続: ネガティブの定義とかわたしが思うネガティブってこんな感じ

2017.09.05 04:23|わたしの場合
20170904.jpeg

ネガティブに関しての続きです。
(シリーズになってきた…?!)

むかーしのわたしの
ネガティブの定義は、

・ダメなこと
・直さないといけないこと

でした。そして

・そのダメさを直すと人間性が上がる

みたいなことも思ってました。
でも、今のわたしは

「バランスが崩れてることを知らせてくれるサイン」

だと思ってます。
「ただのお知らせ」だから
そこにダメもイイもないです。

具体的にお話すると、
例えばわたしに嫉妬が湧いたとすると、

「これはわたしがなりたい・したいと思ってることか〜。
 (*わたしはまだ出来てないから
  既にそれが表現出来てる人・作品に対して嫉妬してる)」

って感じです。
わたしがしたいことを出来てない、というお知らせ。
で、そこで自分に余裕があったら

「じゃあ、どういうことをしたいのか、
 この状況を見よう」

と見るし、余裕が無いときや
嫉妬の波に飲まれたときは
そこを離れます。

あの、そもそものところなんだけど、
嫉妬やいわゆるネガティブなことって
持っててもいいんだよね。
人を恨んだりとかもしてもいいし、
人が苦手で人付き合いが苦手でもいい。
そうやって自分を守ってる場合もあるから。

でね、そもそものところで、
それを含めたすべてのことを
経験できるから、ここ・地球にいると思うんですよ。
だから嫉妬を感じたりするのも当たり前で
恨みが出たり人付き合いが苦手なのもあって妥当。

じゃあなんで苦しくなるのかというのが
「ネガティブがダメだと思ってる」
「ネガティブに嵌ってしまってる」
からかな、と思います。

まず「ネガティブがダメだと思っている」に関して。
これね、自分が思ってるだけですから。
自分が思っているのだから、
自分が止めたら、そこで終わります。
で、止めたいのに止められない場合は
なぜ自分はダメだと思っているのか、を
とことん見てみてね。
もしかしたら、ダメだと思っている人が多い環境に
長く居たのかもしれませんね。
例えば、親がずっと「嫉妬はみっともない、恥ずかしい」とか
言っていた、とか。
でもね、自分の意識は自分で選択できるんですよ。
「親(他人)がずっとそう言ってたから」というのは
他人の意見をそのまま適用してることになり、
自分の意見を反映させてないです。
もちろん、他人の意見と同じになることもあるし、
それでもいい、でも、100%自分におとしこんでから、です。

そして「ネガティブに嵌ってしまってる」に関して。
・ネガティブは直さないといけない
・ネガティブを乗り越えてこそ素晴らしい人になる
・ネガティブは成長の糧
などと思って、挑戦していくのも素晴らしいと思うのね。
でも、もし「苦しさ」しかないのなら、
もしかしたら休憩するタイミングかもしれないね。

あの、何かを乗り越えようとしているときに
苦しさの中にも光…というか、
清々しさ、明るさ、愉快さ、笑い、などが
うっすらでも感じられればいいんだけど、
ただ苦しさしかないときは、
ちょっと休憩することをお勧めしたいです。
それ、嵌っちゃってると思う。
遊び心を思い出して!
いつも何事も遊び心をポケットに。
すると視点も変わってきますから。

嵌っちゃうと、いろんなことが
こんがらがってくる〜
すると、苦しくなる一方になりがちです。


でね、思うんだけど。

生きてたらしんどい時もあるだろうし
苦しい時も出てくると思う。
でも、覚えてて欲しいなぁと思うのが、
自分で選択出来るということ。
そして、いつでもそれを変更していいんですよ。

だから

自分は何を選択したいのか。
どうありたいのか。
毎日どう過ごしたいのか。


出来れば頭の中で考えるだけでなく
紙に書き出してみてね。
文字にすることで、はっきりしてきますから。


どこにフォーカスするか、なのです。
どこに焦点を置いて、日々過ごしてるのか?


あの、話は変わるんだけどね、

自分のダメ(だと思い込んでる)部分を見つけることに関して
超天才な人が多すぎる。

でも、自分のイイ(と思う)部分に関しては
「えっと、、ソレと…」と言葉が少なくなりがち。

そうするとね、
ダメ(だと思い込んでる)部分に意識がフォーカスされがちです。
舞台でいうと、そこにスポットライトが当たってるような…
ちょっとソレ、、って思わん??

なので、自分のイイと思うところ、
好きなところをたーーーくさん上げてみて!

…え?自分の好きな部分を沢山見つけられない?!

あのね、周りの人に
「私のこと、褒めて〜」と言ってみて。
メールでもラインでも何でもいい。
もし照れ臭くて言えなかったら
「ともこさんに出された宿題があるから付き合って。
《私のことを褒めてください》」
と、わたしをだしにしてもいいし。

そして、褒めてもらったことを
受け入れてくださいね。
自分でもそのまま見てみて。

キラキラしてる人が増えると
わたしはとても嬉しくなります!!

なんだか話がアチコチ行き過ぎかな、とか
今まで話してたことと辻褄が合わないことを
書いてるかも…と思ったのですが、
その辻褄の合わなさも本当そのまんまのわたしなので(ははは)
このままアップします〜
もし、ここまで読んでくださった方がいたら
本当にありがとう☆
いつもわたしの話にお付き合いくださってありがとうございます。

自分のネガティブさを完全に受け入れられてないから「まだ残ってるんだ?!」という感じ方をするのかも

2017.08.31 04:21|わたしの場合
20170831.jpeg

昨夜、そろそろ寝ようと思って
トイレ行って座ってボーッとしてた瞬間!
ハッとしたんですよ!!

わたしも以前に言ってた記憶があるんだけど
自分のネガティブさを手放そうとワークして、
手放せたと感じた…のに、まだ残ってたと発見したときに言うセリフ。

「まだ残ってたんだ?!」
「まだ有ったんだ?!」

これってね、
その自分が思うネガティブな性質を
完全に受け入れられてないから、
そんなこと感じる・思う・言うと思うんですよ。

もしかしたら「今まで何度もワークしてきたのに」という
労力とか掛けてきた時間への驚きがあるのかもだけど、
でもそんな驚きも、根底に
「こんな悪いのがまだ有るのか?」
という思いがあるんじゃないかなぁと。

だから「あれだけワークしたのにまだあるのか」という
反応になるのかな、と。

ええ、まだそれに関して抵抗してると思うんですよ。
「自分がそれを持っている」ということに関して
完全に受け入れられていない。

あの、わたし、ブログであーだこーだ書いてますが
世間一般で言われているようなネガティブ、例えば
罪悪感や嫉妬や恨みなど、別に持っててもいいと思うんですよ。

「それらを持ってる自分」にOK出すのね。

そんな自分でも「まぁいっか〜」てな感じで。

本当に自分を丸ごと受け入れられているのなら、
それが出来てると思う。

そうするとね、

「まだ残ってるんだ?!」

という反応はしないんじゃないかな、と思うんですよ。
逆に

「あ!こんな微妙に少し○○(罪悪感なり嫉妬なり)を
 感じたのを見逃さずにキャッチ出来た、わたし!!
 段々感度が上がってるのかも?!
 嬉しい〜〜」

というような、喜びの反応になるんじゃないかなぁと。



どう思う?



…で、これ、わたしの話なんですけどね。。

今までの自分が小っ恥ずかしい感じがするのですが
まさしく以前のわたしが「自分を完全に受け入れてなかったな」と。

昨日の朝ね、自分の内になにかがある、と気がついたんですよ。
以前自分にワークした嫌だと思ってた自分のなにか。
何だったか思い出せないんだけど(ごめん)
で、その時に

「あ、わたし、まだこんなのあったんだ!
 でもさ、今回はこんな少しの感覚だったのに
 よくキャッチ出来たな〜自分!
 感性上がってないか?なんか嬉しい」

と喜んでた。

ただ、嬉しい〜嬉しい〜、で、
なにに気がついたのか、自分のどの性質だったか忘れるほどで
自分が愛おしくてね。

で、ハッとしたんですよ。

ああ、これだったのか、と。
きっと、これが自分を受け入れるということなんだ、って。
今までは、わたしはちゃんと分かってなかったのかも?とも。


感覚的なことも合わせて話しているので
それを文字だけで表現しようとしているので
わたしの言語化能力の足りなさから伝わっていない部分も
あるかも、なんですが、あのね。


どれだけ自己ワークしても
どれだけヒーリングを受けても、
自分の中にネガティブさを探そうとしたら
いつまでも見つけられると思うんですよ。
キリが無い。

だからね、そういう見方ではなく、

「あ!今までだったらこんな些細なことには
 反射的な反応をして、自分は○○(罪悪感など)に
 気が付かなかっただろうに、
 今回は○○を感じてることに気がつけてる。
 自分ったら、進歩してるじゃん〜」

みたいな感じでね、自分を褒めてあげて欲しいな、と。

でね、
自分のどんな一面であっても、
いつかは受け入れてあげて欲しいなぁと思う。
瞬間的には、うわーーー!とぐちゃぐちゃしていいけど
でも、いつかは、どんな自分でも「ま、いっか〜」と。

これは、諦めるのとは、また別なのね。
そんな(嫌だと思ってしまう)自分さえも
「まぁいいか〜」と「それも自分の一面だ」と
認識することです。

世の中、いろんなメソッドがあるけど
わたしにとっては、結局行き着くところのベースは
「それも自分の一部だと認識する」ことかなぁ。

自分に降参する、みたいな感じ!あはは〜
まぁそんな自分もいいやんね、って感じで。

そうすることで、捉え方・見方が変わって
自分の中でなにかが変容していきます。

わたしはきっとこれからも
こんな感じで、続けていくと思う。

あなたも一緒にどうですか?


パターンを崩す。自己犠牲を止める。-わたしの場合

2017.08.28 04:09|わたしの場合
20170827.jpeg

8月最後の週末ですね!
いかがお過ごしですか。

わたしはですね、
まだいくつか来月にもあるけど、
大きなイベントごとは一段落した感じです。
今夏は暑かったわ、、、いろいろと。
沢山の人に会って、いろんな話して
いろんな気づきがありました。

昨日はうちに人が来てランチだったのですが、
これね、わたしは最初乗り気じゃなかったんですよ。

今夏は酷暑があって、身体が疲れてしまい
そこから体調が低調でした。
自分のことだけしてると楽しく過ごせるのですが、
買い出しとか料理とかベランダの掃除など
準備はできないわーと。

なので

「あなたがうちに人を呼びたい気持ちは分かるんだけど
 わたしの体調は本調子でなく、準備はできないよ。
 特に夕食となると、時間遅くなるし
 身体が持たないからほんと困る」

と、正直に伝えました。そしたらね

「きみは何もしなくていいよ。
 ベランダの掃除も僕がするし
 料理も僕が全部する。
 食事は、夕食じゃなくて昼食にしよう。
 それに、みんなダイエット中だから
 僕たちがいつも食べてるようなのでいいし〜」

とボブの返事。

ほほぅ!そうですか??と思ったのね。
「わたしは何もしなくていい」んだって!!
んじゃあ、何もしないでおこう、と思った。
ボブが全部するのならいいや、と。

で、本当に手伝いませんでした。

ベランダの掃除なんてね、
これ、大変なんですよ。
うちのベランダは大きくていつも風が吹いてるせいか
すぐに砂や塵みたいなのが溜まってしまい
毎回、テーブルや椅子などすべてを洗って
ベランダの床もごしごしと洗うのね。
これすらもしませんでした。

いや〜〜、手伝わない勇気が要りました!
ザワザワしたよ。

だってね、大変だと(自分は)思ってるんだもの。
手伝わないと、ボブは怒るんじゃないか、という不安。
そこから、怒られるんじゃないか、という恐れ。
ボブが不機嫌になることへの恐怖。

そんなことがザワザワと湧き上がってきたのですが、
ええぃっ!面倒臭いわ!と
手伝いませんでした。

手伝わない勇気。
何もしない勇気。
動かない勇気。
そして
自分はご機嫌でいる勇気。
部屋でのんびりしてご機嫌で居続ける勇気。

…そしたらね、

わたしは「大変だ」と思っていたベランダ掃除ですが
ボブは、計画を立てて(?)数回に分けてしていて
毎回、終わったあとは怒ってもいなければ
不機嫌でもないんですよ。

ベランダから部屋に入ってくる彼に
「おかえり〜。どうだった?」と
わたしはご機嫌モードで聞くと
「(ベランダを)見て!めちゃ綺麗でしょ〜」と
嬉しそうで疲れてもいないし。

あれれ…?
わたしが勝手に思っていた
「大変な」ベランダ掃除、というのは
ボブにとっては当てはまらない、
ただのわたしの妄想だった…??

しかもですね。
料理に関しても、今回は
ほんっと文字通り何もしなかった。
調理後の片付けもしなかった。
買い出しに関しては、日常の買い物と一緒に
買ってたけど、ある日の買い物は長くてわたし怒ったし!
テーブルセッティングもしなかったし、
食器や料理を並べることもしなかった。
食べた後の食器も洗わなかった〜

したことと言えば、
部屋の掃除@いつも通りの掃除と
残った料理を冷蔵庫に入れた。これだけ、でした。

これほどまで何もしなかったわたしですが
ボブは怒ってなかった。
不機嫌でもなかった。
みんなに手料理を振る舞い、
一緒に食べて過ごしたことは嬉しそうだった。

なんだ…わたしは勝手な妄想してたんか。

で、気がついたんだけど

「ボブは《大変なこと》をひとりでしてる。
 手伝わないと彼は怒るだろう」
「ボブが不機嫌になる。どうしよう、怖い!」

などという思いがザワザワ湧き上がってたときね、
ふと父を思い出し、父の姿がちらっと上がったんですよ。
それを見たとき

ああ、これはパターンだ、と思った。

わたしの父は自営業を営んでいて
いつも忙しそうだったんですね。
で、小さい時から父に迷惑を掛けてはいけない、とか
自分が(父に対して)できることがあれば
しなければならないと思ってました。

で、父(のイメージ)を見てると…
母と祖母の姿も見えてきてね。
こりゃー家系的なパターンでもあるな、と。

母は自分がどれだけ疲れてても父を手伝ってたし
祖母(母の母)も同じことしてました。
自己犠牲をしてパートナーを手伝うのは
妻としての標準装備というか、
普通なことだったんですね。
しかも祖母は「それが当たり前」というようなことを
幼い頃からわたしに話してくれててね、
わたしにとっては「それが当たり前」であり、
「その世界」しか知らなかった。

今はね「違う世界」があることを知りました。

あの、自己犠牲の上に成り立つことって
確固たるものじゃないと思うんですよ。

たまにね、自分で選択して自己犠牲をすることもあると思う。
でも、それってね、大抵一時的なことが多いと思うんですよ。

なので「あ、なんか我慢してる…」とか
「自己犠牲してるわ」とか「苦しい」と思っているのなら
それをずっとしていたいのか、自分に問うて欲しいなぁと思います。

で、大抵、パターンになってることが多いと思う。
自分の今までの経験を思い出してみてね。
そして、似たような状況で、親はどうしていたか、も
思い出せるのなら、してみて欲しいです。

パターンを崩す、ということは、
リズムを崩すことと似てると思います。
だから
全く違うリズムを入れるの。
今までと違うことをする。

すると、ガラガラとパターンが崩れますから。
パターンが崩れると、一気にラクになります。
だからね、勇気を出して欲しい。

しかもね、そのパターンがもし家系的なことだとすると
自分のとこで崩れるから、もうこれ以上
自分のラインでは引き継がれない方向になります。

わたしには子供がいませんが、
姪っ子にはなんらしかの影響はいくんじゃないかと
感じています。

あと、母にも影響はある。
家系的パターンを崩すことは、
きっと、放射線状的にも家系になんらかの影響を
もたらすことができるのでは、と感じます。

他には、個人的なことですが、
わたしは気づける範囲で
どんどん自己犠牲を止めてきているのですが
それによって、ボブも自己犠牲が減ってます。
お互いがそれぞれ自分のやりたいこと
居心地のいいことを選べるようになってきてる。

…とこんなこと書くと
なんだかスムーズに現状を得られたように
とられるかもしれないんだけど、違うよ〜

正直に話すと、
わたしが自己犠牲を止め始めたときは
ちょっとした修羅場は何度かありました。
今でもたま〜にあるくらいよ。
さすがに「今までとは違う」は言われなくなりましたが

「僕は我慢してるんだから、きみもしなよ!」
「何なんだよ!」

って言われてました。

ボブね、我慢するんですよ。
だから、つい「うっ、、」と昔のわたしの癖が
ざわめき始める。
でも「ボブは我慢してるんだから、わたしも…」
となるのは違うと体得してたので、ぐぐっと勇気。

これまた正直に書くと泣いたこともある。
苦しくてね。
でも、今までのパターンをずーっと続けるのか?と
自問すると答えはNOでしたから。

じゃあ、パターンを崩す必要がある。
断ち切って、違うことを入れないと。

するとますます自由になってます。

もし、あなたも何か苦しいと感じてたり
パターンがあったら、
わたしと一緒に崩していきませんか。

選択してね。


ムダ=贅沢をひゃっほぅと出来てなかった…私の自己価値の話

2017.08.16 03:45|わたしの場合
20170815.jpeg

東京は恵の雨が降ってるそうですね!
ローマ郊外は暑いよ。。。うーん。
先週は酷暑だったから、あの日々より
格段に過ごしやすいのだけど、
酷暑の後に突然かなり涼しくなって
また急に暑くなったので、身体が
ついていっておらず、体調がいまいち。

のんびり過ごしてた…んだけどね。
なんか違和感がありました。

居心地が悪いんですよ。で、

「何もしなくていいじゃん。
 のんびりぐーたらな生活でいいじゃーん」

という思いも浮かんできて、
確かにそうだ、と思うものの
なーんか変だ、という思いも。

まるで自分に言い聞かせてるようだ、と
感じたんですよ。

なんか変だ、なんか変、、と
ザワザワしてたらね、ハッとした!
わたし、自己価値が低いわ!!

あの、ご説明しますとですね、

わたしにとって「のんびりする」ということは、
「無駄なことをする」
「無意味なことをする」
ということにも繋がっていてね、

じゃあ、無駄なこと・無意味なことって
わたしにとってなんだ?と自問したら
「贅沢」が出てきました。

無駄や無意味は、必要性がないから
わたしにとっては贅沢なんですよ。

…え?じゃあ、、、
贅沢=のんびりしてて居心地悪い自分って、、
贅沢しちゃいけないとか思ってる?!
あれ?「わたしは贅沢にふさわしくない」とか思ってる??
と気づいちゃってですね、もう悶絶ですよ!!
(今も書いてて恥ずかしさが湧いてなんともイヤハヤ)

自分で自分をそんな扱いしてただなんて。
わたし、自己価値が低いなーと思った。

で、自己価値が低いと思った理由がまだあって、
それは、自分がしたいことに対して
迷いが出たからでした。

ワークショップしたい、と少し前のブログに
書いてたじゃないですか。あ、書いてたんです、ハイ。
で、構想してたらめちゃ楽しくてね。
「あ、でもこれするならあれ入れないと…」とか
段々、超真面目モードになってきて
これするべき、ああやるべき、などと
「正しさ」でワークショップの内容を組み立てようとしてました。

そしたら、段々何が何だか分からなくなってきて
「わたしがこんなことしなくても…(誰かがしてるだろうし)」
とか思い始めちゃって。
どんどん自分が小さくなってました。

今、気づいて、振り返ってみると
あの自分は自己価値低くなってた、と思う。。。

確かにね、わたしが「こんなこと」しなくても
なんとかなると思うんですよ。地球は消滅しないし(大袈裟)。
でも、視点はそこじゃなくて。

わたしは、生きるということは芸術だなーと感じています。
人それぞれが、自分をどう表現していくか、が、
生きることだと思っています。

そこには間違いやダメとかはなくて
自分で在るか、ということ。
そこに美しさを感じるのね。

あと、思ったのが、
「結局ワークショップを一度も開催しなかったら、、
 構成したことや考えたことは無駄になる?」
などと、ここで「無駄」を考えてましたが(トホホ)
それは「役に立たない=無駄」と判断しただけで、
その実、構成中はすっごい楽しくて
ほんと文字通り「贅沢」な時間を過ごしてるわけですよ。
楽しいしね。

じゃあ、まぁいいか、と思った。
それにね、構成中に考えたことを
ブログでもアップしたら、もしかしたら、どなたかが
何かを感じ取ってくださるかもしれないなぁと。
それくらい自画自賛な面白いことを考えてます。ふふふ〜


…と、後ろ向きなことを書きましたが、
ワークショップのお問い合わせはいただいています(ありがとう〜!)。

いえね、こんな後ろ向きなわたしも見ていただけたら、と思ったんですよ。
時々「ともこさんでも落ち込むことあるんですか!」とか
「ブレることあるんですか!」と驚かれるから。ね?あるでしょう??

ワークショップはまだ構成中なので、
方向性がバシッとしたら、お知らせさせていただきますね。
遠方でもご希望があれば、喜んで行かせていただきます〜

あ。セッションも、ご案内ページは
まだアップしていないのですが受け付けております。
(この後、アップする…つもり…)

今期はいつまで日本に居るのか
全然見えていないのですが、
冬の間はいるんじゃないかなと思います、たぶん。

人生、生きてたら絶対楽しいことはあるから。
で、それは(望めば)毎日続くのよーー!
ラク〜に、みんなが自分を生きて
それぞれに自分を表現していけるのをわたしは想像しています。

よかったら、あなたの人生の一コマに
わたしと過ごす時間を入れてください〜

お会いできることを楽しみにしています!

人それぞれが自分で在り、表現していますように☆




勝手にドラマを作って罪悪感。ーわたしの話

2017.08.10 03:15|わたしの場合
20170809.png


昨日、シングル親御さんが
好き勝手なことをしているのを見かけてザワッとし
「あ、わたしの内に何かある」と気がつきました。

わたしにとって、この反応はお知らせなのです。
このシーンに関してはお知らせの種類が
いくつかあって、今回は

「自分は好き勝手なことをしておらず、羨ましい」でした。

最近はボブから「ワガママ」のあだ名が付いてるくらい
好きなことしてるつもりだったから何だろうな〜と思いつつ
他にすることがあったので忘れてしまいました。

そしたら今朝。まだ5時前なのに目が覚めて、、
ハッとして、うわーーーと悶えたよ!!

目が覚めた理由は、外から聞こえる「カン…カン…」と
何か硬い物が金属にぶつかる音でした。そして

「うわ、腹立つ。やっぱりアレや!
 あかん、言わなあかんで、わたし!!」

と意識が自分に話し掛けてたもんだからビックリした。
ほんと驚いたけど、でも、目覚めた瞬間だから
自分の潜在意識から来てる物と分かってるので
納得せざるを得ないんですよ、、

実はですね、うちには大きいベランダがあり
今年になってカラスが時々来るようになって
大きな声で「クワーーッ!クワーーッ!」と鳴くんですよ。
それが気に入らないボブは、数日前にCDだかDVDだかを
ベランダの背の高い金具の柵に何枚もつけたのですが、
風が吹くと柵に当たってカン・カン・カーン…カーン…と
甲高い音が聞こえてくる。
あと、光の乱反射もあってチカチカしてるし
ふとした瞬間に刺すような強い光が部屋の中に入ってくる。

わたしにとって甲高い音と強い光は苦手中の苦手。
でもボブが望むのなら…せっかく苦労して?付けたし…などと
勝手に思い込み、
「意識にあがってこないように、見ないふり・気づかないふり」を
してましたーーー!!!

いやもう、本当は分かってた、、自分は居心地悪いって。
体感的には感知してたけど、
マインドで抑圧させ、意識せずに我慢してました。
だから「我慢してる」とは気付けてなかったのね。

「ボブは苦労したんだから」とマインドで体感を抑圧させて、
「意識にあがってこないように、見ないふり・気づかないふり」をして
「無いこと」にしてたから、そりゃ気付けないなーと。

この一連に気がついて
「うわーー、何やってたんだ、わたし!!」と悶えつつ、
起きたボブにすぐ伝えました。
音が気になって寝られない、光も刺すようで痛いと。
わたしは普段から音と光に対して敏感なことは
ボブにもアピールしてたので、この点はすぐ分かってくれました。
(*普段からパートナーとのコミュニケーションは大事ですよ〜)

で、カラス避けを外すことに同意してくれたんだけどね、、
わたし、ボブは怒ると思ったんですよ。
「せっかく設置したのに」とか(設置するのに手こずってたから)。
でもね、怒らなかった。

そして、外すボブの姿を見てたら、、
これまた外すのに少々手こずってるのを見て、
罪悪感が湧いてきました。
「せっかく苦労して設置したのに外してもらってる」とか。
でもね、部屋に入ってきたボブはケロっとしてるんですよ。
爽やかで会話してもサラッと軽い。
外したことに対してなーんも思ってない。

あれれ??ちょっと、わたし!!
勝手にドラマ作ってるんじゃないか、、?!と笑えてきた。

「せっかく設置したのに」と思ったのもわたし。
「苦労したのに」と思ったのもわたし。
でも、実際に行動した本人は、なーんとも思っていない。

…うはっ!可笑しすぎる〜〜!!

でね、罪悪感について、はっきり感じたこと。
これは、自分が自分を責めてるだけだなーと。

例え他人に責められたって、自分が受け入れなかったら
そこから罪悪感は湧いてこない。
「自分が」他人から責められることを受け入れて
「自分が」自分を責めて、罪悪感を感じる。

だから、罪悪感って、
勝手な自分の想像で、自分を責めてるだけだと思った。

生きてたら自分を責めるようなことも
出てくるかもしれない。
その時は、とことん罪悪感と付き合って、
サヨナラしたらいいと思う。

わたしね、罪悪感って
なんだか自分をじわじわ殺してるようだと思った。
ザクザク切りつけてるみたいな感じ。
もうしたくないなぁと。

だから、罪悪感が湧いて、
自分もそこに同意するなら、
とことん付き合って、手放す。

「自分が」自分を責めてるということは、
自分が止めれば終わります。

あと、たまにあるのですが、
「罪悪感を持ちつつ、
 しちゃいけない(と自分で思ってる)ことしてる」のは、
「自分を責めて罪(しちゃいけないことをした)を帳消し」して
罪悪感をそんなふうに使って楽しんでるのかも…ですよ。

「しちゃいけない、でも、したい・やめられない。
 じゃあ罪悪感を感じて、やめられない自分を正当化させよう」
みたいな感じでね、
「自分はちゃんと罪悪感感じてるんだから、いいでしょ」と。
でもそれって、誰に「だからいいでしょ?」と許可をもらってるのかな?
なんで許可をもらってるのかな?


罪悪感。まだ持っていたいと感じたのなら、
持っててもいいんじゃないか、と思う。

でも、もう要らない、と思ったら
「ま、いいじゃん」と、どんな自分でも認めてみてね。
責めてしまう自分(罪悪感を持ったままの自分)すら
「ま、いいじゃん」と!!

深刻にならずに、
遊び心と一緒に!リラックスで〜〜

楽しい8月を☆


エネルギーのダダ漏れ警報機

2017.08.06 02:11|わたしの場合
20170805.png


昨日友人といろいろ話してて、流れで

「わたしは、エネルギーのだだ漏れをやめたい。
 変なとこで使ってるから、
 もう自分のやりたいことで使いたい。」

と話してました。
ほんと、変なとこでまだエネルギー使ってます。

例えば「頑張っちゃう」とか。
「一旦始めると余りすぎるほどエネルギー注ぐ(暴走?)」
「変な気を使う」とか。

で、友人にエネルギーのダダ漏れ警報機は動作する?
と聞かれたんですね。

友人は
「ダダ漏れ警報機は頭痛になってサインする。
 げっそりしてるかもね」
と話してくれたので、つい、
「警報機、もっと前に鳴らそう!!」
なぁんて言っちゃいましたが、
後になって気がついたけど
そんなこと言うわたしが
以前はぶっ倒れるまで気づかなかったんだから、
どんな口が言うてるねん、と思った…(ゴメン)

で、今でもエネルギーのダダ漏れ警報機のアラームに
すぐには気づかないんだけど、
段々気がつくことまでの時間が早くなりました。

きっと、人によってダダ漏れ警報機のアラーム(サイン)は
違うと思います。友人は頭痛だったしね。
わたしの場合は、ハッとします。

なんて言うかな、、
意識に膜みたいなのがあって
そこにチクっと小さな針が刺さるようなような感じ。
で、刺さった感覚でハッとする。
時々は、針じゃなくて
フライパンで頭を殴られるような感覚で
ガツーンとくるときもありますが。

でね、気づく時と、気づかない時と
何が違うのか、と思い返してみたら、
意識の状態が違う。

気づく時は、
自分の内や身体にリラックス感がある。
そして、周りが見えないほど嵌まり込んで行動していない。

一方、気が付かない時は、
緊張してたなーと思う。
周りが全然見えてなくて、
その時自分がしてることに完全に嵌ってた。
だから、エネルギー・ダダ漏れ警報機が鳴ってても
ちっとも気付けなかったんだろうな、と。

で、気づく時ってね、
意識の状態は広いです。
自分という個にもあり、全体にもあって
そして、意識と行動との間に
微妙な隙間がある感じ。
そこにスルリと滑り込んで気づく…というか、
そこで警報機アラームが鳴り響いてるというか。

むむー。
感覚を言葉に変換しているので
伝わるかどうか分からないんだけど、
表現してみました、、、

なんしかね。

何事もリラックスして行動してると
エネルギーの無駄使いに気づくと思う。
で、自分の居たいように居心地良いように
その場に居られる(在る)んだよね。

リラックス、リラックス。


それにしても、、、
いや〜〜、昔はぶっ倒れて寝込むようなことしてたので
わたし変わったな〜と思った。
あの、わたしだけじゃなくて
誰でも変わるんですよね。

前からいろいろ自分でワークを試してましたが
ここ数ヶ月は特に自分に対して実験ワークしてます。
途中、うっかり遊び心を忘れて
「わたしマゾっ気あったっけ?!」って思ったくらい
自分の奥深くを見てはクラクラしたり
そんな自分にウケて笑えたりして、
いろいろ面白いこともあったし、
整ったことも多かったです。

ブログでもシェアしたくてぽつぽつ書いてますが
生でみんなに会いたいなーと思ってます。
個人セッションだけでなくて、
「こんなワークをわたしはしてる。
 こんな考え方があるよ」と
直接会って、エネルギーででも感じ取ってもらいたいなぁと。

わたしがずーっと思ってたのは、
ひとりひとりが、自分で自分を整えられることに気付いて欲しいな〜と。
輝きを放って欲しいということでした。
みんなめちゃくちゃ凄い輝きを持ってるもん。
持っていない人なんていないもの。

あの、バランスが整っても
また崩れるのは普通なことなんですよね。
わたしも崩れます。
で、またバランスを取り戻せばいいんですよ。

そもそものところで、
永遠に同じ状態は保っていられないし
わたしたちは変容する生き物なんですね。
だからバランスが崩れるのは普通なこと。

大切なのは、バランスを取り戻すことであり、
バランスを保つことではないかも、と思います。

でね、
以前のわたしと今のわたし、
何が違うのかな、、と見つめててね
ふと思ったのが、
今のわたしは自分の方向性が掴めてること、かなと。

別の表現をすると「自分の方位磁石」を
ちゃんと掴んでる感じ。

方位磁石があるとね、
夜空に月も無く、星も出てない真っ暗闇の中でも
どっちに行ったらいいか方向が分かるじゃないですか。
そんな感じかなと思う。

みんなそれぞれ自分の内に方位磁石をちゃんと持ってる。
もし「え?私は分かんない〜」と感じたのなら、
ただ、忘れちゃっただけ。
それをちゃんと思い出して
体感出来るような形にすると
日々ラクに楽しくなるかな〜と思います。
迷ったりしても方位磁石で方向を合わせて
そちらに向けばいいだけだから。

みんなで「自分の方位磁石を手にする」ことが
出来てたら楽しそう〜と、
今ちらりと考えてなんだかワクワクしています。
面白そう!

どうかな。

「自分の方位磁石を掴もう!」に興味あるかな?
なんか思いつきで書いてますが、
面白そうなので、形(ワークショップ)に
してみようかなと思ってます。

ふふふ〜
どうなるかなーー!

人を責めていい?! 喧嘩してもいい! 調和が乱れてもいい。~わたしの場合

2017.07.31 04:02|わたしの場合
20170730.jpeg

今月はいろんな人に会いました。
そのお一人がボブの何十年来の付き合いの友人Lさん。
Lさんは、わたしの知らないむかーしのボブを知っててね、
ボブとLさんが一緒に居る風景を見てると
まるで戦いを一緒に潜り抜けたような戦友仲間のように見えてきます。

さて、先週Lさんとボブとわたしの三人で
一緒にお茶をした時のこと。
なんの話をしてたのか思い出せないんだけど、
Lさんに突然スイッチが入ったかのように
急にボブを責め始めたんですよ。
そしたらその勢いに乗ったかのように
ボブもLさんに言い返す。
わたしは突然の展開に呆然としてしまい

「なんか槍が飛んでるのが見えるんですけど…!
 というか、なんでわたしはこの二人の間に座ってるんだ?!
 あ、ちょっと待って。前にもこんなシーンあったような…」

と、ワーワー言ってる二人に挟まれて座りながら
「前にもこんなことあったような…」と思い返すと、
あったんですよ!!しかも一回だけじゃない。

いや〜、凄いわこの二人。
過去に何度かお互い責め合ってた。
わたしが目撃しただけで「何度か」あったのだから
わたしが知らないところでもあるかもしれない。
そして、いつも、いつの間にか仲直りしてるのよね。

凄いなーと思いつつも、
この二人に挟まれるように座ってたわたしは
槍が飛んでるのが見えるし
居心地悪いしで、もう。。。

で、居心地悪いわーと思ってたら
ハッとしたんですよ。

あれ?
わたしが責められてるわけじゃないのに居心地悪い??
なんで?人を責めるのはしちゃいけないことだから?
本当か?この二人は責め合っててもお互いを想い合ってるよ?
だからいつも後はサラリとして仲良いけど。

…と気が付いてですね!!ガツーンときた。
フライパンで殴られたかと思った!

いやもう、そもそものところで
「責める」ってなんだ?と思ったんですよ。

Lさんが責める(言ってる)こと聞いても
ボブが責める(言ってる)こと聞いても
両方ともの言ってたことは、
わたしの視点とは違うから、
わたしは理解が出来なかったんですね。

で、気が付いたんですよ。

「責める」という行為は

「あなたは、こんな間違ったことした」
「あなたは、こんなダメなとこがある」と伝えることかな、と思うんだけど、

でも、これって、

「あなたは(私から見て)、こんな間違った(と私が思う)ことした」
「あなたは(私から見て)、こんなダメ(と私が思う)とこがある」

ということだな、と。
結局は「自分が思ってること」なんだって気が付いた。
自分の意見なんですよね。
自分が思う正しさとかを言ってるんですよ。


で、ここで思った。
「責められる」ということは、どういうことだろうって。

「責められる」ということで、受け身じゃないですか。
これって、
自分が受け取らない(認めない)と
責められた、ということにならない(自分はそう思わない)んじゃないか、と。

で、受け取った(認めた、自覚があった)としても、
言った人の思い、例えば悪意とか怒りや不満まで
受け取る必要無いんだよね。

例えばね、もしわたしが

「ともこさんって短気ね!」

と言われたとしたら、
自分で短気だと思わないと

「そう?あなたはそう思う?」

で、終わりです。
「あなたの意見をわたしに伝えてくれたのね、
 あなたの意見は聞きました、
 でもわたしはそうかな?と疑問に思う」
ということで。

そしてもし自分で短気だと自覚してると(ええ、してます)

「そうなのよ!わたし短気」

で、終わりです。
相手の不満とか怒りは受け取らない。
それは、相手の物だから。
だから、居心地は悪くならないし、
そうよね〜と、ただの同意で終わる。


…と、気が付いてね。

するとさ、あれ?と思ったの。
喧嘩してもいいじゃんって。
(*「口喧嘩」ね)

喧嘩って、お互いがお互いに
「私はこう思ってるのに、なんであんたはそんなことしてるのよ!!」
ということをただ激しく言い合ってるだけかも…と。

あ、これって、お互いが自己主張してるだけなんだ、と思った。

わたしね、喧嘩が苦手だったんですよ。
「調和を保つ」が幼い頃から身に染み込んじゃってて
昔は意識しないところでも勝手に保とうとしてたくらい。
調和が乱れるくらいなら自分が我慢してでも
その場を丸く納めようとか。

いや〜〜、わたし、喧嘩についてちゃんと分かってなかった。
喧嘩ってただの自己主張なのかも。
自分が思うことをそれぞれが表現してるだけなんだ。

なぁんだ。そうか。

調和が乱れるのもさ、
ただそれぞれが、もっと居心地が良くなるように
自己主張してるだけなんだね。

ということは、
「調和が乱れるから」と、
自分が我慢しちゃうのは
自分の居心地が悪いままだから、
調和が取れていない…という
逆なことをしてたんだ!と気づきました。

いやはや。ボブとLさんに挟まれて座っててよかった。
面白いことに気づきました。

え?ボブとLさんの責め合いはどうなったのかって?
もちろん、即、落ち着きましたよ。
一通り言い合ったあと、別の話題になり、
その後すぐにLさん

「そういえば、いつうちに遊びに来るの!
 8月、来る?」

と誘ってくれてたし、
この数日後、一緒に食事もしたしね。
仲良しです。

ほんと、責め合ったっていいし、
喧嘩したっていい。
調和が乱れてもいい。

恐れてることをちゃんと見たら
本当の姿が見えるなーと思った出来事でした。



言われたことが分からない!

2017.03.05 23:40|わたしの場合
2017030502.jpeg

この間、友人達と集まる会があり、
数年ぶりに会えた懐かしい友人もいて
ものすごく充実した楽しい時間を過ごしました。

そこでは新しい出会いもあり、
ほぼみんな、何らしかの形で
ヒーリングに関わっています。

でね、わたしは音叉を持って行ってたので、
新しく出会った方にご紹介する機会があったんですよ。
そこで、質問されました。

「これは、何に使うんですか?」

厳密には、アラン・セールスの神の音音叉を
指差されて質問されたのだけど、
わたし、この言葉を聞いた瞬間
頭の中が真っ白になりました。

 ええーー?!何??今、何て言われた?!
 『何に使うのか?』って聞かれたってこと?!
 ヒーリング・セッションに使うって相手は知ってるのに
 その上で『何に使うのか?』って、、、
 なにこの質問!!え?何を聞かれたの、わたし!

頭の中はフル回転するものの、
質問が分からないんですね。

相手が言ったことが分からない。

言われたことが理解できないから、
答えようがないんですよ。
何か浮かんでくるかな、と
自分の内を傍観したものの
頭の中は真っ白の画面がどーーんとあり、
何も浮かんでこないんですね。
ものすごく不思議な感覚でした。
そして、しばらく沈黙の後に…

「ごめんなさい、質問がざっくりしてて
 答えが出てこなくてね、えっと、、」

とだけ言えて、再び、うーーん…

そこで相手の方がまた質問。

「何に必要ですか?どんな時に必要ですか?…(ベラベラ)…」

 えっ…?!
 『何に、どんな時に必要か?』って聞かれた?!
 そりゃセッションですがな!ええっと、、え?

と、頭の中がぐるぐるしてしまい、
その後に相手が話してくださってる内容も理解できませんでした。

相手の方は、神の音音叉を指差して質問くださったのですが、
アランの神の音音叉はとても万能というか、
いろんなケースに使うんですね。
それが「何に必要」なのかって?!この質問なに??と
わたしの中で咄嗟に理解出来なくて。

でも「必要」という言葉に、わたしの頭の中の何かが反応し
そこから、他に持っていたブレイン音叉の話をまずさせてもらって、、
という具合に話を展開し、神の音音叉に関しては
いろんなケースで使うこと、そして
筋反射を使って音叉を選んでいるので
「こういう時に必要」という決まりはない、ということを
お話しました。

でね、この後、ずっと考えてたんですよ。
わたしはなんで「(神の音音叉を)何に使うのか」という質問を
理解出来なかったんだろうって。

そしたら気がついたのが、わたしにとって、
音叉はセッションの中で使うことがごく当たり前だったんだ、と。

例えなんだけどね;

日本でね、ご飯食べます〜となって、
テーブルの上に箸が置いてあっても、そこに疑問を持たない。
で、もし、誰か(日本人)が箸を指差して
「これ何に使うの?」と言ったら
「ご飯食べるためですやん!何を言うてるのん!
 なんでそんな当たり前なことを何で聞くの?」と
わたしは思うとおもう。

「これで、食事をひとくち大にして口に運ぶのよ」
などという説明が咄嗟に出てこないほど、
わたしの中では
食卓上にあるお箸はご飯を食べるときの当たり前の道具で、
それがみんなにとっても当たり前になってる、
そう勝手に無意識で思い込んでた、と気がついたのです。

これが、音叉でも同じようになってたなぁ、と。
特に神の音音叉は「こんなときに、これが必要」という絶対的な枠がなく
(神の音音叉はこんな時に使える、というのはありますが、こんな時に絶対必要という枠は、わたしは感じないのです)
ほんと沢山のことに使える。
わたしにとって、セッションに音叉があって当たり前、
疑問を持たないほどの道具になってた、と気がつきました。

無意識での捉え方、思い込みってすごいなぁと。

で、このことを友人に話したら、

>お互いが当たり前に思ってる事のギャップが大きい時の会話って、
>ビックリするような突っ込みがきたりするんで、思わずフリーズするよね。

>そういった意味でも、本当に各々自分の世界で生きてるんだな、って、
>改めてつくづく思う今日この頃です。


と話してくれて、まさしくそうだなぁと。

《本当に各々自分の世界で生きている》

普段は、自分は「自分の世界で」生きている、ということに
意識があまりない、気がついていないから、

自分の物の見方・考え方(自分の世界)が、
みんなの世界でもある、と
無意識で設定されてると感じます。

だから、ややもすると、

自分の物の見方・考え方をしていない人と話してて
相手が理解出来ないと、変だと思ったり、
ヘタしたら、馬鹿にしたり見下したり。

これって、、井の中の蛙状態だなぁと。

「自分の世界」って、
自分の物の見方・考え方しかできないから
めちゃ狭いんですよね。
というのも「自分の物の見方・考え方」は、
自分が経験したことでしか成り立ってないから。

「相手(他人)の世界」は
自分とは違う見方・考え方を見せてくれる。
え?そんな角度から見れるんだ?!
そんな考え方・展開ができるんだ!という発見がある。

なので、相手の言ったことが分からなくても
「相手が何を言わんとしているのだろう?」と
相手をもっと知ろうとしたり、
相手の物の見方をしてみようとしたり、
「自分の言葉に変換すると、どう表現できるのだろう?」と
自分とすり合わせてみたり。

すると、自分の世界が広がると感じます。
ああ、そんな物の見方が出来るんだなぁと。


今回の音叉の質問は、ビックリ体験でした。
あんなに頭が真っ白になった体験は新鮮だったな〜
そして、わたしの思い込みにも気づいて
わたしにとって、音叉はどういう物であるのか、と
体感しました。
音叉はわたしの日常にあって当たり前みたいになってるんだな。
フリーズするくらいの思いもよらない質問、
考え方は、わたしの世界をどんどん広げてくれます。

あなたはどんな世界で生きていますか?
よかったら、わたしにも見せてくださいね☆

自分勝手な「脳内自動変換機」は「自分が責められてると思いたい変換機」。

2017.01.26 00:36|わたしの場合
20170125.jpeg

以前、ボブから「もうカーテンは洗ったんだよね?」と
質問されたことに対し、
わたしが勝手な解釈をして、
「まだ洗ってないのか!何してるねん!!」
と、責められたと感じたことがあったのですが。
(※ボブは本当にただ質問しただけ・会話なだけでした)

また勝手な解釈をしてて、ハッとしました。

今日はボブとわたしと私の母とイケアに行ったんですけどね。
私の母はマイペースなところがあるので
一緒に買い物に行って、
一緒に同じ物を見てても、
視界に気になる物が入ってきたら即そちらへ行って、
またそこから違う所へ行って…と
気がついたら母がどこに居るのか分からないことが
しょっちゅうあるのです。

今日のイケアでも同じことになり、
何度か繰り返した後、
まだ延々といろんな物をみている母を見たボブは
わたしに対して

「まただよ!あなたの母はいつまで物を見てんだ!!」

と怒りを露わにして言ったのです。
そしたらわたし、とっさに言い訳をしたくなって
口を開きそうになったんだけど、
でも瞬時になんか変だと気がついた。

え?なに?なんか変…と
自分が感じているのが「何なのか」を
観察してたら、ハッとしたんですよ!

わたしね、ボブに「あなたの母」と言われて

「あなたの母」
  ↓
「あなた」
  ↓
「わたし」

って勝手に変換させてました!!
「わたし」に文句言ってると勝手に思っちゃってた。

なんか愕然としたんですけどね、
こんな超自分勝手な脳内自動変換を
無意識でしょっちゅうやってると気がついた。

今回はボブが「あなたの」という言葉を
使ってくれたから気がつけたのですが、
他にもやってるんですよ。

例えばね、
ボブが日本人全般に対して不満を言ったときは
「わたしの中にある同じ部分」に文句を言われたと
勝手に感じてしまい、結果、瞬時に
「わたしに」文句を言ってると思っちゃってたんですね。
無意識に。

ええ、わたしの勝手な解釈です。
ボブはわたしには文句言ってませんから。
というのも、彼がわたしに文句を言うときは
いつも「あなたは」とはっきり言ってくるからです。

いやーー、わたしの勝手な無意識での解釈っぷりにはビックリした。

ここに気がついたら、すぅっと落ち着いたのですが
今回もうひとつ気がついたのが、
「人に対して不満を言っていい」
「怒ってもいい」ということ。

あ、不満を言っていいし
怒ってもいいと前から思ってたのですが、
今回、目からウロコだったのが

「相手の文句言って即行機嫌直して相手に親しく仲良くしていい」

ということでした。
ボブのいいなぁすごいなぁと思うところのひとつが
彼の瞬間沸騰&瞬間冷却ぐあいなのですが、
その場でガガッと怒りを表現し
スーッと冷めて、けろっとしてるんですね。
まるで何事も無かったかのように。
で、すっきりして、別のことでケタケタ笑ったりしてるのです。

ということを、今回も目の当たりにし、

「人(わたしの母)の不満を怒り露わにして言った後で
 その人(わたしの母)と冗談言ったりして笑ってもいい」

と気がついた!!
わたし、何か知らんけど、ダメだと思ってましたーーー!
もうほんとビックリした。

あともうひとつ、ボブを観察してて気がついたんだけど、
ボブはわたしの母の「行動」について不満を言っただけであり
「わたしの母」に不満を言ったわけじゃないんだよね。

しかも

その行動に対しての不満は
「自分(ボブ)が希望するように物事が運んでいない」という
「自分(ボブ)の不満」なわけですよ。

…分かりづらいかな??
えっとね、今回のことでいうと、

「まただよ!あなたの母はいつまで物を見てんだ!!」
というボブの不満は

「おいらはもっとサクサクっとスムーズに回りたいのに
 回れていない。不満です」

ということを表現してたんですね。
なので、実際に、母がわたしたちと合流し
もう母の興味をひく物が無くなって
サクサクと回れていると、
機嫌もよくなり、母とも冗談を言って笑っているという。

だから、

母の行動は、ボブの中で怒りが入った
単なるスイッチなだけ。
「自分(ボブ)の中にタネがある」のです。

他人の行動から
自分の中になにかが湧き上がってくるということは、
他人が悪い(他人のせい)ではなく
「自分の中にザラザラしたことがある」だけなんですね。

あ。

自分が悪いわけでもないですよーー
自分のせいでもないですから。

ただ「そういう感情が出てきている」だけで
居心地が良くないのであれば、
自分の中を見つめて整えたらいいだけのこと。

そして、整えたら、即、その相手とも
仲良くしていいし、笑い合ってもいい。

なんかさ、、わたしってば勝手に自分を責めて
仲良くしたりしちゃいけないとか、無意識に思ってました。。

うわーー、なんでやーー!
もうビックリするわ。
自分で自分の責めっぷりには!

ボブの瞬間沸騰&瞬間冷却ぶりと
母のマイペースぶりと純粋さは
いつもわたしの中をまざまざと写し出してくれます。
うーーん。まだなんかありそうやな。
次回を乞うご期待?!

【続】今日も「面倒臭い」発言、そして「ひとでなし」について教えてもらった!

2016.11.25 00:40|わたしの場合
20161124.jpeg

今日、家に帰って

「ただいま〜。
 今日一日どうだった?どんな楽しいことしてたの?」

とボブに聞いたら、
もじもじしながら笑みを浮かべてました。

「えっ!そんな楽しいことしてたん?!何?」

なんか楽しそうだったので、どんな面白いことしてたんだろうと
超楽しみにして聞いたらね、、、

「昨日教えてもらった写真の編集が分からないんだよー」

ですって、奥さん!!どないや!
わたしゃビックリしたがな。

「え?!あなたメモ取ってたやん!」
「それがさ、メモ通りにしたのに小窓が開かないんだよ」
「どないや!面倒臭いな〜」
「あはは〜〜」
「あはは〜」

と、今日もボブ(夫)に「面倒臭い」発言をしても
やっぱり二人で笑ってました。
そして、わたしもボブも落ち着いてる。

これね、ひと昔前までは、こうは行かなかった。

昨日の記事にも書いたのだけど
ボブの反応は

「僕は君のために沢山のことをしているのに!
 なんでこんなことで面倒臭いと言う/思うの?)」

という言葉を怒りと共に表現してたのです。
すると、わたしは

申し訳ない、罪悪感、期待に応えなければ、
わたしも同等に同じことをしなければならない、
夫の願いは叶えなければならない、
夫を粗末に扱ってはいけない

などという思いや信念が瞬時に出てきてたんですね。
で、何も言えなくなって、言われた/お願いされたことを
やりたくなくても、わたしのすべての感情を抑圧して黙ってしてた…という。

すっごい自分に無理をさせてました。
自分に嘘ついてた。
出てきてた感情を無視して。

今はそれを止めて、
自分の感情やふと出てくる思いを拾ってます。
で、見るの。ああ、わたしそんなこと感じたんだ〜って。
そして認める。

その繰り返しをしています。

そうするとね、自分は何が嫌で
何が好きなのか、楽しいのか、もっと分かるようになります。

セッションでお会いする方で
「自分は何が好きなのか分からなくなりました」
「してて楽しいことが何か分からなくなりました」
とお話しくださる方も多いのだけど、それは
ほんとは嫌なのに、自分(の内なる声)を無視して
無理やりさせてる事が多すぎて、
「好き」が分からなくなってるのね。
「好き」への感度が鈍っちゃってる。

なので、瞬時に湧いてくる自分の感覚を見逃さない。
ちゃんと拾ってあげる。見る。認める。

で、お薦めしたいのが「いい人は止める」こと。

いつまでも「良い子」ではいられないのね。
キャサリンも言ってたけど、
ほんと、良い子ではいつづけられない。
自分が壊れちゃう。

でね、昨日の記事で
「わたしは人で無し(な面がある)」と認めた、と
書いたのですが。

そこで、同じくIHプラクティショナーの
NY在住しんちゃん

人でなしとは"人で無し:人の価値観で生きていない"と言う事で、周りの意見よりより深く自分の内側の神様の声を聞いているのかも知れませんね。

と教えてくれました。
ほんまやな〜〜。
そういう見方がある!と目からウロコでした。

ね?こういう視点だと「ひとでなし」も
くるっと引っくり返って、なんだか楽しい生き方なような感じ。

わたしは「自分は人で無し(な面がある)」と認めました。
なんかジタバタしちゃって中々認められなかったけど、
一旦認めると、ラクよ〜〜

よかったら、あなたもどうぞ「 Teamひとでなし」へ♡


追記:NY在住しんちゃんのブログはこちらです。
NY ゲイヒーラー物語
http://ameblo.jp/lomiyoganyny/
しんちゃんね、ハートがオープンでいつも自由を感じます。
でね、セクシャリティーに関しては達人!
セックスでなんか気になってたら、
しんちゃんのブログを見てみてね。


プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますことを
楽しみにしています〜!

【ワークショップのお知らせ】
ブレてもまたバランスを
取り戻せばいい!
自分で自分を整えるコツをお伝えする
1Dayワークショップです。
詳しくはこちらをご参照ください

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

アメブロにミラーブログ置きました。
読者登録など便利な機能があるので。
もしアメブロの方がご都合が良ければ
そちらでも宜しくお願いします。
http://ameblo.jp/lalunadigiorno

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

検索フォーム

【メールフォーム】

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示

QRコード

QR

ページトップへ