探求が終わった、その後

2015.08.31 03:41|思ったこと・気づいたこと
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不定期に届くとても興味深いメルマガがあるのですが、
それが届いてね、読んでいたら「大和田菜穂」さんの
お名前があって、タイムリー(?シンクロ?)でした。

ちょうどこの間「わたしはいない」と
菜穂さんが言ってらしたこと、そして、
「わたしはいない(という感覚を持って)」で
「地球で生きること」について、
ふと思ったことがあったの。

以前、ここで「わたしはいない」という感覚があった、
「探求が終わった感じがします」
「でも、以前となにも変わってないです」
というようなことを書いた記憶があるのですが
(読み返してないです、スイマセン)

それから時間が経った今、思ったのがね、
「わたしはいない」というのは、
 物の見方のひとつにすぎなくて
 ほんと、ただそれだけなんだな、と。
(わたしの感覚です)

わたしが「わたしはいないんだ」と気がついた後に
研ぎ澄まされた一番大きなこと(だと感じているの)は
「すべてはわたしが意味付けしている」と
体感出来るようになったこと。

「わたしはいない」と気づいておきながら
「わたしが」意味付けしてる…と体感するという
なんとも矛盾な感じがするかも、ですが、
「わたしはいない」と気がついたからこそ
「わたしが」していることに気がつけるように
なったというか。そんな感じ。

でね、この「わたしはいない」ということ。
ややもすれば達観しやすい傾向に陥るなぁと感じた。

「どうせ《わたし》はいないんだから」
「この感情は《わたし(個人)》のものであり
 《わたし》はいないんだから」

これだと、向き合う必要があることから
目をそらしている場合もあるんじゃないかな
と、わたしは思った。
(でもそれも、プロセス(過程)であり
 必要な出来事(起きることが起こった)のだろうけど)

ここ(地球)で生きていく、ということは
個人として生きていくことも必要だと思うのね。

だから「わたしはいない」と感じながら生きつつも
「わたし」が生きている、という感覚も
ある意味、要するのだと思う。

例えばね、過去に置き去りのままの
小さい自分(インナーチャイルド)は
「わたしはいないのだから」
ということでは、片付けられないと、
今のわたしは感じています。

「わたしはいない」という感覚のおかげで
むかーしから持っていた、
細々なもう要らない観念は外れたのですが、
でも、わたしという感覚も
地球で生きていくには必要じゃないかな、と。

逆にいうと「わたし」という個人を感じられるからこそ
「他人」を感じられて、
他人の愛をものすごく感じられたり、そして、
恋愛を楽しめたりするんだ、ということ。

地球ってね、テーマパークみたいだ、と
わたしは感じています。
起こるべきことがただ起こっているだけで、
そこにわたしが感じることを投影させて
楽しんだり・悲しんだり・怒ったり。
こんな面白いテーマパークないなぁと。

今日のお話は、
もうほんとに感覚の話しなので、
読んでくださっても、頭での理解ではなく
感覚で掴めていただけないと
「なに言ってんだよ…」となるだろうなぁと
思いつつも記事をアップしました。


「わたし」と向き合って
「わたし」を感じ
「わたしはいない」と感じる。

わたしはいなくて、
すべてがわたしの中にあって、
でも、それらを感じる(感じようとする)と
何も無い。
で、すべてがある。


…うーーん、、やっぱり感覚の話ですね。
文字で表現しようとしたのですが、
やっぱり文字では表現しきれないです。
ごめんなさい〜

あのね。

「わたしはいない」という感覚。
これを感じたら、いろんなことが
「なーんだ、そんなことやったんかいな」と
スコーンと抜けるのだけど(わたしの場合です)
でもその実、なんにも変わらない。
相変わらず、笑ったり、悲しんだり、怒ったり。
その感情は「わたし」が投影させてるのね。

「わたしはいない」けど
「わたし」が感情を投影させて、生きている。
それを楽しむ場所、
楽しもうと自分が選択して降りてきた場所が
地球だったんだなーと。

…そんなことをこの間、思ってました。
わたしのことだから、時間が経ったら
また違うことを感じたり思ったりしている可能性も
大だけどね。

他に書きたいこともあったのですが、
思わぬ突然のシンクロで(ってシンクロはいつもそうですね)
こちらを書きたかったので、
このままアップします。

どうぞこれからも地球生活、楽しまれてくださいね。
気楽に気楽に〜!!
わたしも楽しんでます〜

自分の闇。もともとの正体は何だと思う?

2015.08.26 04:02|思ったこと・気づいたこと
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自分の闇について
お友達からコメントもらってね、
ふと思ったのだけど。

自分の闇の、もともとのところ、
本当の正体は、何だと思う?

わたしね、自分の闇な部分は
「自分が生き延びるためだったこと」
「自分を守っていてくれてたこと」
だと思っています。

今の自分から見ると、
闇は痛かったり、小っ恥ずかしいことだったり、
居た堪れないと思ってしまうかも、だけど、
昔の自分は、そうせざるを得なかったのだと思う。
そうしないと生き延びていけなかった。
辛すぎて、ね。
だから、そう(闇なこと)であった/していたことで、
自分を守っていたんだなー、と。
で、今、それらを「闇」と感じるのなら
「今の自分にはもう必要でないこと」なのだな、と思う。

例えば、なんだけどね。
これは、忘れられないエピソードなのだけど。

ある男性のお話なのだけど、
いつも怒ってばかりいらっしゃる方だったの。
何かとすぐに怒る。
他人にも自分にも厳しくて、
優しくしてされても反応がなく
(イタリアでは珍しい)
もちろん他人に優しく接することもなく。
他にもいろいろとあり、
まぁそういう方なんだな、と
特に何も思っていなかったのだけど。

ある日ね、
この男性がお話ししてくださる機会があって
知ったのだけど、男性は小さいときから
すごく厳しい家庭環境でお育ちになったそう。
優しくしてもらった記憶がなく、
どう接したらいいのか分からない、と。
そして、
優しさを見せたらつけこまれる、とか
負けてしまう、とか。
アイデンティティーがそこで
ものすごく確固されてしまっていて
「今さらスタイルを変えることは自分が崩れてしまう」と
思ってらっしゃいました。

どうしたらいいか分からなくて、でも、
とりあえずこうしていないと、自分が崩れてしまう、
と、あんな振る舞いをされていました。

そう、ご自身を守ってらしたんですね。
すんごい頑張ってらした。
どんな振る舞いであったとしても、
自分を守るために頑張ってらしたんですよ。

ここに気がつくとね、
自分の闇も愛おしくなりませんか?

ああ、自分、頑張ってたんだなーと。

自分の闇を見るのが怖い方は、
もんのすごい頑張り屋さんだったことが多い、と
わたしは感じています。

頑張って、走って走って、走ってきて…
時には、家族や周りの人にとって、
これが最善だと思って走り続けてきて。

でもね、やっぱり「自分」に還ってくるときが
いつかはやってきます。
頑張り屋さんは、自分のことがおざなりになる傾向が
あるとわたしは感じているのですが、
頑張り屋さんだからこそ、自分と向き合って欲しいです。

今まで、ほんと頑張ってきたのだから。

* * * * * * * * * * * * * * *

自分の闇ってね

「自分のダメな部分」とか
「自分のイケナイ部分」とか
「自分のドロドロした部分」とか

そんなんじゃなくて

「自分が生き延びるためだったこと」
「自分を守ってくれていたこと」

そして

もし、今、それらを自分の闇だ、と感じるのであれば

「今の自分には、もう必要でないこと」

なのだと思います。

もうそんなことで自分を守る必要は無くなったし、
ちゃんと歩いていけるから、
手放していく。
ただそれだけのことだと思う。

今まで自分の闇を見てこなかった方は
もしかしたら、想像してなかったことが出てきて…などから
怖くなってしまったりすることも
あるかもしれないけど、
そんな場合こそ、もう一度勇気を出して
向き合って見て欲しいです。

自分の闇って、怖いことじゃないから。

自分が頑張ってきた証、なのね。
それだけ頑張ってきたんですよ!!

そこを抜けたら
自分の良さや素晴らしさも再発見出来て
輝きも増してきます。
そこが!!前回の記事でお話ししていた
ゴージャス…なのです。

自分の闇は怖くない。

わたしは、こう思っています。
よかったら、あなたも考えてみてくださいね。

すべての人が愛と祝福とサポートを感じられますように☆

(もうすでに、全ての人が愛と祝福とサポートはあるのですから!
 後は、気づくだけ、感じるだけ、ですよ〜)

IHセッションの優しさと自分の影を見ることと豪華さと

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この間、ボブにセッションをしていたら、
IHの優しさを感じ、改めて「IHいいな〜」と。

IH(Integrated Healing/
 日本ではインテグレート・ヒーリングと呼ばれてます)では、
セッション中に必要な情報を収集するのだけど
言葉にしたくない/出来ないことは
言葉にしなくても、情報を収集できます。
他のキネシやセッションでも
「言葉にしなくても情報収集」できるのが
あると思うのだけど、
IHでいいなー・優しいなと思う点が
「写真のように情報収集」でなく
「動画のように、且つ、ホログラフィックで情報収集」
出来るところ。

この間のボブへのセッションで
身体が伝えてきた必要な情報収集は、
ボブにとって、大きな大きな根元のことでした。
もう随分前から、いろんなヒーリングでも
ちょっとずつ対応している根元。
今回は、そこからの情報が必要でした。

でもね、ボブが口頭で提供してくれる情報では
十分でなく、身体に聴いたら「情報はまだ必要」と出てくる。

セッション中、わたしはクライアントさんとは
境界が無いような感じで、
クライアントさんに共鳴しているのですが、
ボブとのセッションであのとき感じたのは
「感じている感覚をボブは言葉で表現しずらい上、
 直視するには痛すぎて、逃げる傾向に行ってしまう」
ということでした。

なので、
「その感覚を頭で言葉に変換させようとせず
 その状態でいて(感じてて)。それで十分だから」
と伝えると、スルリと情報収集出来たのでした。
(いつもこのスタイルを取っているわけでなく、
 身体に最適な方法を聴いて、情報収集しています)

IH優しいなぁ。

でね、IH優しいな、と感じたのと同時に
もうひとつ感じたのが、
「自分の影(闇)は、いつかはきちんと向き合うときがくる」
ということ。

どれだけ避けてても逃げてても忘れてても!
ふと、またやって来るんですよ。
それは、きちんと向き合い、解消するまで
何度でもやってきてくれます。

ボブのセッションでもそれは感じたのだけど
実際にわたしの身にもこの間降りかかってね。
もんのすごい実感しました。

わたしね、去年からのテーマの女性性が
着地したというお話をしたのだけど、
女性性が自分の中で統合された後も
いろんな沢山の気づきがあって、ある日、
ポンっと「わたしが子供をもたなかった」ことに関し、
放置してたことに直面するはめになりました。

正しくは「放置した」ことすら気がついてなかったような
しかも遠い遠いむかしのこと。
「え?わたし、そんなこと思ってたっけ?」
とも思ったし!覚えてないんだなー。
でも、身体に聴くと、確かにそうだし、
自分が感じる体感的にもそうなのね。
(内容は長くなるので、今回は省略させていただきますね)
なので、掘り下げました。

自分へのセッションで、眠くなったのは
初めてでした。
すんごい深いとこを触った感じがする。

…と、今回のわたしのことのように、
どれだけ昔のことであろうと、
どれだけ覚えていないことであろうとも
自分の中にある影、解消出来ていないことは、
いつかはちゃんと向き合うときが来るんですね。

でね「自分の影と向き合うこと」に関し
今朝、起きる直前に見た夢が
ものすごくメタファー(隠喩)的でした。

わたし、学校に勤めていたのですが、
夢の中で、その仕事をしててね、
実習で学生たちが使った
教室の後片付けをし忘れてて、
片付けに行くと、その散らかりようといったら!
友人も教室に来て片付けの手伝いを
してくれたのですが、
なぜかわたしが脱いだ服があり、
わたしが使っていた道具もあり。

「学生が使った部屋のはずなのに
 わたしの物ばかり…?
 それも、良い物ばかりじゃん!!
 わたし、こんなに良い物持ってたんだ?!」

と、自分が忘れていた持っていた物を再発見し
持ち帰って喜んでいた…という夢でした。

わたしが気がついた点なのだけどね、

「学生が散らかした」
・他人がした、他人のこと、と思ってるんだけど

「実際、片付けていると、わたしの物ばかり」
・その実、わたし、なんですよね。。
 他人がどうこう、ではなく、
 わたしの物なんですよ。

「友人が手伝ってくれる」
・実際の友人が手伝ってくれる場合もあるだろうし、
 友人を隠喩としてみると、
 わたしの場合はIHなど、自分が取り組んでいることや
 セラピスト、である場合もありますね。

「片付けをしていると、自分が忘れていた・
 持っていた良い物を再発見して喜ぶ」
・文字通りのまま、ですね。
 自分の中の片付けをする(影も見る)と
 自分が忘れていた良さを再認識し、
 気付けていなかった素晴らしさも
 手にいれることが出来る。
 そして、スッキリもする、と。

なんや、えらい比喩的な夢だったな〜〜
目が覚めた瞬間、なんかよく分からないけど
ものすごく気になって、そして、ハッと気がついたのでした。

長くなったのですが、最後にもうひとつ。
ついこの間Facebookを開いたら出てきた言葉が

Change is Hard at first, Messy in the middle
and Gorgeous at the end.
-Robin Sharma-


これは「Change(変わること)」だけでなく、
「自分の影(闇)を見つめる」ことも当てはまると思う。

自分の影をみることは、
最初は、ハードかもしれなくて
途中では、とっ散らかっててよく分かんなくなるかもしれないけど
最後は、ゴージャス。。

ほんと、そこを抜けると、豪華なんですよ。
上記のわたしの夢のように、ね。

度々、耳にするのですが、
「自分の闇を見るのは大変〜」とか
「痛い〜」とか、「嫌だ〜〜」とか。

途中でやめちゃうと、
Messyの真っ最中で止めてるので、
とっ散らかってて「大変さ」の
イメージが定着しているのだと思う。

あのね、「大変だ」と思いながら始めると
「大変さ」を見つけようと無意識が動いてしまうのね。
それでもいいのだけど、もしよかったら、
「楽しもうぜ〜」な感じで取り組み始めてください。
面白いよ。

くそ真面目は、横に置いておいて。
(くそ真面目でもいいのだけど)

ゴージャスさ、まで行き着いて、楽しんでみてね。

相手が変化してくれた(?)不思議な体験

2015.08.23 03:46|思ったこと・気づいたこと
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わたしね、

日常では「起きること」が
ただ起きているだけであって、
そこで「わたしが」感じたことから
わたしが意味付けをしており、
他人を変化させることは出来なくて
自分が変化していくこと。

…と思ってました。
あ、今でもそう思ってるんだけど、
ついこの間、ビックリして不思議やなーと
驚いたことがありました。

今ね、日本に行くまでに終わらせたい
作業のひとつが佳境に入ってます。
とあるコースの英語のテキストを
イタリア語に訳し終え、
ボブにチェックしてもらってるんだけど、
これね、面白いんだけど、ボブとの作業は
わたし、すっごい疲れてました。

何がそんなに疲れるのかというと、
言葉に要する集中力が半端ないうえに、
ボブの仕事への姿勢(仕方)。
これがわたしのそれと
歩幅も歩調が全く合ってなくて、
疲れてました。

わたしのイタリア語の表現が変だったら、
ボブは違う言い回しを提案してくるのだけど、
彼はこのコースを受講したことがないから
意味が違うことを提案してくることも多く、
コースの作者の意図と外れるんですね。
そこで、ボブに内容を説明し、
もうほんとに感覚だけを頼りに
言葉を探して紡いでいく…という。

そして、ボブの仕事への姿勢は熱くて、
大声でジェスチャーも大きくて
わたしが「それは作者の意図と違う」と言う度に
「またきみはそんなこと言って!」と
大声で感情的になる(わめいてる?)

反対に、わたしのデスクワークの仕方は
淡々と進めていく…というような感じ。
表現が違うのなら「じゃあ合うのを見つけていこう」と
さらり、と移動。

彼のやり方は、あれであって、
わたしのやり方は違う。
わたしにとっては、ただそれだけだったので、
疲れるものの、それは「ダメなこと」とか
「嫌だ」とか「変えたい」という思いは全く湧かず、
そのまま作業は進めていました。

そしたら、数日後。
ボブに「きみはこの作業してるとすっごい疲れるよね〜」
と言われて、その会話の流れから

「あなたとわたしの仕事に対する姿勢が違うから
 あなたとリズムが合わないことにも、
 わたしは疲れるのよ〜」と言ったの。

「もちろん、リズムが合わないのが悪い、とかじゃなくて、
 人それぞれのやり方があって、
 あなたとわたしのやり方が違うだけ、ただそれだけの話」

と、ボブに話してたの。

わたしね、確かにすっごい疲れてたけど
仕事への姿勢は人それぞれ、と思ってて、
そのままの状況を受け止めてたのね。

ボブとわたしの仕事に対する姿勢の違いは
以前にも何度か折に触れてボブと話したことがある内容で、
今回もいつもと同じで何の変哲もなかったのですが。

でも、今回は、ボブが変わってきたの!!
段々と声のトーンが落ち着いてくるようになって、
大声を出すことも減ってきて、
今では、落ち着いた感じで
一緒に作業が出来ています。

ビックリしたな〜〜

ボブに変わって欲しい、とか思ってなくて
想像すらもしていなかったので、
この変化には、ほんっっとに驚いた。

今まで、他人を変わらせることは出来なくて
自分が変わっていく、と思ってたしね。

それが、今回は
自分は変わらずに(いつもどおり淡々と)いて
相手が変わってくれた、、、という。

いや〜〜〜
なんか不思議な体験でした。

でね、ちょっと周りをよくよく感じてみたのね。
そしたらば。
気がついたよ。
そういえば、わたしの周り、
いろんなことが変わってきてるかも。
些細なことで出会う人(スーパーとか)もみんな
いつもにも増して優しい・面白い人ばかりだし、
いろんなことがますますスムーズに、
そして、
わたしにとって最適になるように
事が運ぶようになってる。

あ、いつも最適にしかならないんだけどね
それが、はっきりと感じられるようなった
という感じ…かな。

たとえ、自分が行動して
自分の予想とズレた方向に進んだとしても、
わたしは最高最善な状況にあるという
どこからくるのか分からん揺るぎない確信がある。
そして「自分が予想してたのと違う楽しいことがある?!」と
「何が待ってくれてるんだろう」とわくわく楽しみにしてます。

以前はね、違ってたの。
「引き寄せる」とか「思い(願い)は叶う」とか。
実際、自分がしたいことや思ってることは
叶ってきてたので、こういうことを信じてたのだけど
そのうち、渇望や欠乏感からの行動もある、
と気がついた。

渇望や欠乏感からの行動は、豊かさは
あまりもたらさないと感じています。
枯渇や欠乏している状態なので
満たされない感じなのね。

だから

・なぜ渇望して/欠乏感があるのか
・どの点に渇望/欠乏感があるのか
・手にしたいことを手に入れたら
 渇望/欠乏感は、本当に消えるのか
 《他の渇望/欠乏感へと変化しませんか?》

この辺りを見つめると、
なにか発見出来るかも、です。

その実ね、なにも欠けてることはないと思う。

自分に必要なものは全てあり、
ただそれに気がついていない、
うまく使えていない、、、という
ただそれだけのことだと思う。

だから、
埋めようとしても
埋まらないはずなんですよ。
もともと、欠けてないのだから!

人間の思考のカラクリ。
凄いなーと、気づく度に思います。

なんかね、今この記事書いてて気がついたのだけど
そういえば、わたしも変わったなー、と。

なので、今回「ボブが変わった!」と思ったけど
(実際に行動は変わったのだけど)
その実、わたしの中でもなにかが変わってるのかも、、
と思った。

うーーん、、、

やっぱり「自分が変わった」から
「他人も変わる」のかしら?!

なんだかよく分からないままなのだけど、
なんとも不思議な体験でした。

男性性とわたしと「男と対等であろう」としていたことと

2015.08.16 04:10|思ったこと・気づいたこと
20150815.png

グスタフ・クリムトは著名なうえ、
彼の作品の中でも「The Kiss」を
ご存知の方は多いと思う。
(上の写真がそうです。Wikiからお借りしました)

わたしね、この画、以前はちょっと苦手だったの。

クリムトの世界は大好きだったのだけど、
「The Kiss」はちょっと苦手だった。
でも、特に何も思わないで今まできてたのだけど。

それが、分かったような気がする。

わたしね、この女性が眩しすぎて
画そのものを直視できないくらい苦手だった、と
今頃気がついた。
ほんと「女の人」って感じするし、
甘えることが出来ている。
想像するに、嫉妬もあったんじゃないかなぁ。
当時の自分が出来てなかったから。
あとね、わたしはこの画からは
女性が男性から守られている感が
すごくするのだけど、
これも羨ましかったんだろう、と思う。

むかーしのわたしは、
男性と対等であろうとしてました。

「女だから…」と思われるのが嫌だった。
重い物運んだりとかもね、
そもそもわたし結構力強いので、
誰にも頼らずひとりでさらっと装ってた。

「女だから無理?いえいえ出来ます」
「女だから配慮する?いえいえ大丈夫(できます)」

とりあえず、男性と対等であろうとしてた。
「そうしなければならない」って思ってたのね。
「対等であらねばならない」と義務を感じてた。

でもね、、今になって思うのだけど。

そもそものところで、
男性の構造と
女性の構造は違うでしょう。
思考回路なんてもっと違うと思う。
そんな違いをベースにもってね、
男を基準にしての同じ活動を
女は出来るものなのかなぁ、と思う。

そりゃ無理すれば、
女性も男性と同じ活動が
出来るかもしれないけど
(中には自然に出来る女性もいるかもしれないけど)
普通に自然な状態だと
「全てにおいてまったく同じ活動」を
するのは難しいのでは、と思う。

わたしね、
女が「男と対等であろう」としなくても、
すでに対等だと思う。
でも、ある意味、対等でない、という
感じもするのね。
そもそものところで構造的に違うから。
で、ちょっと乱暴な言い方をすると
対等である必要もない、とも思っています。

お互いがお互いを頼っていけば、
それぞれが得意なことをしてたら
お互いに支えあうことになり
バランスが取れると思う。

わたし、昔は人に甘えられなかったり
人を頼れなかったので、
今になって分かるようになったのだけど、
人を頼ることの良さ、その人への信頼感、
人に頼られることの幸せ、嬉しさ
というのがあると感じています。

わたし、日本人男性の知り合いは少なくて、
セッションなどでお会いする男性の年齢層も
限られているのですが(昭和男子メイン)
そんな中でお会いした男性には
頑張りすぎな方が多くてね。
もっともっとパートナー(奥さまなり)に
頼ったらいいのに、と思う。
甘えてみたらいいのに、って。

特に家庭をお持ちの男性は
「家族/女性を守る」背負いが強く
なんとしてでも守ろうとされてる。

あのね、ちょっと感じてみて欲しいのだけど、、、
その実、パートナー(仕事の、や、奥さま)から
かなり守られていませんか?
ふんわりと包まれている感覚がしませんか?

女性もね、女なりの「(人を)守る」があってね、
それは、男性の「守り」とはまた違うのですが、
女性なりのふんわりとした守りかたがあり
その良さや癒しは心地良いものです。

女ってシタタカな生き物なんですよ!
きっと、男性が想像しているのより
実際はもっともっと強かだと思うよ。
もっとパートナーを頼ってみて欲しいなぁと思う。
頼ることで関係も深まり
パートナーの魅力も
もっともっと出てきますので。

そして、女性も、もっと素直に〜
特に「男前な女」なあなた!

・自立心が旺盛すぎる
・責任感が強すぎる
・人を頼るのが苦手
・人に甘えるのが苦手
・人との深いつながりが苦手
・人を信用していない
・受け取り下手
・男と対等であろうとしている
・男に負けたくない

上記なことに複数当てはまってませんか?
…肩に力入ってませんかね?
…無理していません?

あのね、
男前な女でもいいと、わたしは本当に思ってる。
ただ、もし、自分の中で、
もぞもぞしてしまうような
居心地の悪さがあるのなら、
着地点がズレてるのだと思う。

それは、もっと「女になれ」ということでは
必ずしもないと思うのね。
ただ「柔らかさ」が少し足りないだけ、とか、
そんな要素的なことの微調整なだけのことも
あると思う。

男だから、男性っぽくあれ、
女だから、女性っぽくあれ、
なんてことはないと思う。

自分が居心地の良い点が
ベストな位置なので、
そこに気がついたらいいのだと思う。

で、自分ではなかなか気がつけない場合。
「周りの人が自分にどう接してくれてるのか」
そして、それに対して、
「自分がどう反応しているのか」
「自分がなにを感じているのか」を
観察するのもいいです。

わたしね「男と対等であろう」としてたけど、
その実、対等に扱ってもらってた。
今になって、気がついたんだけど。

対等に扱ってもらってたのに、
わたしが勝手に「女だからという配慮要らない」
なんて思ってた。

違ってたんだよなー

「女だから」わたしに配慮してくれてたのではなく、
「わたしだから」配慮してくれてたんだって。
今になって気がついたよ、、、
だから、もし、わたしが男だとしても
配慮してくれてたんだと思う。

わたしね、人の運はほんと良くて、
人に恵まれてきてて、仕事に関しては
上司もすごい良い人に恵まれてきた。
すっごい可愛がってもらってきたもの。

だからね、やっと気がつけたのは、
「男性性」とか「女性性」とか
「男と対等であろう」としてたとか
ぜーんぶ、わたし(の意識)だけが
すでに整った状態の中にある、ということを
認識出来てなかっただけだった、という。。。

すべての要素は揃ってて、
人にもそう扱われていて、
自分はすでにちょうど良い感じだったのに
自分だけが認識出来ていなかったなんてね。

あーーー、笑ったわ〜〜
そして、後からきた
小っ恥ずかしさはなんとも言えません。

男性性とか女性性とか。
男とか女とか。
なんかすこーんと抜けました。
今、良い感じです。

男性のみなさま。
奥さまや女性のパートナーにも
頼ったり、甘えてみてくださいね。

女性のみなさま。
素直にいきましょう〜
特に男前女子なあなた!
ああ、分かるよ、分かるんだけど、
ほら、肩の力抜いて、、、

どんな状態であっても
そんなあなたが大好きです。

すべての人に祝福を☆

性別は生まれもってくるのではなく創りあげるのだと思う

2015.08.13 03:46|自己ワーク
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パリで入った、ある雑貨屋さん。
接客してくださった店員さんは
男性だったのだけど、
彼と接していると、ふと
女性といる感覚に陥ってね。

その瞬間に店員さんを見たんだけど、
お顔はやっぱり男性だった。
ヒゲもはやしていらしてね。
でも、綺麗に手入れがされている。
そして、物腰が柔らかくて
ふわっとした優しさも出てて
この方と居ると、ふんわりと包まれる感じ。
「ああ、やっぱりこの方は女性なんだろうなぁ」と
わたしは思った。

もちろん『わたしが』思っただけであって、
わたしの勘違いかもしれない。
でも、気づかせてもらえたのが、
性別は、生まれもってくるのではなくて、
自分が創りあげていくんだなーということ。

生まれもってきた肉体により
性別が判断されてしまって、
大半の人間は、自分でもそう認識するわけだけど、
その実、違うことも多々あるわけで。

肉体の構造により、
男性ホルモン、もしくは、女性ホルモンの
どちらかが優位になったりするけど、
心までは、それで完全に
「男性」とか「女性」とかには、
操れないもんねぇ。

わたしの去年の大きなテーマのひとつが
女性性だったのですが、
ほんと、一時は、肉体は性別「女性」でも
女じゃなかった(と自分で思ってた)なーと。

今だから見えてきたんだけど、
去年の日本滞在中はマックスで
意識的に自分の女性性は
うまく着地してなかったな、と。

それは、自分の身体が好きじゃなかった
というのもあるかもしれない、と、今頃気がついた。
日本に居る間、一時痩せちゃってね。
元からどちらかというと細めな身体だったけど
忙しかったせいか、なぜか痩せたの。
ちゃんと食べてたし、月経も定期的にあったから
ちっとも心配してなかったんだけど、
気がついたら、身体の形が変わるほど
脂肪が落ちて、筋肉質になり、痩せすぎてた。

なにこれ?!と自分でも思ったんだけど、
ダイエットしてるわけでもないし、
鍛えてないのにますます筋肉ついてきてるから
自分でもどうしたらいいか分からなくて。

元から男っぽい性格の上に
身体も男っぽくなってきちゃって、ああ、もう。
どこにいっちゃったの、わたしの女性性〜〜

…という感じだったのですが。

あの時は、
「自分は女だから(女で生まれたから)」という
ことに甘んじて、生まれてきた肉体の上に
ただ胡座(あぐら)かいてただけだったんだ、
と気がついたよ。

性別は、自分で創りあげていくんだな〜〜

肉体的にも外見的にも男性で、
ヒゲもたくわえていたとしても、
身嗜みや物腰や雰囲気で
自分のジェンダーを創りあげ、
ここまで自然にふんわりと女性であることも
表現出来るんだって。

芸術的でもあり、ものすごい可能性を
見せてもらえた感じがしてとても嬉しかったです。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

ちょっと話は変わるのだけど、

そもそものところで、
「女性」ってなんだろう。
「女性性」ってなんだろうね。

母であるのも女性だし
妻であるのも女性だし。
でも、わたしの中で
「母」と「妻」は違う感じでね、
なんか上手くつかめてなくて
女性性ってなんだろう、と
あらためて思ったの。

でね、わたしが考え着いたとこなんだけど
柔らかい、とか、ふんわりしてる、とか
そういう女性を連想させるようなことを総合し
そこを指して「女性性」という表現が
されているのかなぁ、と(わたし個人の考え)。

でもさ、これって、かなり主観的だなと思った。
「自分」が思ってるのと
「他人」が思ってるのとは、違うと思うから。

きっと、世間一般的に大雑把に女性性を
差すようなときに使うのなら
納得できるかもしれないけど、
いざ「自分に」使うとなると、
「女である自分」が確立出来ていないと
「自分の女性性」って言ったって、
ぼやーーんとして、ブレが出てくるんだと思う。

で、ここで
「自分にとって、自分が女であるってどうなんだ?」と。

で、自分が女である、ということが
どういうことなのか、
どういうことであり得るのか、
感覚が掴めていないから、分からない。

んじゃあ、と、わたしが憧れている女性たちを
思い浮かべても、、、

彼女たちから感じる女性としての魅力が
自分には重なってこない。
しっくりこないんですよ。
彼女は「彼女」であって、わたしじゃないから。
どう逆立ちしても、彼女たちのようには
なれないんですね。

ああ、「わたしオリジナル女性」を
創らないといけないんだなーと思った。

で、どうやって創っていくのか、と。
これは個人それぞれだと思うのだけど、
わたしは、とりあえずいろいろ試した。
下着や服など身につけるものを変えたり
身の回りの色を変えたり。
日常の動作、姿勢を変えてみたり。

思うのだけど「分からない」場合は、
「とりあえず思いつくことをやってみる」
のがいいかなぁ、と。
そのうちしっくりくるのに出会うから。

で、わたしの女性性、
今は落ち着いてます。
着地点を見つけたようです。

苦手だった自分の身体も今は好きだしね。
あ、そうそう、自己トレで
簡単なボディメイキングもしてるの。
身体(肉体)は素直で、
可愛がってあげる(動かす)と
反応してくれてます。
わたしにとっては、
実際に「身体を作る」ということは
自分の女性性を創り上げることへの
役割では大きかったです。

もう完全なる自己満足の世界なのだけど。
わたしはそれでいいと思ってる。

というのもね、「自分が」認識しないとダメだから。

あのね、これに気がついたときには
思いっきり大笑いしたのですが、
わたし以外の人は、わたしのことを
女だと思ってるんですよ!!!

どう思う、これ?!
わたしだけですよ、自分を女と認識してないの、、、

道歩いててもSignore(ムッシュー)
なんて絶対呼ばれないし。
いつもSignora(マダム)か
Signorina(マドモワゼル)で、
女として扱ってくれてる。
「女性性が…わたしって…」
なんて思ってるの、当の本人のわたしだけですから!!!

でさ、「わたしの女性性…」とか思ってる割には、
公衆トイレに行く場合、迷わず「女性トイレ」に
入ってるんだからね、わたし。

ああ、ほんとどないや、わたし。。。
ええ加減、自分が女だと認める時期だったんだなーと。

で、行き着いたところ、
わたしは女だったのに、自分が認識していなかっただけ
のことでした。

…あははは!!!
これに気がついたときは、ほんと笑ったよ〜

でね。今ね、以前と何が変わったか、
というと、ほとんど変わってません。
相変わらず男気のある女って感じだし。
でも、それで納得してる。
自分の中では落ち着いててそれが好きだし。
あ、ちょっとは以前より柔らかくなれたかなぁ
という感じはするかな。。(当社比)

でね、わたしの場合、
持って生まれた肉体と
自分が認識する性別が一致してるわけなのだけど、
世の中、一致しない人もいると思う。

でも、ご本人がそれで
しっくりしていて心地よいのなら、
わたしはそれがベストなんだと思うのね。

で、「性別」として分けているけど、
中にはどちらにも偏らず
両方同じくらい持っている人もいるだろうし
(わたしも意識的にはここに近い)、
どちらにも属さない人もいると思う。
ニュートラル、とかじゃなくてね、
男とか女とかそういうのを感じない人もいる。

生まれ持った肉体、ではなく、
性別(女か男かどちらか)でもなく、
自分が満足している着地点が
ベストな状態なんだな、と思う。

去年からの大きなテーマのひとつだった
女性性。今はこんな感じで落ち着きました。

男性性と女性性に関しては、
もうひとつ、大きな気づきがあったので、
次回、お話ししたいと思います。

伝えたかったけど伝えなかった言葉はどこにいくんだろう

2015.08.11 03:46|思ったこと・気づいたこと
日本語には「大往生」という
言葉があって、それはご長寿の方に
使われているような感じがするのですが
わたしは、どの人間も、どの瞬間に他界しても
「大往生」していると思う。

わたしね、生れてくる前に、
みんなそれぞれに
自分の命の長さを決めてくると思ってる。
だから、どんな長さ(年齢・日齢)を
生きたとしても、みんな大往生してると思う。

先日ね、友人夫婦の奥さまが他界されました。
わたしは大往生なされたと思った。
彼女なりにめいいっぱい生きて、
愛されて。

ご家族や友人など残った人は、
いろいろと想うこともあるだろうけど、
みんなと接していて、それらの想いは
「ご自身の過去の行動」からも
くるんだなぁと思ったの。

少し前にフェイスブックで見かけた記事があってね、
それを思い出したので、
フェイスブックでシェアしたのですが、
こちらでもシェアしますね。
(本文はイタリア語だったので、
 わたしの意訳となっています)

Infinita-MENTE.記事より。

================

20150810.jpg

伝えなかった言葉はどこに行くか知ってる?
したかったけど、しなかった事はどこに行くんだろう?
言いたかったけど、言えなかった言葉はどこに行くんだろう?
勇気が出なくてやらなかった事はどこに行くんだろう?
伝えなかったことは忘却の彼方に消えて欲しい。
でも実際には、伝えなかったことは、僕たちの中に溜まっていき、
聞こえない叫びとなって魂を埋めつくすんだ。
伝えなかったことは、眠れない夜や喉の痛みと姿を変える。
伝えなかったことは、過去を思い返すことや後悔となる。
伝えなかったことは、義務や借りや未解決の問題となる。
言わなかった言葉というのは、不満や悲しみや失望と変化するんだ。

伝えなかったことは死なない、僕たちを死なせるんだ。

================
 
(引用終わり)

これ、すごい的を得てるなーと読んだとき思った。
ほんと、伝えたかったけど、伝えなかったことは
消えない。残っちゃうんだよね。
で、相手が他界するなりで、もう肉体的に伝えられない…
となると、自分の中で伝えなかったことが浮き彫りになってくる。

その実、「肉体的に」伝えられなくなっただけで、
伝えようとすると(心の中で話すなりお祈りなりすると)
伝わっていると思うのだけど、
それだと、自分が、達成感が得られない場合が多いのだと思う。
相手に伝わった感がない、と。

相手が目の前にいないのだもの。
反応が得られないんだもん。
伝えたときの感覚を一緒に共有出来ないもん。

伝えること、言いたかったことを言うということは、
自分のためなんだ、と思う。

今まで言えてなかったのなら、
ちょっとの勇気で、ね。
相手に伝えてみよう。

でね、もし、勇気を出して伝えたとしても
自分が想像してた反応と違う反応が
返ってくるかもしれない。

それでもいいんだよね。
「自分が伝えたかったことを言った」のだから。
それが大切だから。
自分のためだもの。
自分の魂が、伝えきれていない言葉で
埋め尽くされてしまう前に。

まだ相手が目の前に居る、直接お話し出来る間に
伝えたかったこと、言いたかったこと、
したかったことが、できるといいなと思う。

数秒の勇気、出して、ね。

ピカソの画から感じた、歳を重ねることの美しさ

2015.08.09 03:42|思ったこと・気づいたこと
パリでは、ピカソ美術館へも行きました。

わたしにとって、ピカソは
ちょっと荒々しくて、土臭いような、
才能が爆発的に出てしまうような
情熱的なイメージがいつも頭の中にあったのだけど、
今回、ピカソ美術館へ行けたおかげで
そんな固定観念が抜けました。

というのも、木のパネルにオイルとクレヨンで描いた
ふんわりとした感じの画があってね。
それは確か、学生時代に画集で観た記憶もあったのだけど、
実際に生で画と対面することで観たら、
画集から受けた感覚とは全く違い、
画がわたしの琴線に触ってきた感じがしました。

画からはあまりの繊細さと
ピュアさをものすごく感じて、胸がいっぱいに。
ああ、ピカソは情熱的だと思ってたけど
こんな繊細な部分もあり、
情熱的だからこそ、繊細な面がある人なんだなぁ、と。

彼の画やオブジェは、
繊細な時もあれば、荒々しいときもあり、
キュートな時もあれば、狂おしいときもあり。
謎めいた時もあれば、うっとりさせられる時もありました。
ほんと、多彩な画法と表現が出来る
素晴らしい芸術家だと感動しました。

さて、そんな多彩な才能を持つピカソ。
その中で特にわたしの気をひいた画のひとつがあってね、
最初はなんとな〜く観てたのだけど、
そのうち、あっ!と気がついた。

その画ね、キャンバスに油絵で描かれた画で、
絵の具を上から重ねていくだけでなく
重ねた後に、その色を部分的に削って
下に塗ってあった色を出すような技法もとられてたの。

それ観てたらね、、、
この画は、歳を重ねていくことの美しさかも、と
感じた。

若い時の美しさって、
ほんと「若い」だけで、それだけで美しい。
命が光り輝いているような、眩しさがある。

画でたとえると、真っ白なキャンバスかな。
生き生きとしてて、ほんと綺麗。

で、歳を重ねるのは、
絵の具を重ねていくようなことかなぁ、と。
いろんな色(経験)が重なってくる。

時には、
前にのせていた色(古い経験)の上に
後から重ねた色(新しい経験)が置かれて、
前の色は隠れちゃったり(古い経験は隠れてしまう)。

また時には、
後から重ねた色(新しい経験)が
前にのせていた色(古い経験)と混ざって、
別の色(全く違う経験や智恵)となり。

そして、ある時には、
後から重ねた色(新しい経験)を削り落とし、
そこから見える前の色(古い経験)との
ハーモニーで、物凄く素晴らしい画
(人としての素晴らしさ)が
出てくることもある。

人生での経験って、
重ねることだけが知恵になるのではなく、
積み重ねてきたことを思い切って削り落とすからこと、
珠玉の智恵になることもあると思う。

削り落とすことは、
時には勇気がいるときがあるかもしれないけれど、
そうすることによって、もう必要でないことを剥がせたり
思いがけない色や素晴らしさが出てきたり、
全体として調和が取れたり、
なんとも言えない味が出てきたり。

ああ、これが色を重ねる(歳を重ねる)ことの
美しさなんだな〜、と画から学ばせてもらえました。

そして、こうやって、
自分の人生を自分で創り上げている。
自分の人生は、自分の芸術作品なのですね。

さて、お話ししていた画はこちらです。

2015080801.jpeg

Portrait of Dora Maar
paris, 1937
Oil on canvas


絵の具が削られてたのね、
このアップで分かるかな。

2015080802.jpg

白い絵の具が削られて、
下の色(ここでは黄色)が見えるようになってました。

背景は白っぽいのだけど、
うっすらとカラフルな色が見えていて、
なんだかそれは光が差しているようで、
その中央にちょっぴり憂いをもった女性が居てね。

この画からは、
ひとりの人の人生はひとつ(白一色)だけど、
そこにはいろんな色(経験)があるというふうに
わたしは感じられました。

ステキな画だな〜
歳を重ねることの美しさも感じさせてもらえた
わたしにとっては、大のお気に入りの画のひとつです。

近況と、11月に日本行きます〜!

2015.08.07 20:41|思ったこと・気づいたこと
201508071.jpg

日本も暑いそうですね!
いかがお過ごしですか?

イタリアも暑い日々が続いていて
昨日は、今年一番の暑さを記録したそう。

おかげさまでボブは、波があるものの、
元気に回復しています。ありがとうございます〜
たぶん、来週辺りは少し外出も出来ると思う。

わたしも元気です〜!
暑いときの介護は、体力的に厳しくて
ちょっと苦手感があったのですが、
洗濯物が溜まらない、ということに気がついて
(暑いから外に干しているとすぐ乾く)
幸せ感いっぱい。
嘔吐でベッドのシーツを丸ごと交換となっても
すっごい気がラクでサクサクと。
一日何度でもシーツ交換こい!って感じ。
暑いのもいいな〜

この間、無意識の自己犠牲に気がついて
調整したので(ブログにもアップしたあの時)、
そのおかげもあり、ちっとも無理してません。
「介護って大変」などの思いも無意識にあったようで、
それも抜けて、ほんとラクです。
自分が無理してたから、大変だったんだなー。
介護も日常の一部で、特別なことじゃないんだ、と
気がつけました。

…って、今頃こんなことに気がついたってことは、
今までどれだけ無意識の自己犠牲が
あったんだって感じですが。
あははは〜!ほんと笑えるね。
自分でも分かるくらい軽くなりました。

以前から「ともこさんって軽いよね〜」と
言われることが多かったのですが
まだまだ軽くなってます。
どれだけ軽くなったのか、
わたしに会えるの楽しみにしててね。

ということで。

11月初日、日本行きます〜!

11月1日〜3日くらいの間で
出発日を迷っているのですが、
その間に大阪に入ります。

その前の10月には、NYに行ってきます!
わたしのIHの大先輩であり、憧れの女性である
のりこさんのキネシ上級講座を受講してきます。
楽しみだな〜
のりこさんの知識を授けていただけるのは
ほんとありがたくて、それをどこまでわたしの中に
落とし入れることが出来るのか。
もうわくわくしています。
受講中は、自分をさらけ出すことになると思うので
そこでもまた、つるんと一皮剥けることと思う。
そして、のりこさんのセッションも受けてきます。
ふふふ、もっともっと軽くなってそう〜!

そんなわたし。
11月以降、日本、主には大阪で、だと思うのだけど、
あなたにお会いできることを楽しみにしています。

滞在するのは3月までです〜
前回の滞在中、帰る間際にお声を掛けていただいたのだけど
会えなかった方も居て、ちょっと残念でした。
すべてにはタイミングがあって、
会えるときが、ベストなタイミングで会ってるのだろうけど、
会えたらやっぱりものすごく嬉しいのです。
よかったら、思い立ったときにお声をかけてくださいませね。

滞在中は、IHセッションもしますよ〜
カフェキネシ、ピーチタッチの講座も
ご希望があれば、おひとり様から
マンツーマンでもいたします。
(もちろん複数でもOKですよ)

お問い合わせや、ちょっとお話してみたい…など
ほんとお気軽に、左側のメールフォームから、か、
tomoko.it.IH@gmail.com
まで、メールをお送りください。

IHセッションは、レンタルサロンを借りての
セッションとなります。
出張セッション(遠方も含む)もいたします。
またそのうちご案内ページをアップしますね。

ではでは。

日本でお会いできますことを楽しみにしています〜!

パリの地下鉄とデファンスと日常の一コマと

2015.08.07 03:16|
もう完全にわたしの世界です…って
いつものことですね(!)。

パリの地下鉄と駅、好きなんです。
同じパリ市内なのに、
駅ごとに赴きが違うこともあってね。
一昔前までは薄暗かったり
ところどころ汚かったりしてたのですが、
今回は手入れがされている場所が多く
ますます魅力アップでした。

というのも、「メトロ2030」という
2030年までの長い期間をかけて
地下鉄の環境を良くしよう〜計画があるそう。

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では、さっそく駅のいくつか。

2015080503.jpeg

2015080512.jpeg

2015080515.jpeg

駅名表示の文字フォントも違ったり
文字間隔も違うし、波うってたり。
駅の雰囲気も違うし、
駅ごとに楽しさがあります。

バスティーユ駅(Bastille)は、
ホームがセーヌ川にまたがって建設されててね、
川が見えるの。

2015080509.jpeg

そして、壁には絵が描かれています。

2015080510.jpeg

2015080511.jpeg

次にご紹介するホームはピッカピカ。
壁に貼られているタイルもピッカピカ。

2015080504.jpeg

向こう側の構内に入ってきた電車は、
新しい車両らしくてね。
同じくわたしたちが乗る車両も新しかったです。
ちょっと座席に注目していただきたいのだけど、

2015080505.jpeg

座席を支えているのは、
壁に繋がってる壁面だけなんですよ。
足元は空いてるのね。
だから、車内が人で混み合ってても、
移動する際に、足が座席に引っかからない、と。
そして、手すり(スタンションポール)は、
途中から3本に分かれてるのね。
これだと、通常の物よりもっと沢山の立ち乗り客がつかめます。
良い設計になってる車両だなーと感動した。

色合いもステキだし。
床は赤ベースで、座席とそれと連なる壁は
カラフルでした。虹を思い出したよ。
アップで

2015080506.jpeg

ラブリーな感じがして、可愛いかったです。

地下鉄の駅といえば、壁に貼られている広告も
興味深いのが多いのですが、
その中で今回のわたしのベストはこちら

2015080507.jpeg

くぅ〜!騙し絵大好き。

お次は、電車RERの2階席に乗ったとき
窓からホームを見てて気がついたこと。

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なんとですね、2階席乗客の目線で
ホームに広告用スクリーンが用意されてあり、
広告が貼られているんですよ!!
(広告を赤丸で囲ったんだけど、分かり辛いね、ごめんね)
いや〜、すごいな〜〜。
イタリアでこういうのは見たことなかったので
感動したよ。

…以上、超独自セレクトなパリ地下鉄&ホームの
ご紹介でした。

パリの写真、まだちょっと残っているのはね、
デファンスです。

2015080521.jpeg

両端に写ってるのはショッピングセンター。
地下からデファンス駅にも直結していて便利です。
ちなみにデファンス駅には、
イギリスのスーパー:Marks & Spencerや
オランダの雑貨店:HEMAの店舗が入っててね、
楽しいのなんのって(どちらも大好きなので…)。

わたしたちがデファンスへ行った日は14日で
フランス革命記念日(パリ祭)の祝日だったせいか
人でいっぱい。
シャボン玉を作る人もいて、子供たちは大喜びでした。

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でね、14日のパレードのおまけもここで見れましたよ。

2015080523.jpeg

ちょっとしたサプライズで楽しかったです。

あとは、パリの日常の一コマから数枚。

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2015080527.jpeg

LEGOブロック好きな方、いるかな?!
わたし、大人になったけど、
まだ大好きでねぇ。
LEGOでここまで表現出来るんだって感動する。
上手いな〜

最後の写真は、パリのシャルルドゴール空港の
いつもローマ行きの便を待つゲート。
ここの天井がほんっと好きで
何度みても、毎回、惚れ惚れするのです。

2015080514.jpeg

どこまでもメタルと光の世界が
広がってる感じがしてね。
広大で光の乱反射がステキなのです。

さて。

ここまでお付き合いくださってほんとありがとう。
今回ね、このような内容でブログアップを
させてもらえて気がついたのが、
すっごい独自目線で写真を撮っている、ということと
お話しする内容もものすごく偏っている、ということ。

パリに行ってるのに、
なんで地図までだしてレバノン紹介してるねん!
って後で自分でも思ったし、他には建築の話とか。。
まぁ大好きだから、なのですが。

そう。
「わたしが」好きだから書きたくなって書いたので、
みなさまの興味に合うかどうか、ではなく、
何も考えずに書いてしまい、
一方通行だったなーと後から気がついた(遅いな)。
今回は地下鉄の話してるし!!

超わたし目線からのパリのお話になっていましたねぇ。
だから、一般的名所なお話でもないのに、
お付き合いくださった方がいたら、
ほんとうにありがとう〜。
そんなあなたが大好きです。

パリでの散歩。ルーブルから凱旋門へ

2015.08.06 03:51|
天気が良かった日のパリの散歩です。
地図で見るとね、こんな感じで歩いたの

2015080623.png
GoogleMapからお借りしました)

地図で見ると「こんなに歩いたの?!」と
驚かれる方もいるかもしれないけど、
右下にスケールがあって、そこから分かるように
そんなに大した距離じゃないのね。
パリは結構歩いて回れます。

さて、出発地点は、
ガラスのピラミッドがあることで知られている
ルーブル美術館の中庭、ナポレオン広場からです。

2015080602.jpeg

この日は、ものすごく天気が良かった!
天気が良すぎて、暑くて暑くて。
写真右下の平べったい三角みたいな部分ね、
いつもはお水が張ってあったのだけど、
この日は干からびてました。。。

違う角度からのガラスのピラミッド。

2015080605.jpeg

右の建物に、ガラスのピラミッドからの
光の反射が当たっているのが見えるかしら?
アップで

2015080601.jpeg

キラキラしてて、綺麗でした。
この光の反射は何度見てもいつも感動します。

この広場を背後にすると見える景色はこちら。

2015080606.jpeg

立派な門がそびえ立ち、
白い大地が眩しいくらいの日差し。。

ここを通り抜けて振り返ると…

2015080609.jpeg

門越しに
ガラスのピラミッドも見えてます。

この界隈で、自転車タクシーを見かけました。

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わたしたちは、このタクシーは利用せず、
ずんずんと歩いて、
チュイルリー公園(JARDIN DES TUILERIES)に
入りました。

たどり着きたいのはここ(下の赤丸)。
小さく写ってて分かり辛いのだけど、
凱旋門です。

2015080608.jpeg

歩いて行くと見える風景が単調でなく、
変化に富んでいて楽しかったです。

2015080603.jpeg

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ここでの散歩、いいなぁと思ったのが、
至る所にイスが用意されているところ。

2015080616.jpeg

誰でも自由に座れます。
イスは移動させられるので、
木陰に持ってもこれるし、ほんと良かった。

反対側でも

2015080615.jpeg

歩いてたら、エッフェル塔も
ちらりと見えましたよ。
(次の写真左側の塔がそれです)

2015080612.jpeg

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2015080626.jpeg

暑くて、わたしたちも休憩したくなり
ちょうど空いてたイスがあったので、
そこで休憩することにしました。

2015080619.jpeg

この写真の木陰のイスです!
ラッキーなことに、
座る角度が緩やかな傾斜があったイスでね、
目の前は池で、カモもいて。

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だら〜んとイスに座ってたら、
風が心地良くて、ちょっと目を閉じたら…
気がついたら、寝てました!
ボブもわたしも!!
時間にしたら15〜20分くらいかしら?!
でもスッキリ。充電した感じがしたよ。

さて、起き上がって歩いて、チュイルリー公園を
後にします。

出口でね、デンマークからの音楽隊の方達と会いました。

2015080620.jpeg

こんなに暑いのに、チューバを抱えて移動だなんて…
しかも、空気も乾燥していたので、彼らたちの黒い靴は
砂埃をかぶって、白くなっていました。
公園内での演奏は許可を得ていなかったのでダメだったらしく、
公園の外へ出られて「演奏するかも」と言ってらしたのですが、
わたしたちは待ちきれず、後にしました。

シャンゼリゼ通りに入ります〜

2015080627.jpeg

2015080629.jpeg

2015080621.jpeg

ここを歩いた日は15日で、
7月14日のフランス革命記念日(パリ祭)の
パレードがあった後だったので、
国旗が通りに沿って飾ってあったり、
移動式の柵がまだ撤去されてなかったり、と、
名残がありました。

シャンゼリゼ通りにはお店がずらーーっと
並んでいるんだけど、、、
なぜか写真を撮っておらず!

最後にやっと凱旋門の写真を道路の脇から。

2015080622.jpeg

最後の最後にえらい手抜きの写真!
ごめんなさい〜〜

ゆっくりのんびりで
素敵なパリでの散歩でした。

パリの続きとレバノン料理と

2015.08.05 04:23|
ノートルダム寺院からちょっと歩くと着く、
アラブ世界研究所(Institut du monde arabe)です。

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ここは、わたしの大好きな建築のひとつです!
建築家・ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)によって
設計されています。
わたしの写真の腕前が足りないのと、
写真撮影時に雲っていたので
建物の美しさをお伝えできていないのですが、
ガラスとメタルと光の調和がものすごく素敵なの。

ガラス壁のアップ
2015080212.jpeg

実はこの壁、細工がしてあり、
日差しが強い日は、メタルの部分の
一部を閉められるようになっていて、
光を遮ることができます。
写真を赤で丸く囲ったのだけど、
右側は閉じてあって、
左側は開いてるのが分かるかしら?!

ちなみに、この建物を手がけた
ジャン・ヌーヴェルは
東京の電通本社ビルも手がけています。
ほんとガラスを得意としてる建築家だな〜

アラブ世界研究所ね、建物の美しさだけでなく、
展示もとても興味深かったりするの。
そして、ショップの品揃えの良さは秀逸。
特に書籍関連。子供から大人用まで、
いろんなアラブ関係の国の本が揃っていました。
残念ながら、今回寄ったときは、
アラブ世界研究所がお休みだったので
ショップも見ることが出来なかったのですが。
そして、ここの最上階レストランからの眺めも
結構良いです。

で、レストランと言えば。

ボブとわたしにとって、一番美味しい
レバノン料理のレストランがこの近所にあります。

…と、その前に。
レバノンは、中東に位置しててね、
地図でみるとここ(赤いポッチリがあるところ)
2015080215.png
GoogleMapからお借りしました)

北東側はシリアに隣接していて、
南側にイスラエルがあります。

2015080216.png

西側に海があり、国内は山もあり、
肥沃な高原もあり、で、ワインも作られています。
大きな遺跡もあるし、首都・ベイルートは、
モダンな一画もあります。
食べ物も美味しいし、
観光には適していると思う。
特に遺跡好きな方には!
これからも、もっと観光が盛んになったらいいな〜。

さて、そんなレバノン料理のレストランAL DAR
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パリに来る度に、レバニーズ・レストランへ
行ってるのだけど、わたしたちにとっては
ここのお店が一番です!

ほんっと美味しい。
ここの料理人はレバノン人です。
そのおかげか、レバノンで食べられる味を
そのまんま持ってきた感じ。
「フランス人の口に合うように…」なんてことがされていない。
お料理の一部はこんな感じ

2015080202.jpeg

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わたしたちが注文したのはファラフェル。

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ここのファラフェル最高!!
パンがね、アラブ系の薄いパンを使ってるんだけど
ちゃんとトーストしてから、
ファラフェルを巻いてくれるの。
このトースト具合もこれまた格別。

イスラエル風のピタパンも良いけど、
アラブパンの薄いトーストされたカリカリ感と
歯ごたえのよいファラフェルの組み合わせは
もう言葉が出ないよ〜〜
ファラフェルのスパイスの効き具合も素晴らしい。
わたしにとっては、欧州のお店で食べられる
最高のファラフェルが、これです〜。
いつ来ても同じ味で、ブレないです。

お次はフムス、と、レバノンのビール。
2015080206.jpeg

ビールは「almaza(アルマーサ)」という名前で
ダイアモンドを意味しています。

フムスも美味しかったです。
フムスは、タヒネ(ゴマのペースト)と
ヒヨコ豆を茹でた物を潰した物がベースで
ニンニクやレモン汁などが入っているのだけど、
ここのはレモンがしっかり効いたお味でね、
ボブは「ああ、レバノン風だな〜」と
懐かしそうでした。

うちでもボブがよくフムスを作ってくれるんだけど、
わたし好みの味にしてくれるのね。
レモンが効きすぎてるのはわたしが苦手だから
段々遠ざかってたのだけど、ボブの口(くち)は
しっかりレバノン風へと戻ったようです
(これからレモンがっちりかしら?!)

そして、デザート。

2015080207.jpeg

2015080208.jpeg

迷うわ〜〜。
写真の中のいくつか、と、赤く丸で囲ったのを注文。
赤丸のは「クナーフェ」という名前で、
レバノンでは、朝に食べられています。
赤丸の後方に写ってるパンに挟んで食べるのね。

ボブは「昼に食べるのはどうかと思うんだけど…」
と言いながら注文したら
「パリだとみんな昼にも食べてるしね(笑)」と
返ってきました。
わたしとしては、食べられたらいつでもいいよーー!
大好きなの。アップでドン

2015080209.jpeg

中はチーズでね、
なんとなくモッツァレッラチーズをも彷彿させるような
新鮮なチーズで、外側は、ローズウォーターを甘くさせた
シロップが染み込ませてあります。
上にかかっているのはピスタチオを砕いたもの。
あああ、、、美味しかったです。。。
朝だったらパンに挟んで食べるのですが、
すでにお腹いっぱいだったので、パン無しで頂きました。

他に注文したデザートはこちら。

2015080210.jpeg

ナッツぎっしりが香ばしかったり、
ローズウォーターの香りが良かったり、
どれもこれも美味しくて、
お腹いっぱいだったけど、入っちゃったよ。

この日はランチでの食事だったので、
外のテーブルだけの利用になっていますが、
ディナーだと、店内での食事です。
(上のお店の写真、右側の扉が入り口なの)
最近は知らないのだけど、
数年前までは、確か、日に寄っては、
ベリーダンスのショーもあった記憶がありますので、
よかったら、確認して行かれてみてください。
http://www.aldar.fr
持ち帰りも出来るし、
店内の左手にはレバノン産のスパイスとかも
販売されています。

さて、お腹いっぱいなので、ちょっと歩くことに。
せっかくなので、これまた大好きなサン・ミッシェルを見よう、と。

2015080213.jpeg

アップで
2015080214.jpeg

わたしと会ったことがある方で気がついた方、いるかな?!
そうそう!わたしの手帳の表紙の写真です、これ。
サン・ミッシェル大好きなんだ〜
なんかね、お不動さんをも思い出しだりするの。
剣とたたずまいだろうね、きっと。

あ。パリのお話のはずなのに、
レバノン料理メインの記事となってしまいました。
次回はパリを…
(もうちょい残ってますので、よかったらお付き合いください)

パリの街並み

2015.08.02 03:40|
フランス旅の続きです。
(おかげさまでボブは退院して帰宅しています。ありがとう〜)

今回のパリは計画ゼロ。
朝起きて何するか決めよう!としました。

1日目は、
「ホテルからノートルダム寺院の方角へ
 適当に歩いて、街散策にしよう」と、
面白そうなことをボブが提案してくれました。
「地図も見ないで、道は人に聞こうよ」って。

地図も見ないんですよ!
面白そうでしょう?わくわくしましたよ!

適当に歩き始めたらさっそく見かけたのがこれ。
2015073101.jpeg

いきなりパリの普通の街並みに
ドーンと建ってるの。
細部もこだわっててね、アップで

2015073102.jpeg

写真に見えた文字で検索してみたら、
サン・マルタン門(Porte Saint-Martin)でした。
サン・デニ大通り(Boulevard Saint-Denis)
一部でもあるそうでこちらのWIKIのページ
古い地図の一部も見えます。こういうの大好きだなー

引き続き歩いていると見えてきたのがこちら。
2015073103.jpeg

お城っぽいなと思ってたんだけど、
歩いていくにつれ、見えてきました。
2015073104.jpeg

フランス国立工芸院
(Conservatoire national des arts et métiers)
でした。こんな素敵なとこだったんだ!ひゃー

ずんずん歩いて行きます。

2015073105.jpeg
2015073106.jpeg2015073107.jpeg

こんなんと沢山出会うんですよ!
うっとり。

そして、気が付いたらポンピドゥーセンター
見えてきたから、驚いた!
地図を見ないで歩いてたからサプライズでした。
ポンピドゥセンターの近くには
素敵なアート作品などを扱ってるお店が
あるんですね。ここも大好きな場所だったの。

でね、ポンピドゥーセンターの近くの一角に
沢山の鳩。

2015073108.jpeg

この写真、まだ少ない方だわ。。
この後、もっともっと増えてたの。
そして、なんかの弾みで鳩が一斉に羽ばたいたのだけど
これがヒッチコックの映画並みの迫力。
低空飛行するものだから、
一斉にドドドーーと迫ってくるような迫力。

で、なんでこんな集まってるのかなと思ってたら
餌をあげる紳士が登場されました。

2015073110.jpeg

鳩たち、知ってたんだ〜
紳士は、さながら鳩使いのようでした。

さて、ポンピドゥーセンター

2015073109.jpeg

ああ、このメタリック調。
比率のパランスが取れてる感じがして好きだなー。

どんどんセンターの入り口に近づいていくと
な、なんということ!
ル・コルビジェが!!!

2015073111.jpeg

わ〜〜!知らなかった!!今の時期
大好きなル・コルビジェの展示をしてただなんて!

『巨匠』というタイトルが似合いすぎるほどの
ル・コルビジェは、建築、都市開発だけでなく
絵やオブジェ、椅子やテーブルのデザインなど
多方面に渡って活躍しました。
彼の作品は、シンプルであるようでいて
緻密に比率計算がされているように感じられます。
線・形が素晴らしいと思う。
どれも大好きで、いつまで見ててもわたしは飽きないです。

展示を見てみたかったんだけどね、、
後ろ髪を引かれる思いで諦めました。くぅ〜!
せめて、彼の写真の真正面のカフェで休憩。

2015073112.jpeg

コーヒーを飲まなくなったのですが
珍しく飲んでみようと思い、メニューを見たら
café noisette(ヘーゼルナッツ・コーヒー)
というのを見かけてね、
「ほほぅ!ヘーゼルナッツの香りがするコーヒーか!」
と思ったから注文したの。

そしたら出てきたのがこちら。

2015073113.jpeg

ミルク入りコーヒーですやん!!
飲んでみたら、、、
「ヘーゼルナッツ」は、色(?)だけですやん!!

ということで。

café noisetteとは、
ホットミルク&ちょっぴり泡も入ったコーヒーでした。
あ、美味しかったですよ。

この近くの別のカフェは、
椅子の形がハートを彷彿させ
とてもラブリーでした。

2015073114.jpeg

さて、散策を続けてセーヌ河沿いのお店
2015073115.jpeg

むかーしの新聞とかね、掘り出し物も多いです。
今回は見かけなかったけど、
この界隈でなんかの撮影とかもよくしています。

こちらは、橋に南京錠が沢山かかってます。
2015073116.jpeg

愛の南京錠とも呼ばれるらしく、
恋人たちが永遠の絆の証としてかけるらしいんだけど、
南京錠も数が増えると重いしね。
ポンデザール橋では、
6月に南京錠が撤去されたニュースが
イタリアでも流れていました。
こちらの橋に移ってきたのかしら?!

さて、見えてきました。
ノートルダム寺院!
2015073117.jpeg

下側に3つのアーチがあるんだけど、
向かって左側が入り口です。

左側から順番にちょっとアップで

2015073118.jpeg

2015073119.jpeg

2015073120.jpeg

3つとも、もちろん違う細工で
細かいのなんのって。
趣も違ってて、凝ってました。

そして、こちらは、
ノートルダム寺院の敷地内にある離れ。
2015073122.jpeg

大好きなの。
レ・ミゼラブルをいつも思い出してね、
コゼットが住んでたお家を彷彿させます。
お庭が見えてたら完璧なんだけど(妄想中)。。

この写真で、離れが真ん中に写ってるの分かるかな。
2015073121.jpeg

で、わたしが一番好きなノートルダム寺院のショットは
このアングルです。

2015073123.jpeg

全貌出来るような感じと
窓の細工が見られるのが大好きだから。
この窓、好きなんだな〜

まだパリは続きます!
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますことを
楽しみにしています〜!

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日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
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