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【2月会でした】自分に言い聞かせない。どれだけ正直にそのまま受け入れて認められるか。

2018.02.25 22:31|ワークショップ
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もう2月末ですね!ひゃー
いかがお過ごしですか。
近所で見かける梅の木の蕾が
花開いていました。
春ですねぇ。

先日、2月会を開催しました。
今回は夢についてお話させて頂きました。

寝ている間に見る夢には
情報が沢山詰まっててね、
面白いんですよ。

わたしも夢を見るたびに
ノートに書いているのですが
驚くときがあります。

顕在意識では自覚できていなかった
自分の状態が、夢の言語を使って
見せてくれててね…
ほんと、ビックリするよ。

あとね、夢に質問したりもできる。
ぼんやりした質問だと
ぼんやりした答えになっちゃうから
的を絞って質問する。
すると、はっきりした答えを見せてくれます。

そうだ!
悪夢は「悪夢」じゃないんですよ!!
怖いものじゃない。
悪夢っていわれるような夢ってね、

「おい!今の自分はこんな状態やで!!
 気づいてくれよ!
 (なんとかして、見ないふりしないで、とか)」

という、警報みたいなもの。
それなのに、目が覚めて

「はぁ…、夢でよかった」

と、それで終わりにしてたら
夢の警報は届いてない。
なので、夢を読み解き、
夢は何を自分に伝えようとしてたのか。
そこに気づいていくんですね。

ほんと夢は面白い!!
お話できる機会があって
本当幸せでした。
ありがとう♡


今期の日本滞在中は、
こうやって定期的にお会いできる機会があり
とても楽しかったです。

そしてなにより。
みんなのお話が聞けるのが鳥肌ものでね。
みんなの気づき、変容がほんと素晴らしいのです。



思ったんだけどね。

例えば、
大変そうな(と自分が思う)人が周囲にいたりすると

「あの人は、あんなに大変なのだから…」
「あの人は、あんな状況でも耐えてるんだから…」
「自分の大変さってまだまだ。何言ってんの私」

などと、自分が本当に感じていることを
見て見ぬふり、感じて感じないふりをすることがある。

これってね、極端な表現すると
自分を殺してるのと似てるなぁと思う。

だって、

自分が感じてることを無視して
自分を否定しているから。
自分がいないことになってる。

あの、自分を「こーだあーだ」と
言い聞かせる必要は無いと思うのね。
他人は他人。都合も違うのだから。
その瞬間、自分がそう感じたのは事実。
そのまま「自分はそう感じたんだ」と受け止める。

どんなに
小っ恥ずかしいこと
ドス黒いこと
えげつないこと
いやらしいことを
思ったとしても。

まずは、自分はそう思ったのねーと
受け止めてあげる。
認める。

自分に正直になる。
とことん。

これが鍵かなと思うのデス。


でね、
そもそものところでですね、
そんな小っ恥ずかしくて
ドス黒くて、えげつないのも
自分の一部分で
前からそうだったんですよ。

で、恐ろしいことに(?!)
すでに知人友人家族はみんな
知ってるのよ(ひーー)

必死になって
自分のドス黒さを隠そう、
取り繕うとしても
みんなは知ってるという、、


ひゃーー!
自分を思い返すと可笑しすぎる!
笑えるわ〜〜



定期的に開催させて頂いてた会で
お会いしていたみんなは
自分に正直で、そのままの姿を
自分を認めておられました。

それがこれまた美しくて素晴らしくてね。
どんどん透明感と輝きが増してる。

そのお姿を拝見するだけで
ああ、会えて嬉しいと思うのデス。

ワークショップをしようかなぁという
思いつきに応えてくださって、そして、
毎月の会にもご参加いただき、
本当にありがとうございました。

おかげさまで、
言葉では表現しきれないほどの
沢山のギフトを頂戴しました。
ほんとありがとうね。

来月早々にイタリアに帰ることもあり
今月も内容を変えて
二度の定期会を開催するので
最後の会が来週あります。
これも楽しみでねぇぇ。

ふふふと笑いながら用意してますよ!

みなさまもどうぞ
ウフフな残りの2月を☆






 

制約って、、守られること&創造/想像力を高めることでもある?!

2018.02.12 00:35|思ったこと・気づいたこと
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みなさま、やっほー
いかがお過ごしですか。
また寒くなるようだけど、体調はいかがでしょうか。

わたしは先日、お友達にご縁をいただき、
素晴らしい出会いがありました。
なんとも楽しい時間を過ごしてね、
ひゃーー!嬉しかったです。
でね、お話してたらいろんな気づきもありました。

今日はその中から「制約」に関してです。

ー ・ ー ・ ー ・ ー


わたしにとって「制約」とは、
嫌なことでした。

自由が無いと感じるから。

窮屈で制限される感じがして
自分がやりたいように出来ない感じもあって
嫌だったんですね。

それがですよ!変わったんですよ、奥さん!!


先日、出会えた方達とお話していたら
とあることに関して、どうやらみなさんは
(わたしが勝手に受けた感覚では)
制約を一応受け入れていらっしゃると感じてね、

特におひとりの方に関しては
「しょうがない」とおっしゃった!!

しかも、その方からは、
「本気でしょうがないと思い
 全面的にその制約を受け入れるようなエネルギー」を
わたしは感じてですね、衝撃的だったのです。

「えええ?!制約がしょうがない?
 そうなん??そうなの?!」

と、頭の中がショック状態。
でも同時に、わたしの内のどこかで
制約に納得している自分もいたんですね。

じゃあ、制約ってなんだろう?と。



で、思ったのだけど。


「制約がかかる」ということで、
守られてる部分や利点があると思ったんですよ。


まず、守られてるという部分では、

「制約をかけてくる」=「この範囲内でしなさい」
ということなので、
「この範囲内をしていると大丈夫ですよ」
と言ってきてることだと思うのね。

だから、守られてる。
自分はその範囲内のことをしていれば、
安全圏にいられるということなんだって。


あとね、
「制約をかけてくる」=「制限をつけられる」
ということなので、その制限内で行動しないといけない。

そこで思ったんだけど、

「制限」という枠の負荷がかかってくるということは、
それに反発する力も生まれるということ。
その反発する力は「創造力・想像力」なのかな、と。

だって制限の中で行動しないといけないもんね。
想像力を使って、どうやってその制限をかわして
行動していくかを生み出していかないと
動けないじゃん。

そう、まるで厳しい校則をどうやって
潜り抜けるか探る高校生かのように…

…というのは冗談ですが、
でもほんと、これくらいの遊び心で
自分の腕の見せ所なんだな〜と思った。
これって、自分の想像力がほんと高まるね。


でね、もう一つ思うんだけど、

人間って、無限の中の選択肢から
選び出すのは難しいときがあると感じてます。

ある程度、数が決まってる(制約・制限がある)方が
選びやすいのよね。

これね、イタリアから日本来る度に思う。

イタリアで何かを購入したい場合、
往々にして、種類は、ほんの数種類しかないのね。
だからこの中から選ぶのだけど、
日本に来た時にゃー、もう、種類がありすぎて、、、

ありすぎて何が何か分からなくなるときがある。
で、分からなくなって、結局、
選ばず・買わずに帰ったことがあります。

制約・制限がある方が
選択肢が少ないから便利な時がある。

ー ・ ー ・ ー ・ ー


…と、こんな感じで
制約って、悪いことだけじゃないなぁと
頭でも納得しました。良いこともあるねぇ。。

って「わたしが」制約を嫌ってただけなんだけど!

そこを払拭してもらえ、
結局すべてはわたしの概念なんだなーと
改めてしみじみした日でもありました。






 

「罪悪感」は、ただの包装紙。なにを包んでいるのか見極める。

2018.02.03 00:23|思ったこと・気づいたこと
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立春は明後日という今日この頃。
春は確かに近づいているのだろうけど!
また大寒波がやってくるそうですね。
みなさま、体調はいかがですか?
どうぞ暖かくしてお過ごしくださいませね☆

わたしはおかげさまで風邪知らずで
連日外出しても元気な日々を過ごしています。

今日は、この間、坐禅会に参加した時に
気がついたことのシェアです〜

ー ・ ー ・ ー ・ ー


坐禅会に参加した日の朝。

ボブとちょっとしたことが
きっかけで口論になりました。

でね、そのときにボブは

「きみは瞑想やら何やらとやっているけど
 全然自分で(学んだ教えを)してないじゃん!」

と言ったんですよ。これ聞いて、
わたしは瞬間的にショックを受けちゃってね。


自分の意識では、
学んだ教えを日々自分に適応していた(つもりだ)けど

自分の奥の「向上心」が瞬間的にデカくなり
「幻想の姿
(教えを完璧に習得したらこういう姿であろうという形)」に
全然近づいていないと言ってきた。
まだまだだ、なにやってんの?って。

自分の奥にあった「自分はまだまだ」という
後ろめたさがドンと出てきて
罪悪感が込み上げてきた。


習ってきたことを自分に適応していないだなんて。
学んできたことを習得できてないだなんて。
何やってんの?と。


そのうちすぐに
「いやいや。これはボブの意見だから」
と、気がついたんだけどね。

でも、ボブの意見といえど、
一瞬でも、自分でそこに納得しちゃったほどの
後ろめたさがあるから、
罪悪感がしつこいんですよ。

気を取り直してみようにも
申し訳なさや後ろめたさがあり、
結局、坐禅中もこれがちらついてました。
(ああ、坐禅中ですよ!!どないや…)

もうしょうがないから、坐禅中だけど
ええいっっとその罪悪感を見つめてたらですね、、

突然ふわっと軽くなった感じがして
はっとしたんですよ。


「罪悪感」が悪いんじゃないんだって。


「罪悪感」そのものは悪くないんですよね、
罪悪感が起こる点、そこを見出す必要があるんだと
気がつきました。


例えでいうなら、

罪悪感は「包装紙」みたいなもの。
それを剥がして、
その下にある「物(核の部分)」を手にしないと。


わたしの今回の場合だと、
自分で自分を認めていないこと、
(学びを完全に自分に適応できていないこと)
自分のあるがまますべてを完全に肯定していなかった。
(学びを完全に習得出来ていない自分を肯定できていなかった)

そう、もう一歩踏み込むと、
自分に自信がないこと、
これが「包装紙(罪悪感)」につつまれた
「物(核の部分)」だったなぁ、と。


自分で自分を認めていない
ということは、
自分を殺している、と思うんですよ。

そして、
自分で自分を信じないということは、
他(他人?世間?社会?)を信じてることだと思うのね。


自分を信じないで他を信じてるって
変じゃないか?と思う。
しかも、自分で自分を認めず、
自分を殺してるなんてねぇぇぇ

…と、罪悪感の正体を見つけたら
気がついたら罪悪感は消えていました。

ー ・ ー ・ ー ・ ー


罪悪感は、わるくない。
別にあったって、持っててもいいんだなぁと。
それが出てくる点を見つけるだけなんだと思う。

大切なのは「漠然としたまま持たない」。

自分に正直に。
嘘をつかないで、
とことん正直になるのが鍵と思います。


罪悪感、あってもいいよーー




 
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
みなさま、
ありがとうございました。
また2018年秋に
お会いできますことを
楽しみにしています〜!

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

アメブロにミラーブログ置きました。
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