いかがお過ごしですか。

わたしはね、
今朝はお友達から頂いた「大福梅」で
お白湯を飲み、お餅を食べて
日本の正月だー!と楽しく過ごしました。

年末にお寺にお参りして
一年の感謝をお伝えしたせいか
気持ちがスッキリしてて、
お年始の挨拶は急がなくていいか〜という思いがあり
お家でゆったりのんびりお正月を過ごしています。



昨年の手放しの後、豊かさに気づき、
それ以降、自分がどれだけ恵まれているか
豊かなのかをものすごく感じるようになりました。

特に強烈にどーんと感じたのが、
ある日、地下鉄の駅でエスカレーターに乗ったときのこと。

セッションに行く途中だったので
音叉が詰まった重いスーツケースを引っ張ってたのですが、
エスカレーターにスーツケースを乗せた瞬間、
ぐわっと閃いたんですよ!

「うわっ!280円で目的地まで
 こんな重いスーツケースごと
 わたしを運んでくれるこのシステム(地下鉄)!!
 なんて素晴らしいんだ?!
 わたしって恵まれてるやん〜〜!」

と、めちゃ感動したんですよ。
すっごい嬉しくて、ありがたいわーと
楽しくもあり。。。

…って、冷静に考えれば、
当たり前のことかもね。
地下鉄に乗れば連れてってくれるのは
もう何十年も当たり前で普通のことで。
それが恵まれてるって、、??


でもさ、考えてみたらね。


わたしは、地下鉄を作ることを
なーんにもしてないんですよ。

駅を作るために、地面に穴を掘ってないし
ましてや駅の建築設計も考えていない。

電車を組み立てるために
材料を集めてないし、
その材料の鉄板すら作ってない。

それなのに、突然地下鉄乗り場に現れて、
たかだか280円払うだけで、
目的地まで重い荷物ごと
連れてってくれるんですよ!!

すごくない??

しかも、時間に正確ときた!
その上、車内は綺麗で清潔で
ふかふかシートで
座って目的地まで行くこともできる。
空調設備も整ってるしね。

いやーーありがたいよ、これ。



でね、実は、

そもそものところで、
今の日本に生まれただけでも
ありがたいとわたしは思うんですよ。

生きるか死ぬかの争いごとのない国。
食べ物に溢れてて
衣服も溢れてる。

町は清潔だし
どこ行っても、いつも清潔なトイレがある。
便座もトイレットペーパーもあるし
水洗で無料で使える。
公園にすら公衆トイレがあって
犯罪の巣窟にならずに
未だにトイレとして設置されてる。

自動販売機が道路に無人で設置されてても
破壊されることなく、綺麗な状態であり続け、
販売機の役割を果たしてるし。

こんなに平和で安全で豊かな国って
ほんと珍しいんじゃないかと思う。



話はちょっと横にそれるんだけど、
よく言われてる
グラスに入っている例え。
この画像を見て、あなたにとっては

20180101.jpeg

「まだ半分ある」?

それとも

「もう半分しかない」?


これね、
どっちの見方が正しいとかいうのはなくて、
あえて言うのなら

「コップに半分入ってる。
 コップは半分からっぽ。」

という目の前に現れた状態を
見てそのまんまを把握するだけ…かなと思った。


ただ、どっちに意識がフォーカスされているかで
次の展開に影響が出やすい方向があるので、
そこを上手く使おうよ…ということなのかなぁと。


人間って、便利なことにはすぐ慣れてしまう。
そして当たり前になってしまうね。
そしたら、ない/足りないことに
目が行きやすくなっちゃうんだよね。

だから、なおさらのこと
自分の今の環境の
あるがままを見る/つかむことが大切なのかなと思う。

「コップに半分入ってる。
 コップは半分からっぽ。」

という、そのままの状況を
「まだ」とか「もう」という
意味付けをしないで、ただ見る・把握する。

そうすることで、無理やり
「まだある!」という変な高揚感を出す必要もなく
「もうない!」という変な欠乏感を持つこともなく
今の自分がどれだけ恵まれていて
豊かであるかに気づくのだと思います。



さぁ新年が始まりました。

2018年、あなたも、
もうすでに恵まれていて豊かであるので
一緒にこの豊かさを味わっていけたらと思います。

今年もブログを読んでくださってありがとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します☆



 

すべて/キネシをも手放そうと思った年、泣いた年

2017.12.31 23:59|思ったこと・気づいたこと
20171231.jpg

みなさま、やっほー!
今年もブログを読んでくださって
ありがとうございました。

セッションやワークショップにも
来てくださって本当にありがとうございます。

こうやっていろんな形で
繋がらせていただいていることは
とてもありがたく、
沢山のインスピレーションを頂戴しました。
本当にありがとうございます。

2017年、あなたにとってどんな年でしたか?

わたしはね、、
今思うのは、崩壊、かな。

(*文字にすると暗い印象になるかもだけど
暗い話じゃないのでさらっと読んでいただけたらと思いマス)


あの、ブログには書いてなかったのですが、
秋頃に自分の内が完全に崩れ落ちてました。

今年は春以降、ほんっと突っ走っててね、
秋に「わたし何やってたんだろう?」と
思った時があり、
その後、ワークやら何やらしてたらね、、

今まであった価値観とか思考が崩れ落ちました。
文字どおり「わたし何やってたんだ?」となって
内がガラガラと崩れ落ちて底辺に触った感があった。

苦しくて、こんな苦しいなら
すべてを手放そうと思ったのね。
そう、キネシも手放そうと思ったんですよ。

わたしね、
前からキネシ・IHはいつ手放してもいい、と
思ってた(つもり)だったんだけど、

実際に手放そうとした瞬間
「今までしてきたことを手放すんだ!?」
という自分への疑問や恐れが出てきた。

「自分では今まで何かを築いたつもりではなかったけど
 その実、築いた(というおごりの)気分があった」

とか、他にもいろいろ気づいた。。

で、そもそものところで
「ヒーリングって何なんだ?」って思ったんですよ。

「セッションって何?」
「わたしセッションしてるけど、これ何?」
「癒しって何なんだ?」って。

まぁ今から思えば、
次元を混乱させて考えてしまってたので
分からなくなってたなーと思うのですが、
でもほんと

わたしは人を変えることはできなくて
人が自ら変化されていってる。
そして、
人は皆すでに癒されている状態であり
幸せであるのに、
ただ自分で苦しくさせてる…

と思うんですよ。

「こうあらねば」
「こうありたい」
「どれが正解なんだ?」

と、自分の外に意識が向いてて
ありもしない正解を
いつまでも探しているのだと思う。

だから苦しくなる。
しかも終わりがない。
だって存在しないことを探してるんだもん。
自分じゃない誰かになろうとしてるんだもの。
そりゃー終わらないわーー


…と、自分のこと言ってますデス(ははは)。


いや〜、こんな調子で苦しさに気づき
どんどん自分の内が崩壊してました。


春のキャサリンの個人セッションで
なんか分からないけど苦しくて痛くて大泣きして、
その後の別のキャサリンのクラス受講中に
苦しくて部屋帰って泣いて、
秋に号泣することがあって
その後も、自分の内が崩壊して苦しくて泣いて。

今年は泣いたわ。

でもね、崩壊して手放したら、
自分がどれだけ持ってるのかに気づいた。

手放したはずなのに、豊かなんですよ。
すでに「持っていた(ある)こと」に気がついた。

手放さないと「持っている」のに気づかないもんだな〜



2017年は崩壊と手放しと泣いた一年でした☆

そして、新しい活動の年でもありました。

わたしの夢、というか、したいことは
人は自分で自分を整えることが出来ると
思い出してもらうことなので、
それを叶えさせてもらえる
ワークショップ開催の実現は
本当にありがたいことでした。

みなさま、2017年も本当にありがとうございました。

新しいお年も
すべての人が自分の輝きに気づいていかれますように☆

感謝と共に


 

仕事とは自分を表現すること、そして、もう既に表現している…ということ。

2017.12.10 21:52|思ったこと・気づいたこと
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今日メッセージをいただいて
ふと思ったことなんだけどね。

あなたにとっての「仕事」の定義はなんですか?
仕事って何かな?



わたしね、
「仕事」とは「自分を表現すること」
と思ってたんですよ。
機会があれば、そうお話ししてました。

でもメッセージをいただいて気がついたのですが、
この言葉だけだと、
何かを探す方向にいってしまう場合があるのかなぁと。

あの、


自分を表現できる仕事を「探す」という姿勢だと
「今の自分」が見えづらくなってしまうかも…
と感じます。そしてそうなると
表現ってなんなの?!と分からなくなったりとか。

というのも、


「今していること」が「自分を表現している」から。


もう既に「今していること」で「自分を表現している」んですね。
なのに、なにか他に、自分を表現できる特別なことがあって
それを探そうとしてしまうと、
意識が外に向きやすくなってしまい、
今、実際に自分が表現していることに意識が向かず
今の自分がおろそかになる場合がある、と感じます。


例えばね。

他に(仕事として)やりたいことがあるけど
今はお金が必要だから縁があった会社で
受付係として働いている。
いつかはあのやりたいことでお金を稼いでいきたい…

ということで、
今している接客を「とりあえずだし」的に
ただお金のためだけだからという意識でいるのは
「今の自分」がおろそかになってるかな、と。

接客でも、自分を表現しているんですね。

お客さんと接することで、
自分が持っている優しさや心配りを表現しています。
そうやって「自分を表現」していると思う。

なので、今、実際に自分がしていることを
「全自分」で意識を持ってしていると
気がついたら、
自分を表現している仕事にいる…
ということになっていると思います。


人って、なんらしかの表現をしながら
生きている生き物なんだろうね。

あなたは何を表現していますか。




"片付け"と"恋愛"の関係

2017.12.07 00:57|思ったこと・気づいたこと
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今日のセッションでお会いした方は
先月もお会いしてたのですが、なんとまぁ!

めちゃくちゃ可愛さが増していらしたのです。

顔もスッキリ小さくなってて
まとっているエネルギーも軽くて
一ヶ月でここまで変われるのか?と驚いたほどでした。

ご自身でワークとかいろいろとされているので
お話を伺うのもとても興味深く、
今日は「片付け」について話してくださいました。

でね、聞いていたら
今までセッションでお会いした方達を
思い出したんですよ。



パートナーが欲しいし
恋愛もしたいのだけど
なぜかそういうことには縁がない…

という場合。

いろいろなことが要因として考えられるのですが
そのうちのひとつは、

以前お付き合いしていた人々が関係している物、
例えば、貰った物、手紙、写真などを
まだ持っている/保管している/家の中に置きっぱなしであることも
要因かも…と考えられます。
(*全員がそうではありません)



たとえ、自分がまだ持っていることすら忘れていても
なんらかの影響を受けている可能性があるんですね。
特に、自分が生活している住空間の中にあるのなら、
顕在意識では気づいていないかもしれないけど、
エネルギー的には影響を受けやすいと
わたしは感じています。
(*繰り返してごめん、皆がそうではありません)



新しい関係を築きたい、のに、
古い関係が自分の住空間にあるわけですから、
流れが入ってこれない。


人によっては、
前に付き合っていた人々からのプレゼントで
溢れた生活をしながらも、
新しいパートナーがいる方もおられますね。
そういう方は、エネルギーの向け方に特徴があると
わたしは感じています。

なので、手っ取り早いのは、
新しい関係を築き上げたいのなら
古い関係での品々は整理した方がいいかなぁと。


あの、元パートナーたちの品々や思い出を
捨てなさいとかそういうことじゃないです。
持っててもいいの。ただ、

「整理」をするんですね。

これは「自分の内の整理」でもあります。
儀式みたいなものかなぁ。

「新しい関係の儀式」みたいな、ね。


思い出の品であっても保管方法はいろいろあるし、
必要と感じられる物はそれ相応に保存し、
もう要らない感じた物とはお別れして
新しい風を入れやすくする。


パートナーを見つけたい場合や
新しい人間関係を築きたい場合、
押入れや引き出しの中を見直し
整理して「新しい関係の儀式」を
してみてくださいね。

折しも時期は12月。
大掃除のエネルギーも手伝ってくれるかも〜!

新しい風が吹きますよう☆


"よく寝て、よく食べ、よく糞をする"

2017.12.05 23:32|思ったこと・気づいたこと
201712052.jpeg201712051.jpeg201712053.png

一昨日、電話がかかってきて
緊急のセッションご予約が入り
今日はそのご自宅訪問セッションでした。

先日、最愛の方を亡くされて
諸々の忙しさが少し落ち着いた今、
辛さが身体の症状にまで出てる…とのこと。

セッション中には、
故人のエピソードも聞かせていただけて
わたしも一緒に笑って泣いて。

人ってね、産まれたら
いつかは絶対死ぬじゃないですか。

それを充分知ってるつもりで
理解もしているつもりだけど、
たとえ人の死にこれから何度も触れたとしても
寂しさを感じなくなることはないかも…と
お話を聞いてて、ふと思いました。


今日お伺いした方は

「(私は今こんなに悲しいけれど)
 友人の○さんはお子さんを亡くされたから」と

自分の悲しさや辛さは、
子を亡くした親に比べたら大したことではないだろうと
自分を叱咤激励するかのようにされたけど…

でもね。

自分の悲しみや辛さは、
人のそれとは比較するものではないんじゃないかなぁと
わたしは思います。

自分は、今、辛い。
その辛さに大きいも小さいもないんじゃないかな、、と。

なので、

「自分は、今、辛い」「そうね、辛いね」

と、ただこれだけなんじゃないかな。



セッションで「睡眠はどうですか?」とご質問したら、
「そういえばね…」とお話を聞かせてくださいました。

ご友人のおひとりが
20年前に若くして旦那さんを亡くされたそうで、
「夫が亡くなって辛いです…」と
お坊さんにお話したところ、お坊さんは

「よく寝て、よく食べ、よく糞をしなさい」

と言われたそうです。

うはっ!!えらいツボ突いてるな!と
わたしは思わず大笑いしてしまい、
二人で一緒に笑ってました。

いやほんと、
「睡眠」「食事」「排出」が
ちゃんと出来てたら大丈夫だなーと思う。


眠って
食べて
出して。


これを日々繰り返して
わたしたちは生きてるもんね。

どう?あなたは眠れてますか?
食べられてる?
出してる?

(みながそうありますように☆)



セッションがほぼ終わる…という頃に、
ふっと「私が今なにを考えてたか分かる?」と
質問されので、分からないと答えると

「お昼に何を食べようかな〜って考えてたの」

!!!
これを聞けたのは最高の祝福でした。
そして、ご様子を拝見していたら、

食べるということは生きるということ
食欲というのは生きることへの欲

なんだな〜と
思いました。



"よく寝て、よく食べ、よく糞をする"

今週の心のお寺の御言葉ですー


【続】自分の弱さを認める。伝えてオープンにする。(わたしの場合)

2017.12.03 01:23|思ったこと・気づいたこと
20171202.jpeg

昨日の続きです。
いやー、昨日は気づきが多かった!
http://lalunadigiorno.blog.fc2.com/blog-entry-515.html


… … …

家電量販店ではボブの思う物がなく
結局買わずに帰宅しました。

そして、
ボブは家でネット検索をするのですが
わたしに日本語で検索してくれと
それ以降もお願いが続き。

わたしは途中で断ったら

「きみの物の言い方(の酷さ)は
 背筋が凍るほどのときがある!」

とボブは怒りもあらわにしました。

しょうがないな〜と思った。
ボブにとってはこれは真実であり、
きっとそうなんだと思う。
わたしの中にも冷酷さがあるから
それが表に出ても不思議じゃないなぁと。

そしてね、

「きみは、その物の言い方を
 正さなければならない。
 変えなければならない。」

と言うんですよ。


あなたなら、
人からこう言われたらどうしますか?
「〜〜しないといけない」と言われたら、
何と返事をしますか?



実は、以前のわたしは言葉を真に受けて、
例えば今回のことだと
「もっともっとまだこれ以上頑張って
 変わらないといけないのか?そんなの無理…」と、
もうあかん、疲れた。。と絶望的になり
感情的になって言葉が出ず、泣くしかできませんでした。


今では、反応は変わりました。
自分の意識の方向性がズレてたと気づいたんですよ。


以前の反応では「人に言われたこと」の方向に
向いてたのですが、ここがズレてました。


「自分はどうしたいのか?」と
「今の自分の状態を見る/認識する」


を見ないといけなかった!
具体的に書くと、


ボブはあんなことを言ってくるけど、
自分はどうしたいのか?
→自分の物の言い方を正したいのかどうか?
 したくない。
そして
今の自分の状態はどうなのか?
→これ以上は無理。うんざりしている


という感じです。
ちなみに、例として実際にボブに言ったことは、


「わたしは今まで最高最善を尽くしてやってきた。
 これ以上は無理。
 あなたが言ってるのは、
 わたしに『自殺しろ』と言ってるのと同等のことだから」

「わたしには残酷な面がある。がさつな面もある。
 それが出てくる時がある。
 あなたはわたしにとても良くしてくれていて
 あなたは聖人だろうけれども、わたしはそうじゃない。
 あなたと同じじゃないから、同じことはできない。
 わたしに聖人を求めないで欲しい」


と言いました。
あの、はっきり言わないと伝わらないことがあると
わたしは感じています。

で、ここまで人に言うには
まずは自分で自分を認めること。
自分の弱さをちゃんと見ることが先かなぁ、と。
でないと伝えようにも
認識できていないから、伝えられないんですね。


自分の弱さを認め、人に伝える。


伝えてオープンにしたことで、
弱さは弱さでなくなった感じがします。
なんて言うかなぁ。。
ただ「そうある」だけ、になったというか。

弱さ=ダメとかそんなんじゃなくて、
「(わたしは)そういう状態にあるだけなんだ」と。

間違ってる/他に正解の状態がある、とか
ダメな状態とかそういうのはないんだなーと
気がつきました。



…と、自分の弱さについて
どーんと書きましたが。

あの、実は書きながら
なんでこんなこと書いてるんだろう?と思ったんですよ。

昨日強烈に書きたくなったから書いてるのですが、
ふと思ったのが、
もしかしたら、むかーしのわたしに何か言いたかったのかなぁと。

むかしのわたしは超絶な頑張りやさんだったんですね。
頑張って頑張って、人の要望に応えようとしてました。

そんなことしてるから、
人からもっともっと要望がくるんですよ。
そして、もっともっと頑張って、
自分の状態が分からず(疲れてる自覚もない)
まして限界なんてちっとも分からなくて、
ある日突然「もうダメだ無理だ。疲れた…」となってました。


昨日も散々ボブの要望に応えてたうえに、
彼からまだ
「きみは、(中略)
 変えなければならない。」
と言われるということは、

わたしはまだ人の要望に応えようとするところがあり
(無自覚で)無理をしているから
心のどこかが悲鳴をあげて
変わらないといけない!…と言ってる(ボブに言わせたと)
ふと思いました。

これでもかなりラクになったと思ってたんだけど
もっとラクになれるのかも〜!嬉しい。



今回は、どーんとわたしの弱さを公開しましたが、
もし、

・小さい時に「いい子」だった
・いい人でありたい
・いい人がやめられない
・わがままが言えない
・人の要望に応えようとしてしまう
・困っている人がいると放っておけない
・頑張り過ぎてしまう

という方がこれを読んでくださって
なにかを拾ってくださったら
祝福だな〜と感じます。


もう頑張らなくてもいいよ。
人から何か言われたとしても
自分はどうしたいのか、です。

もう他人の要望は手放していいよ〜

そして、今は苦しかったとしても
絶対にラクにになるから大丈夫、
ということを
覚えていて欲しいなぁとわたしは思います。





* * * * * * * * *

よかったら、わたしに会いに来てください。

迷っていらっしゃるのなら、なおさら、会いにきてください〜!

12月4日のワークショップ
あとお二人ご参加可能です。
*今日お声を掛けてくださっても参加可能です。

今回は、
自分の意識のパターン、
行動パターンを認識して
自己破壊的な習慣を変える。という内容に
自己価値に関しても触れていくので
よかったら遊びにきてください。

「反応」についてや
「無自覚な行動」
「それを自覚できるように…」ということを見ていきます

ご一緒できることを楽しみにしています〜!

お問い合わせ・お申し込みは:
tomoko.it.IH@gmail.com まで



自分の弱さを認める。声に出してびっくり!わたしの場合

2017.12.02 01:39|思ったこと・気づいたこと
20171201.png

Happy December!
いかがお過ごしですか?

沢山いただいているセッションのご感想を
シェアしたくて許可も頂戴しているのですが
またしても他に書きたいことがあるので
いつかまた…
(許可をくださったみなさま、本当ありがとうね)


さて。

今日、ボブと外出してた時の話です。

某家電量販店でボブが欲しがっていた物を
あれだこれだと吟味していたのですが、
ボブは漢字が読めないうえ、
店員に聞こうにも日本語語彙が少ないため
わたしにあれこれ聞いてきてました。

そして、定員にアレをたずねてくれなどと
わたしにあれしてくれ、これしてくれ、、、

で、次から次への彼の要望に応えるんですが、
ボブはわたしの説明を聞いてないし
段々と彼の発言内容が支離滅裂だったりして
途中で、どないやねん!ええ加減にせいっっ!!と

「あなたはわたしを怒らせてる」

と、わたしの口からぽろっと出たんですよ。
言っておきながら、自分でビックリ。
だって、そんなことは今まで言ったことがなかったから。

わたしね、

「あなたは、わたしを〜〜させる」という表現が苦手でした。

自分の感情や精神状態は自分のこと、
自分が管理することなのに
「あなたがそんなことするからでしょ!」と
他人のせいにしていると感じてたからです。

他人のせいにしちゃダメだ、
自分のことだから自分でちゃんとしないといけない、
自分がダメだから影響受けちゃうんだ…と
自分責めしてました。

でもね、今日は違いました。
ぽろっと口からセリフが出て感じたことは
ボブのせいにしていない、ということでした。

ただ単に、


「あなたはわたしを怒らせてる」。


これだけでした。

「自分の状態の説明をしている」だけであって、

今、この瞬間の自分の状態を伝えているだけなんだ!と
感じたんですよ。ただそれだけのことでした。

それなのに、自分が勝手に思い込んでる信念が

・他人のせいにしちゃダメだ
・自分のことだから自分でちゃんとしないといけない、
・自分がダメだから影響受けちゃうんだ…

なぁんてことだから、

→他人のせいにしている悪い私です
→自分のことをちゃんと出来ていない私です
→他人から影響受けちゃってるダメな私です

などと実際のところ思ってたんですよね。
核の部分はコレなんですよ。
こんな私は恥ずかしいーー!と思ってた。

だから「あなたは、わたしを〜〜させる」と言えない、
考えすらも出来ない。だって恥ずかしいもの。

「あんたの発言に振り回されるほど
 私は影響を受けやすい人間です。
 ダメでぐだぐだな私です」

って言ってるようなものだと感じてたんだから!
ひぇ〜〜〜




……

……

でもさ、考えてみたらそうなんだよね。
わたし、ダメでぐだぐだだ!


だって、実際に、影響受けてるんだもん。

だから、もう、それを認めろって話であって。

もう降参しなさいよ、ってね。

みーんな知ってんだから。

知らないのはわたしだけであって、

「みんな知らない」と思ってるのも

わたしだけなんですよ!



あはは〜〜、可笑しいね。
わたしゃ独りで何を頑張ってたんだ?!と思う。
何を守ろうとしてたのかなって。

…きっと自分自身なんだろうね。
自分を守ろうとしてたんだと思います。

自分は弱いから、
その弱さを出さないように
傷つかないように、と。

もういいじゃん、と思う。
周りはそんな恐ろしいところじゃないよ、と思う。
大丈夫よ〜〜



この話は続きがあるのですが、
長くなるので、一旦更新します。


また明日〜




* * * * * * * * *
12月4日のワークショップ
あとお二人ご参加可能です。

今回は、
自分の意識のパターン、
行動パターンを認識して
自己破壊的な習慣を変える。という内容に
自己価値に関しても触れていくので
よかったら遊びにきてください。

「反応」についてや
「無自覚な行動」
「それを自覚できるように…」ということを見ていきます

ご一緒できることを楽しみにしています〜!

お問い合わせ・お申し込みは:
tomoko.it.IH@gmail.com まで



徒然に。生きるも死ぬも無いのかも、と。

2017.11.07 20:05|思ったこと・気づいたこと
20171107.jpeg

身近な人の他界に触れる度に、
死と生に関して考えてるように思うんだけど。。
何度考えても死に触れる度にまた考えてしまいます。

結局はわたしの思考の範囲内の話なので
思考の域を超えておらず、
究極な言い方をすると
本当のところは分からない、んだろうけど、ね。。


先日、友人ご夫婦の旦那さんが他界されました。

病気を持っていらしたけど、安定した状態で
先月お会いしたときもお元気だったんですよ。
それが突然、体調が悪くなり
あっという間にどんどんと崩れて
先生からは「一ヶ月持つかどうか分からない」と
言われたとのことで、旦那さんの家族に連絡取った…とのこと。
その二日後に旦那さんは他界されました。

なんかもうビックリした。

一ヶ月経ってないし!二日だし!!
と、寂しさや悲しさが怒りみたいになって
どうでもいいこと(一ヶ月とか)に八つ当たりしましたが、

人間がここで生きるには
肉体が必要なんだということ

そして、

その肉体は、頑丈そうであるのと同時に
繊細なつくりでもあるんだ、

ということをものすごく感じました。



普段は意識をしていなくても
心臓は勝手に動いてくれているし、
肺も横隔膜も動いてくれてる。

多少のことがあっても
自己治癒が発動するし
解毒作用もある。

でもですね、
突然に崩れることがあるんだなぁと。

肉体は、頑丈そうであり
でも、各部位はそれぞれ繋がっていて
一箇所でのことは全体に影響があり
肉体は繊細でもある、としみじみしました。



でね、死って何だろうって思ったんですよ。



肉体が動かなくなった(心臓が止まった)時点が
死だ、と定義するならそうなんだけど、でも。

それがどうなんだろう?と。

それで終わりということ?
そこでその人はいなくなったということ?



で、考えて・感じてみたらですね、
他界した旦那さんは、いると感じるんですよ。

あれ?と思って、
他界したわたしの祖父母を感じてみたら、
いると感じる。

(「肉体的にいる」という意味ではなく、
  存在を感じる、ということです)

祖父母は、遺伝子的にわたしの中にあるから
それも作用しているのだろうけど、
それだけでなく、
エネルギー的な様でいる感じ。

友人の旦那さんも同じように
エネルギー的な存在を感じるんですね。

じゃあ、死とは何だろう、と。



もしかしたら、

死というのは無くて、
生も無いのでは、と思った。

始まりもなくて終わりもない、という感じでね、
ある意味、わたしたちは

生まれもしていなくて
死んでもいないのかも。

ただ延々と移り変わりゆく中に
ひとつの彩として、
わたしたちそれぞれが肉体を持って表現している。

一般的にはそれが「生」と言われてたりしてて
肉体が動かなくなったら「死」と言われるけど、

その実、

「肉体の表現」が目で見えないだけであって
見えていない部分での表現は続いている…

そう、肉体の死とは、
ただ表現が移り変わっただけなのかな、と。

だから、ある意味、死んでいない(終わっていない)し
生まれてもいない(始まってもいない)。

ずーっと続く宇宙の表現の中にいるのかもしれない…



と、そんなことを思いました。




"他人のせいにして自己表現しない"わたし

2017.10.29 21:13|思ったこと・気づいたこと
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昨日、一緒に朝食を食べていたボブが
「歯のブリッジが取れちゃった」と。

あらら…。日本だったら土曜日でも
歯科医院開いてるかもとネット検索してみたら、
開いてるんですね!

近所の歯科医院の中から
最終的にはボブがサイトの雰囲気を見て
気に入った歯科医院に行ってきました。

するとね、そこでの受付は
「どのくらい待つかお伝えすることができません。
 かなり待つことになるかと…。」
「応急処置になり、また受診していただくことになります」
とおっしゃいます。

え?かなり待った後に診てもらえても、
応急処置になるんだ?うーーん、、
と、まぁ言われた内容も気になったのですが、
待合室で座っていると
違和感を感じ始めたんですね。

なんか違う…と。

そしたら、ふとイメージがぱっと見えて、それは
以前ボブがかかったことのあるクリニックで
何度か通ったけど、ボブに合わなかった医院でした。

うーーん。
いや、でも、ここはボブが気に入って選んだ歯科医院だし…
わたしの違和感はわたしのことでボブのことじゃないし、、

などと思い、
「ボブのためで、ボブが選んだ歯科医院だから」と
自分が感じたことを抑え込んだんですよ。

でも、違和感がどんどん募ってくる。
なにかが違うと、身体がそわそわしてくる。

そこでボブが
「あんまり待つのだったら、
 月曜日に予約取って出直そう」と提案してきました。

「出直す!?歯科医院を変えるのではなくて?」
「だってここ清潔そうだから、僕好きだもん〜」

うーーん、やっぱりここ好きなのか、、、と
しばらく待ってたんだけど、また、ふと
「あ、やっぱりここは、わたしたちには合わない所や」と
感じてね。
とにかく今はここを出たいと思い、
月曜に予約を取って出直そうとしたら月曜は予約がいっぱい。
わたしたちの都合もあり、木曜日になりました。

で、一旦クリニックを出たんだけど、
ボブは木曜日になったのが気になるらしく
二、三歩歩いたところで
「もうちょっと待ってみようよ」と言ってきます。

でもわたしはあそこを出た途端、身体がラクになったので
やっぱりあそこじゃないと思い、
歯科医院を変えることを提案しました。
そして、話しながら、もう数歩歩いて角を曲がったら
別の歯科医院の看板が目に入ったんですよ!

「もう別の所が見つかった!
 ちょっと階段上がって(ビルの2階だった)
 中の様子見てみて。
 あなたの感で気に入ったら
 ここにしたら?」


で、結果。
ボブは一目で気に入ったらしく
そこにしたら、
すぐに診察してもらえて

「とれたブリッジをくっつけるだけです。
 今からつけますね〜」

とすぐに始めてくださいました。

わーーい!と喜んで
くっつけてもらってたんですけどね、、
わたし、そばにいてて
微妙な違和感があったんですよ。

ちょっと心臓ドキドキみたいな感じで
身体的に落ち着かない。
でも、さっきの歯科医院とは違う感覚。

なにこれ?と身体を見てたら
「わたしは危ない」みたいな
危険なところにいる、という感覚でした。
ええーー何この違和感?!と思った瞬間、
ハッとした。匂いだ、匂い!!

薬品の匂いが充満していて、
空気があまりよくなかったんですね。
だから身体が"危ない"みたいなメッセージを
出してきてた。

なので「大丈夫。もうすぐここ出るし」
と身体に伝えるようにしていると、
不思議なことに?心臓バクバクとか
身体的違和感も収まり、
クリアになって落ち着きました。

ボブもブリッジを無事元どおりにくっつけてもらい、
しかも丁寧な対応で大満足で帰ってきました。

= = = = = = =


いや〜〜、昨日のことは
いろんな気づきがありました。
まずは、

「いかに自分が自分の感覚を抑圧させているのか」
(→自分は感じているのに、関係無いし…とか抑えつけていた)


そして

「違和感であっても種類があること、
 微妙な体感を感じ取る必要があること」。
(→違和感、と一言で片付けない。
  反射的反応をせず、恐がらずに、
  そこでの自分の身体の感覚をちゃんと見て感じてあげる。
  そして対応する。)


あと、一番大きくガツンときた気づきが、
「他人事だから、自分の感覚とは関係ないだろう」として
それを言い訳にして隠していた、


自 己 表 現 を し な い こ と。


ボブのことだから、とか
ボブが気に入ってるし、などと


それを「言い訳」にして


「他人事だから自分が感じてることは関係無い」と
自分が感じることを表現してこなかった。
自分が表現する勇気の無さを

「他人のせい(ボブがそれ好きだから)」にしてたんですね。


これって、、、


自分の行動の軸を他人にしてる。

「他人がそうだから、自分はこう動く」になってる。


こんなことしてると、いつまでたっても
自分が思ってること、感じてることを
表現しないままだ…。


でね、思ったんだけど、表現するにも


「自分はこう感じますが、
 あなたはどうですか?どうしたいですか?」

と、表現できるもんね。


自分は表現するけど、
相手の行動は、
相手が選択するのですから。





…… 


………と、ここに気づいて、ハッとしたんですよ。
わたし、無自覚でいつも相手の要望に
応えようとしてたかも、、って。


「自分は表現するけど、
 相手の行動は、
 相手が選択する」

の立場を入れ替えると


「相手は表現するけど
 自分の行動は
 自分が選択する」


になります。

そう、相手が何を言ってこようがどうしてこようが、
自分の行動は自分が選択するんですよ。

でも、もしここに余計な思い込みや信念、例えば

「相手が言うんだったら、それに従わないと…」
「相手を優先しなければならない」
「相手の要望に応えなければならない」
「相手の期待を裏切ってはいけない」
「いい人でいなければならない」

などというのがあれば
無自覚ででも、相手を優先してしまう(ことがある)。
そして、違和感感じたり、疲れてしまったり。
極端な言い方をすると、
相手の表現・要望が迷惑になるんですよ。

だから


自分は、相手からされて(意見を言われる・相手が表現してくることを)
迷惑に感じてしまい、

自分も同じこと(相手に意見を言ったり・自己表現)をしなくなる。



もうね、

これ嫌だと思った。



自分が感じることを表現しない、だなんて。
こんなことしてると

感じること(何がしたい、とか、してると楽しい・好き)が
分からなくなってくるのです。


。 。 。 。 。 。 。 

話が長くなったのですが、
今回、改めて自分に落とし込んだのは、


「自分の行動は、自分が決める」

「自分以外の何か…他人・物事・事情のせいにしない」

「自分を優先する(人の要望に応えようとしない)」


でした。

相手がどう表現してこようが、何を言ってこようが、
相手を満たそうとするのでなく、
自分で自分の行動を選択できるのであれば、

自分も、人に対して表現するようになるし
相手もご自身で行動を選択している。


こうなるとね、自由にもなってると思う。




 

"相手のため"とは自分が罪悪感を感じないため・自分のためにしている

2017.10.25 00:06|思ったこと・気づいたこと
20171025.jpeg

わたしね、以前からボブに

「普段のきみからは想像できないような
 超冷酷な話し方をするね!マジで恐ろしいから」

と、たま〜に言われてました。

自分でも冷酷さがあるのは感じて知ってたけど
そんな冷酷?というか何が恐ろしい?
と、自分では理解できてなかったんですね。

そしたら、

先日、久しぶりにまた言われたんですよ。
会話のきっかけは、わたしが外出する前に
ボブに用意した食事、しかも、
わたしも食べたいけど材料的に足らずに、
彼だけに用意した物を彼は食べておらず、
そんなことが何回か重なった後で
「あれ?食べてないの?」から始まりました。
そして、会話の最後の方では
わたしの発する言葉は超冷酷だったそうで。。

確かにね、話してる途中から、
自分でも剣でボブを刺してるような感覚があったんですよ。
ザックリいってました。

なので、こりゃいかんな、と、
自分の言動を遡り、
その時の感情・感覚を
遡ってみたんですよ。

そしたら、分かった!


「ボブは食べる」と言ったし
「喜んでた」から
「ボブのために」と思ってしてたけど、

その実

「自 分 の た め」だった。


彼のために用意している良い子になって
頑張ってる自分を感じて、満たされるため。

彼のためにしてるんだから、
いつかは、彼は自分のためにしてくれる、
(そう要求してもいいでしょ、という言い訳を得るため)
という妄想的投資な行動。

彼はいつもわたしのためにしてくれてるから
わたしも彼のためにしなくちゃという罪悪感を打ち消すため。

それとですね。
あともう一つ、大きかったことが


「わたしは食べたかったのに、
 食べずに我慢してまであなたのために用意したのに
 それなのに、あなたはなんで食べてないのよ!!」

という、

自分は我慢して犠牲を払ってまでしたのだから
あなたはそこに応えるべきだわ、と

そんな恐ろしいプラカード掲げて(我慢の押し付け)して

相手をコントロールしようとしてたな〜、と。


いやもう、、、
気がついた時は、笑ったわ〜〜〜
そして、自分に言ったよ。

「食べたいのなら、さっさと食べろ!」って。

何してんねん!って自分にツッコんだわ。


でね、

我慢をした上での相手のための行動(という思い込み)は、
相手が自分の思うように応えてくれないのなら
気づかないうちの超冷酷さで
剣を刺すかのように発言をすることあるんだな〜と
自覚できない潜在的なところの威力、影響を
ものすごく感じました。

うーーん。

無自覚的な行動、
反応的な行動に気づいていきたいな〜。

人間は、対応できる生き物だもの…ね。




プロフィール

ともこ

Author:ともこ
みなさま、
ありがとうございました。
また2018年秋に
お会いできますことを
楽しみにしています〜!

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

アメブロにミラーブログ置きました。
読者登録など便利な機能があるので。
もしアメブロの方がご都合が良ければ
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