経絡と身体と

2015.05.31 03:35|経絡・身体
わたしのセッションはIHがベースです。
その中の調整として
マトリックス・エネジェティクスやら
音叉やらなんやらと使っている
(クライアントさんの身体が伝えてくる)んだけどね。
最近、気になるというか、
注目してるのが経絡。

術後のボブのセッションの中で
調整法は経絡の調整だけの時が
数回あってね、それらはすべて
身体の痛みに特化したセッションだったんだけど、
すべての回において、複数の部位の痛みでした。

一番多いときは
膝・腰・両肩・首で
痛みレベルも7〜9。(10が最大レベル)
このときはさすがに
部位が多くて痛みレベルも高く、
セッション中は
それぞれを2〜4までしか
下げられなかったのですが、
いつものように歩けるようになってるし、
腕は動き、首は回るようになってる。
そして、セッション後、時間が経つと
ますます痛みは減り、夜はぐっすり就寝。

経絡すごいな〜

あ、でもね、次の日に痛みが
戻ってる箇所があることがありました。
でも、痛みの程度は前日より低い。
セッションを数回したら
痛みは完全になくなってました。

あ。
「でもさ、経絡調整は、IHの中で使ってるじゃん。
 IHの効果もあったんでしょ?」と
思った人いる?!

それがね〜〜、一度ね、
ほんとに「経絡だけ」のときがあったの。

ある日、ボブは目が覚めたら
腰が激痛で、起き上がるどころか
身体の身動きがまったく取れない状態。
その時、わたしはIHのセットアップ
(IH流の始め方)をしないで、経絡で調整しました。
身体が伝えてくるままの経絡を次々と調整し、
その後、ボブは「眠くなった」と言うので
また15分ほど眠ったら、、、
その後、むくっと起き上がった!!

本人、起き上がってから
「あ、腰がまったく痛くない!」って
気がついたくらい、激痛忘れてたほど。

経絡、ほんとすごいよな〜
身体ってエネルギーでも出来てるんだなと
すごく実感させてもらってます。

でね、わたしの経絡の調整は
クライアントさん(ボブ)の身体に聞いてるでしょう。
施述するにはこれからもこの形でいくと思う。
でもね、
「症状はこうだから、ここの経絡が…」
みたいな仮設を組み立ててみたくてねぇ。
でも、頭の中で組み立てられないんですよ。
すべてに可能性を見出しちゃって!
どこから組み立てようか、わからない。

で、セッション後にメモを元に
勉強したりするんだけどね。
これが面白いの。

例えばね、症状として
血尿が出てて足首も浮腫んで腫れてたら
膀胱経・腎経の調整かな、と思うんだけど、
ところが、身体に聞くと、
「先に調整する箇所がある」と伝えてくる。
で、その中の一つに脾経があったの。
どういう関係なんだろう、と検索してたら
興味深いことを発見した。

1983年にMC Gurie氏たちは
経穴(ツボ)の『三陰交(SP6・脾経)』が
腓骨神経と脛骨神経と重なっていることから
インスピレーションを受け、
排尿筋がちゃんと動いていない患者に対し
三陰交(SP6・脾経)の箇所で
経皮からの神経刺激の実験してたんだって。
その後、1986年にイタリアのパルマ大学でも
実験したそうで、その後も研究は続き。
そして、最近、欧州でもこの三陰交を刺激する
リハビリ治療は導入されている
のだそう。(こちらから)

ほんと面白いなーと思ってね、
解剖学や生理学と経絡との関係とか興味が湧いて
経絡についてももっと知りたくて、
ああ、増永先生の本を買ってくればよかった、と思い。
ふと検索してみたらなんと!
増永先生の本、イタリア語に翻訳されて
出版されてますよ!!オンラインで買ったよ〜

20150530_01.jpeg

で、届いて、本見てビックリした、、、
SHIATSUの本ですやん、、、
わたし、指圧はまだしてませんやん、、、

注文したのはわたしなんだけど、
不思議なことに指圧の本だとは覚えてなくて。
「指圧の本だと理解してたら(?)
 買ってなかったなー」
と手にしたときは思ったんだけど、
本を開いた瞬間、宇宙に感謝した。
この本買ってよかった〜〜!

経絡の説明もあるし、面白そう。
宇宙の計らいってほんとすごいね。
指圧の本と気がついてたら、
わたし、買ってなかったもの。
気がつかなくてよかった。

あ、そうそう。
経絡の話題なので。
以前ね、刺さない鍼シリーズを入手したって
お話させてもらったでしょう?
あの「刺さない鍼シリーズ」。
大好きすぎて、ケースを作りました。
見てみて〜

じゃん。
20150530_02.jpg
20150530_03.jpg
20150530_04.jpg
20150530_05.jpg
自分では大満足。
ここ数年の中で最高の出来の
手作りのひとつなので、
大好きな鍼とお気に入りケースで
ほくほくしてます。

ひゃー!
ますます経絡好きになりそう〜〜

ニュートラルな意識と親の子供への愛と

2015.05.28 03:50|思ったこと・気づいたこと
20150527.jpeg

思ったんだけどね。

文字通りの「ニュートラル(neutral)な意識」って、
ある意味、不可能じゃないかなーと。

でね。ニュートラルって
「偏ってるけど自分の中でバランスが取れてる状態」
なんだと思った。
そして人それぞれ、いろんなことに対しての
「ニュートラル」があるんだな、と。

あと、親の子供への愛について思うのが
何人も子供がいるのなら、それぞれの子供たちを
「同じように愛せない」のは「普通」だと思うの。
そしてそれは、
「それぞれの子供」を「それぞれに愛してる」ことだと思う。

********************************

「ニュートラル」という言葉を辞書でみるとね

>いずれにも片寄らないさま。中立的。中間的。

とある。(goo辞書より)

この「中立的」とか「中間的」って
どう見立ててるんだろう。
なにをもって中立的、中間的なんだろう?
と思ったの。

そもそもね、自分の立ち位置を決める、
という決断で、もう偏ってると思った。
他のことを選ばないで「そこ」を選んだのだから。

しかもね、それを選んだのは、
「わたしというフィルター」を通して選んだでしょう。
わたしというフィルターは、
わたしが経験したことしか情報に持っておらず、
これは偏ってるなぁ、と、、、。

でね、思った。

ニュートラルって
「偏ってるけど自分の中でバランスが取れてる状態」
なんだって。

偏ってるんだよね。
他人から見たらズレてるんだと思う。
でも自分的にはバランスが取れてる。
で、これでいいんだろうなぁ、と。
偏ってるって知ってるから、
反対側や他の方向を見ようとするし。
そして、常に動いて
居心地のよい点に移動してね。

ああ、これがニュートラルかもしれないなぁ、と。

いろんな物事に対しても
それぞれのバランスのよい点が
違うので、自分の中ですら
沢山の「ニュートラル」が
あるんだろうなと思う。

今まで文字通りの「ニュートラル」を、
中立的、中間的、を探してたから
方向が間違ってたのかもしれないと思った
(わたしの場合です)。

自分の「ニュートラル」でさえ偏っているのだから、
他の人の「ニュートラル」は違うのは当たり前で、
しかも、
自分でこれだけの「ニュートラル点」が
あるのだから、
人それぞれの沢山の「ニュートラル」が
あるんだろうな。

********************************

でね、話はちょっと変わるのだけど。

時々お話をいただくことがあって、
「お子さんが何人かいらっしゃる場合、
 すべての子供を同じように愛せない」と。

わたしが思うとこなのだけどね。

たとえ「我が子たち」であっても、
それぞれの子供たちを
みんな同じように愛せないのは
普通なことだと思うのね。

気がついて欲しいなぁと思うのが、
「同じように愛せない」のではなくて、
「それぞれに愛している」ということ。

「同じように愛せない」とみるのでなく、
それぞれの子供に対して、
「その子への愛で愛している」と
とらえてほしいなぁ、と。

そもそもね、
子供たち皆同じに「ニュートラルに接する」というのは
偏った接し方にもなり得るんじゃないかなぁ、と。
それぞれの子供は個性があり性格も違ってて。
そこを皆同じように、ニュートラルに接しようと
すること自体に無理があるのだと思う。

「我が子たち」といってもね、
それぞれ人格があって、それぞれ違うもんね。
ひとりの人間を相手にしてるんだもの。
そして親も、「親」といえども、人間だし。
それぞれの関係で、いろんな形があるんだと思う。

意識の向き方が変わるだけで、
愛がどこまで深く広がるか
感じ取ってもらえると思うので、
愛を認める方向の形に
意識を向けてみてくださいね。

********************************

親の子供たちへの愛。
妙に書きたくなったので、アップしました。
すべての親・子供・元こどものみんなに祝福を☆

昨日のローマと最近のイタリア

2015.05.24 03:38|ご紹介
昨日は、ローマまで出ていました。
バスの中から撮った写真という
横着(!)な風景と
最近のイタリアのお話です。

まずは昨日のローマの写真から。

地下鉄B線にPiramide(ピラミデ)という
ピラミッドという意味の駅が
あってね、そこを出てほんの少し歩くと
見えるピラミッド。
20150522_15.jpeg
ごめん、、歪んでる、、、
バスからの車中撮影という横着、ああ。

バスのおしりの広告。
20150522_13.jpeg
黄色も可愛いなぁ。
YAMAHAの二輪車の広告です。

20150522_01.jpeg
ヴェネツィア広場。

20150522_02.jpeg
このヴェネツィア広場のそばに、
「ヴェネツィア宮殿」があってね(写真右側)

アップで。
20150522_03.jpeg
このヴェネツィア宮殿の
バルコニーからムッソリーニが
演説したことで有名です。

20150522_04.jpeg
上の写真にも写ってる、観光客向けの馬車。
ここ数年、馬車は馬に対する虐待だ、と
動物愛護団体から抗議があがってるんだけど
やっぱりまだちらほら見かけます。

道路をどんどん進んでいくと
テヴェレ川沿いになりました。
20150522_10.jpeg

20150522_11.jpeg

20150522_06.jpeg
(*コロッセオじゃないですよ〜)
遺跡風な上に新しく建設された部分が
あるのが見えるかなぁ。
こんなのをよく見かけます。
過去と現在が混ざった感じ。
不思議な感じもします。

確か、この辺りの道路を挟んで向かいに
「真実の口」があったと思う。
映画「ローマの休日」で、
グレゴリー・ぺック演じる新聞記者が
真実の口に手を入れたら噛まれて(振り)、
それを見たオードリー・ヘプバーン演じる
アン王女が叫ぶ…というシーン。
あそこです。

真実の口ね、いつも行列があるんだけど、
一応、道路からも、格子ごしに見えます。

どんどん進んで、、、
20150522_05.jpeg

20150522_12.jpeg

20150522_07.jpeg

20150522_08.jpeg
この写真の右側は、役所です。

アップで
20150522_09.jpeg
ローマ1区の役所。

20150522_14.jpeg
わたしの大好きな本屋さん。
フェルトリネッリ(la Feltrinelli)。
品揃えがよくて、楽しい場所なの。

この日は、写真から見ても
お分かりいただけるように
天気が良かったんだけど、、、
帰りは、雷が鳴るほどの雨。
20150522_16.jpeg
写真に松の木が数本見えるかな。
そこね、地下に遺跡があるの。
アルジェンティーナ広場
(Largo Torre Argentina)でね、
猫がいることでも有名。
次回ご縁があったら、写真撮ってくるね。

バスの車内からのローマ風景でした。

*************************

ところで。
イタリアでは毎年この時期に
Giro d'Italia(ジーロ・ディイタリア)
という、イタリアを自転車で一周する
自転車ロード競技が開催されています。

イタリアではものすごく愛されててね、
トップの選手には、リーダージャージとして
マリア・ローザ(ピンクのシャツ)が贈られるので
開催地では、ピンク色で賑わっています。

ジーロはロード競技なものだから、
文字通りの山あり谷あり。
そして、雨あり風あり、泥だらけにもあることも。
もう何キロもべダルをこいできて疲れているはずなのに
山の登りでぐいぐい上がっていく姿に感動したり
下の坂道をものすごいスピードで降りていく姿は
まるでツバメの急降下を見ているような
美しさもあります。
そんな選手達がペダルをこぐ姿を
イタリアの初夏の風景と共に楽しむような
競技になっています。

日本人選手もいらしてね、
別府史之(べっぷ ふみゆき)さんが
Trek Factory Racingチームで参加されています。

去年はね、
沖縄県出身の新城幸也(あらしろ ゆきや)さんも
参加なさってました。
このサイトのページ
去年の記事なんだけど、
お二人の笑顔がステキで好きなんだ〜
新城さんのチーム;Europcarが、今年はジーロに
参加していないからと思うんだけど、
新城さん、ここ数年ではお見かけしてたのもあるから
ちょっと寂しいな〜

*************************

あとね、欧州では毎年
Eurovision Song Contest
(ユーロビジョン・ソング・コンテスト)が開催されてます。
欧州放送連合に加盟した国から、各国代表が歌うのね。
時々、欧州放送連合に加盟していない国も参加していて、
今年はオーストラリアも参加しています。

そして、コンテストの風景は、
生中継でテレビ放送されるので、
欧州が一体になるお祭りみたいな感じ。

そして、今夜が決勝戦なの!
イタリアも決勝戦出場します。
ああ、でも、最近22時過ぎになると
眠くて瞼が重くてねぇ。。
観ていられるかしら?!

こんなそんなな最近のローマとイタリアでした。
どうぞステキな週末を☆

エゴを可愛がっています

2015.05.21 04:04|自己ワーク
20150520.jpeg

日本滞在中に、お友達が
「エゴを可愛がってるんだ〜」って
話してくれてね。
面白そうと思ってわたしも始めたの。

エゴが出てきたら、傍観せずに、
可愛がる。とことん付き合う。

そしたら、ほんと楽しくてね、
自分の中に
「こんなんあったんだ?!」とか
「こんな(仕組み)だったんだ!」
っていろんな発見した。

例えばね、

わたしね、今まで、イタリア語を話すとき
スラングを全く使ってませんでした。
ローマ特有の言い回しをすることはあっても
スラングは使ってこなかったの。

それがね、エゴを可愛がるようになったら
ある日ポロっと出た。
ふとした拍子の自分の行き詰まった状況に対して
一言、発してしまった。
そしたらね、なんで突然スラング言ってるんだ?って
興味湧いて面白くなってきた。

でね、なんで今頃になって
スラングが口から出てきたんだろうと
自分の意識を見つめてみたら、
わたし、自由だったの。
束縛されてないって感じだった。

ということは。
何かに束縛されてたのか?と
掘り下げたら、母親が出てきた。

「汚い言葉を使ってはいけません」
「言葉には言霊があるから気をつけなさい」
「そんな(汚い言葉そのものな)人になるわよ」

うわーー、怖かったんだなー、わたし。
「スラング言霊」に取り憑かれること、
そして、汚い言葉人間になるのが怖いと思ってた。

自分がスラング言葉に取り憑かれても、
自分がスラング人間になったとしても、
それが何なのだろう?って思ったらね、
スラング使うことにも抵抗なくなって
逆に、行き詰まったときに一言発したのが
スッキリしたものだから、
それからしばらく使ってました。
ははは〜、今までどれだけ抑圧されてたのか!
って自分に笑ってしまった〜
ボブには「使い過ぎじゃないか??」って
突っ込まれたよ。今はもう飽きたので、
たま〜にしか口から出てこないんだけど。


他にはね、

わたし、食べたい物は食べるようにしてるんだけど、
白砂糖ベースの甘い物を食べたくなったときは
身体に確認してから買うようにしてたのね。

というのも、「食べたい」と思うのは、
「記憶や気持ちが欲してる場合」と
「身体が欲してる場合」があるから。

「記憶や気持ちが欲してる場合」って、
それを食べたときに楽しかったから、などという
「懐かしさ」や「食べたときの感情(楽しさ)の追体験をしたい」
だけであって、身体にとっては必要で無い場合があるのね。
だから、口に入れると一瞬追体験で
気持ちがふわっと上がるけど、
でも、咀嚼してたら、
なんか身体は拒否ってる(摂取したくない)
感じだなーとなることもある。

そして「身体が欲してる場合」は、
「ただ甘い物が欲しいだけ」であって、
他の甘い物(乾燥果物)で
オッケーな場合が多々ある。

だから、毎回白砂糖ベースの甘い物を
食べたくなったら身体に聞いてたのだけど。

エゴを可愛がるようになってから、
それを止めました。
食べたくなったら、身体に聞かずに
さっと買って食べることにした。

そしたらね、気がついたの。
わたし、白砂糖に対する恐怖があるって。
毒を食べてる、という恐怖。
(*白砂糖は毒だという感覚は、わたしの考えです)

「甘い物を欲する時は
 記憶や気持ちが欲してる場合と
 身体が欲してる場合がある」

なぁんて言ってたけど、
その実、奥には、恐れが隠れてた。

で、思ったのね。
もし、明日、誰かが臨床結果と共に
「白砂糖は身体に悪いことはなく、逆に身体に良かったです!」
なぁんて発表したとしたら?
白砂糖抜きの生活をしてたことに対して後悔しないか、と。

そしたらね、そんな生活してたことにはちっとも後悔しないけど、
ただ、ヌテッラのコルネットを避けてたことは
ちょっと寂しいかなーと思った。

で、ここが基準なんだ、と気がついた。

今までしてたことに対して、
その行為は無意味や無駄な行動だったとしても、
後悔や執着、引っかかることははないかどうか。
もしモヤモヤしたり、なんかスッキリしない、
なんか引っかかるなどがある場合は、
何かを我慢してたり、
自分を抑圧してたり、
自分を強制させてるのかも、と思った。
そして、奥には本当の原因が隠れてる。
わたしにとっては、それは「恐れ」や「恐怖」でした。

*****************************

今回シェアさせてもらったエピソードではね
「恐れがあった」と気がついた後、
結局は以前のわたしの行動と
ほとんど変わっていません。
(スラングはたまーに出てくることがありますが)

白砂糖ベースの甘い物を食べたいと思ったら、
身体に確認する時もまた出てきた。
でもね「確認する」ときは、確実に「代用物OK」です。
逆にいうと、身体が
「白砂糖じゃなくて、他の甘い物にして」
って言ってるのが分かるようになった。
で、身体に確認しないで、さっと買って食べるときは、
そのときは気持ちも満たされて、
身体もちゃんと受け入れてくれてるのが分かる。
身体は嫌がってないのね。

身体の声が分かるようになってきた。

結局は、行動は前とほとんど
変わってないけど、変わったんだなぁ、と。
そして、すべては恐怖からきてるんだ、と
改めて気づかせてもらえました。
本当の根源のとこを知って、
行動なりのオリジナルの部分が変化して、
何かが根本的に変わってるんだな、と感じた。

あとはね、自分の感覚がすごい軽い。
自由という感覚が以前にも増してます。

いや〜〜、エゴは、最高の友達だと思ったよ。
どっぷり肩を組んで仲良くなったら、
今まで知らずにいたことを見せてくれる。
ものすごい楽しいことを教えてくれる。
そして、
次の次元へ持って行ってくれるんだなぁ、と。

エゴ、いいね。

男は浮気するもの??そもそも浮気って?付き合うとは?

2015.05.19 04:07|思ったこと・気づいたこと
20150518.jpeg

今日ね、道歩いてて「男は浮気するものよ」
という会話をすれ違いに聞いてたら
「あ!」と気がついた。

前回の記事
男性はやっぱり繊細だなーと思った、と
書いたんだけどね。
「わたしの環境は偏ってるかも」とか
思ってたの。でもそれらは、
わたしが自分で作ってるんだって気がついた。
どんな環境に身を置くのか、そして、
男性の繊細さを見ることを選択して、
そんな自分の世界を創ってるんだって。

でね、道端の会話を聞いてて、
浮気って何をもって「浮気」なんだろう?と思ったの。
本当に「男は浮気するもの」なのかなぁ、と。

考えてたら、以前フェイスブックで見かけた
記事を思い出した。

それは、イタリア人男性がアップしたものでね、
彼のおじいちゃんが、どれだけおばあちゃんを
一途に愛してたのかというエピソードだったの。

そして、そこにあったコメントは
おじいちゃんの愛は素晴らしいというのから
始まって、「わたしの祖父もそうだった」とか
「わたしの両親もそんな仲よ」
「私達が今そんな感じ」
というのもあったんだけど、
それらのコメントの数と匹敵するほど
「これは作り話だ!」
「そんな男いるはずがない」
「男は浮気する生き物なんだから、これは想像上の話」
というコメントも沢山あった。

イタリアね、愛の国だし、
特にイタリア人男性は女性好きと
世界中(?)に知れ渡ってるし。
でも、その実、イタリア人男性全員が
浮気してるわけじゃないんだよね。

ちなみに、
ボブが何十年と付き合ってるイタリア人男性の
友人達は全員浮気してなくて、奥さん一途なの。
一緒に居てると、奥さんが大切だと想ってるのが
ふとしたことで伝わってくるし。

でね、フェイスブックの記事の話に戻るんだけど
興味深かったのが、肯定派のコメントで
「うちのおじいちゃん・父親・両親もそんな仲だった」
というのを結構見かけたこと。
自分の周りにそういうケースがあるのなら
あると分かってるし、信じられるのかなぁと思った。
結局は『自分が経験したか否か』で、
自分が生きる世界へも影響しちゃうんだなー、と。

*************************************

そもそも浮気って
何をもって「浮気」になるんだろうね。
どういうことが「浮気」なんだろう。

これは人によって違うんだろうな、と思うのだけど。

わたしね、むかしは、
「パートナー以外の人と肉体関係をもったら、浮気になる」
とか思ってたんだけど、今はちょっと違うなぁ。

肉体関係っていってもね、もし、
身体の関係だけなら、それは肉欲で、
肉体的感覚の『快楽的欲望』を
どうしようもできなくなっただけ、という、
肉欲にもっていかれた本人の弱さなのかな、と。
だから『気もち』までは移ってないと思ったのね。
『身体の快楽に目が眩んだ』だけで。

じゃあね、『気持ち』が移っちゃったのなら
「浮気」なのかなぁと考えてみたんだけどね、、、

でもね、わたし、これは「浮気」とは思わないの。

人間って永遠に同じことを思い続けないでしょう?
時間が経つと考え方や感じ方も変わってくる。
だから、気が変わって当然だと思う。

ある特定の人と付き合うってね、
そこがゴールじゃなくて、スタートだと思うのね。
そこから関係が始まるわけで、
そこから二人で関係を組み立てていく。
二人でお互いを思いあって、組み立てていって、
時々は、建設した物を破壊して、
また組み立て直して。

二人で関係を組み立てられているのならね、
途中からお互いの調和がとれていないと
建設できていないのは感じ取れるから
気が離れていくのが分かると思う。
で、そこで、パートナーが
他の誰かに惹かれていったとしても。
わたしは「浮気」とは思わないかなぁ、と。
もうわたしから気が離れてるしね、
気が変わるのはしょうがない、と。

…あ、分かったかも。
もしかしたら、二人で関係が組み立てられていないので、
気が浮いてる状態(浮気)とか、
気が離れていくのも分からない、とかなのかな。
そこで「浮気した」「浮気された」が
出てくるのかしら。

*************************************

「男は浮気するもの」じゃなくて、
男も女も気が変わるときは変わる、
ということなのかなぁとわたしは思った。

人の気持ちは変わる物である、ということを知り、
その上で、二人でお互いの関係を組み立てていくこと。

そして、自分の世界は自分が創ってるということを
認識すること。
『本当に』自分が居たい世界は、それなのかどうか。
自分が経験していなくても、望む世界があるのなら、
その世界は実在するのだから、それを選択し、
創っていくことなのかな、と。

人の気持ちってね、動くものだと思う。
動くのも当然で変わるのも当然。
だからこそ、二人で関係を組み立ていく上で
絶妙な素晴らしさと美しさが出てくるのだと思う。
そして、気持ちが変わるのは、
それもやっぱり自然なことなんだろうな、と思った。

男性の繊細さと水瓶座の時代とトランスジェンダーと

2015.05.17 03:51|思ったこと・気づいたこと
20150516.jpg

今朝ね、4時過ぎにボブの動きで目が覚めた。
熟睡したせいか、もう眠くないし、
わたしも起きたと気がついたボブが
いろいろ話し始めてくれたので、
聞いてたんだけどね。

思ったのが、
やっぱり男性って繊細だなーと。

あ、繊細といっても、弱いとかじゃなくて
fragileな感じの繊細さ。

もちろん女性も繊細さはあるんだけど、
男性のそれとは質が違う感じ。

ガラスで例えるとね、
女性の場合は、

「底厚万能ガラス調理なべ!
 加熱OK! 調理できます!
 なんなら冷凍庫へも直行OK!」

ってな感じなんだけど、
(個人の想像ですから、、そんな鍋も存在するかどうか、、、)

男性の場合は、

「繊細なドリンクグラス。
 *ホットドリンクを注ぐ際は、
  注ぐ面にお気をつけください」

みたいな感じ。

女性はね、ガラスだからもちろん
繊細な感じもするけど丈夫な感じ。
で、ガラスの材質にいろんな物が含まれてるから
結構いろんなことにも適応できる感じ。

男性はね、ガラスの材質の種類は少なくて
ピュアな感じ。
一見すると結構丈夫っぽいんだけど、
よく見ると薄いガラスで出来てるような
繊細さがある。
扱い方を荒くしたり、間違ったり、
ある一点(人それぞれ)に負荷がかかると
たちまちパリンと割れてしまう感じ。

わたしの環境は偏っていると想像するので
わたしが今までお会いした男性も
偏ってるのかもしれないけど、
でも、わたしが接することができた中で
拝見できた男性のお姿は、
その実、内側は繊細だなーと思ったの。

******************************

でね、女性に男性性が存在しているように、
男性にも女性性が存在してるでしょう?

で、やっぱりその女性性を
男性の中にも見出せるのね。
そして、あんなに繊細なんだもの。

折しも今は、水瓶座の時代。
以前ね、

「今は水瓶座の時代です!
 女性性エネルギーの時代。
 女性の時代です!
 男性の時代は終わりました、、」

みたいなのを見かけてね、
「女性のみなさん、立ち上がりましょう」
みたいなのもあって、
なんか引っかかってた。

で、思ってたの。

水瓶座の時代というのは、
「女性性エネルギー」の時代でね、

女性性エネルギーは、男性の中にもあるから
男性の時代でもあり、
もちろん女性の時代でもあって、
そして、男性/女性と一言でくくれない
絶妙な自分自身のバランスの性を持った
(本当はみんなそうなんだけどね)
トランスジェンダーの時代でもあって、
みんなの時代なんだって思った。

そして、みんなで、
今まで男性性エネルギーが優位だったところを
女性性エネルギーも上手く使っていく時代なんだなーと。

でもね、女性でも自分の女性性エネルギーを
ちゃんと使えていない人がいるのに
(わたしのことね)
すべての男性が自分の女性性エネルギーを
上手いこと使えて最大限に表現できるのかなぁ、と。
もちろん、表現出来てる男性もいるんだけどね、
女性のわたしとしては、
えらいハードル高いことを望んでないか?と思ったの。

でね、女性性エネルギーを上手に使えてるのは、
自分自身のバランスの性な方、
トランスジェンダーに多いと思う。
ほんと絶妙なバランスを持ってらして
表現も上手い。

だからね、水瓶座の時代って、
トランスジェンダー達が表現のお手本となっていく
時代なんじゃないかな、と、ふと思ったの。
これからトランスジェンダーな彼達/彼女達が
ますます活躍していくんだろうな。

そんなことを夜明けと共に思ってた今朝でした。

「パブロフの犬」止めました

2015.05.15 03:55|自己ワーク
20150514.jpeg

前回の記事で書いてた
「反射的反応」についてなんだけどね。

ある日、
ジェットコースターに乗ってるような感じする、
と気がついたの。
振り回されてるような感じだった。
なんでこんななのかなーと思ったらね、
感情に振り回されてるって気がついた。
反射的に反応して、突発に出てきた感情に。

今回、わたしが気がついたのは、
過去に自分が経験してきた中から
似たような状況や
ある一定の条件が揃った状況になると
反射的に反応してたということ。

でね、ふと思ったの。
これって、パブロフの犬みたいだって。
(パブロフの犬:犬にエサを与えるときに必ずベルを鳴らすようにしたところ、エサが無くてもベルを鳴らすと犬がよだれをたらすようになるというもの。パブロフ博士が1902年に発見。条件反射の喩えとして用いられる。こちらより引用)
だから、パブロフの犬はもう止めようと思った。

反射的に反応してしまう、ということは、
自分の外に意識が向いている、と思ったのね。
だから、自分の意識がどこにあるのか気をつけてた。
自分の中に意識が向いてること、
そして、ちゃんと自分軸にいることを感じてから
対応していこう、とした。

そしたらね、ラクになった。

そして面白いこと発見した!
反射的に反応してしまい(そうになり)、
自分の中で化学反応的な体感が
出てくると思うのだけど、そのときに、
意図的に「自分軸にいる」とする/
自分軸の感覚を今一度ちゃんと感じようとするとね、
時空間の歪みのような「時空間ポケット」みたいなのを
一瞬感じ取れると思うの。
わたしの場合は、ほんと「歪み」みたいな感じで
真っ白な亀裂みたいな感じ。
で、それを感じ取ったらそこに入る。
そうすると、そこは穏やかでした。
「空(くう)」みたいな感じだった。
自分の感覚がものすごく穏やかになれるのね。
これには助けてもらった。

**************************

「時空間ポケット」ね、ボブにも話したんだけど、
難しいって言われた。
わたしの感覚としてはね、

外に向いてる意識を
自分軸に移動させる。
その意識を移動させる瞬間に、
時空間の歪み(時空間ポケット)がある感じ、です。

これは、外に向いてる意識を
自分軸に移動させる時だけでなく、
自分がなにかしている際の行動から行動への
意識を動かすときにも気をつけていると、
「歪み(時空間ポケット)」は
ある感じがわたしはしました。

なので、面白そうと思ってくださった方、
自分の意識を動かす瞬間を感じてみてください。
そこでなにかを感じ取ってもらえるんじゃないかなぁ、と。

でも、この「時空間ポケット」を
感じ取れなくても大丈夫。
ちゃんと「自分軸にいる」ことをすると
外部のことに引っ張り回されない、という感じで、
「外」ではなく、内側の「自分」の感覚を得ます。
これで大丈夫。

**************************

でね。
この『「パブロフの犬」止めますプロジェクト(仮名)』。
次から次へと目の前の事に対処していく状況の中では
ほんと役立った。
うっかりしそうになると「パブロフの犬」と
唱えるだけで『自分』を思い出せるし。

ただね、疑問がちらりと湧いた。
これって、逃げてるのかな?と。
ちゃんと向き合ってないのかな?って。
でも日々の状況が状況だったので、
そのまま「パブロフの犬は止める」を続けてたらね。
分かったよ。

これね、逃げてるんじゃないと感じた。
意識の在り方の調整、みたいな感じだった。
で、向き合って掘り下げる必要があることだったら、
後からまた穏やかな形で出てきてた。

「反射的な反応」であったとしても、
感情ってね、
自分が過去に経験したことが基準で
それぞれの感情が湧いてくると思うのね。
だから「うわ、また反応してる」と気がついた時点で
もう手放せてるんだと感じた。
IHのプロトコルでいう「扁桃体」や
「記憶の部屋」のクリアリングみたいな感じ。

で、もっと気づきが必要、
向き合って掘り下げが必要なことは、
自分が穏やかで在るときに
顕在意識に上げてきてくれてました。
なので、ほんとラクだった。
穏やかに向き合えたから。

**************************

思うんだけどね。

「感情に振り回されること」
「ドラマに入り込むこと」って
悪いことじゃないと思うのね。

それをするため、味わうために
ここ(地球なり三次元なり)に居るとも
とれると思うから。
そして、そこから学ぶこともあるから。

ただ、それを
「自分の選択でしているかどうか」なんだと思う。

「自分が選択して、感情(or ドラマ)を味わっているのか」と
「感情(or ドラマ)に自分が振り回されているのか」。

この違いはものすごく大きいと思う。

感情(or ドラマ)を味わうことを選択してもいいし、
もう感情に振り回されることを止めることを選択してもいい。

大切なのは「自分が選ぶこと」であって、
どちらでも良いんだと思う。
そして、もし辛さやしんどさを感じるのなら、
自分はどうしたいのか、を見つめてみる。
そこからね、抜け出すカギが見つかるから。

で、まだ辛さ・しんどさの中にいることを
選択したとしてもね、
自分でそう選択してるから、
前に感じてた辛さとは違う「別なこと」になってる。
その中になにかギフトが隠されてるのを感じてるから
そのまま続行することにも前向きで、
ただ「そのこと」の中に「在る」ようになる。
これは、振り回される辛さとは全く違うものだから。

ということで。
『「パブロフの犬」止めますプロジェクト(仮名)』。
わたしにとってはほんと役に立ったワークでした。
もしよかったら、自分の意識がどこにあるか、
見つめてみてくださいね。面白いと思うよ〜

「僕の身にもなってみてよ」と、意識の選択と

2015.05.12 04:11|思ったこと・気づいたこと
20150511.jpg

青い空に緑の葉をまとった樹々。
カラッとした夏が近づいているのを感じる
気持ち良い日々を過ごしています〜
おかげさまで元気です!

前回のブログから
すっかり日があいてしまいました。
今ね、叶えたいことがあってね。
それに関係する案件があって
モチベーションが上がってるのもあって
そっちに集中してました。
形にすることができたら
聞いてくださいね(ってまだまだ先なんだけど!)

あとはね、ちょっとブレちゃった時がありました。
(今は元気に楽しく過ごしてますよ〜)

ボブね、まだデトックス中でユレユレでね。
わたしは最初はケロッとしてたんだけど、
いろいろと目の当たりにすると
わたしも感情を味わうことを選択しちゃって。
でもボブの前で表現しないことを選択したものだから
なんだかんだでブレてしまいました。
あはは〜、まぁこんなこともあるかな、と。
今回のボブの身体を張っての(!)ギフトは
わたしがまだ解消しきれていないこと
(自分の弱さを出せない、とか、クソ真面目に頑張ってしまうとか)
まだ持っていた恐れや恐怖を見せてくれて
すっごい為になってます。

…ってありがたいとも思ってるんだけど。
そして、彼がデトックス中だってことは
分かってるんだけど、
ずっと一緒に居るしね、
特にイライラは、長引いてるし
うんざりすることもあったの。

そしたらちょうど昨日、
会話の流れでボブが自分で自分のことを
ナーバスだと認める発言があったので、ノリで
「自分で分かってて認めてくれたのは、これ幸い♪」
って返したら

「僕の身にもなってみてよ!」と。

これね〜〜、前も言ってた。
前に言われたときは、
反射的に「なんかごめん、、」って
思ったの。そして罪悪感が出てきた。

でもね、あとで気がついた。

確かにボブの状況は
難しいかもしれないけど
彼の心/意識の状態は
ボブ自身が選択してることに気がついた。

『状況が』そうさせているのではなく、
『ボブが』イライラとか、そういう意識を
選んでそうしてるんだ、って。

というのもね、
同じような状況にいる人すべてが
同じ意識を選ぶわけじゃないでしょう?
人によって違う。

だから、彼が、
自分は辛い状況にある、
自分は可哀想などと思うのは、
彼の選択なんだ、と。

で、わたしは、自分の意識を選択する、と。
たとえ彼がどんな意識状態であろうとも、
わたしはわたしの意識状態を選択できて、
そうあることを選択できる。

彼とわたしは、一緒の空間に居るとしても、
まったく違う意識であることを
選択できるんだ、と、改めて気づけました。

彼の気持ちのそばにいる、とは、
彼の気持ちと同じ気持ちでいる、では
必ずしもないと思うのね。

彼の気持ちはそうなんだ、と、認識するだけで
そばにいるだけで、それでいいんだ、と。
自分の意識は、自分の在りたい意識を選択する。

そして、もっと言うと、
彼の気持ちのそばに居たくないのなら
それもいいんだと思う。
一歩離れて、距離を置いて居る。

あとね、
「僕の身にもなってよ」
ということは、
「僕のことを分かってよ」
ということかな、とも思ったんだけどね。

でもどう頑張っても、
彼のことを分かろうとしても、
所詮「わたしが」彼の身になってみようとしてて
「わたし」のフィルターを通してるのだから
わたしの想像でしかないんだなぁ、と。

そして、「わたしの想像」は、
「彼が思っていること」と、必ずしも同じわけでなく。
で、違ってたら、彼はまた怒ったりして。

でもそれも彼の選択。
彼が怒ることを選択しただけ。

彼が悲しみや辛さを選択しても
わたしはそこに一緒にいることを選択しても
同じ感情を持たずにいることもできる。

なんかね、そういうことを
穏やかさをもって、体感習得できた感じです。

***********************************

今回、改めて
『自分の意識の状態は、自分で選択している』
と体得した、ということでね、
もうひとつ、はっきり体感で気づかせてもらえたのが、

『ボブがイライラしてるから
 わたしもイライラしてしまった、という
 言い訳はできない』

ということ。
だって、ボブのせいじゃないんだもん。

『わたしが自分で
 ボブがイライラしている状況に
 感化されることを選び、
 自分の意識をイライラすることを選んだ』

のだから。

逆に言うとね、

『いつどんな時も、自分でどんな意識状態をも作れる』

ということなんだなぁ、と。
そう気がつくとね、、、楽しくなってこない?!

でね、今回ね、
反射的反応をすることに対して
面白い発見があったので、
次回はそれを書きたいと思っています。
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますことを
楽しみにしています〜!

【ワークショップのお知らせ】
ブレてもまたバランスを
取り戻せばいい!
自分で自分を整えるコツをお伝えする
1Dayワークショップです。
詳しくはこちらをご参照ください

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

アメブロにミラーブログ置きました。
読者登録など便利な機能があるので。
もしアメブロの方がご都合が良ければ
そちらでも宜しくお願いします。
http://ameblo.jp/lalunadigiorno

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

検索フォーム

【メールフォーム】

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示

QRコード

QR

ページトップへ