徒然に(生きることと日常と)

2016.05.17 04:41|思ったこと・気づいたこと
20160516.jpg

毎日があっという間に過ぎてしまい、
うっかりしていました。
悲しいお知らせという記事で期間を空けてしまって
ごめんなさい〜!
ご心配くださった方、お心をありがとうございます☆
わたしは元気です。

最近、セッションを受けてくださった方から
「こんな気づきがありました」とか
「今になって分かりました」など、
シェアしてくださるメールを頂戴しています。

お話を聞けるのはわたしにとって祝福で、
ものすごく嬉しいです。
いつもシェアしてくださってほんとありがとうございます。

今日は掲載する許可をいただいたので
ご紹介させてくださいね。

先日、那智大社に行ってきたんです。
大門坂というところから歩いて行くと、
ほとんど階段の道を40分くらい上がる必要があったんです。
(そんなに階段続きとは知らなくて。。。)
その前にも沢山歩いていたこともあって、
疲れてしまって、でもせっかく来たし、
戻るにももうかなり歩いてきてしまっていて。
私の心は、この道どこまで続くんだ!とイライラしつつ
「もー早く着きたい」だけ、になっていたんですね。

その時、急にともこさんのセッションを思い出して
「あ、目的達成型だ!プロセス楽しんでない(笑」となりました。
途中の道だって、景色もよくて、
天気がよく空気も気持ち良くて(階段がつらいけれど)、
疲れたと言えば荷物を全部持ってくれる旦那さんも一緒で、
「目的地に着くこと」だけにフォーカスしなければ、楽しいんです。
なんなら、目的地を定めない方が(というか、フォーカスしなければ)、
ラクだし楽しめるんだなって思いました。


十日ほど前に頂いたメールなのですが
お話を聞かせてもらえたのが嬉しくて
このときは、そうそう〜〜とただ嬉しかったのですが、
先日、ふと、このお話を思い出して
「これは、人生においても言えることだな」と感じました。

唐突なのですが、
人間、地球に生まれてきたということは、いつかは死ぬんですね。
(まれに死なない方もいるかも!)
なので、ある意味、死ぬことがゴールなのかな、と。
で、死ぬには生きていかないとたどり着かないわけで
それじゃあ、
「生きる」こと、日々の生活そのものがプロセスであり
同時に目標なんじゃないかなぁと思うのです。

毎日どんな生活を送っているのか
どういう意識であるのか。

あ、そんな難しいことでなく、
日々気を張って生活しろとかいうことでもなく
どんな日常生活かな?ということ、なんですね。

何を見て、何に意識が向いていて、
何を感じているのか。

先(未来)のことに意識が向き過ぎて
その未来を軸にして
今(現在)を生きていないかどうか、とか。
もし、そうなっていると、
今を充分に生きていないなぁと思うのです。
目の前にあることもちゃんと見えないことがあるんですね。

上記のシェアしてくださったお話を例えにすると、
到着すること(未来)に意識が向きすぎていて
道中の景色(現在)がちゃんと見えていなかった(楽しめていなかった)
という感じで、ね。

思うのだけど、死ぬまでに
どんな人生を送ったか、でなく
どんな人生を送ったと「自分が感じる」ところが大切なんだろうな、と。

どんな業績を残そうとも
どんな偉業を果たそうとも
どんなに他人に評価されようとも
結局のところ「自分が」そう感じていないと
全く無いのと同等なんだろう、と。

ということは、逆に言うと

いつでも
どんなときでも
どんなことでも
自分のことや自分の評価は、
「自分が」決められるんだなぁ、と。

何を見るか
何を選択するか
どういう意識であるのか
何を感じていくのか。
とどのつまり、毎日を丁寧に暮らすことが
生きることのひとつでもあるのかな、と。


…こんなことをね、ふと思ってました。
まぁどうでもいいことなんだけど!あはは〜
というのも、思うのだけど
きっと、どんな人生を送ってようが
どんな風に感じようが
それらすべてが必要なプロセスであり、
最終的には完璧なのでしょうね。

ー ー ー ー ー ー ー

今日の記事で貼らせていただいた写真も
シェアしてくださった方が送ってくださったものです。
「マチルダ」という名前のバラだそう。
IH創始者のマチルダに似てる!!とわたしは思いました(どう?)
すっごいキュートで繊細なところがありつつ
しっかりと咲きほこっているんですね。
あまりにも素敵な写真だったので
皆さまにも見ていただきたく、シェアの許可をいただきました。
ありがとうございます〜!!!

さて。
今週は、北イタリアでキャサリン・シェインバーグのクラスを受けてきます。
どんなのかちょっと想像がつかないのですが、
何も分からないまま参加、というのも
何が出てくるか分からないサプライズ・ボックス的な
ワクワクドキドキがあって楽しみです。

皆さまも素敵な5月をお過ごしください〜!

悲しいお知らせ

20160503.jpeg

わたしのセッションはIH、
Integrated Healing(日本ではインテグレート・ヒーリング)を
使っているのですが、
創始者のひとりであるニック・オリバーさんが
他界されました。

わたしは、ニックには直接お会いしたことはなかったのだけど
フェイスブックでのニックと彼の妻・マチルダのやりとりや
(いつもものすごく愛とユーモアに溢れていたのです)
マチルダから聞く彼のエピソード、
そして何より、IHから感じる彼の叡智と愛が大好きで
彼らのIHと出会うことが出来て感謝しています。

ニックとマチルダが作り上げたIHは、
いろんな人に変容をもたらしてくれました。
わたしを含め沢山の方のライフが変わりました。
生きやすくなっただけでなく、
穏やかさや自由をもたらしてくれたなど
人生が豊かになり、わたし自身もそれを体験し
沢山の変容を見てきました。

ほんと、どれだけの人がラクになったことか!
感謝の気持ちでいっぱいです。

なんだかね、今は自分の中に
ぽっかり穴が空いた感じです。
お兄ちゃんがいなくなった感じ。
また会えると分かっているのだけど
やっぱり悲しさがあります。

時間が止まってしまったかのような感覚を
うっすら感じた瞬間もあったのですが、でも、
外は青空で初夏の太陽が輝いていて
時間が経てば夜がきて、また朝がきて。

永遠に続くこと、永遠に姿形を保つことは
何も無いんだなぁということを
また思い出させてもらうことができました。

神(源、宇宙など)の大いなる計画は
わたしは分からなくて、
長い目で見ると
いつもすべては完璧だということしか知らず、
ただ、いつものように自分のベストを尽くし、
あとは神に委ねるだけ、、でした。

今はまだ悲しいけど、
またそのうち会えるので
しばしのお別れです。

ニックとマチルダね、いつも本当に仲良くて
お互いがお互いを尊重していて、
深い愛があるのを感じていました。

マチルダに用事があってわたしがメールを送ったとき、
そのやりとりの中のふしぶしから
ニックへの愛をいつも感じていたほどで、
マチルダの彼への愛の深さは計り知れないです。

最後になるのですが、
ニックとマチルダ、ご家族の皆さまに
お祈りと愛をお送りいただけたら幸いです。
わたしが今セッションをさせていただけるのは
彼らの存在があったおかげです。

彼の叡智に触れることができたこと、
それをIHというツールで
わたしたちに授けてくださったことに
感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも彼の叡智が輝き続きますように。

赦しと足かせと自由と

2016.05.02 04:29|思ったこと・気づいたこと
本題の前に。
以前、IHファミリーのためにお祈りとヒーリングを
お送りしてください…というお願いの記事を書き、
沢山の方がご協力くださいました。
レイキやヒーリングエネルギーを送ってくださった方もいて
本当にありがたかったです。
心から感謝申し上げます。
彼と彼の家族も
「みなさまにはものすごく感謝している」と
メッセージが届きました。
まだ治療は続いているので、
よかったら、引き続きお祈りとヒーリングを
お送りいただけたらとてもとても嬉しいです。
いつも支えてくださってありがとうございます。
みなさまにも祝福がありますよう!

さて。先日、ボブと一緒に
退廃芸術のドキュメンタリー番組を見てました。
「退廃芸術」とは、
ナチスが近代美術を、道徳的・人種的に堕落したもので、
ドイツの社会や民族感情を害するものであるとして
禁止するために打ち出した芸術観である。…Wikipediaより


外出する前に見てたので
途中しか見れなかったのですが、
主にはアート・ディーラーであった
ヒルデブラント・グルリットについてと
彼の息子であり、ナチス略奪の絵画1500点ほどを保持し続けた
コルネリウス・グルリットについての話でした。
(こちらにも掲載されてます)
その中で印象に残ったのが、ヒトラーが絵画好きで
彼自身もずっと絵を描いていたということ。
若き頃のヒトラーは
ウィーン美術アカデミーに二度も受験したほどだそう。
(二度とも落ちてしまったそうですが)

ヒットラーの絵画ね、タッチが優しいのです。
検索してみたらYouTubeにも上がっていて




建築物の絵画もすごいなーと思ったのですが
その中でも個人的にハッとしたのがこちら。
2016042902.png
(二つ目のYouTubeリンクの中の作品より)

いや〜〜、ビックリしてしまいました。
こんなに愛にあふれてて、しかも、
こんなに柔らかい愛を表現してるとは!!
…と思ったのと同時に、
「まだ偏見持ってたなー」という気づきがありました。

絵画というのは、描いた人の内面が出てると
わたしは感じています。
ヒトラーの風景画から感じるどことない寂しさは
彼を表していると感じるのですが、
それであるのならば
あの聖母とも言えるような女性と子供の絵から
感じる優しい愛は、ヒトラーの中にもあったのだろうな、と。

あの、これは、わたし個人が思うところなんですけどね。
ヒトラーは愛が偏ってたんだろうなぁと思うのです。
すごく愛情深い人で、そして、その愛はものすごく偏っていて
そこを守りたいがために極端な行動に出てた、と。
こんなことを思っていたのですが、
わたしの中では、どこかに、
ヒトラーの愛=激しい、みたいなのがあったんですね。
それが、あの絵画を観て、変わりました。
わたしの偏見だったなーと。

ー ー ー ー ー

この番組の後、ボブといろいろ話してたのですが、
「赦す」ということは、
自分を自由にすることだなぁと
改めて感じました。
相手とか誰か他のためじゃなくて
「自分のため」だ、と。
赦すことで自分が持ち続けている固執を
外してくれ、もっと自由になると感じています。

あの、赦すことって
相手に同意(agree)したり
相手の行動に同意することじゃないと思うんですね。
「起こった出来事を」赦すのかなぁ、と。
「起こった出来事を許せない自分を」赦したり、ね。

宇宙(源・神なり)の計画が一体どうなっているのか
わたしは分からないです。
でも、思うのが
起こることが起こってるんだろうな、と。

なので「起こっていること」に対して
ただ「そういうことが起こっている」と
自分の正義感やジャッジ無しに
認識し、受け入れていくことが
赦していくことなのかな、と。

「でも、その起こったことは誰さんがしたんだから!
 誰さんのせいで起きてるんだから!」
と言いたくなることもあると思うんですね。
でも、そもそも赦すということは、
自分のためなので、究極な言い方をすると、
「誰さん」を赦してるんじゃなくて
そこで固執している「自分を」赦している、と。
自分の足かせを外しているんですね。

話はそれるのですが、
未だに地球のあちこちで終わらないイザコザは
元々はお互いがお互いの違いを受け入れられていないことが
根底にあるからかな、と思うのです。

自分自身のことすらよく分からないときがあるのに
他人のこと、まして他人のことや行動を
理解出来ないのも当たり前かな。

なので、そこをジャッジすることなく
あるがまま受け入れるのが自分のためでもあると思う。
自分の考え方や崇めていることや嗜好の方が
正しいとか優れているとかそんな図式はないと思うんですね。
ただ「自分に合うか合わないか」なだけなので。

ジャッジとか正義感とか優越感は
偏りや固執をもたらし、自分に足かせをかけてしまうと感じています。
赦しはその足かせを外し、自由にしてくれるなぁと。

なので、まずは「赦せなかった自分」を赦すのが
一番最大の癒しをもたらしてくれる、、とわたしは感じています。
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますこと、
再会できることを楽しみにしています〜!
(*セッションのご予約はこちら
ご参照ください。

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***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

お会いできることを楽しみにしてます。

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