子供のワガママで気づいた自分の「満たされ度」

2016.09.29 23:40|思ったこと・気づいたこと
20160929.jpeg

日本入りしました!
大阪に着きました!
ひぃ〜、数日前まで暑かった!!
湿気もあるしどないなるねんと思っちゃったけど、
(イタリアはもう涼しかったし)
落ち着いてきている感じがしています。
よかった〜〜

さて、来る時の機内のお話なのですが、
わたしの隣の席は6才くらいの女の子でした。

父親と二人のフライトで、
どうやら欧州滞在している母親に会いに来たようです。
「ママがよかった(涙)」と言ってシクシク泣いていました。
でもすぐに泣き止み、父親と話したりし、
またふと「ママがよかった」と言っては泣き。
エンパスでわたしもホロリときそうになったのですが、
同時に父親の対応にも感心していました。
どれだけ彼女が泣こうが、ママがよかったと言おうが
絶対に「そんなこと言うな」「泣くな」などと否定せず
「パパがいるだろ?」みたいなことも言わず、
ただ「そっか、ママがよかったんだね」や
「泣いていいんだよ」と、女の子に添ってました。
しかも、イライラしたそぶりもなく
13時間のフライト中ずっと同じスタンス!
いやぁ〜、こんな父親に出会えたのは初めてかもしれない。
感心したな〜〜

でね、お隣が小さい子だったおかげで
気づいたことがありました。

子供って、基本はワガママな生き物じゃないですか。
自分の感覚に沿ってモゾモゾ動いたり
興味あることだと周り構わず段々声が大きくなったり
自分のワガママを通そうとしたり。

わたしは、子供はそういう行動をとるものだと
思っているので、普段からそういう振る舞いを見かけても
特に何も思わないんですね。

で、フライト中も最初は何とも思わなかったんですよ。
ところが時間がどんどん経ち、、、

彼女が自分のワガママを長々と
父親と駆け引きしているのを聞いていると
自分の内がざわっとしたのです。
「あれ?何この感覚?!」と自分の内を探っていたら、
シートに横になっていた彼女の小さい足が
またわたしの太ももをタンタンと蹴り続け、
ハッとした!

わたし、まだ自分の「ワガママ・タンク」を
満たす部分があるんだ、と気がついた。
そして、まだちゃんと「自分の声」を聞けていない、と。

まずね、自分の「ワガママ満たされタンク」。
今まで好きなことして(るつもりだっ)たから
満たされてると思ってたんだけど
どうやら近くで見すぎてたみたい。

bowl13.png

超間近で見てたから、
タンクは「ほぼ満杯に満たされてる」とか思ってたけど
その実、離れて見たら

Copia di bowl1

あらら、、、タンクの上部はまだまだ大きかったのを
見えてなかったみたい。
まだ半分近く空いてる部分がありますがな。
まだまだ満たせる部分があるがな。

ここをね、ちゃんと満たしてあげるんだ、と気がついた。

自分のワガママをちゃんと聞いて満たせていたら、
人のワガママは気にならないんですよね。
自分がものすごく満たされているものだから
人のワガママなんて、何てことないんですよ。

なので

わたしがまだ自分を満たしきれていないから、
自分のワガママをちゃんと聞けていないから、
人が沢山ワガママしているのを見ると
反応しちゃう、というわけなのです。
そして、
人のワガママに対して
自分の中がザワッとしたり
イラッとしたり。
これらは、自分の内からのサインなんだな〜


あとね、

まだちゃんと「自分の声」を聞けていない、ということ。

話はズレるのだけど、隣の席の女の子は、
「ママとまた離れちゃった幼い子供」と
私は見てしまい、かつ、
勝手に可哀想と解釈しちゃったんですね。

「可哀想→もっとワガママになってもしょうがない」

って。そこから、

ワガママになってもしょうがない=蹴られてもしょうがない。
だって悪気があってしてるわけじゃないし。
小さいし。
気がついてないんだろうから。

などと、無意識に自分に言い聞かせてたんですね。
これは、自分の気持ちを無視してます。

本当に蹴られてもなんとも感じないのなら
「自分に言い聞かせる」などということはしないですから。

自分に言い聞かせるような言葉が湧いてくるということは
自分の中で違和感を感じてるということなんですね。
それなのに
その違和感をちゃんと感じることなく
「あーだこーだ」と言い聞かせて無視をしてた、と
気がついたのです。

あの、小さい子供に蹴られて我慢してもいいと思うんですね。
ただ、そこで、「自分の気持ちを無視しない」ということ。

「わたしは蹴られるのは嫌だ」

という自分の気持ちをちゃんと認めるということ。
これが、まず最初にすることなんだと思う。
それから、
「ま、小さいからしょうがないか〜」と
我慢するのも選択の一つだし、
子供に止めてもらうのも選択の一つ。
どれを選んでもいいけど
「自分の気持ちだけは、ちゃんと認める」んだ、と
またしてもの再確認でした。

ん?
小さい子に蹴られてたのは、どうしたの?って?
止めて欲しいなぁと思って、
どう切り出して言おうかな、と、もぞもぞ動いたら、
女の子が自分が蹴っていると気がついて
瞬時に止めてくれました。

なんかね、
もしかしたら偶然なのかもしれないけど
わたしが意味づけするのなら
「気がつくことに気がついたら、全ては終わるんだな」
と思いました。

それ以降、子供が蹴ってくることはなかったし
ワガママも言わず、気持ちよいフライトだったもの。

こうやって、いろんな組み合わせは完璧なんだなぁと
日々感じています。


さて、大阪滞在、満喫しています。
今日は、キャサリンとのセッションでした。
そう、キャサリン・シェインバーグ来日中です!!
相変わらず冴えてるキャサリン。
セッションも素晴らしくて、
そのことについてもお話ししたいのですが、
明日からワークショップです。
はい、そうです。
キャサリンのセッションとワークショップのために
今期のわたしの日本滞在を早めたのです〜!
楽しみでしょうがない〜〜

明日は早起きなので、
今日はそろそろ寝ます。

またね。

自分勝手な「体内言葉変換機」

2016.09.17 03:56|思ったこと・気づいたこと
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日本へ行く日が近づいてます!
部屋の掃除もはかどり、ピカピカが嬉しい最近です。
ここ数日は普段の洗濯の合間に
カーテンをちょこちょこ洗ったのですが
毎回ビックリするね、カーテンの汚れには!
吊るしてあるだけだから、、と、つい思っちゃうけど
洗ったら水が濁るんだな〜

でね、一昨日、外したカーテン部分のガラスを
磨いてたらボブが近寄ってきて

「もうここのカーテンは洗ったんだよね?」と一言。

なんてことない普通の質問で、
声のトーンもいつもどおりだったのに
これを聞いたわたしの身体の反応がすごかった。

一瞬で全身から力が抜けたように急に怠く重くなり
同時にむくむくと湧き上がってくる言葉で表現し難い感情。
腹が立つようなやりきれないような。

そんな反応がある自分にビックリしつつ、
深呼吸して「今洗ってるとこ」と返事し、
この感情はなんだろう?と浸かってみました。

そしたら、、、あー、そっか。
わたし、勝手に「責められた」と感じたみたい。

ボブの「カーテン洗ったかどうか」という疑問が
わたしの中で勝手に変換されて
 
「すでに洗い終えたはずだよね?
 え?もしかしてマダだったりして?なにやってんだよ!」

ってな感じで受け取ってしまったのです。

ええ、ボブこんなことちっとも言ってませんから!
ましてや、思ってもいないんですね。
というのも、会話の続きがあり
「え?今洗ってるの?もう洗ったんだと思ってたよ〜。
 聞いてみただけ♪(ニッコリ)」
と、彼はわたしと会話がしたかっただけ、という。。。

はい。
わたしが勝手にボブの言葉を変換させて
勝手に「責められた」と反応し
被害者意識になってたのです。

いや〜、あの身体の肉体的反応にビックリしましたが
ここ数日無意識で頑張ってた
→まだ頑張り屋さんなんだなぁという気づきと、
そして、ちょうど前日にセルフヒーリングで
母との関係が上がってきてたので
その続きだ、と分かったんですけど。

無意識で頑張って頑張って
自分で勝手に
「◯◯だから〜〜しなければならない」
「きっちりしなければならない」
「相手に応えなければ」
「相手を満たさなければ」
「誰もしないのなら、自分がしないと誰がするんだろう?」
などと、幻想と恐れと不安から自分に課せて。

これは、母との関係からもあるんですね。
母が苦労してきたので
・母を助けないといけない
・母が幸せでないと嫌
と、幼い頃から頑張ってたとこがありました。

わたしたちにとって、生まれて初めての「世界」は家庭であり
お父さん・お母さんをはじめとする家族から
人との接し方が鍛えられ、刷り込まれていくと感じています。
でね、そこで「自分が勝手に」刷り込んだことも
(わたしが勝手に母を助けなければと思い込んだことも)
ずっと身体の中に残ってるんだなぁと。

今回の体感でね、思考云々より身体の反応がほんとすごくて、
肉体、もっと細かくみると、肉体が形成されている
細胞の記憶というのは本当にあるんじゃないかと思った。

IHのプロトコルで「記憶の部屋」というのがあるのですが
「記憶の部屋」という概念は、シャーマニズムに由来し、
わたしたちは記憶の部屋の中に、すべての思考・言葉・行動・
感情に関する記録を蓄えていて、それはつまり、
したこと、されたことのすべて、
自分が存在してきた全期間を通じての魂の記録とみられている。
時と場合により、記憶の部屋に蓄えられた記憶が、
身体やオーラにエネルギー的なブロックとして表れることもある

そのプロトコルの中で、身体・オーラをスキャンし、
その記憶に関連するエネルギーのブロック/刷り込みが
物理的・メタフィジカル的に見てどこにあるか、を調べたりします。
ああ、このプロトコルは理にかなってるなぁ、、と
今回の体感でしみじみしたのですが。

でね、カーテン事件の後の
自己ヒーリング後にふと思ったのですが、
確かに母は大変だったかもしれないけど
「大変=不幸せ」の図式にいつもなるわけじゃないなぁ、と思った。
「大変だったけど同時に幸せでもある」こともあり得るな、と。

というのも、わたしが
「おかあさんは大変だ」→「おかあさんは可哀想」
だから「おかあさんを助けないといけない」
と思い込んじゃってたんだけど、、、
果たしておかあさんは本当に可哀想だったのか?と
ふと疑問が湧いたんですね。

で、思い返してみたんですよ。
…あれ?おかあさん、幸せやったんちゃうかな、と思った。

だってね、あれだけ大きな愛をわたしたちや父、
家族全員に注いでくれて、
ご近所の小難しい(!)長老さんたちも愛してた人だから。
あんな愛に深い人が可哀想って、、、??
確かに大変なことも多かったけど、
笑顔で笑って過ごしてた日も沢山あったな…

なんかね、日常がたんたんとした幸せだと
たま〜に降りかかる大変さが
浮き彫りになって強烈に記憶に残っちゃうけど、
おかあさんは幸せだったんだなぁと思った。

日常の幸せが「緑色に広がる草原」だとしたら
降りかかる大変さが「ポツンポツンとある枯れ草」で。

(よかったらイメージしてみてね☆)

枯れ草が目立つものだから、
「うわ、あっちにもこっちにも枯れ草ある!」と
思うけど、その実、目の前に広がってるのは緑色の草原。

小さい頃のわたしは、
「この枯れ草をどうやって摘むか、どうしたら早く摘めるか」ばかりに
意識がいっていたので、
緑色の草原が見えていない(意識が向いていなかった)んだなぁと
今になって分かりました。

そして今。
「おかあさんは幸せだった」と気付け、
「小さいわたしもめちゃ幸せだったんだ」と気づくことができました。
いえ、別に幸せじゃなかったとは思ってなかったんだけど、
インナーチャイルド(傷ついてた小さいわたし)が
癒された感じがあります。
「おかあさん、大変!助けなきゃ!…助けられないよ、、、」
と傷ついてた小さいわたしが
「ああ、大変だと思ってたけど、でも、おかあさんは幸せだったんだね」と
納得した感じ。

おかあさんは幸せだった。
そして
小さいわたしも幸せだった。

そんなことをやっと心底体感できた
カーテン洗濯・言葉変換・脱力事件でした!
うーん、すべてはただ起こっているだけで、
自分の意識がどこにあるか、で
自分ができる認識はやっぱり変わってくるんだなぁと
これまたしみじみしてます。

ー ー ー ー ー

さて。
日本へ行くまでにしたいことがまだ色々とあるので
イタリアからのブログ更新はこれが最後になるかなぁと思います。

ふふふ、もうすぐ日本!ひゃっほ〜〜
あなたにお会いすることを楽しみにしてます♡

どうぞステキな秋を〜!

ちょっとした自分の感覚を逃さない

2016.09.05 04:14|思ったこと・気づいたこと
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窓から入ってくる太陽の光の角度が
段々と変ってきてます。
もう9月だもんね。
あっという間に日々が過ぎてるなぁと
こういうところで感じます。

さて、以前から
「〜しなければならない」
「〜あらねばならない」

という思いが頭に浮かぶと

「したいか」
「したくないか」

で動くようにしていたのですが、
無意識で反射的に「ねばならない」と
したくないことを選択している自分が
まだあると気がついて、最近はそこに
意識をむけて向き合ってます。
これが結構あるんですよ、、ひぃー!

キャサリンとのセッションで
「あなたは《良い人》であるように育てられてきたね」
と言われたのですが、これがまるで
かけられていた魔法をガッツリと解いてくれたかのようでした。

きっと、キャサリンとのセッション以前にも
どなたからか似た事を言われただろうという感覚が
自分の中にあるのだけど、
そのときは「そうなんだ。」で終わってた感じ。
言葉の意味が分かってなかったんですね。

今がますます手放す時なのか
キャサリンに指摘されたのはガツンときて
まだ自分の中に「良い人であろうとしている行動」が
こんなに細かくあると気が付き、

「わたし」のプログラム初期設定が
「良い人」と設定されてて、ずーっと無意識のまま
「良い人アップデート」してた、
しかも「自動更新」になってたと気づきがあって、
やっと解除することができたと感じています。

今だから見えるのだけど
以前は無意識で「良い人的な行動」を選んでたんですね。
ずっと無意識で選択し、気がついてない行動があった、と
そこに気が付いたのです。

(あ、良い人であるのは、間違ってる・悪いことだと思いません。
 ただ「自分がしたくない行動をしてまで、良い人である」
 ということに歪みがあるんですね)

なので、最近、ますます自分の感覚を研ぎ澄ませ、正直に。
ちょっとでもざわっとしたのを逃がさす
したくないことは「したくない」と言うようにしました。

そしたらね、見えてくるんですよ、
わたしの苦手としているポイントが!

例えば
「お世話になってる・なった方への不義理」
「ボブからの道理を含めたプレッシャー」
 →郷(イタリア)に入れば郷(イタリアのしきたり)に従え
 →人として正しいか正しくないか
 →人としてそれはどうなのか

不義理とか道理とか、人として…とか。
ここはボブやわたしの視点からの話ですから、
すべては自分の思い込みや幻想が混じってるのですが
つい捉われてしまってました。

「郷に入れば郷に従え」に関しては
今はもうほとんどない(と思う)のですが、
わたしがイタリアに来た当初は
がんじがらめになっていて
したくないことを沢山してました。

例えばね、イタリア…というか
欧州全体に見られる傾向かなと思うのですが、
夫婦単位で行動する・お呼ばれされることが多いんですね。
わたしは「行きたくない」と言っても
ボブに「イタリアではこうだから」と言われると
「やっぱ、郷に入れば、なのか」と嫌でも行ってました。

でね、もう嫌々行くのは止めようとしたとき、
長年続けていたこともあり、ボブと一悶着ありました。

「なんでだよ!今まで行ってたのに!イタリアでは…」
「もう嫌や。行きたくない」
「みんな夫婦で来るんだよ!!」
「わたしは行きたくないの」
「イタリアじゃ夫婦揃って行くもんだ。ひとりじゃ行かないんだ!」

ワーワーとお互い思うことを言い合うのですが、
話の論点が噛み合わないんですね。
わたしは「したいか・したくないか」を基準にしたので
道理や伝統を話に出されても、もう納得しなくて。
自分もこの変容にエネルギーを使ったけど
変容に付き合うボブもエネルギーが要っただろうな〜

変容は、時には大変なこともあるけど
それは永遠に続くわけでなく、
一過性なことであり
そこを乗り越えたときに得られる楽チンさや
解放感などは変えがたいものがあります。

でも、大概の場合、変化に恐怖が出たりするんですよね。
「一過性な大変さ」や「何があるのかわからない」と
勝手な想像をしたりして、もやもやしたり怖かったり。
でもそれは幻想なんですね。
でもでも、そこに不安を抱いたり怖くなって
「今も居心地悪いけど、、
 でもなにが起こるかどうなるか分かってるしなー。
 何が起こるか分からないし(怖いし)このままでいよう」と
ズルズル現状維持してしまう。

だから、
自分が「もうこれ以上嫌だ」と、とことん嫌になるまで
同じ状況を味わうのかな、と想像します。
で、一旦変容することを決めて
行動しても、また同じ状況になることもあります。
(*絶対にここで落ち込まない!)

完全に解放できているのなら
難なく対応できるのですが、
もしそこでまた何か引っかかったり、ひるんでしまうのなら
まだ何か(違う方面でも)解放できることがあり、
「もっと軽くなれるよ、その引っかかることを手放して」
というサイン、ただそれだけなので
落ち込まないで、また進むだけなのね。


でね、郷に入れば郷に従えという点ですが。
これには面白いエピソードがあり、
長年、ボブの元同僚(男ばかり)の食事に
いつもみんな夫婦揃って参加していたけど
ある時、どなたかの奥さんの体調が優れず欠席され、
その後は渋々行ってたわたしも行かなくなったら
そのうち女性は誰もこなくなったという。

女性たち、本当はみんな行きたくなかったのかしら?!

体調を崩された奥さんのおかげ・きっかけではあったものの
自分に正直に表現・行動していくこと
(わたしは行きたくないから、もう行かなかった)は
他の方も正直に表現することになるんだな、と
体感しました。

「郷に入れば郷に従え」でも
人間がみんなで作ってきたことであり
その当時の大多数の思い・行動なのかな、と思うのです。
「郷に従え」というしきたりがあることを認めつつも
自分がしたくなかったら、距離を置いてもいいんじゃないかと
今のわたしは思います。

ー ー ー ー ー ー ー

今回、わたしは「良い人であるように」がキーワードで
いろんな気づきがありましたが、
他に「生真面目」「物分かりがいい」
「調和が乱れるのが苦手」などの
性質があると、無意識で
「しなければならない」と思っている行動を
選択して動いている傾向になりやすいかなぁと感じています。

自分の「やりたい」という思いでなく
「〜しなければならない」
「〜であらねばならない」
という思い込みで行動していると
「自分がやりたいことは何なのか??」と
分からなくなってしまいます。
だってやりたいことをしていないですもん。
「やりたいこと」に対する感度が鈍ってきちゃうんですね。

「◯◯たる者、〜であらねばならない」とか
「◯◯だから、〜しなければならない」というのは
ないと思うのです。
自分の思い込みや幻想ですから。
ここに気がついて、自分がやりたいことを
表現していけたらいいなと思います。

自分がやりたいことをすると
周りもやりたいことをするし
まぁるく上手く回るんですね。

自分の感覚を逃さず
自分に正直に。

ここしばらくずっと向き合ってきたせいか
わたしの中にあった不義理とかの思い込みが外れて
シンプルになってきました。
軽く楽になって、研ぎ澄まされた感じ。
人生、もっと楽しくなるかしら?!
ふふふ〜、これから楽しみです。

 

逃げたっていい。#itsokaytotalk

2016.09.01 04:27|思ったこと・気づいたこと
20160831.png

セッションに使う資料をまとめているのですが、
折に触れてふとクライアントさんを思い出すことがあります。
「今どうなさってるかなぁ〜。
 きっと新しいことを始めてらっしゃるんだろうな」などと
思いを馳せたりして。

セッションに来てくださる方にはいろんな方がいらして
ときには消えてしまいたいと思う方も。
「私はもうダメなんじゃないですか?」
「このままもう取り返しがつかない感じがするんです」などと
おっしゃったりする方もいらっしゃるのですが。

これだけは断言できるのですが
「ダメな人」や「取り返しがつかない人」はひとりもいません。
絶対なんとかなります。

セッションで身体(腕)を触って、筋反射で
クライアントさん(の魂)と対話していくと
輝きがあるのを感じます。
そして目を覗き込むと
やっぱりちゃんと光があるんですね。
ただその光が小さくなっちゃってるとかの違いなだけ。
みんなちゃんと輝きは持ってるんですよ。
それが、自分を生きていなかったり、
日々生き延びることに精一杯とかで
自分の中の輝きが感じられなくなってるだけなんですね。

あのね。

逃げたっていいんですよ。
というか、逃げるしかない時もあるんですよ。

消えてしまいたい、とまで思うということは、
日々生活しているというより「生き延びてる」状態なんですね。
生き延びるのさえも辛いのなら
そこから逃げてくださいね。
そして誰かに助けをもとめてください。
絶対助けてくれる人、側に居てくれる人はいるから。
自分が思ってる以上に人は優しいし
自分が思ってるほど、自分はひとりぼっちじゃないから。

ー ー ー ー ー ー ー ー

何が辛いのか、人それぞれですが
自分の行動というのは、
育った環境からの影響・刷り込みなどから得た
自分の信念や思い込みから、
判断されて動くと思うんですね。

なので、例えば、
・親が厳しかった
・感受性が強い
・生真面目
・言われたことを額面通り受け取る
・礼儀正しくいなければならない
・人に迷惑をかけてはいけない
・いい人でいなければならない
・人の気持ちを考えなければならない
・人の目が気になる
・ちゃんとしなければ
などの性質や信念があり
そこが強く出てくると
どう動いたらいいか分からなくなってきて
もう人に会うのも怖いし
どうしたらいいか分からない、、となるんですね。
しかも今まで沢山傷ついたりして。辛い思いして。

ね?

気が付いたかな、と思うのだけど、
「今まで傷ついて」きたから
もう、傷つかないために、
「自分を守るために」動けなくなっているんですね。

生き延びるためには、動かなくなるしかしょうがなかったんですよ。

なので「逃げて」誰かに助けをもとめてね、と
お伝えしたかったのです。

でも、まだ自分を追い込む方もいたりして。
「もっとちゃんとしなければ」
「こんな私はダメな人間だ」などと
ご自身を責めたりもして。

いやいやいや。

自分を責めるのはもういいやん、とわたしは思う。
自分以上に自分を大切に出来る人はいないから。
それなのに、自分が自分に鞭打って責めるのは
悲しいです。。

自分を大切に
自分の声を聞いて
自分が何を感じているか、何をしたいのかちゃんと受けとって
そして、自分を愛し
自分が自分の一番のファンであって欲しいです。

ー ー ー ー ー ー ー

今朝、セッションの資料を整理してて思ったことを
書こう…としていたのですが、
Facebookで「#itsokaytotalk」タグを見かけたので
似たことをお話ししたかったこともあり、こっちよりになりました。

#itsokaytotalkタグは、「話していいよ」という
悩んでることがあったら話してね、というサインです。
英国では、男性が自身の気持ちを話せなくて
自殺を考える方も少なくないそうです。
日本も自殺が多いことが知られていますね。

あの、話はちょっとそれるのですが。

わたしたちは「大いなるひとつ」からきてるのであれば。
あなたも「大いなるひとつ」であり
あの人も「大いなるひとつ」であり。
その中のひとりでも自殺を考えるほど辛いのであれば
わたしもやっぱり辛くて悲しいのですよ。
わたしたちは「大いなるひとつ」なのですから。

みんなそうやって繋がってるんですね。
なので、助けをもとめてくださいね。
わたしはここにいます。

自分が思ってる以上に人は優しいし
自分が思ってる以上に、自分は人に愛されているのですから。

#itsokaytotalk #ANDYSMANCLUB
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますこと、
再会できることを楽しみにしています〜!
(*セッションのご予約はこちら
ご参照ください。

*Facebookしています。
アカウントはこちらで、
お友達申請ウエルカムです〜。

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

お会いできることを楽しみにしてます。

アメブロにミラーブログ置きました。
読者登録など便利な機能があるので。
もしアメブロの方がご都合が良ければ
そちらでも宜しくお願いします。
http://ameblo.jp/lalunadigiorno

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