パーム・サンディと第3日曜マーケット

2015.03.30 04:40|ご紹介
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(今朝の朝食。ライス・ミルクでいちご祭)

キリストの復活祭を来週に控え
ホーリーウィーク
(Holy Week(聖週間)に入りました。

今日は、イエス・キリストが
エルサレムに入ったことを記念する
『パーム・サンディ(Palm Sunday)
 (日本では『枝の主日(えだのしゅじつ)』と呼ばれてるみたい)』
でした。

キリストがね、エルサレムに入ったときに
人々がパーム(やし科)の枝を持って
歓迎したことから由来したみたい。

今朝、うちではテレビでローマ法王の
ミサを共有してから、外出し、
教会に寄って、オリーブの枝を
分けてもらいました。
そう、パームじゃなくて、オリーブなの。
毎年、パーム・サンディの日の朝、
教会の前ではこんな感じで
オリーブの枝が配られています。
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ここで枝を頂いて、家に置いてから。
うちの町のメインストリート
(っても短いのだけど)に出る
第3日曜日マーケットに行ってきました。
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主にはイタリア各地の食材なんだけど
セカンド・ハンドの物や
手作りアクセサリーなど
いろんなスタンドが立ちます。

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マルケ/イタリア中部東側、アドリア海に面した地域の名産スタンド。
いろんな食材のジャムが瓶詰めで売られてました。
果物だけでなく、ペペロンチーノとかも!

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クッションカバーやカーテン。
奥の方には懐かしのイタリア・リラ紙幣の柄も!

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プーリア(イタリア地図での『踵の部分』の地域)の名産スタンド。
いろんな種類のパスタが手前に見えてます。

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セカンド・ハンドのおもちゃ達。
ものすごい数のバービーが集まってました。

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いろんな種類の蜂蜜。
教会でもらうオリーブの枝も飾ってありました。

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シチリア名産のチーズ!

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これまたシチリア名産のブース!
大きな黒いパンがあってね、
炭が入ってるんだって。

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ここでは、殻付きピーナッツを
その場で煎って売ってました。
しかもシチリア名産・アーモンドが入ったクッキーも!
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買っちゃったよ〜
昨日からシチリア熱がまだ続いてます。

ということで。
今日、マーケットで買ったもの。
実は、蜂蜜スタンドのお店含む写真から
下の写真の店すべてで買い物しました。
いつもは買わないのに!
イタリア帰ってまだ日が浅いからかしら?!
まずは蜂蜜。
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1キロ買いました。
いつもはオーガニックのを
買ってたんだけど
ここのも良さそうだなぁと。
最近は「イタリア産」を
目立たせるせいか
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こんな風に目立つような工夫が
されています。

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シチリア名産・アーモンドが入ったクッキー。
アーモンドが刻んだ物が入ってるだけでなく、
アーモンドが粉として入って生地に入ってるのね。
左側のを今日は食べたのだけど、
アーモンドの甘さがふんわりと優しい感じで
上品な美味しさだった!

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シチリア産、炭が入った黒いパンです。
スーパーでも見かけたんだけど
材料をチェックすると、
炭も入ってるけど食品添加物
(アーティフィシャル・カラー)で
色づけされてた。
だから、ここのスタンドでも
聞いたら「炭だけです」だって。
味見させてもらったら、
あっさりしてて軽く酸味がある味だった。

そして同じシチリアのお店で買った
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イチジクとアーモンドが入った
ジャムがくるまれてるクッキー。

シチリアのチーズと
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プーリア産のピザ。
この手のピザは
「ピッツァ・ビアンカ(白いピザ)」と
呼ばれてて、塩だけの味付けです。
チーズと一緒に食べたら美味しいの。

ピザを買ったプーリア産のスタンドでは
黒いピザも売られてました。
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炭入れるの流行ってるのかしら?!

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カラブリア地方(イタリア地図の『つま先』の部分地方)
カシューナッツ。
ここで、赤い細長いネギも買いました。
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中も赤いのかと思ってたんだけど、
白かったよ。そんなに辛くなくて
サラダにぴったりでした。

…と、今日は沢山買っちゃったのだけど。
うちね、普段は乳製品やお菓子、
白い小麦粉由来のはほとんど食べていないの。
チーズも何ヶ月ぶりなほど。
でも、食べたいときは食べるというスタンスなので
今日は(今日も?!)買ってしまいました。
イタリア帰ってきて
まだそんなに日が経っていないから
まだまだ「あれ食べたい」が残ってるのかなー
そろそろ落ち着きそうな感じもします。

さて、もらってきたオリーブの枝ですが、
こんな感じで、飾ってます。
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キリストに覆いかぶさってるんですけど、、、
ま、いっか。
今年頂いた枝はボリュームがあって
上手いことひっかけられなかったの。
ちなみに両端には
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右側:イスラム教:アッラー
左側:ユダヤ教:ヤハウェ
と、神さま三人が並んでます。
良い感じ。わたしは大好きです。

こんな感じで始まった
ホーリー・ウィーク。
楽しかったです。
みなさまもステキなホーリー・ウィークを!

サマータイムがやってくる!

2015.03.29 04:33|ご紹介
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NYはすでにサマータイムですが、
ヨーロッパもようやく今晩、
サマータイムの時間になります。

ちなみに
サマータイムだと
イタリアと日本の時差は7時間になるの。
例えば、
イタリアが29日正午(12時)だと
日本は同日29日の19時になります。
日本の方が、カレンダー的に
時間が進んでるのね。

サマータイムがくると
「夏が来るーー!」という感じが
ものすごくする。
まだそんなに暖かくないし
まだツバメも飛んできていないけど
朝が明るくなってくるのが
どんどん早くなってきてて
それに合わせて
時計が一時間早くなるのはとても嬉しい。

そんな楽しみにしてるサマータイムが
やってくる今日の散歩風景です。

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朝の日差しが眩しかった!
まだ街路樹の葉は茂っていないけど
夏になるとちょうど良い影を
作ってくれて、歩くと暑いさなかを
助けてくれてます。

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つぼみは日に日に大きくなってきてる。

わたしが住んでる町ね、
土曜日と水曜日に、
スタンドが立って青空市場が出るの。
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服あり、古着あり、布あり、本あり、
靴あり、鞄あり、時計あり、ビーズあり
なんでもありな感じかしら?!
土曜日に限って手芸一般用品や
植物、鍋などもあります。

で、もちろん食材もある。
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このスタンドは
わたしたちのお気に入りで
オリーブがほんと美味しい。
写真にはおさまってないけど
チーズもあるし、瓶詰め物や
塩漬け魚もある。

そして、今日そこで買ったもの。
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プーリア(南伊)産のオリーブと
同じくプーリア産の干しイチジク、
シチリア(南伊)のアーモンドです。

アーモンドね、味が柔らかかった〜!!
ビックリした。カリフォルニア産のと違った。
美味しい〜。みんなにも食べてみて欲しい。
(まだうちにあるので、来てーー)
アーモンド・ミルクが売られてますが、
ほんとミルクのような味がするの。

で、帰りは、シチリアで盛り上がったので
シチリア名産のお菓子、
『カッサータ』を買って帰りました。
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カッサータね、有名なの。
中はね、、こんなん。
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外側の白いのは砂糖のコーティング。
中の緑色の層は、ピスタチオのマジパンで
その下の白いのは『リコッタ』と呼ばれてる
チーズじゃないけど、チーズに分類されてる
クリームチーズ。
その下に薄いスポンジケーキが敷かれてます。

もうね、最高に美味しかった。
初めてのお店で買ったんだけど、
今まで食べたカッサータの中で一番美味しかった。
シチリア、やっぱり良いなぁ。

最後の写真は、帰り道の風景の一枚。
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「なにを見せたいの?!」
って感じな写真かも!
イタリア的な横に長丸い形の松の木や
手入れがされていないヤシの木も
気になりますが、
あのね、空の深さをお見せしたかったの。

わたしにとって
イタリアの好きなところのひとつが、
空の青さと深さ。
スコーンとしてて、
どこまでも広がって
ものすごく深い感じがするのね。

不思議なことに、日本の空では
同じことを感じられなくて。
空の天井を感じるような感じがする。
空が低いの。
わたしにとってなのだけど。
わたしが滞在する日本の地域が
どこか間違ってる(?違う)のかな。
もしくは、わたしが違うのかも、ね。

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そんなこんな、な、サマータイムが
近づいている今日のうち町の散歩風景でした。

あともうひとつ、ご紹介したいのがある。
これもわたしにとっての
初夏を思い出す大好きなひとつ。



ビリー・ ワイルダー監督で
ジャック・レモン主演の映画
『AVANTI!(アヴァンティ!/邦題:お熱い夜をあなたに)』の
挿入歌『Senza Fine(センサ・フィーネ)』です。

映画の撮影場所がナポリの沖合にある
『イスキア』という島で、海の風景が、
初夏を思い浮かべさせてくれるのです。

これを聞いていると映画を思い出し、
この歌の音とリズムと
イスキアの海と空があいまって
初夏を思い浮かべて幸せ〜になる。
ちょっと70年代色が濃いのだけどね。
オリジナルの歌はまた違う感じがするのだけど、
カルロ・ルスティケッリは上手くアレンジしたなぁと。

サマータイムがやってくる今日。
初夏の話をして、、
ひゃー!どんな夏になるのかしら。楽しみ。
ちょこちょこと予定が入りつつあるのですが
楽しい夏になりそうです。

あなたもどうぞ楽しい夏を〜!

なぜマチルダとのハグはあれほど気持ち良いのか

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まったくもって、
いつも以上に勝手なわたしの考察なのですが。

IH創始者のマチルダのハグがね、
なんであんなに気持ち良いのか。
なんとなーく分かったような気がする。
あれは『究極な「どぅる〜ん」状態』だと思う。
(って、どぅる〜んを体感していないと
 分かってもらえないような話かもしれん、、、ごめん〜)

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マチルダのハグの気持ち良さは評判で、
NYでIHコースを受講してたとき、
帰りのお別れのハグにはライン(列)が
出来てたほど。そして
「コース中の仲間とのセッションより、
 マチルダのハグひとつの方が癒されるよね〜」
と仲間で言ってたほど!
それくらい気持ち良くて幸せなの。

でね、なんであんなに気持ち良いんだろう、
とずっと思ってた。

まずは、
マチルダが愛の人だから、と思う。
ほんとハートがオープンなのを感じる。
愛でいっぱいで、その愛を
誰それに分け隔てることなく
いつも注いでくれてね。

そして、マチルダが受け入れる『人の幅』が
とてつもなく広いのだろうな、と。
例えどんな人でもどんな状態であろうとも
ジャッジせず、そのまんまを受け入れてくれてる。
しかもね、同じテーブルの上に混ざった状態で。

苦手な人だとね、その人を受け入れてても
ちょっと距離を置いたりする場合
(わたしの場合ね)があったりするけど、
マチルダの場合はそれがないな、と。

マチルダにとっては、そんなことは関係無く
気にもなっておらず、距離を置くわけでもなく、
そのまんま受け入れて、自然に混ざってる感じ。
いろんなタイプや癖を持つ人を、
ものすごく沢山受け入れて、
その受け入れる器がほんと大きいな、と。

でね、
マチルダね、Cuteって言葉が
最高に似合うと思う。
少年っぽいような、
いたずらっ子ぽい可愛さも持ち合わせたまま
大人の女性の美しさがある。
目がキラキラしてて好奇心旺盛で
幸せが溢れ出てるの。
そんな彼女のそばにただいるだけで
幸せを感じさせてもらえるもの。

そんな彼女だから
ご自身で保っている状態が
素晴らしいのだと思う。

そんな彼女自身の状態が、
ある点で「どぅる〜ん」としてて、
そして、
そんな彼女のおかげで、ハグしてもらってる
自分も共振されて「どぅる〜ん」で、
『究極な「どぅる〜ん」状態ハグ』の
出来上がりなんじゃないかなぁ、と。
(『どぅる〜ん』って、谷田先生のとこのね)

「どぅる〜ん」な状態って、、、
言葉で言うと、どうなんだろうね。

体感の世界なので、
人それぞれ違う可能性が多いにあるのだけど、
そこを敢えて、今、わたしが思うとこはね。

どこにも着地していない、
所属してない、
ニュートラルで、
わたしたちの『どこから来たのか』の点に
居るような懐かしさというか安心感。
『あなた』も『わたし』もなくて
融合されててすべてはひとつのような。

そんな感じ。
あ、ちょっとパラドックスなこと
言ったかも。
でもわたしにとってはそんな感じ。

こんな「どぅる〜ん」を究極にした、
安心感と安定感、
大丈夫と言う感じと懐かしさ。
そこに、マチルダの愛が加わった
ものすごく至福で包まれるハグ。
だからこんな気持ち良いのかしら。

********************************

…と、えっらい個人的な見解を書いてきましたが、
でもこれは『わたし』というフィルターを通して
マチルダを観てるんだろうな、と思う。

わたしはマチルダが大好きだけど
マチルダを苦手に思う人もいるわけで。
そうなると、その方のマチルダとのハグは
わたしのそれと同じ感覚じゃないだろうと思う。

そう知りつつも。
やっぱりマチルダとのハグは、
なんであそこまで気持ち良いのかしら?!
と考えちゃうのね。
ハグひとつであそこまで至福を
感じさせてもらえるのだもの。

すごいな、マチルダ。
最高やなーー

無性に聴きたくなった音楽と、行かせて欲しい変容と

2015.03.26 04:49|思ったこと・気づいたこと
数日前に、無性に「ブラックバード」の歌、
しかもサラ・マクラクランの声で聴きたくなって
しょうがなかったの(どんな歌かリンク貼っとくね)。




聞いてたらね、、
気がついたら、何回も何回も繰り返し聞いてた。
そして、ハッとして「こりゃやばい」と思った。
わたしのバランスが崩れてる、と気がついたの。

**************************

この歌を彼女の声で聞いてたら、
なんか秋っぽい感じがしないかな。
夕暮れの黄昏時、みたいな。
なんかきゅっと引き締まる感じ。

しかもね、歌詞を見てみて。
こんな歌詞で始まるのよ、、、

Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life
you were only waiting for this moment to arise

(ブラックバードが真夜中に歌ってる
(折れた翼で飛べるようにと
(君の人生でずっと
(君はただこの瞬間がくるのを待ってたんだね

Blackbird singing in the dead of night
Take these sunken eyes and learn to see
All your life
You were only waiting for this moment to be free

(ブラックバードが真夜中に歌ってる
(そのくぼんだ目で見るようにと
(君の人生でずっと
(君はただこの自由になる瞬間を待ってたんだね

((ちなみに『ブラックバード』とはカラスではなく『つぐみ』の一種です))

こんな感じなの。

この歌聞いててハッとしたときに気がついたのは、
窓からは青空が広がってて、今は春だということ。
春のエネルギー:木気が満ちてて、
上へ上へと伸びてるってのに、、、

わたし、こんなに内側に「きゅっ」と縮まることに
ものすごく同調して何度も繰り返し聞いてるのって
やばいと思った。かなりバランス崩れてるって。

でね、歌から掘り下げました。
歌詞にヒントがあると出たから。
そしたら『to be free(自由)』で大きく反応。

あ、分かった。

わたし、被害者意識出てるって気がついた。
イタリア(伊)帰ってきてから、
ボブがものすごくわたしのケアをしてくれて、
それがものすごく極まってる感じがわたしにはしてて、
自分は自由じゃないと感じてたんだ、と。
自由にさせてもらえてない、と感じてた。

**************************

伊に帰ってきてから、
すべてが『以前の伊生活』に戻ったのだけど。
でも、わたしの中でなにかが違うのね。
わたしが変わってしまったこともあるのだろうと思う。

でもボブは以前の感覚とリズムに完全に戻ったようで、
なおかつ、日本に居る間、わたしと別々の時間が
多かったこともあり、伊に来てから、ものすごく
いつも以上にわたしをケアしてくれてました。

それがね、わたしにとっては
「提供されたことをただ受け取るだけ」
「選ぶことができない」と感じてました。
自分の意思が反映されていなくて、窮屈だと感じてた。
そして、ボブの愛情は大き過ぎて、
わたしが望む以上のことまで出してくれてました。
で、わたしは自分の意思の場がないと感じてて、
自分では選択できないと思う状態に自分を嵌めてしまってた。

そして、
ボブが出してくれることをいくつかNOと言おうものなら、
「君は人が変わったよ…(首を振り深い溜息をつきながら)」
「まだ頑固がこんなに残ってるよ。僕が差し出すことを断るだなんて」
と言われちゃってね。ものすごく動揺してしまった。
わたしはどうしたいんだろう、どうしたらいいんだろう、って。

そしたら、幾つめかのボブの大きなケアのときにね、
なんとも言えないような、どうしようもないような感覚が
身体の奥底から湧いてきて、もう止めてと言いたいばかりに
ボブの方へ勝手に伸びた腕がブルブルと小刻みに震えてるのを
自分の目で見ることができたの。

これを見てしまったものだから。
身体がここまで反応してしまってるんだから、
こんなことはここで終えないといけない、と、はっきり思った。

だからね、また伝えた。
わたしに沢山のことをしてくれることへの感謝。
でも、多過ぎること。わたしが欲してる以上であること。
わたしのリズムが取れないこと。
なのでNOと言いたいこと。
自分のリズムで生活したいこと。
自分のリズムがわたしにとってどれだけ大切なのかということ。
そして。
どれだけ説明しても、
わたしの方へ歩み寄ってもらえないというのは
わたしのことを分かってもらえないというのは
どれだけ寂しい思いがあるのか、ということを
伝えました。

あんな自分の腕が震えてるのを見たせいか、
ハラ座ってたし、冷静でもあったので
ちゃんと伝えられて、
ボブには分かってもらえたような感じが一応したのだけど。

でも、またしばらくしてからのときに
「君は人が変わった、、」って言われちゃった。

うん、わたし、変わったんだと思う。
そして、以前のわたしに戻らないということも感じてる。

きっと、このままの調子で進み、
「わたしにとって」
「ボブにとって」
「わたしとボブにとって」
ちょうど良いバランスのポイントに着地するんだと思う。

**************************

人間ってね、成長していくんだと思う。

だから、もしかしたらあなたはその人の変化を
寂しく思うかもしれないけど、
元のさやに戻って欲しいと思うかもしれないけど、
本人にとって一番なのは、そのまま行くこと。
そのまま変化しながら進んで行くことなんだと
知ってもらいたい。

だって、戻れないのだもの。

戻らせようとしても、
それは無理をさせてるだけだということに
気がついて欲しい。

たとえそのまま変化の道を進んで行ったとしても、
あなたの愛やサポートや応援は感じていて
あなたに対しての感謝は変わりません。

そして、あなた自身も
あなたの大切な人と同じように変わっていってる。

でね、そのうち気がつくと思うの。
『変わった』と思ってるんだけど、
その実、結局は一周して戻ってくるようなもんだって。
変わったけど何も変わってない、みたいな。
変わってないけど、変わったという、
パラドックスだって。

今の時期、
沢山の人が変容していると感じています。
そのまま波に乗っているように。
そのまま思うように進んでいるように。
もし、これを読んでくださってるあなたが
大切な人の変化に同調できなくても
どうか自由に行かせてあげてください。

今回、わたしが歌詞から反応した他の箇所は

All your life
you were only waiting for this moment to arise
(君の人生でずっと
(ただこの瞬間がくるのを待ってたんだね

でした。そう、待ってた。
でね、その瞬間を待ってた人、他にも沢山居ると思うの。
だから、行かせてください。

わたしからも、あなたのその愛と勇気に
ものすごく感謝しています。
ほんとありがとう。

可哀想と心配と、したくないことと

2015.03.25 04:24|思ったこと・気づいたこと
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(今日の空)

この間、身内のAさんから電話があって
別の身内のBさんに「○○してあげて」と言われました。
(身内の事情で歯切れが悪い内容でごめんなさい)

言われたんだけど、、、
わたし、したくなかったの。
だからそうお伝えし、はっきりとお断りしました。

そしたらね、今度はメールが届いて、
Aさんの事情などが書いてあり、そして、
また、わたしに対して『Bさんに「○○してあげて」』と
書いてありました。

わたしはもうお断りしたし、
AさんとBさんのご都合かしら、と、
「わたしにお話なさったように、Bさんにすべてをお話ししたら?」
と返信したら、

「可哀想と思われたくない」
「心配されたくない」
「ともこさんに話さなければ良かった」と
お返事を頂戴しました。

うーーん。

一応またお返事したのだけどね。
考え方が違うと通じ合うのが難しいこともあるのだと
改めて感じさせてもらえました。

もしかしたら、わたしの考え方が
少数派(珍しい?)のかしら。
わたしが思うとこ、なのだけど;

**********************************

わたしね、いかなる状況にある人でも
『可哀想』と思うことはないのね。

可哀想というのは、
その人の可能性を信じていないことでもあるのかなぁ、と。
難しい状況にいるかもしれないけど、
それは可哀想ではなく、
そして、そこからその人がなんらかの状態で
抜け出せることをわたしは知っています。

でね、可哀想と思うのは、
自分が優位に立っている感覚があるから
そう思うんじゃないかなぁとも思う。
「わたしは今こんな状況で、、、
 あなたはそんななのね、可哀想だわ」
みたいな感じで。

あと、『可哀想』と定義付けするのは、
自分の主観であって、
ご本人が思う立ち位置とは
違う場合もあるんじゃないかなぁと思う。

もしかしたら、ご本人は、そんな状況すらも
「乗り越えてみせるぜ!」と
楽しんでいるかもしれないしね。

…ということで、
わたしは人を可哀想とは思っていないのね。

そして、心配もしていません。
心配というのも、その人が抜け出せないのでは、、
と案じているとこがあるから、心配するのでは、と思う。
わたしは、その人がなんとかなることを知ってるから
心配しないもの。
で、心配しないからといって、応援しないわけでなく。
必要な場合は、手を伸ばすときがもちろんあります。

**********************************

そして、自分がしたくないことはしない、ということ。

これは、例え身内であっても、直属な家族であっても
(例えば、ボブのお願いであっても
 誰か他の人からボブへのお願いであっても)
わたしはしたくないと思ったら、しません。

だってね、したくないけどした場合、
ボブ(相手)に受け容れてもらえたら、
喜んでもらえたら、まだいいけど
もしここで、拒否されたり嫌がられたら、
わたしは、ひねくれてしまうと思うから。
「せっかくしたのに」みたいな感じで。
ボブ(相手)に理不尽な怒りを
向けてしまいそうな気がする。

自分がしたくてしたのなら、
相手に受け容れてもらえなくても
自己満足があるので大丈夫なのだけど、
したくないのにした場合、
マイナスから出発しているので、
プラスの要素(嬉しい結果)が入ってこないと、
マイナスの状態なままです。

自分にウソをついて、無理をして、
したくないことをして。
そして、ひねくれて、勝手に怒るだなんて。
わたしは変だと思うのね。

**********************************

「家族だから仲が良くなければならない」
「人にはいつも笑顔で協力的でなければならない」
「良い人であろう」などなど

そういうことは、わたしは手放しました。
そもそも『○○でなければならない』ということは
存在しないということと、そして、上記などのことは、
わたしにとっては、恐れからきているからと知ったから。

恐れからくる行動は、創造性がないと感じています。

そして、自分が幸せである行動をしないと、
結局は、変なループができちゃう。
(自分が疲れてバランス崩して、誰かに…みたいな、ね)

わたしは、人生はシンプルにいきたいと思う。
ややこしくなるのは、恐れとエゴからだと思うの。
まぁ、ややこしくても、それはそれでいいんだけどね。

なんしか、恐れでもエゴでもややこしくてもシンプルでも、
自分で選択したのなら、それですべてオーライなんだろうなぁ。

『諦める』の語源と、受け容れることと観察することと

2015.03.24 03:48|思ったこと・気づいたこと
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(今日の空)

この間、さようなら」の語源について書いた後、
『「諦める」も「明らかにする」が語源とも云われています。』
と教えてもらいました。

教えてもらった直後にはね、
「明らかになれば、受け容れるしかないかなぁ。。。
 (考え中)
 あ、ほんとだ。受け容れるしかないねぇ。
 『さようなら』に通じるとこある」
と思ったんだけど。

しばらくしたら、なんかモヤモヤーが、
自分の中にあるのが気がついた。スッキリしないの。

でね、考えてたら、気がついた。
受け容れなくてもいいんだって。放置していいんだ、と。
観察することが『諦める』ということでもあると。

********************************

そもそも、『諦める=明らかにする』を考えてたら、
清濁をつける、みたいな感じに思えてきてね。

あっ。『清濁』といっても、わたしが認識しているのは、
『清』=良い、『濁』=悪い、という意味付けでなく、

『清』=透明である/それ(状況)
『濁』=濁っている/それ以外(状況以外のすべて)

となってます。ただの位置関係だけなのね。
白黒つけるのと似てるかもしれないんだけど、
わたしにとってはちょっと違う。

『白黒つける』だと、白と黒があって、
グレーの存在を委ねてるでしょ?
わたしはそこがなくてねぇ。
『白』か『白以外』なの。
『状況』か『状況以外のすべて』。

えらい極端やなーと自分でも思うのだけど、
わたし、濁らせるのが苦手だから、
こうなってました。

********************************

でね、状況がそうであるのなら、
ここまで明らか
『清(そういう状況)』か『濁(そういう状況以外)』と
明らかになったのなら、、、

でも、その実、
清も濁もただの自分の観点なだけであって、
本当のとこは清も濁もなく、
ただそれが「在る」だけなんだろう、と。

じゃあ、この「在る」を受け容れる、、、のかと思ったの。

ここまで明らかなのだから、
受け容れるしかしょうがないだろうなぁと
始めは思ったのだけどね。

でも。

「違うかも、それだけじゃないかも」と思った。
受け容れなくていいんだって。
『放置する』という選択もあると気がついた。

いや、『放置する』じゃなくて、
ただそれが「在る」というのを観察する、
と言ったほうがいいのかな。

『諦める』というのは、観察することでもある、
と思ったの。

********************************

「さようなら」と「諦める」は通じるとこがあり
両方ともサレンダー的要素を感じるのだけど、

「さようなら」は、『そういうことであるのなら』。
「そういう状況であるのなら、甘んじて受け入れます」、
という、一応『了解しました的』な感じなのだけど、

「諦める」は、『明らかにする』。
「そこまで明らかなのであれば、受け容れます」、
という、どこか『降参的』な感じで、
それでいて、
「そこまで明らかな状況が「在る」と観察します」で、
『手放すけど、どう展開するのかを観てみる』な感じでもあるのかしら。

********************************

いや〜。「諦める」という言葉に関して、
今までしっくりきていなかった感が
あったことに気づかせてもらい、そして、今回、
ここまで掘り下げられて気づきを得られたことは、
わたしにとって大きかったです。

こうやって言葉から自分のハラに落とすことで
いろんなことに気がついて、クリアになったのは
とても嬉しかった。
教えてくださって、ありがとう〜!

瞑想会と新たな出発と

2015.03.22 22:34|ATIH
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(ローマのフラミニア)

昨日は、わたしのATIHティーチャー;ヴァレンティーナが
オーガナイズした瞑想会に行ってきました。
ATIHとは、Awakening The Illuminated Heart
 アウェイクニング・ディ・イルミネイティッド・ハート;
 『光り輝くハートの目覚め』の略語で、
 ドランヴァロ・メルキゼデクが作り出したワークショップです)

久しぶりに会えたヴァレンティーナはいつものごとく最高でした。
彼女ね、芯が太くてしっかりしつつ、柔らかくてしなやかなの。
すべての人をそのままの状態でジャッジせず受け容れてくれる。
ヴァレンティーナはわたしにとって『愛』のメンターのひとりで、
日本に居る間にも、何度も会いたいと思ってました。

瞑想会は、ほぼ月一で用意してくれています。
毎回、彼女に入ってくる情報から、
瞑想の形式を作り上げてくれるので、
毎回形が違うのね。シェアしてくれる情報も違ったり、
ワークすることも違います。

今回は、ちょうど春分の日に開催してくれて、
前日は、日食があり、新月の日でもありました。
『新しい出発だね』ということで。
肉体があるからこの密度の高い地球で生きていける…
という面からも、
『今回はメンタルに加えて
 肉体面も浄化&出発しましょう』
という瞑想でした。

瞑想での細かいことはもう覚えていないのだけど、
瞑想の誘導が始まって、とても印象に残ったのが
「自分自身に感謝してください」という言葉。
うわーー!そういえばわたし、
自分自身に感謝してなかったなぁ、と。
いつも周りの人や宇宙の計らいや完璧さには
気がついて感謝していたけれど、
自分自身に対しては、ないがしろだったなー。

『自分の内に還って感謝し、そこから出発する』
この重要さに気づかせてもらえました。
その状態でいるからこそ、周りの人やすべてのことに
もっと深く気づけて、感謝できるだろうなぁ、と。

でね、今回の瞑想で得た一番大きなことは
『自分が一番大切にしていたことを手放したこと』。

瞑想中のヴァレンティーナの誘導の声で
「では、自分が一番大切にしていることを手放します」
と聞こえたときにゃー、反射的に
「えええーー?!」と思ってしまい、ドキッとして、
「うわ、ほんまかいな!どれかいな!」とか反応したのだけど、
その実、それらすべての反応は、わたしのメンタルから来た反応で、
実際にはすんなりと即、自分の内から『一番大切なこと(物)』が
出てきて、あっさりと手放せました。

わたしの中から出てきたのは、シンボル的なんだろうけど、
大きな大きなワンド(棒)でした。
いろんな種類の石(パワーストーンみたいなの)が
あちこち付いていて、石は様々な形をとっていて
とてもカラフルでした。
ワンドからは、
わたしが今まで培ってきた叡智みたいなものを感じてね
でも、惜しみなく、残念さもなく、すんなりと
「もういいや。ありがとう、さようなら」と思えたの。

ヴァレンティーナが
「そばにある水の中に浸して手放してもいいし…」と
いろんな手放し方を誘導してくれましたが、
わたしはそばにあった大きな樹の下に穴を掘り、
埋めました。

わたしに叡智を与える生活を送らせてくれている
大地の母、地球へと還したかったので。

でね、わたしは『還した』と思ってるかもしれないけど、
その実、還してはいないんじゃないかなぁとも
うっすら感じています。

だってね、地球とは繋がってるから。
…うーん、ちょっと違うかな。
うーーん、、なんていうかな、
「地球はわたしであり、わたしは地球である」
という感覚が、あの時ものすごくはっきりあったのね。
身体的だけでなく、魂に響く感じで。

で、ワンドを土の中に埋めて手放したにも関わらず、
なんだか、自分の中に薄い波動としてなんとなぁ〜く
残っているような感覚もあるような感じがしてました。

あの大きなワンドを手放したことは、
自分の中で、今まで培った叡智に対する執着を
手放したことのようにも感じます。
そしてこれからも、何を得ようとも、培おうとも
そこに執着しないだろうなー、と。

なんかね、上手く表現できないのだけど、
『得る』『得ない』『培う』『培わない』とかでなく、
魂に刻まれてたんだ、ということを
思い出させてもらったような。そんな感じ。
だから、執着するもなにも
『そこに在る』って分からせてもらったから。

でね、ワンドを手放したことにより、
自分の中にぽっかりと大きな新しいスペースが
空いたのを感じます。これはものすごく嬉しい。
なにか新しいことが入ってくる感じがしています。

ヴァレンティーナは、
「自分が一番大切にしていることを手放します」
と云ったけど、その実『手放した』わけでなく
それに関連した『なにか』を手放して、
一番大切にしていることは
本人のどこかになんらかの形で残っている…
と、ヴァレンティーナは知っていた・分かっていた上で、
今回、こんな瞑想をしてくれたのかな、と感じました。

新しい出発にふさわしい日にこんな瞑想。
ただわたしが勝手に感じただけなのかもしれないけど、
とてもとても深かったです。

『さようなら』の語源と、ゆだねることと

2015.03.21 04:42|思ったこと・気づいたこと
20150320
(今日の空)

無事イタリアに着きました!
飛行機から出た瞬間にふわりと外気の風が
顔を撫で、鼻をかすめた香りが懐かしくて、
嬉しくて楽しさを感じてしょうがなかったです。
今回の日本滞在は濃かったせいか、初めて(たぶん)
日本出る数日前に、日本離れるのが寂しいと思ったほどだったのに。
切り替えが早くて、わたしらしいなーと笑ってしまいました。

さて、ところで。
日本出る前にね、
お別れの挨拶:「さようなら」の語源を教えてもらったの。
「左様ならば(さようならば)」から来てるそうで、
「さようなら=『そういうことであるのなら』」という意味だそう。

『そういうことであるのなら』
つまり
『お別れするということであるのなら、それを受け入れましょう』
という感じなのかしら。

これね、日本的だなぁと思ったの。
「そういう状況であるのなら、甘んじて受け入れます」みたいな。

でね、この言葉について考えてたら、
よく言われる『サレンダー』とか、
『委ねる(ゆだねる)』についても
考え始めてね。似てるとこあるなぁ、と。

以前のわたしは、どちらかというと
マトリックス・エナジェティクスの創始者である
リチャード・バートレット博士のガイドへの祈り;
『神よ、変えることのできないものは、
 それを受け入れる冷静さを与えたまえ。
 そして受け入れることのできないものは、
 それを変える力を与えたまえ。』
(著書:マトリックス・エナジェティクス、P.55より)

上記のような考え方で、『委ねる』というより、
自分の(といっても『わたしの』ではないのだけど)力で
なんとか動かそう、引き寄せようとしていました。
「○○となって欲しいことがあるのなら、
 それを願ったら良い。動いたら良い。引き寄せたら良い。
 そして、受け入れたくないことなら、
 自分が願うことに変えたらいいやん」という考えで。
実際、願えば結構、事が叶っていたんですね。

でもね、今は変わりました。
なんだか違う感じがしてきてね。
もちろん、今でもやりたいこととかに対して、
願ったり動いたりするけど、
すべてが完璧なら、完璧を見出して出発しているのなら、
じゃあ、どこを変えようというのだろう、と。

でも、諦めている、というわけじゃないの。
もしかしたらちょっと似てると思われるかもしれないけど、
違うのね。

進みたい方向(やりたい事など)のほんの軽く一点だけに
意識をちらりと置いた後、手放すの。
これがわたしにとっての『委ねる(ゆだねる)』であり、
『サレンダー』です。

そして、その後、なにが起こったとしても
「それが完璧なのだ」と知っているので抵抗しません。
だって、わたしが思う進みたい・望む方向は、
わたしの思考が生み出したとても制限のあるものだから。

なので、わたしが望んでいた以外のことが起こったのなら、
わたしが望んでいた以上の素晴らしいことが待ってるんだ、と
理解して(知って)います。
だから「望んだ以上のどんな楽しいことが待ってるんだろう?!」と
ワクワクしながら状況展開を楽しむようにしています。

ということで。
さようなら=『そういうことであるのなら』。
そういうことであるのなら、わたしが思っていた状況と違う、
もしくは、ちょっと痛みを伴う状況・お別れが辛いなども、
受け入れます。。。という感じで、
『さようなら』という言葉が、
まるで、おまじないの言葉のように感じてきました。

******************************

時々「『サレンダー』って諦めるってことでしょ」
と、ちょっと投げやり(?)的な態度な方も
いらっしゃいますが、
『諦める』ということと『信じて任せる』というのは
違うと思うのね。

『諦める』というのは、
「どないでもいいわー」と、
自分の意思や意図が入ってない感じで、
どことなく信用も欠けてる感じがするの。

『信じて任せる』というのは、
どうなったとしても、自分にとっては最高最善が
やってくると知っている感じがするのね。
そしてそう事が動く・進んでいくと分かっている感じ。

もしかしたら、
「そういうことであるのなら、甘んじて受け入れます」
ということは、諦めとも取られるかもしれないけど、
信じて任せた潔さとも取れるんじゃないかなぁ、と。
まぁ、大切なのは『自分が』諦めているのか、潔くしてるのか、
なのだろうけどね。

さようなら=『そういうことであるのなら』。
これからしばらくは、お別れなど
ちょっと心に痛みが伴う状況では、
わたしの中で「さようなら」が、
おまじないの言葉になっていそうです。

また会える時を楽しみにしています!

2015.03.18 21:47|谷田先生講座
みなさま。おかげさまで、
ものすごく充実した日本滞在を送らせてもらいました!
イタリアに帰りまーす。

今までの日本滞在の中で最高に楽しかったです。
日本の良さを沢山再認識させてもらえたし。
ほんと、みんなのおかげ。ありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

あっという間に過ぎたような感じもするけど、
そんなこともないような。
すごいギッシリ感があって、濃かったなー
今はただ、ものすごい充実感があります。

今回の滞在は、かなりの転換期だった感じする。
今までしないようにしてたこと(スケジュールみっちり、とか)
今までしたことがなかったことをしました。
楽しかった~!

今までしたことが無かったことのひとつが、食事の面でのこと。
わたし、串揚げを食べたことが無かったの。
カウンター席のお店で初体験させてもらったんだけど、
なんかね、テーマパークに来たようなワクワクさがあって
すごい楽しかった。
あ、そうだ。『アジのナメロウ』 って、みんな知ってるのかな?
わたし知らなくて、アジの種類に 『ナメロウ』 という魚がいると思って
「『アジ』 と 『アジのナメロウ』 って、どう違うの?」
なんて質問しちゃったよ、、、
あとね、『どて焼き』 というのも初めて食べたの。
存在すらも知らなかったのだけど、
食べさせてもらったらすっごい日本の味だった。
イタリアに帰る前に食べられてほんと良かった。

・・・ふふふー
わたしのことを前から知ってる方だと
「あれ?ともこさん、食を変えたの?」 と思ったかも。
あのね、 「ま、いっか」 としたの。

以前から魚と肉を食べない生活をしてたんだけど、
でもその時から食べたくなったら食べることにはしてました。
だから、日本に来たら数年に一度は、たこ焼きを食べたりしてた。
そこを、今まで以上に 「ま、いっか」 としたの。
機会があったら、食べよう、と。
そしたらすごい楽しいの。
なんか、、、上手く伝えられないのだけど、
感覚として、すごい楽しさがあるのね。
もしかしたら、この 「ま、いっか」 を自分に出したことで、
自分に優しくなったのかなぁ、と。

わたし、濁すことが苦手でね、
陰陽五行の要素でも、わたしは金がちょっと突出してるから。
きゅっとしがちだし、自分に厳しいとこあるし、
一度決めたら くそ真面目にしちゃうとこある。
そんなところも、自分を 『金だから』 と枠にはめちゃって
ラクになった部分もあるけど(ここでお話させてもらいました)
そこへ、今回の 「ま、いっか」 が入ったことで、
もっともっとラクになった感じ。
そして、すっごい楽しい。
いろんなことが、もっともっと楽しめてる感じ。
身体と心から、力が今まで以上に抜けたんだろうね。

そんなこんなな今までの中で最高に楽しかった日本滞在。
いつものように支えてもらい、
いろんな人に出会えて、
いろんな宝物や魂の輝きを見せてもらえ、
わたしにとっては幸福の時間そのものでした。

気づかせてもらえたことや
学ばせてもらえたことが沢山ありました。

あなたに会えて、ほんと幸せでした。
ご縁を繋いでくださったあなたへもありがとう。
みんな大好きです。

そしてそして。
今回の日本滞在で、作戦に嵌ったように、、いえ、冗談!
楽しくて好きだったから、せっせと通った谷田先生の講座シリーズ。
ものすごく成長させてもらえて、
多大なる影響を与えてくれました。先生、本当にありがとう!

わたしの人生ラクになったセミナーもあるし、ざっと振り返るとね:

陰陽五行セミナーは、ほんとわたしをラクにしてくれました。
(わたしの主観なんだけど。でもね、ほんと人生ラクになったの)
自分と周りの人間関係もクリアに観えてくることもあったので、
五行に興味がある方には特に、わたしはおすすめしたいです。
あんな難しそうなことをさらりと分かりやすく教えてもらえるのだもの。

経絡ストレッチセミナーね、谷田先生のサポート(フィールド)ありきで
音叉コラボの時にみんなの状態を見せてもらえた時だけでなく、
実際に自分が受講してても、すごいリリースだったのは、覚えてる。
でね、受講したなら、続けてみて欲しいなぁと思うの。
任脈・督脈のポーズだけでも。
しばらく続けると、ポーズを取る前と後の違いが
体感できるようになると思うから。
『心と身体は繋がってる』 という言葉がありますが、
その実、『心と身体は一体』 なんじゃないかなぁと思う。
経絡がスッキリ開通してると、心もスッキリするから。
心から身体へのアプローチも良いけど、
身体から心へのアプローチも良いと思うの。
分かりやすいし、体感もあるからね。

どぅる~んタッチセミナーは、
あの 『どぅる~ん』 の感覚は、もうね、ラク~な感じ。
で、この状態にいろんな秘密があるような感じがするの。
普段、日常的に緊張している方や
思考型の方には衝撃的な感覚じゃないかなぁ。
あの領域にいられるのなら、
自分がストイックになっている状態から抜け出せる境地が分かるし
ボディワークをする方なら、自分の身体のどこに余分な力が
入っているのか、が、感じられるんじゃないかなぁ、と思う。

脈ナビセミナーはね、
自分の意識の状態が、ただ自分がそこに存在するだけで、
どれだけ相手に伝わっているか、を身をもって感じさせてもらえます。
普段、口で言うことと心で思っていることが違う人には、
特におすすめしたい。分かる人には分かるんですよ~
口で言ってても、本心じゃないってこと。ふふふー
なぜバレてるのか。それを知りに受講してみて!

でね、谷田先生のセミナーに限らず、
なんかの講座やワークショックに参加するとき、
「なんでこれに参加するんだろう」 とか
「これは何に役立つんだろう」 や 「どう今後に役立つのだろう」 など
頭(思考)で考えたりせず、
「受講したい」 「行きたい」 「やってみたい」 という感覚だけでも
ドーンと参加してみてくださいね。

わたしもただ 「受講してみたい」 「やってみたい」 という
気持ちだけで参加してきて、それで最高に楽しかったです。
友人の中には受講後に 「なんで受講したのか分からないんだけど・・・」
と言う人が今までもいましたが、それでも 「楽しかった!」 と言ってました。
そんなもんだと思うなぁ。
気持ちに正直になると、結果、気持ちが喜ぶことをしてることになる。

だから、頭でこねくりまわさず、
そのときの気持ちの波に乗ってみてくださいね。
そんなときに、いろんな鍵がもらえます。
人生の転機の鍵となるようなことを。

わたしも鍵をほんと沢山もらいました。
友人に 「ともこさんのここ一年での変化はすごいね」 と言われたほど。
ボブにもそれを言われててね、
「ここ数年のきみの変容は感じてたけど、
 ここ最近の変化は特にすごいね」 と。
ああ、言われてみれば、、、と自分でも気がついたのだけど、
そういえば変わったなぁ、と。
自分の感覚が、大きく変わったから。

ほんと今回の日本滞在は濃かったです。
みんな本当にありがとう~!
また会える日をとてもとても楽しみにしています。

心からいっぱいの感謝を込めて。

【追記】そうそう。わたし、Facebookもしてますよ~
アカウントはこちらです。
もしよかったら、お友達申請を送ってくださいね。
この間、「ともこさんは、Facebookしてないですよね?」と
質問されて「してますよ~」とお返事したら驚かれてね。
そうだ、わたし、みんなに言ってなかったと、
やっと気づかせてもらえました(気づかせてくれてありがとう!)。
遅くなってごめんね~

谷田先生の経絡ストレッチセミナー@音叉コラボ、ありがとう

2015.03.16 22:24|谷田先生講座
谷田先生の経絡ストレッチセミナー:基礎編と応用編、
3月14日(土)、15日(日)と
音叉でサポートをさせていただきました。
(経絡ストレッチのポーズをとっていらっしゃるとき、
 各個人の方に合う音叉の組み合わせを筋反射で選び、演奏し、
 その後、屍のポーズのときにも、音叉を演奏させてもらいました。)

15日(日)応用編ではね、
谷田先生、サービス精神旺盛で
基礎編で習ったポーズ+応用編のポーズ、となり、
通して合計20ポーズと、ものすごい贅沢でしたよ!!
今回参加した方はラッキーだったなぁと思った。
(わたしが受講したときは 『応用編のポーズ』 だけだったの)

でもね、例え応用編だけのポーズだとしても、
なんとなーく、経絡ストレッチは基礎編・応用編と
続けて受講したほうが良さそうだなぁと感じました(わたしの思い、ね)。
そのほうがますますスッキリと出来そうなんだろうな、と。

この二日間は、あっという間に時間が過ぎていって、
笑いあり、涙あり、お昼に食べたニシンが飛び出しそうな方ありで、
用意してくださってた美味しいケーキや
愛が沢山入った差し入れ手作りクッキーがあり、
すっごい楽しい日々でした。

でね、参加者みなさんのリリース度が凄かった。
音叉でサポートさせてもらっていると、感じたのだけど、
さらりさらりと流れていくかのように、いろんなことが
リリースされててね、感動しました。
みんなね、変わっていくのを時間が過ぎるごとに感じるの。

そして、谷田先生のフィールドの作り方、
サポートの仕方(というか先生の感性かしら)も
やっぱり凄いなーとあらためて感じました。
スルスルっと経絡が開通した瞬間に、
最初に気が付いたときはめちゃ感動しました。
先生のあのサポートの仕方、あれはアート(芸術的)だったよ。
あんなにスルスルっと経絡開通するのは
見ててマジック的だった。ほんと凄かったの。
感動の言葉しか出てこない。素晴らしかった。
そして、そのエーテル体(?エネルギーかしら?)の美しさと完璧さ。
先生のエネルギーとポーズ取ってる方のエネルギーが合い
そこに流れる経絡の流れ。輝きが増してキラキラしてるの。
見たその美しさと完璧さには心が奮えるほどでした。
みんなが、本当に美しくて完璧でした。

あとね、セミナー中には、谷田先生が言ってらっしゃるように、
「経絡ストレッチは身体の固さとかは関係無い」 ということを
見せてもらいました。
(そりゃ柔らかい方が身体的痛みは少なめかもしれないけど)。

もっと重要なのは、イメージが出来てるかどうか。
経絡が流れてるイメージ。

例えば、任脈だと、
大きな大きな円の線の一部分に自分が居るように、
そんなイメージを、、
というようなことを、先生がおっしゃってたでしょう?
そういうのをイメージできてるかどうか、が、
ほんと重要なんだ、ということを見せてもらいました。

参加者の中には身体が固い方がいらして、
身体的ポージングでは綺麗じゃないかもしれないけど、
イメージがちゃんとできていらしたら、経絡は繋がっててね。
それを見せてもらえました。輝きが増すの。

あとね、参加者の方が言ってらした言葉:
「意識で無理って思っても、体は無理じゃないのよね〜」
これはほんとそうだと思う、すごい納得。
意識(思考)は、自分が経験したことしか知らないから、
限界を超えた域を知らないのね。
だから、そんな意識(思考)にしがみついてたら、
そこに居てしまう。
なので、逆に、その意識(思考)を外せたら、傍観できたら、
新しい経験が待ってます。限界を超えます。
身体はそんなことお構いなしだもの~
どんどんいくよ。どんどんリリースしていく。

そして、みんなのポーズの後の軽さといったら!
肉体の身体としてはドロンドロンで
ひぃひぃ言ってる方もいらしたけど、
そんな方でもエーテル体的で見ると
(わたしの感じでは)軽くなってて、
これまた感動ものでした。
ほんと、みんな軽かったよ~

こんなに沢山の素晴らしい瞬間に立ち合わせてもらえて
とてもありがたかったです。

音叉は大好きなので、一日中鳴らしてても全然平気だし
楽しいし、わたしにとっては至福のときでした。

ほんと、みなさま、ご一緒させてくださって、ありがとうございました。
谷田先生、機会を与えてくださって、ありがとうございました。
またいつかみなさまにお会いできたら最高に嬉しいです。

日本での最後の活動が、
経絡ストレッチセミナーでのサポートというのは
わたしにとって祝福でした。

いろんな方から感想のメッセージを頂いて、
わたしが感動させていただきました。
内密なことも書いてくださっているので
ご紹介は控えさせていただくのですが、
ほんと、いろんなことがあって、リリースなさったんだなぁ、と。
複数の方のこんな瞬間に立ち合わせていただけたこと、
そして、お話をシェアしてくださったこと、
あんなにも美しくて完璧なものを見せていただけたことは
わたしにとって至福のときでした。

心が幸せでいっぱいです。
ほんと、ありがとう!

沢山の感謝を込めて

ともこ

【追記】経絡ストレッチね、受講したなら
任脈・督脈だけでも、まずは続けてみて欲しいなぁと思う。
続けてたら、なんかが変わってくるのを体感できると思うから。
そして、最初はポーズがとり難いのも段々大丈夫になってくるよ。
わたしね、基礎編のときに見本(?)で
肝・胆系のポーズをとらせてもらったでしょう?
あれね、初めてポーズをとったとき、
先生のサポートが無かったら、身体が曲がらなかったの。
それが今は、最初から、耳がほぼ膝に付く状態になりました。
みんなも試してみてね~

三つの大きな気づきが繋がった瞬間

2015.03.12 23:00|思ったこと・気づいたこと
今朝ね、夢から目が覚めたら、
この間から続いていた、大きな三つの気づきが繋がった。

まずは、今までご紹介していなかった気づきのお話。
友人との会話の流れから
「ともこさんは、『完璧(だと思う意識)』 からスタートしていない」
と指摘されたの。
これ聞いたとき、ものすごいハッとさせられてねぇ。
ああ、ほんとだ、そうだ、とすごい納得した。

そこに至る経由を話し出すと長くなるので省略するけど、
なんしか、わたしはそのとき話してたことに対して
『不完全だという意識』 で事柄をながめ、
『不完全だから、なにかをしなければならない』 という意識で
対応していました。

これ、違ったなーと。

『不完全だという意識』 は、
わたしの思考データから出てきたもので、わたしの経験からくるもの。
ということは。
『不完全だから、なにかをしなければならない』 と
 (○○しなければならない、というのは本当は無いと思っているのですが)
うかつにも思ってしまっても、できることと言えば、
わたしが経験したこと以外のことは出てこないんですね。
経験してないから、データもなく、分からない。
だから、できることの幅がものすごく狭い。
ただでさえ 『不完全』 と思ってしまって出発点がズレてるのに
そこへなにかしようと思っても、ものすごく選択肢が少ないの。

逆に、もし、『完璧だという意識』 からスタートしていれば、
すべてが完璧で、いろんな可能性のドアがそこかしこにある。
すべてが完璧だとゆだねられているので、
勝手に必要なドアが開いていくことを確信できていて、
おまかせにできるのね。

ここに気づいてなかったなぁ、と。

***************************

でね、昨日のブログ記事にも書かせてもらった
「どこに同調するかで得られることは変わってくる」
というのが、上のことと、わたしの中で繋がった。

いったいどこに同調しているか、で、
得られることは、ほんと変わってくる。

『完璧だという意識でスタート』 していると
そこに同調しているから、すべてがほんと完璧なのね。
そこから物事が進んでいく。

『不完全だという意識でスタート』 していると
そこからつい、完璧にさせようとする、自分が出てきてた。
不完全だという意識に同調して、居心地が悪かったから。
でも、思考が入ってきて 「自分」 が出ても、
「自分」 というのは、経験したことしか出せないし
なんかズレてたのね。宇宙の完璧さを信じてないから。
(でも、ほんとは、そういう状態すらも 『完璧』 なのだけど)

***************************

そして、ここに、
「自分の世界は自分が創っているのなら」
気がついて得られたことが繋がってくるの。

しかも今日、もっともっと深いとこに
気づかせてもらえた。

わたし、要らないと判断・感じたことは
バサバサ切り捨てていたけど、
その実、まだ本当の事が分かっていなかった。

その切り捨てていたことさえ、わたしが創りだしたものだった、と。
自分が創りだしたということに気がついていなかった。
しかもね、それは 『雪のような存在』 と気がついていながら、
雪は自然界の産物なので完璧な物である、というとこまで
気がついてなかったなー、と。
そこに完璧性を見出してなかった。

そしてそして。

ブログ記事
を書いたとき、
雪は、天使でもありえたり、浄化もしていたり、
氷にもなり他の存在を巻き込んでフリーズすることもできるし、
水にもなり、水は蒸発もする。
雪そのものをいろんな変容ができるんだ、と
気づかせてもらえたんだけど、
わたしは変容した 『ひとつの状態』 しか選択していなかったのね。
『氷』 なら、氷だけで、『浄化』 なら浄化だけ。
でも、ひとつだけを選択したとしても、
同時に、他の状態すべてがここに 『在る』 んだということを
今日、気づかせてもらえました。

『無』 のなかに 『すべてが在る』 ように、
『すべての状態がここに在った』 の。

『ひとつを選択』 しつつ、同時に 『すべての状態がここに在る』。
その状態に触れたときに感じられた
美しさと完璧は、ものすごいものでした。

***************************

『完璧だと思う意識でスタートすること』
『どこに同調するかで、得られることが変わってくること』
『雪は完璧な存在で、ひとつを選択したとしても、
 同時にすべての状態がそこに在ること』

この三つが繋がった瞬間、
自分の中でバーンとなにかが開きました。
そして、腑に落ちてきた。

実は、いみじくも、あの 『雪』 のブログを書いた翌日、
買い物に出かけようと家を出たら、雪が舞っていました。
今期、初めて体験する雪。
向かい風だったせいで、雪がわたしにくっついてくるかのよう。
しかもね、それだけじゃないの。
その翌々日ね、出先で地下鉄に乗ったら
気分が悪くなったときと同じ路線だったせいか
体感が残っちゃってて、ちょっと重くなったんだけど、
電車を降りて駅から外に出たら、雪が舞ってたの。
大きな大きなふわりとした雪の粒。
なんかね、泣けてきた。
ほんと、選択は間違ってなかったんだって。

わたしにとって、あそこから得られたこと、
そこからの発展で得たことは、ものすごく大きなことで、
わたしの中の大きな塊をゴロンと動かしてもらました。

人生、いつなにが起こるか、
どんな気づきを宇宙は用意してくれているのか。
ほんと分からないもんだなぁと。

わたしの中で動いた大きな塊は、
未だ変容中な感じです。
どんなふうになっていくんだろうね。

この間、友人に
「ともこさんは、今世で終わりにしようと腹くくってるでしょ?」 と
指摘され、「うわ、さすが。バレてるなー」 と思ったんだけど、
その後に 「今世で終わりにしようと思わなくていいかも」 と
友人が言葉を足してくれて、わたしも同じこと思いました。
だって、逃げられないと気がついたのだもの。
(これについては、また気が向いたときにでもシェアしますね)
でね、これに気がついたら、なんか安心した。
で、ますます腹据わったよ。あははは~

わたしのまわりのみんなは、転換期のようで、
わたしもまさしくそうなんだけど、
もしかしたら、みんなそういう時期なのかも、ですね。

最初に周波数ありきで、現実は後から創られてくる。
自分の意識をどこに置くか、
自分が選択しているということを認識し、
ひとつを選択したとしても、同時にすべてがここに在ることを
感じながら、完璧性を見つめていきたいです。

どこに同調するかで得られることは変わってくる

2015.03.11 21:41|谷田先生講座
今日ね、音楽家の友達と会ったの。
脈ナビセミナーを一緒に受講した友達。

ちょうど昨日アップした記事を読んでくれてて、
脈ナビセミナーでの
『ベルリン交響楽団』 と 『東村山交響楽団』 の演奏を
当てる実践をしたときの彼女の発言:

>違いは「ベルリンのには緊張感があった」 と。

という言葉について、付け足してくれました。
この 『緊張感』 というのは、『音の緊張感』 という感じで、
プロとしての姿勢からの音の出方というか、
そういうとこの 『緊張感』 だったそう(・・・だよね?!違ってたらメールください・汗)

でね、引き続き彼女と
『ベルリン交響楽団』 と 『東村山交響楽団』 の演奏を
当てる実践について、話してました。
(音を聞いて当てるのと、
 振動(波動だけ。音はボリューム1で、聴覚的に聞こえない)で
 当てるという実践)

わたしの反応は興味深いね、と。
わたしは、波動だけを感じてたとき、なにを拾ってたんだろう、と。

で、彼女に聞かれたの。
「ともこさんは、あのとき脈をみてたの?」 って。
これ聞かれたとき、ハッとした。
わたし、脈を観よう(脈を感じよう)としてたけど、
そういえば、演奏の波動だけで判断したとき、
身体が先に反応してたってことを思い出させてくれた。

わたしの場合、身体が反応したということは、
何かに同調した、ということだと捉えています。

音を聞いてたときは、しっかりと脈を感じ取れてたの。
でも、演奏の波動のときは、身体が先に反応してた。
東村山交響楽団は、楽しさが伝わってきてて、
ベルリン交響楽団は、ちょっと重くてピリリとしてたの。

わたし、演奏の波動の、、何を拾ってた(何に同調してた?)んだろうね。

音楽家の友人曰く、東村山交響楽団の方たちはアマチュアであって、
もしかしたら音がそんなに滑らかでなかったり
『音的』 には超一流じゃないかもしれないけど、
演奏しているときの楽しさ、嬉しさはとても大きいかもしれない、と。

反対に、ベルリン交響楽団の方たちはプロであり、
そんなプロ意識からくる音への緊張感
(良い意味でね。たるみが無いという感じで)や
姿勢があるのかも、と。

彼女も言ってくれたのだけど、
どこを拾うか(どこに同調するか)、で、感じることは変わってくるね、と。
わたしはどこを拾って感じたのか、はっきりとはよく分からないのだけど、
彼女が音や演奏の説明をしてくれて、ものすごく納得しました。

もしかしたら、演奏の波動だけで拾ったのは、
東村山交響楽団からは、演奏することの楽しさ、
ベルリン交響楽団からは、プロとしての音の緊張感、
これらを感じたのかなぁ。

そして、音を聞いて拾ったのは、
『音』 が醸し出す、演奏としての 『音のハーモニー』 を感じてたのかな。
だから、
東村山交響楽団からは、音がわたしが好むように整っておらず
ベルリン交響楽団からは、音がとても素晴らしくて楽しい
と、感じたのかな、と。

************************

でね、音楽家のお友達ね、
もうひとつ、とてもとてもステキなお話をしてくれたの。

彼女が持ってるテープでね、
ルーマニアの民族音楽で、結婚式でのライブ演奏があるんだって。
ライブ演奏だから、犬がワンワン吠えてるような音やいろんな雑音、
しかも、カセットテープだし、ダビングしたときの状態もよくないような
そんなテープなんだそうだけど。

彼女はとても好きなんだって。
ヴァイオリンだったかな(ごめん、間違ってたら!)の演奏が、
良いらしくてね、でも、彼女の友人が解析したところ、
・音としては滑らかでない
・音程がズレている(でも、民族音楽だから確かなとこは分からないのでは?とも)
などなど、沢山のことが 『音』 としてはダメらしいのだけど。
でも、彼女は好きなんだ、と。

でね、ここで、彼女からこの音の素晴らしさに
わたしも同調させてもらったの。
そしたらね、もうなんとも言えない素晴らしさだった。

演奏の波動がね、言葉では言い表せないほどなの。
ここまでピュアなことがあるのか、と思うほど
ピュア度が凄かった。
愛とかそんなのを超えたとこにあること、
それに触れさせてもらいました。
もう素晴らしすぎてね、こみ上げてくるくらいなの。

例えていうとね、、、
自然の中で、満天の星空を見上げたことがありますか?
自然の中で、オーロラを見たことがありますか?
それらを観たときの、胸がいっぱいになる感じ。
あの美しさを、あの演奏の波動で感じられたの。

ヴァイオリンのプロの耳で、
『音』 として、このルーマニア民族の音を聞くと、
ダメダメなのかもしれないけれど、
なにを拾うか、どこに意識を置くか、どこに同調するか、で、
得られるものはまったく違うんだ、ということを
とてもとてもはっきりと気づかせてもらえました。

************************

結局、すべてはそうなんだろうなぁ、と。

たとえどんな状況に自分が居たとしても、
どこに意識を置くか、で、自分の感情や立ち位置が変わってくる。

「これダメじゃん」 「それどうなのよ?」 的な
否定や不完全だという思いを持つと、
そっちに同調して同じような否定的・不完全さにいるのだろうし
(それもいいだろうし、その中から解決方なども見つけられるのだけどね)
逆に
「それ良いやん」 「そっちはどうかな、いけるかも」 的な方に
同調していると、良さそうな波動を保っていたり、
行けそうな道が開けてくる、ということがあるのかな、と。

すべては、どこに意識を置くか。
その意識を置くのは、『わたし』 であり、
わたしが選択をしているということ。

他人がどうこうではなく、
『わたし』 がどうしたいのか、どうありたいのか、を
見据え、行動していくんだなぁと。

どうせ観ていくのなら、
魂を、本質を、コアな部分を観ていきたいなぁと
つくづく思った今日でした。

脈ナビセミナー:再受講は気づきが多かった!

2015.03.10 21:30|谷田先生講座
なんだかやけに谷田先生付いてるような気がしないでもないですが、
先週 『脈ナビセミナー』 を再受講してきました。
一回の受講では、脈をみるのを
ちゃんと掴めてなかった気がしたから。

前回の初めてのときは、ただただ「楽しかった~!!」の
思いが強かった(記憶がある)のだけど、
今回は難しいわ~という思いと同時に
いろいろ気づかせてもらえました。

********************

お相手の脈を観て、
『どんな状態の脈ですか?』 なら
まだ感じたことを表現できるのだけど、
じゃあ、
『お相手の方に合うアロマを選びましょう』 となると
今回は難しさをとことん感じてしまいました。

わたしね、相手の方の脈を 『響く感じの脈』 と
感じたアロマがあったのね。
となると、この 『響く』 ってなんだろう?と。
響いたらどうなんだって、分からないの。
相手にとって 『響く』 のはどうなんだろう、何なんだろうって。
初対面の方だったから、ほんと分からなかった。
こうなるとね、もう本当にますます分からなくなったの。
相手の方のこと知らないから、
この方にとって脈がゆっくりになるアロマを感じても
この方には、合ってるのか合ってないのか。

うーーーん、、、
初回受講時にわたしはどうやって
お相手の方のアロマ選んでたんだろう。
適当にしてたのか??
それとも、今回、くそ真面目になりすぎたのか??
相対的だから、『わたしが感じた、お相手に合うアロマ』 なので
正解も不正解もないと分かってるのに
なんかね、やけに考えちゃった。

********************

受講中の実践に、小さいメモ用紙2枚に
『好きなこと』 『苦手なこと』 みたいなことを
それぞれに書き、手にのせて、脈をみて当てる、、、
みたいなことをしたのだけど(はっきり覚えてなくてスイマセン)、
すごい面白い発見をしたの!

お相手の方がね 「脈が反対の反応で出る
(*反対の反応、つまり、好きなことが苦手のような反応の脈が出る、と)」
とおっしゃったのね。

この方、好きなこと、として 『花』 と書いていらっしゃいました。
そのメモ用紙が手のひらにのると、
脈は、『穏やかになって嫌になる』 んだって。
なんでだろうね、、、と一緒に話してて、閃いた!
で、おたずねしたの。
「もしかしたら、お花は好きだけど、枯れるのは嫌じゃないですか?」 って。
そしたら、「そうです!」 とお返事。
この発見には感動した。
そうなんだ、脈はそこまで出るんだ~って。

でもね、
脈はそこまで出る。

それを感じられてた。

でも、解釈を間違ってた、、。

そうなのよ、脈を感じられても、解釈を間違うと
ちゃんとした気づきが得られていないんだと、気づかせてもらえた。

その実、わたしも、このメモ用紙実践では、
「逆の反応が出てた」 ひとりでした。

わたしのメモ用紙は絵入りで 『大好き』 と 『大嫌い』 でした。
『大好き』 だと、わたしの脈は遅くなってたのね。
『大嫌い』 だと、わたしの脈は突き上げるようで元気だと解釈しました。
・・・とするとですね、元気な感じを好きな方と捉えたんですよ。
あれれ? 『大嫌い』 感情が、今日のわたしは好きなのかしら??
と思ってたんだけどね、気がついたの。

『突き上げるような脈』 は、元気になってるんじゃなくて、
突き上げてイヤイヤと表現するほど嫌だったんだって。

『遅くなってた脈』 は、
遅くなって、穏やかになるほど、ゆったりできるんだって。

いや~、、脈を感じても、
『どんな表現をしてる脈なのか』 までを分かっていないと、
気づきがまったく逆のことになってしまうこともあるんだなーと。

********************

あとね、今回、もうひとつ難しいと感じたこと。
脈でみようとする前に、
身体全体が感じて(身体が反応してしまう)ことが多かったこと。

『貴船神社の五寸釘痕がある木の写真』 と
『緑がある元気そうな木の写真』 を裏返しにし、
シャッフルをして、どちらがどちらか、を、
脈をみて当てるのだけど、
意識を 写真の裏返しに飛ばすだけで、
脈をみる前に、身体が反応し察知して分かるのね。
脈みてる間がなくて、なんか必死に脈みようとしたりして。
ひぃひぃしてました。
前回の受講時はそうでもなかった記憶があるんだけどなぁ。。

********************

あ、そうそう。
個人的にすごい興味深い発見をしたのがね、
『ベルリン交響楽団』 と 『東村山交響楽団』 の演奏を
音を聞いて当てるのと、
振動(音はボリューム1で、聴覚的に届かない)で当てる
という実践。

これも、身体が先に反応してしまい、
脈を後からみる、、みたいな状態だったのだけど、

音を聞いて当てるのは、
わたしは 『音を聞いて』 判断していました。
楽しいのは 「ベルリン」 で、
途中からなんか飽きてきた感じが 「東村山」 でした。
で、それで当たってたのね。

さて、次は、波動(振動?)だけで、
「ベルリン」 か 「東村山」 かを当てる実践。
いざ波動だけ流れてきたらね、、、
一曲目はなんかすごい楽しい感じが伝わってきたの!
こんなに楽しいのなら、さっきも楽しかった 「ベルリン」 だと思った。
二曲目は、なんかね、
ちょっと重いというかピリリとするのがあったの。
じゃあ、「東村山」 だと思ったんだけどね。

違ったの。

一曲目のが、「東村山」 だった。
一緒にセミナーに受講していた音楽家のお友達曰く、
違いは「ベルリンのには緊張感があった」 と。

それ聞いたとき 「東村山~、しっかりしろよ!」 みたいな感じで
みんなと笑ってしまったんだけど。

後で気がついた。

音を聞いて脈みてたときは、『音』 からだったけど、
波動(振動)を感じて脈みてたときは、『音そのもの』 ではなく、
『音を消して残ったとこにある波動』 を感じてたんだって。
(音が聞こえてないのだから、当たり前っちゃー当たり前なのだけど)

二曲目で感じてた 『ちょっと重い、ピリリとした感じ』 は、
あれはベルリンの緊張だったんだなぁと。

ベルリンの音を聞いたときには楽しかったのに、
波動(振動)だけを感じたときは、ちょっと苦手だった。
『音そのもの』 と、
『音を消して残ったとこにある波動』 はここまで違うのか、と
考えちゃった。

もしかしたら、わたしが感じてたのは、
『音を消して残ったとこにある波動』 ではなく、
『演奏者たちの波動(緊張感)』 なのかも知れないのだけど。
どこに意識を置くか、で、同じようなことも
違う反応が出るんだなーとすごい感動しました。

********************

・・・と、なんとも沢山の「難しいのぅ」的反応が多かったのですが、
いろんな発見があって、難しいながらも楽しかったです。

今回、脈みる前に身体が反応することが多々あったのだけど、
これは、ここ数ヶ月セッションすることが多く、きっと、
それで波動との共鳴力が強くなったからかしら、と思うのだけど。
どうなんだろう。

それにしても、どこに意識を置くか、で、
得られるものが違ってくるんだということを
ものすごく感じさせてもらえました。
意識の力ってやっぱり凄いなぁ、と。

あとね、脈の表情をちゃんと掴めていないと
解釈も間違ってくる、、、ということを
痛いほど学びました。
これは、数をこなして、経験していかないと
細かい表情も感じ取られないのだろうなぁと。

あんな小さな指三本的スペースに詰められた
沢山の情報。
脈の表情をちゃんと感じ取れられるのなら
最高に楽しいだろうなぁといつかの日を夢見てます。

どぅる~んの境地と出会いと

2015.03.10 21:10|谷田先生講座
延び延びになってた、先月受講した谷田先生
『どぅる~んタッチセミナー』 のお話です。

実はね、ずーっと 『どぅる~ん』 というオノマトペがよく分からなくて、
どうしても感覚が掴めなくて、最初は興味が無かったの。
どれだけ 『どぅる~ん』 を想像しようとしても、
イメージが湧いてこなかった。
『ど』 から始まるオノマトペだよ?
濁音から始まる感覚の言葉でっせ、奥さん!想像できます?

それが、別の講座に参加していたときに、
この 『どぅる~ん』 な感じを味わさせてもらって
もうビックリ。何これ?!な状態でした。
相手との境界が無くなり、
相手の丹田と自分の丹田が融合する感覚。
すべてがひとつを感じられ、ふわりとなる瞬間。
うわーー、はまってしまいました、『どぅる~ん』。

でね、これはこれはと思って、
『どぅる~んタッチセミナー』 に参加したの。

もうね、意識の世界でした。
どれだけ意識がぼーっとできるか、みたいな(あははは)
どれだけ感覚的でいられるか。
思考がおしゃべりしだすと 『私(自我)』 が出てくるから、
相手との境界線が出てくる、、、
そして、どぅる~んじゃなくなる、みたいな感じ。

そして、意識だけでなくてね、
身体の向きや手の位置、目線でさえも、
それらがどういう状態であるか、で、
気(エネルギー)の向きや量が完全に変わることを
体感させてもらえました。

ほんと凄かった。

わたしが一番感動したのが、
手をお相手の方の頭の上に置いたとき。
手の形は、手のひら と指で包むように丸く置いてたの。
それでもちゃんと気は流れてたんだけどね、
谷田先生がいらして、
同じように頭の上に手を置いたら、、、
明らかに気が流れてる量が違う!!
すごいの。グワングワンって感じ。
わたしのは、フワンフワンって感じだったのに。

さて、先生とわたし、どこが違うか、というと。

『置く手の形』 でした。
先生のは、真っ直ぐだったのね。
わたしのは、包み込むように曲がってた。

考えてみたらさ、、、そりゃそうだな、と。
エネルギーって、水が流れるようなもので、
曲がってると、流れも緩やかになってしまう。
真っ直ぐだと、ガンガン流れやすいね。
ああ、そうか、と、すごい納得でした。

でね、なんかハッとしたのが、
別に、手や指に向かって「流れろーー」と
意図するわけでなく、
ボーッと どぅる~んの境地に居るだけで、
気の流れが出てきて、相手に伝わるということ。
これって、凄いと思った!意図してないのに、だよ??

そして、どぅる~んの良いところ、と感じたのが、
お相手の方に 「どうぞお好きなように」 とお渡しすること。
こちらが 『流す』 とか 『過剰な気を引く』 とか 『足す』 とか
そんなことをするのでなく、ただ繋がって、流れが出てきて、
受け取ってくださる方が、お好きなようにしてくれること。
(*わたしが感じたことなので、ほんとのとこは違うかも、です)

これはいいなぁ、凄いなぁ、と。

どぅる~んの境地は、すごかったです。
そして、そこまでエネルギーの流れや、
脇が甘いとエネルギーだだ漏れ、とか、
そんなとこまで感じ取り、仕上げた谷田先生も凄いなぁ、と。

もう感覚の世界ですからね。
普段、思考のおしゃべりが多い方。
一度味わってみてください。
新しい世界が広がるかも、ですよ~~!!

********************

最後になったんだけど、
セミナー参加といえば、人との出会いもあり、で。
素晴らしいなぁと感動した人と出会いました。

自分を等身大でさらけることが出来ていらして、
虚栄することなく、誇示することもなく、
自分に正直で、どんな状態であっても、
そのままのご自身を受け入れてらして。
自分の弱さもご存知で
そのまま表現なさってるのね。
それでサラッとしてる。
男性でここまでの方に出会ったのは、
ものすごく久しぶりな感じがして感動しました。

ちょうど今日、お友達と
「人は 『ただ存在する』 『自分が自分であること』 の価値を
 まだ完全には信じていないのかなぁと思っちゃうときある」 と
お話ししてたとこでした。
『その人がその人自身であること』 は、本当に、
周りの人にとってものすごいありがたいことなの。

今回の出会いは、人の素晴らしさ、
そのままで居てくださることのありがたさ、
そしてピュアさも見せてもらえたようで
ほんと感動しました。

セミナーの内容話からちょっと脱線したのだけど、
こんなステキな出会いと気づきと感動もあるということで。

よかったら 『どぅる~ん』 に参加なされてみてください。
自分の感覚も変わってくると思います。

自分の世界は自分が創っているのなら

2015.03.09 19:46|思ったこと・気づいたこと
この間、出先で気分が悪くなることがありました。
過去に麻酔アレルギーで体験した
アナフィラキシー・ショックと同等な症状。
息が出来なくて苦しくて、座ってもいられなく
血圧下がってきてるの感じてたし、体もガタガタ震えてきてね。
なんとかそれらをおさめても、ものすごく体力消耗しちゃったから、
立っていられないほどでした。

でね、考えたの。

『自分の世界は自分が創っている』 のなら、
なぜわたしはこれを選択したのだろう、と。

正直言うとね、あまりにも辛かったものだから、
帰りの電車の中では、一瞬 「事故に合っちゃった」 と、
しようとした。

でもね、やっぱり違うや、と。
というのも、その日の朝、ものすごく素晴らしい夢を見たの。
細部は覚えていないのだけど:

『無』 の世界に、触れさせてもらえ、
その中にわたし丸ごとで居させてもらえて、
その 『無』 の状態を体感させてもらえた夢でした。

『無』 には、何も無く、
同時に、すべてが在ったの。

言葉ではこんな陳腐な表現しかできないのだけど、
ほんとにすべてが存在していた。
すごい感覚だった。

「ああ、『無』 って、何も無いようで、その実、すべてが在るんだ」
と、その状態を体感した後、
そこに居た人たちみんなで賛美歌みたいな歌をうたい、
その後にベートーベンの交響曲第9番が流れ始め、
最後の音を聞いた直後に、目覚まし時計が鳴ったという夢。

そして、目が覚めた瞬間の感覚が、今日は何かがあるってことだった。
人生が変わるような何かが、と。
その実、夢だけでなく、家を出てから拾ったサインが
ことごとく、複数でいろんなことがあったのね。

で、その後に、こんな気分が悪くなることがあった。
ということは。
やっぱり、自分で選択したのだ、と。
自分が合意の上で。

じゃあ、なんだろう、と思ったのね。
いろいろ掘り下げてね、、、

今までのわたしだと、要らないと判断したこと
(癖やパターンやIH風でいうエネルギーコードなど)は
ザクザク切り捨ててきてました。ゴミのように。
なので、今回もそうしようとしたのだけど。

違った。
おかげさまで気づかせてもらえました。

今までは、ゴミのように扱い、『要らない』 と捨ててきたけど、
その実、変容させることができるんだ、と、気づかせてもらえたの。
ゴミのように捨てるのではなく、そのまま持ち続け、変容させ、
蒸発させるように、消えさせることができるんだ、と。

****************************

ちょっと話はそれるんだけどね、
『雪』 についてなんだけど。
わたしね、数年前に雪降ってるとこをボーッと見てたら、
まるで天使が大量に降りて(降ってきて)る感覚に見舞われて
ドキッとしたことがある。なんかよく分からないけど核心もあった。
周りの音を吸い込み、静かに静かに舞い降りる雪。
まるで大気圏を浄化しているようだった。

でね、『雪が降る』 って場所や量、人によっては扱いが違ってくる。
都会の街中では、少しの量だと楽しんでるけど
量が多くなると迷惑だと思ってしまう。
ドカ雪になると、ゴミ扱いになってしまう。
でも、この雪は、山に積もる分は、暖かくなると溶け、
水の資源となり、わたしたちを潤してくれる。

雪は氷にもなり他の存在を巻き込んでフリーズすることもできるし、
水にもなり、水は蒸発もする。

そう、今までわたしが切り捨ててきたことは、
雪のような存在だったんだ、と気づかせてもらえたの。
今までは、ドカ雪扱いをして、バッサリ捨ててきてた。
でもその実、『雪』 であり、天使でもありえて、浄化もしていたり、
雪そのものをいろんな変容ができるんだ、と気づかせてもらえた。

で、もうバッサリ捨てるのは止めようと思った。
きっとね、捨てるだけではもう満足しなくなったんだろうな、と。
これからは、変容させ、蒸発させる方法にしようと思った。

****************************

『これは事故だったんだ』 と、
ただやり過ごすことにするのも選択肢のひとつであり、
『見つけた(感じた)要因をゴミとして切り捨てる』 とか、それこそ
『何も起こらなかったことにする』 のも、選択肢のひとつだと思う。
他にも選択肢はいろいろあるだろうし、どれを選んでもいいと思うのね。

わたしは、これからは、
以前まで選択肢に上がってこなかったようなことも
選択の中に挙げていきたいと思った。
なんかね、新しい展開が拡がってる感じがする。
夢で体感させてもらえたことのように。

『無』 のなかに 『すべてが在る』 ように、
『要らない』 なかに 『必要が在る』 んだろうね。

ずっと欲しかった物、と、感銘を受けた本

2015.03.04 21:50|思ったこと・気づいたこと
書きたいこといっぱいなんだけど、
今日はね、見せたい物があるの。

みてみて~
20150304.jpg

ずっと欲しかった物。
刺さない鍼(右側)とその仲間たち(左側)、です!
うちに来たの。ひゃっほーー!!!

去年の年末に参加した谷田先生の講座
てい鍼(写真右側の鍼)を経験させてもらってね、
その直後に祖母が他界し、その際に鍼の替わりに
デザートフォークを代用して、
てい鍼もどきな使い方をしたのだけど、
ほんと気持ちがラクになったの。
その後、ラッパ鍼(写真左)とか圓鍼(えんしん・写真左から二番目)も
体験させてもらって、絶対イタリアに持って帰ろうと思っていました。

もう、最高に幸せ。
これからじゃんじゃん使って、仲良くなっていきまーす。

ところで、鍼といえば(わたしにとって)経絡なのですが。
最近読んだ本で感銘を受けたのが
遠藤 喨及(えんどう りょうきゅう)著:
『タオ、気のからだを癒す』 です。


タオ、気のからだを癒すタオ、気のからだを癒す
(1999/03)
遠藤 喨及

商品詳細を見る


この本も谷田先生に紹介していただいたのだけど、
著者の遠藤 喨及(えんどう りょうきゅう)さんの経絡の見方がすごい。
一般的なところで習う経絡とは違ってるのだけど、
確かにそうだよなーと、甚く感動したほど。
あと、この本では、施術時の気持ちの姿勢にもついて書かれてあり、
とても興味深かったです。
わたしのセッション中の姿勢と似ているとこがあったので、
よけい親近感があったのかも、だれど、
さらにそこから先をいってらして、そのお話に感銘しました。
あまりにも感銘し、大好きな一冊となったので、
購入したほどだもの。(お借りして読んだの)

さぁ、これからこの本も参考にして
刺さない鍼とその仲間たちと仲良くなりまーす。
ふふふ~、最高に幸せ~
ありがとう!
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますことを
楽しみにしています〜!

【ワークショップのお知らせ】
ブレてもまたバランスを
取り戻せばいい!
自分で自分を整えるコツをお伝えする
1Dayワークショップです。
詳しくはこちらをご参照ください

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

アメブロにミラーブログ置きました。
読者登録など便利な機能があるので。
もしアメブロの方がご都合が良ければ
そちらでも宜しくお願いします。
http://ameblo.jp/lalunadigiorno

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