楽しい時間をありがとう♡

2016.12.31 23:07|思ったこと・気づいたこと
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2016年も残りわずか。
これを読んでくださっているあなた!
ええ、あなたです。
ありがとうございました♡

つらつらとわたしが思ったことを書いているのですが
それを読んでくださる人がいるのは、ほんとありがたいなぁと。

以前、わたしのブログに関して
「自分との対話にブログを書いているようですね」
というようなことを言われて、
あまりの図星にドキリとしました。

そうなんですよ、誰かに発信というより自分と話してるんですね。
なので、例えば、前回の記事にあった;

「人間ってさ、自分が出来ないことを見つける天才で、
 他人と比べたりして落ち込んだりしてね。」


というの、わたしのことでしたから!ははは〜
ほんと昔はひどかった。

「思い込みは激しくないですか?」→これもわたしだったし
「物事に対して『こうあるべき』という思い込み」もあったし、
「他人も認める、大多数が認めるからそっちが合ってる」とかも
思ってました。

ほんっと、べき・ねば・思い込みは激しかったですから、わたし!
大声で言えますよ!(どないや)

でもね、ふと気がついたんですよ。
なんか違うなって。しんどいわーーと。
そこからひとつずつ見ていって、今は考え方が変わってラクになったので
そんな自分に「こんなこと思いついたね…」と対話するような感じで
ブログを書いてるのでした。

なので、こんな対話を読んでくださってる、
しかも感謝してくださる方までいらして、
「いやいや、わたしの方が感謝したいよ!!」と
いつもありがたく思っています。
ほんとありがとう♡♡

さて、こんな自分対話なブログ記事なのですが。
今年は(今年も!)盛り沢山な年でした。
この間ハッとしたのだけど、
ハワイでフィボナッチを受講したのは今年だっただなんて!!
なんだか濃密過ぎて、数年前のことのようなんですけど…

キャサリン・シェインバーグのクラスを
やっと受講したのもとても色濃い年でした。
キャサリンは、わたしの中に新しい色を入れてくれて
物の見方・考え方を広げてくれました。

でね、そのおかげか、ますます体感したのが
わたしは何も知らなかったんだな〜ということ。
知ってた(知れた)と思ってたのが、
その実、上辺しか掴めてなくて、
深くはちゃんと掴めてなかったのね。

それらのひとつがスワミジに関して。

スワミ・クリヤナンダに初めてお会いしたのは
もう20年近く前になります。
スワミジは、パラマハンサ・ヨガナンダの直弟子でした。
(※パラマハンサ・ヨガナンダは、ヨガを西洋にもたらした人物です。
  スティーブ・ジョブズがiPad2に唯一インストールしていた本が、
  ヨガナンダの著書である「あるヨギの自叙伝」でした)


スワミジは、ものすごく気さくな方で、
誰に対してもフレンドリーでウエルカム。
子供のような純粋さと好奇心も持ち合わせていて
透明感があったんですね。裏も表もない、そのまんまな感じ。
そして何より愛が深かった。もんのすごかった。

…とスワミジのことを分かったつもりでいたのだけど
文字どおり「つもり」なだけであって、
本当には分かってなかったの、スワミジの素晴らしさに。

講話のときの聴衆からの疑問や
過去の出来事に関しての質問に
スワミジはいつも軽さを持って
ユーモアを挟んで答えてたのね。
これは、自分が完全に癒されていないと
できなかったことなんだなぁと
今だからこそやっと見えました。

あとね、スワミジの「自分がしてるんじゃない」という表現。
スワミジは沢山の音楽CDを創られたのだけど
いつも「自分がしてるんじゃなくて…」と言われてたのね。
「僕は音楽のことは分からないから」って。

当時のわたしは、スワミジの言わんとすることを理解しつつも
「いやいや、あなたが創ってるんだから」と
心のどこかで思ってたわけですよ(スイマセン)

これがね、分かったの。
「ほんとだ、スワミジじゃなかったんだ」って。
自分がヒーリングセッションをするようになった今だからこそ
やっと分かった。

自分じゃないんだよね。
自分は、ただの「つなぎ役」というか、
上(なり何か)と今ここ(なり何か)の
橋渡し的なことをしているだけなんだなーと。

インスパイアしたこと、
その時点ではただのエネルギーだったのを
表現して形にしているだけなんだって。

で、その「形」はいろいろあり、
今のわたしの場合はヒーリングで表現し、
スワミジは教えや講座、音楽や書籍などでなさったり。

そして、あなたの場合は何ですか?
どんなことを表現していますか?

車を運転したり、人と接していたり、
子育てだったり、介護だったり。
怒りを爆発させていたり
何かの症状(病気など)と共に生きてたり
はたまたボーッとしてたり、ね。

表現は、その都度変わってきます。
今はボーッとするしかない、としたとしても
そのうち変わってくるのね。
大丈夫、大丈夫。
それすらも体験するために、ここに居るのですから。
なんとかなることしか起こってないし、
長い目で見たら絶対最高最善のことだけが起こってる。

2016年、沢山の方に会えて、
祝福な時間を過ごせました。
お一人お一人のあなたへ。
ほんっとありがとう〜♡

また会ってね。
そして遊んでください。
あなたの素晴らしさに触れさせていただけるのは
わたしにとっては祝福です。

また新年もお会いできることを楽しみにして☆

2016年ありがとう〜〜!
どうぞ良いお年をお迎えください☆

ともこ
 
 
 

才能って…?

2016.12.27 23:39|思ったこと・気づいたこと
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ブログ更新が空いてました〜
いつも覗いてくださってるあなた!ごめんね。
ありがとう♡
わたしは元気で過ごしてます。

思ったこととか書きたいことはあったのだけど
なんだかね、感じたことすらどんどん進んで変わっていってます。
なのでそのうち安定したら(どんなんや)
書けたら書くので、聞いていただけたら嬉しいです。

さて、ところで。

以前からちょこちょこと
「自分の才能が分からない」というお言葉を
聞いててね、先日も出てきたので
今日は才能についてわたしが思うところを書きますね。

ー ー ー ー ー

突然ですが

あなたは自分の才能を受け入れてますか?
自分の才能に気づいてる?

ちょっと空欄を入れるので、
よかったら感じてみてくださいね。
「自分の才能」はなんだろう?!

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

自分の才能を感じた?
感じたのなら、それですよ。
そうそう、それです。
ふふふ〜、楽しんでくださいね。

で、「自分の才能」が分からなかった方。
え?自分にあるのかって??
もちろんあなたにもあるよ〜〜

じゃあね、別の質問!

あなたにとって「才能」ってなんですか?
どういうことを「才能」と表現するんだと思う?

また空欄入れるので、考えてみてね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 


さて、どうかな。
あなたにとっての「才能」ってどういうことかな?

他の誰もできなくて、自分だからこそ出来ること?
他の誰よりも秀でていること?
上手に出来ること?
容易く出来ること?
珍しいこと?

そうかもしれない。
そういうのも「才能」と表現するんだろうね。

でね、わたしが思うとこなのだけど。

えっと、それを書く前に、また質問です〜


あなたが喜びを感じることは何ですか?
何をしてたら、喜びや幸福を感じますか?

ちょっとね、考えて(思い出して)欲しいの。
どういうときに、最高に幸福感の中にいるかなぁ…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
感じられた?
どんなときかな。

自分が大好きな音楽を聴いてるとき?
ご飯を食べてるとき?
こたつの中にいるとき?
ぼーっとしてるとき?
自然を感じるとき?

何だった??

でね、あなたが喜び・幸福を感じたその時の行為・状態が
あなたの「才能」だと思う。

「その音楽を楽しめること」
「ご飯を美味しく食べられること」
「こたつでぬくぬく幸せを味わえること」
「ぼーっと何もしないことに幸福を感じられること」
「自然を感じ喜びを見出せること」

これら全て才能だと思うのね。

なんかさ、「才能」というと
何か特別なものとか思っちゃって
それで、
自分は特別な何かは持っていないから、
自分は才能とは無関係、才能はない、とか
思っちゃうんだよね。

わたしは、自分が喜び・幸福を見出せること、
その行動や状態が「自分の才能」だと思います。

ん?ちょっと待って…て??
ご飯食べてる時に喜びがあって、それが才能なのか?!って?
そうよ〜、それが才能。

だってね、皆が皆、ご飯を食べて喜び感じるわけじゃないやん?
栄養を摂るためだけに、ただ淡々と食べてる人もいるし
食べるのが苦手な人もいる。
そんな中、あなたはご飯を食べて喜びを見出せるのだから。

ほんと日常の中に「自分の才能」は沢山転がってる。
才能ってスペシャルでゴージャスな何か、とは限らなくて
ごくごく当たり前の中の些細なことでもあるのね。
あまりにも当たり前すぎて、気づかないことも沢山ある。

人間ってさ、自分が出来ないことを見つける天才で、
他人と比べたりして落ち込んだりしてね。
そんなことしてると、自分の才能になかなか気づけないんだよね。
見えなくなるのよ。


で、自分の才能に気づけない方、
「最高に幸福感を感じる」行為や状態を思い出せない方へ。

あのね、思い込みは激しくないですか?
他人も認めているべき、と思っていませんか?
物事に対して「こうあるべき」という思い込みはないですか?

例えばね、食べ物だと
「雑誌・テレビなどのメディアで取り上げられてるから」とか
「超人気で何時間待ち/売り切れ続出」とか、
他人が認めているから、大多数の日本人がそう言うのだから
そういう食べ物が美味しい、と思い込んでる…とか。

他には「美味しい食べ物って、こうあるべき」という思い込み。
星が三つついているからこそ美味しい、とか
有名シェフが太鼓判押してるから美味しい、とか。

これらってすべて「他人が」認めていることであって
自分じゃないんですね。
他人の喜び=自分の喜び、という式は
いつも当てはまるわけじゃなくて。
自分でちゃんと感じていかないと、ね。

自分の喜びは、自分で見つける。
喜びを感じられる行為・状態は、
自分の才能であること、ですから!

あなたも自分の才能を感じていますように。
そしてその輝きが放たれていますように〜〜♡

始めないことには始まらない。いつでも止めることはできるのだから、始める。

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週末、ブラッシュアップクラスを開催しました。
二名の方にご参加いただいて、これまた濃密なお時間を
過ごすことができました。楽しかった〜!

沢山ご質問くださってね、
わたしのプライベートなことにも
ご質問いただき、途中でふと
「あら、ともこインタビューの時間?!」と
可笑しくなった瞬間もあったくらい、ほんと楽しかったです。

きっといろんなことがクリアになったのではないかなぁと
思うのですが(いかがでしたか?!)
質問がある、ということは、
自分が分からないことを掴んでいる、ということで
大事な一歩だなとわたしは思うのです。

頭がこんがらがっているときには、
「分からない」と感じているのに
「何が分からないのかが分からない」というような時もあり
こうなると質問すらどうしたらいいのか分からない…となっちゃって。
でもそれすらも大丈夫なの。
自分じゃ分からなくなっているのならそのまんま質問したらいいのだから。

きっと、その道のプロだと、質問者と話をしていると
どの辺から分からないのか感じ取れることと思います。
これからもいろんなところでドーンと質問していってくださいね。

さて、クラスでは、原始反射についてお話ししました。
わたしは数年前に、イタリアとスペインで子供の発達障害に関して
活動なさっている方の講座を受講したのですが
原始反射が統合されていくことで、
学校に居づらかった子供がイキイキしてくる話などを
聞いていると、原始反射って重要なんだなぁとしみじみしました。

原始反射は文字通り「反射」ですから
自分の意識云々では対応できないんですね。

子供たちが学校で
机に覆いかぶさるように座る、姿勢が悪い、
授業中座っていてもモゾモゾ動いてしまう、
黒板の文字をノートに写しづらい、、、
というのは、
原始反射が統合されていないことが要因のひとつでもあるときがあります。
子供が悪いわけじゃないんですね。
まして、親が悪いわけじゃない。
しつけができてないとかそんなんじゃない。

原始反射は生き残る手助けのための反射と言われていて
医学的には、成長するにつれて脳が発達すると
統合され消失されると言われています。
これには、胎児からの子宮内での動きも大切な位置をしめていて
胎児期・乳幼児期に必要な身体の動きをしていなかったり
他のなんらかの状況や要因もあって、
統合されずに残ってしまう場合があるんですね。
で、大人になっても残ってて
感覚過敏、見たいことに集中できない(その周囲が気になる)など
いろんなことに影響が出たりして。

原始反射は残ってても別にいいのだけど
生き辛かったら、統合したら助けになるなと感じています。

今回のクラスでは、沢山ある原始反射の中から
いくつかを取り上げ、スキャンリストも作って
お渡しさせていただきました。

あとね、クラスの中では、微細な筋反射を取ることにも
チャレンジしていただきました。
参加者くださったのはIHを始めたばかりという方でしたが
おひとりは「これかも」と感覚を掴んでいらっしゃいました。

でね、筋反射もそうなのだけど、何事も
始めないことには始まらないんですね。
筋反射は特に、体験していくことで掴めていくこともあるので
どんどんしていって欲しいなぁと。
自転車に乗るのと同じで
筋反射をとればとるほど(自転車に乗れば乗るほど)
スムーズにとれる(自転車にスイスイのれる)んですね。

あとね、
ヒーリングを始めた方、セッションをしていきたい方からお聞きするのが

「いつか○○さんのように
 筋反射がちゃんと取れるようになって
 セッションももっとちゃんとできるようになったら
 ヒーリング活動を始めよう」

ということ。それでもいいと思う。
全く初めてのことで習ったばかりの場合もあるだろうから。

ただ、もし、いつも同じようなことを思っているのなら
パターンになってるかも、です。
というのも、

「□□という自分は○○に値しない」
 (ある一定のレベルに達していない自分は
  ヒーリングをするに値しない)

という考えが根底にあったりするから。
これは、自分を否定することに繋がることがあり、
自己価値・自己肯定の低さにも
繋がっている場合もあるのです。

例えばね、ヒーリングすることを例にすると:

自己価値・自己肯定が低いものだから、
人にヒーリングしようにも、人から肯定されないと怖いんですね。
だから
「セッションをちゃんとできるようにならないと」と思って
練習したりしてみるも自己肯定感が低いものだから、
思うレベル(セッションをちゃんとできてる)と
なかなか感じられない。
で、
結局はヒーリング活動(人へのセッション)ができない、と。

そうなると、ここで思っちゃうんですね。
「きっと他になにかもっと自分にピッタリくるのがあるんだろう」って。

そして、また他の技術を学び、また繰り返しちゃう…。

あのね、最初はできなくて当たり前なんですよね。
「そんなできない自分を信頼する」のです。
そこがカギなの。

…とこんなお話をしていたら、参加者のおひとりが
「ちょうどNYのりこさんのブログの記事に書いてあったのを読みました」と
教えてくださいました。こちら
http://plaza.rakuten.co.jp/reikisolyluna/diary/201612060000/
とても興味深いので、特にキネシを始めたばかりの方、
自己価値が低いかも…と感じている方にはおすすめです!
(書いてあるゲームをしてみてね〜、ふふふ)


あの、こういうことは文字だけでは伝わりにくいかなぁと
思いながらも書いてます(そうだそうだ!って頷いてる?!)

あのね、「それが出来てる人」に実際に会ってみてください。
その人に質問してみてね。

ありがちなのですが、
分からない者同士話していても、結局どこにも辿り着けないことが多いです。
だって「分からない者」同士で話してるんだもん。

「それが出来てる人」に質問するのね。
出来てる人は、そこを突破してるから。

で、「出来てる人」のお話を丸呑みする必要は無いということ。
取り入れるか、取り入れないか、を選択するのは
自分だということを覚えておいて欲しいなぁ、と。

というのも、自分がしっくりこない回答を得る場合もあると思うから。
でもね、面白いのがね、
「ぜーーったい、それ違う」と思ってきたこと、避けてきたことの中に
大きなカギが隠れていることが多いです。
なので、時々「ちょっとやるか〜」という
チャレンジ精神や遊び心をポケットに入れて、
やり始めることをおすすめしたいです。
いつだって止めることはできるのですから。
面白いよ〜

でね、

「してるつもり」「やってるつもり」は
していないことと同じです。
というか、本当には、やってないのね。
思考の中で動いてることが多いです。

自分じゃ「やってるつもり」なのだろうけど
(本当にそうなんだと思う)
でも「つもり」と自分で感じる時点で、
自分の中に無意識でなんらしかの抵抗が出てて
「本当に」やっていないということなの。

なので、やる、か、やらないか、しかない。

誰かのマネをしてみる、というのもいいと思う。
「○○さんのように」と思っていたのなら
マネしてみるのね、で、段々と自分色にしていく。

大切なのは、

始めること。
始めないことには、始まらないのだから。

今日は、文字だけでは表現しきれんなーと思いつつも
書きたかったので書きました(どないや)。
もし何かを感じ取って頂けたのなら、わたしゃラッキーです。
もうそれだけで祝福です〜♡

【更新】自分の人生は「自分が」決めていると認識すること。自分に責任を持つこと。

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(途中記事をアップしてました!ひぃ〜〜、すいません。更新しました)

以前ブログでお声を掛けさせていただいてた
お茶会が今日でした!
興味を持ってくださった方はいらしてて、
中には昨日「直前参加でも可能ですか」と
問い合わせてくださった方もいらしたのだけど、もちろんOKでしたが
結局おひとりの方とのお茶会になってね、
(というのも、おひとりだけだったので個室が借りれず
 場所と、ついでに時間も変更したので、都合が合わず…残念!)

いざ開催したら「ああ、このためだったんだなー」と
えらい納得した、どっぷりスペシャルと感じたお茶会でした。

でね、今日のお茶会で
わたしのセッションを受けてくださった方との
個人お茶会(おひとりさま限定プライベートお茶会)もいいなぁと。

セッション中でもいろいろお話するのですが、
「セッション」でめいっぱいなので、
質問などにお応えする時間があまりなく。
そこに深入りすることができて、
あと、今どういう状態でいらっしゃるのか、が感じられつつ
セッションで扱ったことに関する疑問にお答えできるのが
いいなぁと。

というのも、よく聞くのが
セッションであつかう内容に関して

「それには自分でも気付いてて、
 いろんな本も読んでみた。講座にも行ってみた。
 でもどうしたら(どう行動していったら)いいのか
 頭では分かってるみたいなのに、分からなかったのです。
 そこがセッションでやっと腑に落ちました」

ということ。

ストンと自分の中にやっと落ちてきて
日々の生活で行動していって…
新しくなった生活で、次のステージでの
ちょっとした疑問とか湧いてくることもあるんですね。
でもセッションに行くまでもないな〜と感じた点を
お話していただけるのはいいなぁと。
クリアになるとますます自分の中に確固として落ちてきますから。

人生には絶対に楽しいことはあるんですね。
辛いことだけじゃない。

でも辛いと感じているのなら、
今までの行動を変える必要があるのね。

今まで「そう」やってきて辛いのだから
「そう」やり続けていても辛いままなの。

「そう」やるのを止める。
「違うこと」をやってみる。

その「やってみる違うこと」というのは
人それぞれ違うだろうけど、カギになるのが
《「絶対そういう人間にはなりたくない」と自分が感じる人がやってること》
です。

「絶対そういう人間にはなりたくない」と自分が感じる人って、
大抵の場合、自分とは逆のことをしてるんですね。
自分が出来ないことをしている。
自分が(思い込んで)しちゃダメだということをしている。
なので、それを「してみることの中に」カギがあるんですね。

気がついて欲しいなぁと思うのが、
自分の行動・生き方の中に
「パターンになっている」ことがある、ということ。
そのパターンを変えないと、変わらないの。

で、自分に責任を持つ。

「自分に責任を持つ」ということは、
自分の人生は「自分が」決めている、と認識すること。

人のせいにするのは、ラクなんだよね。
だから、ついやっちゃう(わたしがそうだったから分かる・笑)。
例えば、本当の自分はしたいのに

「パートナー(夫・妻・彼氏・彼女)が嫌がるから」
「親が反対するから」
「師匠がやめておけって言うから」

「だから私はしません」ってね。

逆で言うと、

「パートナーがやれって言うから」
「親がこれにしとけっていうから」
「師匠がいるから」

本当の自分はしたくないけど、してますというパターンも。

これら両方とも、人のせいにして、責任も人に負わせてるんだよね。
で、そうするとラクなの。自分に責任を負わなくて済むから。

「あなたがやれって(やらないでおけ)って言ったから
 自分はした(しなかった)のよ。
 で、今の自分はこんなひどい状態。
 なので『やれ(やらないでおけ)って言ったあなた』のせい!」

ってね。
ね?ラクでしょう?自分のせいじゃないもん。

でもね、これって《他人が自分の人生を操ってる》んですよね。

「他人がやれって言ったから」自分はした、
「他人がやめとけって言ったから」自分はしなかった、んですもん。

…あれれ、、??
これって、他人が決めた人生を生きてるってことっぽくないですか?!
自分の人生なのに、他人が決めてるだなんて!

なので、自分が「自分の人生の舵取り」をするんですね。

これはなにも

「パートナーが嫌がることをしろ」とか
「親に歯向かえ」とか
「師匠に逆らえ」とか、そういうのではなく

「パートナー・親・師匠が嫌がった。わたしは「しない」選択をする」

ということ、「わたしが」行動の選択をする、主語なのです。
パートナーが嫌がった。だから、わたしはしない、ではないのね。
「だから」しない、ではないの。

「わたしが選択しない」から、しないの。
違いが分かるかなぁ。

日本語の話し方そのものが、主語が抜けることが多いので
「誰が」というのがうやむやになることも多いなぁと感じています。
なので、「私が」と主語をつけることに少し気を置くだけでも
変わってくるんじゃないかなぁと。

自分の人生は、自分が、舵取りをする。

どうか、自分の人生は「自分が」主役で
「自分が」演出家であるということを思い出し、
自分の色で、自分の人生の彩りをしてみてね。

きっと見えてくるものが変わってきて
見えていなかった楽しさも見えてくることと思います。

「やりたい事」の中には、やりたくない事も含まれている(パステル曼荼羅に参加して)

2016.12.04 23:45|思ったこと・気づいたこと
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昨日は、パステル曼荼羅に参加しました。
一日パステルで絵を描くの。

パステルで作品をつくる、というのとはちょっと違って
曼荼羅を描いて、自分と向き合うという感じかな。
(個人の意見です!曼荼羅をよく分かってないからズレてるかも)

でね、これに参加して、昨日すっごい感じたのが

「表現できないことの辛さ、苦しさ」。

まず初っ端から、色が思うように出せなかったのね。
紙と仲良くなれなくて、色が出てこなかった。
で、曼荼羅を入れる(消しゴムをかける)のも
入れられなくて(消せなくて)ねぇ。。

思うように画を描けない(自分を表現できない)
ということは、ここまで辛いのかと
息ができないほどの苦しさでした。
これは、メタファー的でもあり、
「今の(生きてる)自分を表現できないとここまで魂が辛いものなのか」と
感じてね、もっともっと自由に表現していきたいと
改めて感じました。

おっと、話は戻り。
昨日は「パステル曼荼羅に参加」してたおかげだったのか
表現できない〜と苦しくなっても
途中で止めることはしませんでした。
でも家で「自分が描きたいから」ということで描いてたら
絶対に途中で止めてたと思う。
「自分が描きたくないと感じるほどの苦しさと辛さ」だったもの。
そこが、
「パステル曼荼羅に参加している」という状況にあったおかげか
苦しい〜〜と感じるのに
「続けてみよう、画を描き終えてみよう」とも感じてたんですね。

で、息苦しい中続けてみたら。

発見した!「ダメだ、と思ったとしても形になるんだ」ってこと。
自分じゃ「あかんわ。こんなん何にもなれへん」と途中で思っちゃっても
続けてみたら、なんらしかが出てくるもんだなぁと。

でね、ふとキャサリンの本の内容を思い出しました。
何度かブログでもお話させてもらってるキャサリン・シェインバーグ著です。

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(画像はこちらからお借りしました)

本の中で、
「意識する心」ではその問題は解けない、と敗北を認めること、
そして、自分が感じる感情を、体験を、それが何であろうと
感じて認めてみること、と書いてあってね。
たとえそれが「失望と恥を感じる」であろうと、
ただ単に「わからない」であろうとも、感じて認めてみる、と。
なぜなら、そうすることによって、その体験の実態のなかに、
潜在意識の領域に、潜り込むことが可能になるから、って。
そこは正反対に見える二つの傾向が共存できるところ。
そのパラドックスの大窯の中に別の何かが浮上してくるのです…

という内容が書いてあってね、
これを体験したなぁと感じました。

「意識する心」で、わたしは表現できません、と認めた。
失望だったし、途中の絵(曼荼羅も入ってない色試しのような落書き)を
「作品」として晒すことになるって。
でも、それでもいっかーと、失望も恥も感じて認めたのね。
そしたら「あれ?なんか…」と気がついた。

「やりたい事」の中には、やりたくない事も含まれてるな〜って。

絵を表現したい(やりたい事)に辿りつくには、
「表現できるようになっている」ことが必須で、
まぁ中には即行表現できる人もいるのだろうけど、
大抵の人は「練習する(表現し続ける)」必要があるんですね。

なのに
「嫌や〜、苦しいから」って
してないと、いつまで経ってもできないんですわ。

わたしね、いつも「したくない事はしなくていい」って
言ってるけど、したい事に辿り着くには
「したくない事をする必要がある」ときがあるんですよね。

自分がしたい事、に辿り着くには
したくない事をする必要があるときもあって、
で、辿り着く途中で
したくない事も「なーんだ、こんなことだったのか」って
変化してるんですよね、本当に自分がしたい事だと。

なので、ええい〜やってみるか!と勇気、
失望も恥も認める勇気が必要だなぁと。

なんかね、自分が嫌だと感じながらし続けたおかげで
いろいろと発見がありました。
嫌なこともしてみるもんだなぁ〜

そんなこんななパステル曼荼羅。
わたしがお世話になったのは、ようこさんです。

ようこさんね、わたしのIH仲間でもあり
整体師さんでもあり、絵描きさんでもあるの。
草花を愛して、エッセンスとか精油も詳しいし
とにかく多彩な方です。
絵を描くことが大好きなのも伝わってくるしね、
パステル初心者さんにも親切に教えてくださいますよ。
なので、パステルに興味あったけど、まだしたことない…という方、
一度ようこさんにコンタクトしてみてね。
きっと新しい世界が広がることと思います。

ようこさんのブログはこちら
http://walkonthisplanet.hatenablog.com
(わたしに連絡くださっても、ようこさんにお繋ぎしますよ〜)

楽しい世界へようこそ〜〜♡

尾畑 雁多(おばた かりんど)さん「縁結びの極意」講座

2016.12.03 00:51|尾畑 雁多さん
20161202.png

今年のイタリアでのキャサリンのクラスで
「ミスター・オバタ」という名前を聞いて、気になっていました。

クラスの何の内容がきっかけでオバタさんの名前が出たのかは
覚えていないのですが、キャサリンがイタリアでのクラス
(日本人は4名だけ)で名前を出すのだから
一体どんな方なんだろう?と興味津々。
検索をすると「尾畑 雁多(おばた かりんど)さん」という
播磨陰陽師の方だと知りました。
そして、いろいろとご活躍をなさっているそうで、
(こちらをご参考くださいね。http://yingyang.hakutaku.com
一昨日「夢の極意Part3」としての
テーマ【夢が叶う 縁結びの極意】講座に参加してきました。

正直に告白すると「縁結び」というタイトルには
あまりピンとこなかったのですが(個人的なことですいません)
でもやっぱり行きたいという気持ちがあって
参加したらこれが!興味深かったです。面白い発見でした。

「完全に無縁な人とは出会えないのです」
と尾畑さんはおっしゃっていて、
その時は、ほほぅ…と聞いていたのですが、確かにそうだなぁと。

私たちの先祖をたどっていくと、
遠いどこかで繋がっている人が沢山いますしね。
そういえばこの間、遠方からセッションを受けに来てくださった方が
わたしのご先祖さんと繋がっていて、えらいビックリしたことがありました。
こんな感じで、沢山の方と繋がっているのだと思う。

後は「魂のつながり」で繋がっている方達。
魂に関係がある…ということで、
これはもう感覚的な話なのですが、これも確実にあると
確信しています。

でね、無関係な者には出会わない、とのことでしたが
でも、強制的にも出会える、とのこと。

例えば、突然アメリカに行く、としますね。
すると、そこで人と出会います。
そして、出会った人の友人を紹介されたり、
パーティがあるとまたいろんな人と出会ったり。
そうやって縁を繋ぐことができますね。

…とこんな話を聞いていたら、
今のわたしの身近な人たちは、
尾畑さんが言うところの「強制的な出会い」が多いなぁと。
一番身近だと、パートナー(夫)であるボブ。
彼と出会ったのは、わたしが思い立ってイタリアに行って、でした。
ばったり出会ったという感じで、誰かの紹介でもなかったんですね。

後は、今、日本で仲良くしてもらってる友人たち。
キネシ仲間がほぼなのだけど、みんな、講座で出会ったのね。
で、その講座もネットで別なことを検索していたら偶然知って、
「思い立って」参加したという。

で、そこで出会った友人たちから、また友人が出来て…と
広がっています。

「強制的な出会い」だけど、
その出会いの中には、魂的な繋がりでの出会いも含まれていると
わたしは感じています。

講座の中で、尾畑さんとゲストの大空夢湧子さん
外国での「縁」という言葉についてお話されていて、
大空さんは「コネクション」という言葉で表現している、と
お話されていました。でもそれは「繋がり」を意味していて
「縁」とはちょっと違うね、と。

でね、わたしの周りの外国人たち(イタリア人とは括れないです)を
思い出してみたのですが、そういえば「縁」という言葉はないなぁと。

縁という言葉の内容を「出会う運命」という表現をしていました。
でね、縁を「結ぶ」という表現は聞いたことがなくて、
「出会う運命であり既にそう(運命に)書かれていた」
みたいな言い回しをしています。

「これから縁を結ぶ」ではなく
「既に結ばれていた(運命にそう書いてあった)」みたいな感じ。
なので、縁を結ぶことには意識が無いみたいで、
結ばれていた縁をどう展開していくか、が、大切だ、みたいな。

まぁわたしの周りの外国人たちだけの話だし
まして、国籍や育ち、宗教背景などが
ものすごく混ざっているので、
大雑把に「外国人」としか言えないのですが
捉え方が興味深いなぁと。
縁は結ぶのでなく「既にある」のですから。

あとね、講座でオリジナルだなぁと思ったのが、
講師が陰陽師のありがたさでしょうか、
終了間際に「お祓い」もありました。
わたしねぇ、、お祓いをよく知らなくてね。
勝手な想像で、キリスト教でいうところの「エクソシスト」がする
除霊みたいなものだと思ってたんですよ。
なので、そこに同席するのもどうかと思ったのですが、
いざその時間になり「用意します」と案内が入ると、
さささーっと数名の女性達が前の方へ行かれるのです。
「え?何?!」と思い、彼女達をみると
そんなに重いエネルギーでもなさそう、、と感じたんですね。

だから「あれ?なんか違うな」と思ったの。
なので、後ろの席に座っていらした方に
「お祓いって、何するの?」ときいたら「本物のお祓いだから」って。
うーーん、、本物のお祓いって何だろう?と思ったのですが
「オーラが綺麗になるんじゃない?」と話してくださったので
そこに同席することに。
そしたらふと前の方に行きたくなって、
「おいおい、迷ってたくせに前に行くのか」と自分が可笑しくなったのですが
少々前の方へいって受けて、ふと感じたのが、

お祓いって、迷いを「祓って」くれることも意味するのかも、と。

そもそも除霊は、自分のエネルギーでない、
必要でない存在エネルギーを祓うことだと思うのですが、
「迷い」も本来であらば必要でないし、
迷いをはらうのは、除霊と似たとこがあるなぁと。
なんかねクリアになる感じがしました。
あんなに超短い時間(だと感じた時間)だったのに。
お祓いの新しい発見!でした。

さて、次回の尾畑さんの講座は
2017年2月3日「厄払いの極意」だそうです。
きっと今回のように2時間のさくっとした講座だと思うので
お仕事帰りの方も参加しやすのでは、と思います。
あとね、すっごくいいなぁと思ったのが
「お子さんもどうぞ連れて来てください」ということ。
「子供は自由であるべきだから」というふうにおっしゃっていてね
とても暖かいのです。
実際、先日の講座でも乳児を連れていらしたご夫婦がいて
みんなからもとてもウエルカムでした。
小さなお子さんがいらっしゃるお父さん・お母さんもどうぞ。

詳細はこちらをご参考くださいね
http://yingyang.hakutaku.com
ご縁のある方が結ばれますように☆
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますことを
楽しみにしています〜!

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日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
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