優しくなりたい、と思う訳

20170329.jpeg

3月もそろそろ終わり。
今日は、友人がハワイのクラスへと出発しました。
わたしも来週出発!
ということで、セッションもそろそろ終わりを迎えています。

沢山の方にお会い出来て嬉しかったな〜
ありがとうございます。
今日は、掲載の許可も頂戴したので、
頂いたご感想を紹介させてくださいね。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー

セッションありがとうございました。
セッションが終わって、こんなに心がすっきりして、
落ち着いていられるのに驚いています。
今回のセッションに行く前は、時々、
肩を上げ下げして体をほぐすと心が軽くなるので、していたのですが、
そんなことをしなくても、こころがすっきりしている・・・すごいです。
セッションがはじまって、眠たかったのですが、音叉をしていただいて、
それが終わったら、体にずしっと重みがかかり、頭がすっきりしてすこし驚きました。

私は今まで、自分が本当は嫌なことを、
嫌なことだと全く気が付いていなかった。
これをすることが正しいと思ってしていた。
自分の気持ちより、世間一般ではこれが正しいとかを
優先させて行動していたんだと気が付きました。
仕事では、こうすることが皆のためだと思って行動している・・
ちょっと押しつけがましい人でした。
仕事がいっぱいになってくると、キレたりして・・・
まわりも突然怒ったりしたら迷惑ですよね。
もっと仕事を周りの人に頼んで、助けてもらったらいいんだと思いました。

周りの人にやさしくできないこと(産休明けの人が1時間早く帰るのがいいなとか)、
こんな気持ちを持つのはひどい人だと思っていました。
でも、今まで自分の感情を無視して、見ないようにしてきたことが
こういう形で教えてくれていると言われて、
すごくほっとして、すっきりしました。
自分の気持ち、感情などこわがって見ていなかったというのに・・・
納得、これからは自分の感情と向き合っていきたいと思いました。

セッションが終わって家に帰り、「ちびまるこ」をテレビで見ていたら・・・
まるこのお母さんが刺繍が上手で友達とおそろいの給食袋をつくってくれることになり、
お母さんは夜遅くまでかかって給食袋に刺繍をしてつくってくれました。
次の日できた給食袋を友人に渡したら、
1人の子が自分のよりまるこのほうがかわいいので変えてくれとわがままをいいだし、
まること喧嘩をする。
最後は誤って仲直りするという話ですが・・
これを見ながら、涙があふれてきました。
ああ、わがままってそういうことだったなあ・・
この友人も自分の気持ちに正直にまるこのがほしいと言う。
私はわがままもわからなくなっていたな・・・
こういう気持ちは随分前から封じ込めてきたんだなあ・・・
私なら人のものをほしいと言ったら相手が困るとか、考えるなあ、
私がまるこなら喧嘩したくないから給食袋を嫌だけど交換してあげただろうな・・・あれ
嫌だけどする・・・嫌だけどする・・・
私の今までの人生は、こればかりしてきたとはっきりわかりました。
これからはこの嫌だけどする・・・をもうやめにしよう・・・と思いました。
うーんまだまだ、時間がかかりそうですが・・・

またまた、だらだらと書いてしまいました。
書くとまた新たな気づきもあり・・・

ともこさん、本当にありがとうございました。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー


「人に優しくなりたいんです」と話してくださってました。

人に優しくしたい、優しくありたい、と思うのは、
いろんな要因があるのですが、
多くの場合は「自分に優しくして」という心の声です。

ご感想に書いてくださったのですが
「産休明けの人が1時間早く帰るのはいいな、という
 気持ちを持つのはひどい人だと思ってた」と。

そうやって、そんな気持ちを持った自分を
ひどい人と責めちゃってるんですね。

あのね、そんな気持ちを持った自分をジャッジするのでなく、
なぜ自分は「そんな気持ちが湧いたのか」を見るのが大切なのね。

で、なぜ自分は「そんな気持ちが湧いたのか」?

それはね、この方の場合は、
自分で自分に同じことをすることを許可していないから、が
大きな要因のひとつとしてありました。

そんなことしちゃダメ!と思い込んでる。

「本当は、自分も早く帰っていいのに(帰れる機会があったのに)、ダメだと思ってる」
「本当は、自分もそんな特別扱いをして欲しいのに、ダメだと思ってる」
「本当は、自分もみんなに気遣ってもらいたいのに、ダメだと思ってる」

だから、
帰っていいのに帰らないし、
特別扱いしてもらっても受け取らなかったり、
気遣ってもらっても拒否したり。

じゃあ、なぜダメだと思い込んでるのか。

これもいろんな要因があり、

周りの目が気になる、周りを気遣ってしまう、
人を信じられない、人を頼れない、甘えられない、
集団意識、和を乱すことへの恐れ、
自己価値の低さ、完璧主義、責任感の強さ、正義感の強さ

などがありますが、肝心なところで、
自分が何を感じているのかが分からない、というのがあります。
「本当は特別扱いしてもらいたいのに、認めるのが怖くて、見ないふりをする」
とかね。そうして欲しいことに気づいていない。

こうなると、自分が何をしたいのか、どうしたいのかが分からなくなってくる。

分からないものだから、正しいかどうか、で行動しようとするんですね。
「世間一般」を、ものさしにして。

世間一般では、こうするべきだから。
世間一般では、こうあるべきと言われてるから。
みんなが、そうしてるから。

でもね、そんな行動の「ものさし」は
「世間一般」であり、
「自分」とは合わないことが多いんですよ。

だから、自分と向き合う。
自分の気持ちを見るのね。

うん、最初は、小っ恥ずかしいかもしれない(笑)
だって、今まで見たくないから、見てこなかったんだもの。

「うわ、私、こんなん思ってたんや!」
「え?甘えたいって思ってた?!この私が??」

なぁんて、にわか信じられなかったり。
でも、それも、自分ですよーー
とっとと認めた方がラクよ〜

で、そこから行動するんですね。


ー ー ー ー ー ー ー ー ー

「優しくなりたい」。

そう思う人は、もうすでに優しい人です。
でもね「他人に対して」だけだったのかも。

自分を抑圧し、
他人を思いやって行動し、
自分がおざなり。

あのね、これだと方向が逆を向いてるのね。
まずは自分を思いやる。
自分に優しくする。

すると、

自分が満たされて、
無意識のうちに、人にも優しくなってるんですね。

なので、まずは、自分に優しくある。

いつもお話させてもらっているのですが、
わがままって、究極な自分の思いが詰まってると思うんですね。

なので、自分のわがままを見逃さない。
そこに沢山のヒントも隠れてますから。

シェアしてくださった「ちびまるこ」ちゃんの
エピソードはいいなぁと。

気づきのヒントは、あちこちにあるので
どうぞそこからも自分を見ていってくださいね。

あーだこーだと正当化しようとせずに
そのまんま、ただ、自分を見てみてね。

自分に正直に☆

愚痴はウンコみたいなときがある【愚痴をどう聞き流したらいいか分からないあなたへ】

2017.03.17 00:54|思ったこと・気づいたこと
20170316.png

わたしのセッションに来てくださる方は
真面目さんが多く、
人の話は聞かなければならない、とか
人に貢献したい、という思いをお持ちの方も多いです。

そうなると出てくるのが「愚痴を聞く」に関して。

真面目さんだから、つい聞いちゃうのね。
しかも、お友達とかだと余計に。

本当は聞きたくないのだけど

「聞いてあげないといけない」
「大変そうだし」
「辛そうだから」
「スッキリさせてあげたい」

と思って、聞きたくないけど聞いてしまう。

あの、人を思いやる気持ちや優しさってね、
いいことでもあると思うけど、
同時に、自分を傷つけることになりかねないと思う。

だってね、聞きたくない愚痴を聞くことで、

「他人に」優しくしてるつもりでも、
「自分には」優しくないもの。

本当の自分は、聞きたくない、
聞いたら居心地が悪いのに、聞いてる…
ということは、
自分を傷つけてることにもなるなぁと。

あのね。

愚痴の利点は、
・コミュニケーションをとる
・自分の弱さを出す(自分を出す、という表現)
・相手への信頼を示す
などがあるのですが、

でもさ、正直なところ、

愚痴は排泄物みたいなところもあると思うんですよ。
「出したらそれでスッキリ♪」
という感じなところがあると思うの。
そう、うんこみたい。

消化吸収されなくて、不要なものが出た、ということで。

そんな訳で、うんこ表現で続けていくと;
「他人のうんこ(愚痴)は、あなたが処分しなくていい」
ということなんですよ。

だから、聞かなくていいの。

「聞き流し方が分かりません」
「受け止めて流したらいいの?」
と言われる方もおられますが、
あの、そもそものところで、
聴かなくていい、受け(止め)ないでいいのですよ〜

本当はね、
「今は(あなたの愚痴を)聴ける余裕が自分にないから聴けないの」
と伝えられたらいいかな、と思うのですが、

とはいえ、突然、そのステップを踏むのも難しい場合もあると思う。
そういうときね、その場に居合わせる、ということをするのね。
音(愚痴)がきこえる場に「ただそこに居てるだけ」という状態に、自分を置く。

愚痴を「愚痴(言葉)」とするのでなく、
「音」にするの。「雑音」に。
BGMと表現したら分かりやすいかな。
音として聞こえてるんだけど、聴いてない、という。

そうすることで、
聴かないということに慣れてゆき、
そのうち
「あれ?なんで私はこんなことまでして、
 自分がしたくないことをしてるんだろう」と
気がつくとおもいます。

愚痴を言う・聴くということは、
コミュニケーションを取ることでもあり、
言う側は、相手への信頼を示す(自分の弱さをさらけ出す)ことであり
聴く側は、相手の弱さを知れたりもできて、
お互いにより親密になれる利点もあるので、
愚痴もよいところがあるのですが。

でも、もし、聞きたくないのであれば。

聴かない。

「人の愚痴を聴かなければならない」ということはないのですから。

「愚痴はウンコみたいなときがある」を合言葉(?)に
他人のウンコ処理はしなくていい、と思い出してくださいね。

人に優しくする(優しくしてるつもり)もいいけど、
自分に優しくあって欲しいなぁと思います。

言われたことが分からない!

2017.03.05 23:40|わたしの場合
2017030502.jpeg

この間、友人達と集まる会があり、
数年ぶりに会えた懐かしい友人もいて
ものすごく充実した楽しい時間を過ごしました。

そこでは新しい出会いもあり、
ほぼみんな、何らしかの形で
ヒーリングに関わっています。

でね、わたしは音叉を持って行ってたので、
新しく出会った方にご紹介する機会があったんですよ。
そこで、質問されました。

「これは、何に使うんですか?」

厳密には、アラン・セールスの神の音音叉を
指差されて質問されたのだけど、
わたし、この言葉を聞いた瞬間
頭の中が真っ白になりました。

 ええーー?!何??今、何て言われた?!
 『何に使うのか?』って聞かれたってこと?!
 ヒーリング・セッションに使うって相手は知ってるのに
 その上で『何に使うのか?』って、、、
 なにこの質問!!え?何を聞かれたの、わたし!

頭の中はフル回転するものの、
質問が分からないんですね。

相手が言ったことが分からない。

言われたことが理解できないから、
答えようがないんですよ。
何か浮かんでくるかな、と
自分の内を傍観したものの
頭の中は真っ白の画面がどーーんとあり、
何も浮かんでこないんですね。
ものすごく不思議な感覚でした。
そして、しばらく沈黙の後に…

「ごめんなさい、質問がざっくりしてて
 答えが出てこなくてね、えっと、、」

とだけ言えて、再び、うーーん…

そこで相手の方がまた質問。

「何に必要ですか?どんな時に必要ですか?…(ベラベラ)…」

 えっ…?!
 『何に、どんな時に必要か?』って聞かれた?!
 そりゃセッションですがな!ええっと、、え?

と、頭の中がぐるぐるしてしまい、
その後に相手が話してくださってる内容も理解できませんでした。

相手の方は、神の音音叉を指差して質問くださったのですが、
アランの神の音音叉はとても万能というか、
いろんなケースに使うんですね。
それが「何に必要」なのかって?!この質問なに??と
わたしの中で咄嗟に理解出来なくて。

でも「必要」という言葉に、わたしの頭の中の何かが反応し
そこから、他に持っていたブレイン音叉の話をまずさせてもらって、、
という具合に話を展開し、神の音音叉に関しては
いろんなケースで使うこと、そして
筋反射を使って音叉を選んでいるので
「こういう時に必要」という決まりはない、ということを
お話しました。

でね、この後、ずっと考えてたんですよ。
わたしはなんで「(神の音音叉を)何に使うのか」という質問を
理解出来なかったんだろうって。

そしたら気がついたのが、わたしにとって、
音叉はセッションの中で使うことがごく当たり前だったんだ、と。

例えなんだけどね;

日本でね、ご飯食べます〜となって、
テーブルの上に箸が置いてあっても、そこに疑問を持たない。
で、もし、誰か(日本人)が箸を指差して
「これ何に使うの?」と言ったら
「ご飯食べるためですやん!何を言うてるのん!
 なんでそんな当たり前なことを何で聞くの?」と
わたしは思うとおもう。

「これで、食事をひとくち大にして口に運ぶのよ」
などという説明が咄嗟に出てこないほど、
わたしの中では
食卓上にあるお箸はご飯を食べるときの当たり前の道具で、
それがみんなにとっても当たり前になってる、
そう勝手に無意識で思い込んでた、と気がついたのです。

これが、音叉でも同じようになってたなぁ、と。
特に神の音音叉は「こんなときに、これが必要」という絶対的な枠がなく
(神の音音叉はこんな時に使える、というのはありますが、こんな時に絶対必要という枠は、わたしは感じないのです)
ほんと沢山のことに使える。
わたしにとって、セッションに音叉があって当たり前、
疑問を持たないほどの道具になってた、と気がつきました。

無意識での捉え方、思い込みってすごいなぁと。

で、このことを友人に話したら、

>お互いが当たり前に思ってる事のギャップが大きい時の会話って、
>ビックリするような突っ込みがきたりするんで、思わずフリーズするよね。

>そういった意味でも、本当に各々自分の世界で生きてるんだな、って、
>改めてつくづく思う今日この頃です。


と話してくれて、まさしくそうだなぁと。

《本当に各々自分の世界で生きている》

普段は、自分は「自分の世界で」生きている、ということに
意識があまりない、気がついていないから、

自分の物の見方・考え方(自分の世界)が、
みんなの世界でもある、と
無意識で設定されてると感じます。

だから、ややもすると、

自分の物の見方・考え方をしていない人と話してて
相手が理解出来ないと、変だと思ったり、
ヘタしたら、馬鹿にしたり見下したり。

これって、、井の中の蛙状態だなぁと。

「自分の世界」って、
自分の物の見方・考え方しかできないから
めちゃ狭いんですよね。
というのも「自分の物の見方・考え方」は、
自分が経験したことでしか成り立ってないから。

「相手(他人)の世界」は
自分とは違う見方・考え方を見せてくれる。
え?そんな角度から見れるんだ?!
そんな考え方・展開ができるんだ!という発見がある。

なので、相手の言ったことが分からなくても
「相手が何を言わんとしているのだろう?」と
相手をもっと知ろうとしたり、
相手の物の見方をしてみようとしたり、
「自分の言葉に変換すると、どう表現できるのだろう?」と
自分とすり合わせてみたり。

すると、自分の世界が広がると感じます。
ああ、そんな物の見方が出来るんだなぁと。


今回の音叉の質問は、ビックリ体験でした。
あんなに頭が真っ白になった体験は新鮮だったな〜
そして、わたしの思い込みにも気づいて
わたしにとって、音叉はどういう物であるのか、と
体感しました。
音叉はわたしの日常にあって当たり前みたいになってるんだな。
フリーズするくらいの思いもよらない質問、
考え方は、わたしの世界をどんどん広げてくれます。

あなたはどんな世界で生きていますか?
よかったら、わたしにも見せてくださいね☆

「セッション後に体調が悪くなりました。今までのパターン通りにいかなくなりました。」

20170301.jpeg

わたしのセッションはIH(インテグレート・ヒーリング)がベースで
その他にいろいろ組み合わせています。
最近よく出てくるのが、
アキュトニクス社の音叉を使った
フィボナッチ・ヒーリングです。
毎回フィボナッチをしている、というわけではないのですが
(筋肉反射であなたの身体がすると言わないとわたしはしないので)
でも、ほぼしています(身体が選んでいます)

でね。

「ヒーリング・クライシス」という言葉があるのですが、
これは、いわゆる「好転反応」のことです。
「デトックス」とも言われたりするのだけど、
ヒーリング後に体調が悪くなったり
感情の揺れが出たりするのね。

人によって、もしくは、その時のセッション内容によって
好転反応が出ない時もあるのですが、
出ることもあり、その程度も
軽いものからヘビーな物もあったりします。

わたしはセッション中の調整で
出来るだけ好転反応も出ないようにと調整もしているのですが
いかんせん沢山のことを扱っているので
いろんな方面からの変容があること
今まで抑圧していたことが出てくることと
そして、フィボナッチがね、、、パワフルなんですよ。

今回は、セッション後に
「体調が悪くなりました。
 今までのパターン通りにいかなくなりました」
とお話を頂戴したので
それについて質問し、お答えくださった感想を
掲載許可も頂戴したので、ご紹介させてくださいね。

ー ー ー ー ー ー ー ー

私の体験、感覚です。
もしよかったらご参考にしてください。


>どんな感じで調子が悪くなったのかお聞かせいただけますか。
>今までのパターン通りにいかないとは?


とにかく、まー、体の調子が悪くなりました。
身体が重いというか、気分がすぐれないというか。
とにかくだるい感じでした。

で、今までのパターンが通用しない。というのは、
私は今まで何かあっても

『大丈夫、大丈夫、私は大丈夫!!』

で乗り切ってきたところがありました。
それこそ呪文のように唱えて。

その呪文がもう通用しなくなってしまって・・。

人の私に対する言動などにガマンできなくなって、
腹が立ってしょうがなく。

全然『大丈夫』じゃなくなってしまったのです・・。

周りに怒り散らしていました。
実際に怒鳴ったり。
で、疲れ果てたり。

なんていうか、むきたまごみたいになってしまったのです。
あらゆる感情がビシバシ直接流れ込んでくるというか。

今思えば、脱皮直後な感じだったのかな?って感じです。
今まで、固い殻に覆われてマヒして、
感じなくなってたものが、敏感に感じるようになって、
ほんまにしんどくなりました。
人込みに出かけたらヤバイなぁ。って感じです。

だって、殻がなくて中身そのままむき出しって感じでしたもん。

傷つきやすくなってしまったようにも感じました。
これは日常生活に支障をきたすなぁ。と思ったくらいでした。
人に会えないなあー。って感じでした。
なんで会えない。と思ったのか不思議ですけど。
なんでだろ?
汚される気がしたのかもしれません。

今となったら、どんな感じだったのか
よくわかならい感じになってしまったのですけど。

今まで、たぶん無意識に押し込めすぎてたんですねー。
えへへ。
ビックリです。

本当にありがとうございました!

ー ー ー ー ー ー ー ー


この後、また質問させていただいて
今回、彼女が落ち着いたのは
一週間〜十日後ぐらいだったと聞きました。

その間に、身体からのアプローチが必要と感じられて
整体へ行かれたそうです。
これはよかったなぁと。

好転反応をデトックス中として
おうちでゆったりと過ごす、という方法もありますが
ピンとくることがあれば、それをするのもいいと思います。

抑圧していたことが大きければ大きいほど
そこが解放されたら、その後の反応も
大きいことがあります。

今回、感想をよせてくださった彼女は
とにかく楽観的でした。
達観しがちでもあり、我慢強く、
頑張りやさんで、自分のストレスにも気が付かないほどで、
気が付かないで無理をしていたという、、、

楽観的って、よさそうな感じがあるのですが、
でも、楽観すぎると自分の弱さを見なくなったりするんですね。

「これくらい大丈夫」と自分を言い聞かせたり
「なんてことないじゃん!」とはっぱをかけたりして
自分に無理をさせてしまう。

そしてそこに、頑張りやさんの要素が入っちゃうと

どんどん頑張っちゃって
どんどん気がつかない無理をして
どんどん疲れてる(不調な)のに気がつかず
どんどん呪文:大丈夫、私は大丈夫!を使って、
また最初の「どんどん頑張っちゃって」に戻って…

…と、ぐるぐる回っちゃう。
そうなると、感覚が麻痺してくるんですね。

身体は疲れてるのに、
感覚が鈍っちゃってよく分からない。
もっと頑張れちゃったりするし、
自分が分からなくなったりもする。

なので、彼女がお話しくださった

「今までのパターン通りにいかなくなりました」
「呪文がもう通用しなくなってしまって…」

を聞いて、ほんっと嬉しかったです。
ああ、やっと自分に呪文をかけるのをやめてくれたんだって。

そもそも「呪文をかける」ということは、
「呪文をかけないとできない」のであり、
それは、
「素の自分ではできない」ということなんですね。

そう、「呪文をかけて」自分に無理をかけてるんですよ。

無理をさせ続け、傾きすぎていたことを調整すると
その直後は繊細になったりもします。
感じないでおこう、見ないでおこう、としていたことを
やっと感じられるように、見られるようになったので
敏感・繊細になってるんですね。
で、ここで「好転反応」と呼ばれる反応が出てきたりするのです。

でもいろんなことが統合されていくと、それもおさまってきます。

わたしもヒーリングセッションを受けた後、
好転反応が出たことは何度もあり
どーーんときたこともあります。
体調的には、発熱したり、風邪みたいな症状が出たり
突然生理が始まったり。
感情的には、敏感になって繊細すぎになったり。

でもそれらも、出るだけ出たら
身体は前よりも軽く感じ、
感情的にも以前より安定していて
毎回スッキリしています。

でね、一時、この好転反応に関して
いろいろ考えて、研究してたんですよ(今でもしてますが!)。

「この好転反応をすっ飛ばして、
 新しいステージにいきなり入れないのか。
 感情の揺れや体調不良起こすことなく
 ポーンと次へ進めないのか」ってね。

で、まだ研究途中なのですが
セッションを重ねていくうちに見えてきたのが
心の動きって筋肉と似ているところがあるなぁと。

心の動き方ってね「そういう方向」に動いたことがないと
動き方が分からなくて。
なので、まずは動かしてみないといけない。
で、動かしたことがないから繊細・敏感でね。
だから、自分の新しい感情の動き方をし始めると
今まで使ってこなかったので、
筋肉痛(好転反応)が出ることがある。

でも、ちゃんと使っていくと、筋力(動き方)もついてきて
しっかりしていく…と。

やっぱり自分で自分の心を動かして
新しい感情の動き方を習得しないと、
動き方を知ることができないことがあるんだなぁと
今のわたしは感じています。
(すべてが必ずしもこうとは限らないのですが)

特にね、めちゃ傾いてた場合。
究極に一方に傾いていたら、反対側のことを知らないんですね。
なので、
例えば、右に究極に偏っていたら、
今度は、バランスをとるために
究極に左へ行く傾向があると感じています。
それでやっと自分の中で混じってきて統合され、
ようやくバランスがとれる、という。。。

で、バランスをとるために、
究極に左へ行ってみることが必要なんだけど、
行ったことがなかったものだから、
いろいろ大変なんですね。
いろんな反応が出てくる。
これが、好転反応でもあるかな、と。
だから、ある意味、好転反応はしょうがないとこがあるかなぁと。
それすらも過程のひとつですから。

IHは素晴らしいヒーリングのひとつですが、
人間という生き物、アナログっぽく
ひとつひとつ感じていくことが必要な場面もあるなと感じ、
人間であることが愛おしいというかなんというか。

今日は、セッション後の好転反応について
率直な感想をいただいたので、
なぜ出てしまうのか、ということも合わせて
お話しさせていただきました。

毎回のセッション後に必ず好転反応が
出るわけではないのですが、
自分に無理をさせ続けてきた場合は
感情的な揺れや体調不良が一時的に出る方も
おられます。が、一時的です。
どうぞゆったりお過ごしくださいね。

いろんなことがあったとしても大丈夫。
絶対に大丈夫なのですから。
 
 
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますことを
楽しみにしています〜!

【ワークショップのお知らせ】
ブレてもまたバランスを
取り戻せばいい!
自分で自分を整えるコツをお伝えする
1Dayワークショップです。
詳しくはこちらをご参照ください

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

アメブロにミラーブログ置きました。
読者登録など便利な機能があるので。
もしアメブロの方がご都合が良ければ
そちらでも宜しくお願いします。
http://ameblo.jp/lalunadigiorno

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

検索フォーム

【メールフォーム】

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示

QRコード

QR

ページトップへ