紙とペンのご用意を!タロット先生のリーディングゲームのご紹介

2017.06.29 03:49|自己ワーク
20170628.jpeg

わたしが敬愛するマルセイユ・タロットの
宮岡先生が、ブログでリーディングゲームを
してくださっています。

http://ameblo.jp/mvoler-tarot/entry-12287114852.html

宮岡先生がブログ上に用意してくださったことに対して
自分が感じたこと・思ったことをメモするなり、
記憶にとどめておいてください〜

明後日に概要を示してくださるそうです。

わたしもさっそく紙とペンを持って
先生のブログ記事を楽しんできましたよ。

これね、シンプルだからこそ
自分の深いところが見えると思う!

わたしは見えたよ、、
「ああ、これは恐れだな〜〜」とか、ね。

わたしが感じたことをシェアしようかなとも
思ったのですが、
何も知らないまま、先生の記事を見たほうがいいので、
ここでは何も書きませんね。

どうぞ楽しんで来てください。

「絵」だからね、そこを見るだけで
自分の中のいろんなことが反映されてくるから
それが面白かったです。
あ、こんなことも思ってたんだ、とか
文字じゃないからこそ見えてくる部分がありました。

特に、今、迷ってることがある人におすすめしたい!
痛いくらい、自分の迷いっぷりと、
どこが迷ってるのかが見えると思うから。。ひぃ〜

さぁ、紙とペンのご用意を。
マルセイユ・タロットの世界へ行ってらっしゃ〜い!

http://ameblo.jp/mvoler-tarot/entry-12287114852.html

性別は生まれもってくるのではなく創りあげるのだと思う

2015.08.13 03:46|自己ワーク
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パリで入った、ある雑貨屋さん。
接客してくださった店員さんは
男性だったのだけど、
彼と接していると、ふと
女性といる感覚に陥ってね。

その瞬間に店員さんを見たんだけど、
お顔はやっぱり男性だった。
ヒゲもはやしていらしてね。
でも、綺麗に手入れがされている。
そして、物腰が柔らかくて
ふわっとした優しさも出てて
この方と居ると、ふんわりと包まれる感じ。
「ああ、やっぱりこの方は女性なんだろうなぁ」と
わたしは思った。

もちろん『わたしが』思っただけであって、
わたしの勘違いかもしれない。
でも、気づかせてもらえたのが、
性別は、生まれもってくるのではなくて、
自分が創りあげていくんだなーということ。

生まれもってきた肉体により
性別が判断されてしまって、
大半の人間は、自分でもそう認識するわけだけど、
その実、違うことも多々あるわけで。

肉体の構造により、
男性ホルモン、もしくは、女性ホルモンの
どちらかが優位になったりするけど、
心までは、それで完全に
「男性」とか「女性」とかには、
操れないもんねぇ。

わたしの去年の大きなテーマのひとつが
女性性だったのですが、
ほんと、一時は、肉体は性別「女性」でも
女じゃなかった(と自分で思ってた)なーと。

今だから見えてきたんだけど、
去年の日本滞在中はマックスで
意識的に自分の女性性は
うまく着地してなかったな、と。

それは、自分の身体が好きじゃなかった
というのもあるかもしれない、と、今頃気がついた。
日本に居る間、一時痩せちゃってね。
元からどちらかというと細めな身体だったけど
忙しかったせいか、なぜか痩せたの。
ちゃんと食べてたし、月経も定期的にあったから
ちっとも心配してなかったんだけど、
気がついたら、身体の形が変わるほど
脂肪が落ちて、筋肉質になり、痩せすぎてた。

なにこれ?!と自分でも思ったんだけど、
ダイエットしてるわけでもないし、
鍛えてないのにますます筋肉ついてきてるから
自分でもどうしたらいいか分からなくて。

元から男っぽい性格の上に
身体も男っぽくなってきちゃって、ああ、もう。
どこにいっちゃったの、わたしの女性性〜〜

…という感じだったのですが。

あの時は、
「自分は女だから(女で生まれたから)」という
ことに甘んじて、生まれてきた肉体の上に
ただ胡座(あぐら)かいてただけだったんだ、
と気がついたよ。

性別は、自分で創りあげていくんだな〜〜

肉体的にも外見的にも男性で、
ヒゲもたくわえていたとしても、
身嗜みや物腰や雰囲気で
自分のジェンダーを創りあげ、
ここまで自然にふんわりと女性であることも
表現出来るんだって。

芸術的でもあり、ものすごい可能性を
見せてもらえた感じがしてとても嬉しかったです。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

ちょっと話は変わるのだけど、

そもそものところで、
「女性」ってなんだろう。
「女性性」ってなんだろうね。

母であるのも女性だし
妻であるのも女性だし。
でも、わたしの中で
「母」と「妻」は違う感じでね、
なんか上手くつかめてなくて
女性性ってなんだろう、と
あらためて思ったの。

でね、わたしが考え着いたとこなんだけど
柔らかい、とか、ふんわりしてる、とか
そういう女性を連想させるようなことを総合し
そこを指して「女性性」という表現が
されているのかなぁ、と(わたし個人の考え)。

でもさ、これって、かなり主観的だなと思った。
「自分」が思ってるのと
「他人」が思ってるのとは、違うと思うから。

きっと、世間一般的に大雑把に女性性を
差すようなときに使うのなら
納得できるかもしれないけど、
いざ「自分に」使うとなると、
「女である自分」が確立出来ていないと
「自分の女性性」って言ったって、
ぼやーーんとして、ブレが出てくるんだと思う。

で、ここで
「自分にとって、自分が女であるってどうなんだ?」と。

で、自分が女である、ということが
どういうことなのか、
どういうことであり得るのか、
感覚が掴めていないから、分からない。

んじゃあ、と、わたしが憧れている女性たちを
思い浮かべても、、、

彼女たちから感じる女性としての魅力が
自分には重なってこない。
しっくりこないんですよ。
彼女は「彼女」であって、わたしじゃないから。
どう逆立ちしても、彼女たちのようには
なれないんですね。

ああ、「わたしオリジナル女性」を
創らないといけないんだなーと思った。

で、どうやって創っていくのか、と。
これは個人それぞれだと思うのだけど、
わたしは、とりあえずいろいろ試した。
下着や服など身につけるものを変えたり
身の回りの色を変えたり。
日常の動作、姿勢を変えてみたり。

思うのだけど「分からない」場合は、
「とりあえず思いつくことをやってみる」
のがいいかなぁ、と。
そのうちしっくりくるのに出会うから。

で、わたしの女性性、
今は落ち着いてます。
着地点を見つけたようです。

苦手だった自分の身体も今は好きだしね。
あ、そうそう、自己トレで
簡単なボディメイキングもしてるの。
身体(肉体)は素直で、
可愛がってあげる(動かす)と
反応してくれてます。
わたしにとっては、
実際に「身体を作る」ということは
自分の女性性を創り上げることへの
役割では大きかったです。

もう完全なる自己満足の世界なのだけど。
わたしはそれでいいと思ってる。

というのもね、「自分が」認識しないとダメだから。

あのね、これに気がついたときには
思いっきり大笑いしたのですが、
わたし以外の人は、わたしのことを
女だと思ってるんですよ!!!

どう思う、これ?!
わたしだけですよ、自分を女と認識してないの、、、

道歩いててもSignore(ムッシュー)
なんて絶対呼ばれないし。
いつもSignora(マダム)か
Signorina(マドモワゼル)で、
女として扱ってくれてる。
「女性性が…わたしって…」
なんて思ってるの、当の本人のわたしだけですから!!!

でさ、「わたしの女性性…」とか思ってる割には、
公衆トイレに行く場合、迷わず「女性トイレ」に
入ってるんだからね、わたし。

ああ、ほんとどないや、わたし。。。
ええ加減、自分が女だと認める時期だったんだなーと。

で、行き着いたところ、
わたしは女だったのに、自分が認識していなかっただけ
のことでした。

…あははは!!!
これに気がついたときは、ほんと笑ったよ〜

でね。今ね、以前と何が変わったか、
というと、ほとんど変わってません。
相変わらず男気のある女って感じだし。
でも、それで納得してる。
自分の中では落ち着いててそれが好きだし。
あ、ちょっとは以前より柔らかくなれたかなぁ
という感じはするかな。。(当社比)

でね、わたしの場合、
持って生まれた肉体と
自分が認識する性別が一致してるわけなのだけど、
世の中、一致しない人もいると思う。

でも、ご本人がそれで
しっくりしていて心地よいのなら、
わたしはそれがベストなんだと思うのね。

で、「性別」として分けているけど、
中にはどちらにも偏らず
両方同じくらい持っている人もいるだろうし
(わたしも意識的にはここに近い)、
どちらにも属さない人もいると思う。
ニュートラル、とかじゃなくてね、
男とか女とかそういうのを感じない人もいる。

生まれ持った肉体、ではなく、
性別(女か男かどちらか)でもなく、
自分が満足している着地点が
ベストな状態なんだな、と思う。

去年からの大きなテーマのひとつだった
女性性。今はこんな感じで落ち着きました。

男性性と女性性に関しては、
もうひとつ、大きな気づきがあったので、
次回、お話ししたいと思います。

必要なもの:ノートとペンと決意と勇気

2015.06.10 03:49|自己ワーク
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パブロフの犬を止めた
エゴを可愛がったりしているのですが
もうひとつ、しているワークが
前回記事でもちらりとお話しした

「今まで直面できなかったことをノートに書く」。

これね、バーソロミュー/メアリーマーガレット・ムーア著の
「バーソロミュー」の本から得たの。

ちょっと長いんだけど、引用してご紹介するね。

================

書籍「バーソロミュー」178ページより

 大きなノートを買い、自分について、
以前から真実だと感じていたけれど、
なかなか直面する勇気がなかったことについて、
毎日少しずつ書くのです。
自分の弱さをくり返し自分に認めさせるのです。
この過程のなかで、自分が今弱さに負けそうだ、
という危険に気づくだけの強さを得ることができます。
その瞬間、自分の意識のなかにあるほかの部分、
自分の存在のなかにある強くて明解な部分に、
助けに来てくれるように頼むことができます。
この書きとめる作業を毎日毎日くり返していくうちに、
書くという知的作業がいつのまにか深い直感的作業へと変化し、
内なる真理が自然に湧き上がってくることに気づくでしょう。
何度も何度も、このような内なる真理が、
頭を通さずに自然に浮かんで出てくるようになります。

 これは、その人の特定の部分が見えるように
直感が導いてくれている、ということにすぎません。
そして、これは穏やかな方法でなされます。
自分という存在を信頼していいのです。
本人に受け取る準備ができるまでは、
どんな情報も与えられません。
ですから、この情報は、そっとあなたを促したり、
優しく顔を出したりして現れます。
真理が書かれたときには、これがそうだとわかります。
そのときは、あなたの心の天空ーあなたの存在の天空に
鐘が鳴り響き、あなたはそれを聞いて真実だとわかるのです。

 自分の弱い部分がはっきりすると、
次は新しい生き方をするための方法を探すことです。
これまでの自己像が真のあなたでないと思えるようになるには、
自分をどのように定義し直したらいいでしょうか。
特にこういうときには、まわりの世界が鏡となってはね返ってきます。
ちょっと目にとまった本のなかに役に立つことが書かれていたり、
誰かと話していて、その人があなたの深い部分を揺るがすようなことを
言ったりします。夢や白昼夢を通して、直感があなたを
目覚めさせるようになります。出口を探したいと思った
その瞬間から、出口への道を歩き始めています。
毎日熱心に探してください。
「あなた自身の真実とあなた自身の光」への道を
真剣に求めてください。

(引用終わり)

================

長いから中略しようかとも思ったけど、
そのまま載せました。
というのもね、久しぶりに読み返して
「あれ、こんなだったっけ?」と思うほど
覚えていなくて、でも、振り返ってみたら
ここに書いてあるとおりのことが
実際にわたしには起こってたから。

このワークね、最初の頃、勇気が要った。
というか、勇気を持ってしていなかったので、
はっきり書けてなかったの、自分の弱さを。

日本にワークを始めた頃のノートを
置いてきたので思い出せずうろ覚えなんだけど、
確か「わたしは驕ってないか」
みたいな疑問系で書いてた!
はっきりと書けてなかったのね。

で、ある日気がついた。
「うわ、なんやこれ!!」って。
「直面してないやん!!」と。

ここでやっと分かった。

>なかなか直面する勇気がなかったことについて、
毎日少しずつ書く

のだから、そりゃー勇気が要るだろう、って。
あははは〜〜、呑気やな、わたし。

ここで気がつき、
「見る、と決意したのだから、勇気だす」と、
ようやくワークを始められた感じでした。

最近は毎日書いてないのだけど
自分との対話みたいなノートだからね、
ほんと思いつくことを片っぱしから
書くのね。
すると「また同じことしてるなー」とも
気がつく。

あ、弱い面をどんどん見つけても
(これは当たり前のことですから!)
そして、同じこと(同じ弱い面が出る)してても
ジャッジ・審判をくださないのね。
弱い面は悪いとか、自分はまだまだだ、とか
そういうのは無いのだから。
《人間は弱い面があって当たり前》だと思うし
《ただ同じことを繰り返してた》それだけのこと。

それでね、段々いろんなことにも
気づきやすくなってくる。
例えば:
わたしの「驕っている」をあげると、
わたしね、自信がなかったんだなぁと気がついた。
自信がないものだから「驕る」ほうにまで傾いて
自分を奮い立たせてた、そんな感じ。
まぁ驕っててもいいんじゃない?とも思うんだけど、
わたしは居心地が悪いので、やめました。

…とこんな感じでね、ワークを続けてると
弱い面に直面するだけでなく、
その弱い面に関連することも見えて(浮かんで)くる。

そして、本に書いてあるように、
頭を通さずにいろんなことが
ひらめいて(浮かび上がるようになって)きて
いろんなことがサラサラと溶けていく。

あとね、わたしにとってこのワークは、
自分が直面できてなかった弱さを
見せてもらえただけでなく、
今まで無意識にしてたことも
顕在意識へと沢山持ち上げてくれました。

ノートに書いていくとね、
おのずと無意識でしていたことにも
自然に気づかせてもらえるようになるのね。
で、そのうち、ノートに書かなくても
行動中に気づくようになったの。
わたしにとっては、これはとても大きかった。
その中でも未だに覚えてるほど
見せてもらえた無意識からの気づきが深くてね。
そのお話をシェアしようと思うのだけど、
長いので(いつものことかしら?!)
一旦くぎって、下の方でご紹介しますね。
もし良かったお付き合いください。

あのね。

自分の弱さを見なくても別にいいと思うのね。
弱さに翻弄されてもいい。
まだ直面出来なくてもいい。
でも、直面しよう!と思ったのなら、
直面できる時機(適してる時)なので、
ちょっぴり勇気をだして、向かいあってみてね。

でね、思うんだけどね。

「弱さ」って強さとも捉えられると思うのね。
強さの延長線上っぽい。
ただ、偏りすぎてバランスが崩れただけ。
あと、見方・視点がズレてたり、とか。
そこをバランスの良い点、心地よい点にもってくる。

もしよかったら、
書籍「バーソロミュー」にあるように、
ノートに書いていってみてください。
そしたら、そのうち頭を通さずにいろんなことが
ひらめく(浮かび上がる)ようになると思う。
いろんなことが溶けていって、
自分の中にゴツゴツした塊のような物はなくなり
ラクになっていることと思います。

必要なものは:
ノートとベンと決意と勇気。

どうぞ楽しんでください〜!



*****************************************

さて。無意識にしてたことに関してのシェアです。

ある日、開け放した窓から、
犬の吠え声が断片的に、でも、継続的に聞こえてたの。
それに気がついたわたし、無意識にふと立ち上がり、
窓を閉めてました。

これに気がついたとき、心底ビックリした。
なんでわたし、無意識に窓閉めてるんだろう?って。
条件反射だったしね。

なんでか分からないけど、
自分の内側が震撼したほど驚いた無意識な行動の発見。
なんかあるなと思って掘り下げたら。

母親が出てきた。

「おかあさんはご機嫌でいなければならない」
と、小さい頃から自分はその役目を買って出てて
「おかあさんのご機嫌は良い状態を保つ」
と自分にずっと課してたのね。これが出てきた。

わたしね、今頃気がついたんだけど、
小さい頃から、母親はもちろん、父親に対しても
機嫌良くいてもらえるよう常に努力してたみたい。
母親と父親の会話の流れがギスギスしてたら
その間に入ったりとか、常な状態だった。
もう無意識だったから、今まで全然気がつかなかった。

で、なんでそんなことしてたのかというのが、
特に母親に対して、
彼女が機嫌が悪くなることに対しての恐怖。
当時の母ね、機嫌が悪くなると些細なことで
突然怒り出してたのね。
そして子ども達には「出ていきなさい!」と
家から閉め出す(鍵を内側からかける)。

これがわたしにとって、とにかく恐怖だった。
すっごい惨めで、生きていけない感が半端なかったから。

これを味わいたくないために、必死でご機嫌を取り、
それがいつの間にか無意識な行動になっていた、と。
これに気がついたんですよ!!!

以前にそんな恐怖があるのは分かって
調整もしたのだけど、まだ無意識の行動として
残ってたとこまでは気がついてなかった。

でね、今回の「犬の吠え声で窓閉め」に関しては
ボブに対してだったでしょう?

ボブね、断続的で継続的な音は大嫌いなの。
その象徴だった犬の吠え声に対して
わたしは無意識に窓を閉めてたので、
これに関してもなんかある、と、掘り下げたら
やっぱり、ボブに対しても
「ご機嫌よろしく生活してもらえるよう」
努力してたみたい、わたし。

パートナーという存在は、
「パートナー」という夫/妻・恋人という立場以外にも、
友人であったり、兄弟/姉妹だったり
父/母(親)であったりなどもすると思うのね。
その中で、わたしにとってのボブは
親という立場が大きかった。
これは過去に調整したんだけど
まだ残ってたみたい。

だから、親のご機嫌を保つような行動を
無意識的にボブに対してもまだしてた、と。

無意識って威力はすごいなと思ったよ。
思いかえせば、親やボブにはいろんな無意識での
「ご機嫌よろしゅうに行動」とってたもの。

今では気がつけたので、これらの行動はとっていません。
ますますラクになったよ。

いやーー、こんな深いとこまで手放せたとは。
特に、無意識の行動・思考に気づけるようになったのは
ほんと嬉しい。

このワーク、穏やかで優しい感じ。
そして、自然に、頭を通さずにひらめく気づきへと
ますます持っていってくれる感じがしています。

エゴを可愛がっています

2015.05.21 04:04|自己ワーク
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日本滞在中に、お友達が
「エゴを可愛がってるんだ〜」って
話してくれてね。
面白そうと思ってわたしも始めたの。

エゴが出てきたら、傍観せずに、
可愛がる。とことん付き合う。

そしたら、ほんと楽しくてね、
自分の中に
「こんなんあったんだ?!」とか
「こんな(仕組み)だったんだ!」
っていろんな発見した。

例えばね、

わたしね、今まで、イタリア語を話すとき
スラングを全く使ってませんでした。
ローマ特有の言い回しをすることはあっても
スラングは使ってこなかったの。

それがね、エゴを可愛がるようになったら
ある日ポロっと出た。
ふとした拍子の自分の行き詰まった状況に対して
一言、発してしまった。
そしたらね、なんで突然スラング言ってるんだ?って
興味湧いて面白くなってきた。

でね、なんで今頃になって
スラングが口から出てきたんだろうと
自分の意識を見つめてみたら、
わたし、自由だったの。
束縛されてないって感じだった。

ということは。
何かに束縛されてたのか?と
掘り下げたら、母親が出てきた。

「汚い言葉を使ってはいけません」
「言葉には言霊があるから気をつけなさい」
「そんな(汚い言葉そのものな)人になるわよ」

うわーー、怖かったんだなー、わたし。
「スラング言霊」に取り憑かれること、
そして、汚い言葉人間になるのが怖いと思ってた。

自分がスラング言葉に取り憑かれても、
自分がスラング人間になったとしても、
それが何なのだろう?って思ったらね、
スラング使うことにも抵抗なくなって
逆に、行き詰まったときに一言発したのが
スッキリしたものだから、
それからしばらく使ってました。
ははは〜、今までどれだけ抑圧されてたのか!
って自分に笑ってしまった〜
ボブには「使い過ぎじゃないか??」って
突っ込まれたよ。今はもう飽きたので、
たま〜にしか口から出てこないんだけど。


他にはね、

わたし、食べたい物は食べるようにしてるんだけど、
白砂糖ベースの甘い物を食べたくなったときは
身体に確認してから買うようにしてたのね。

というのも、「食べたい」と思うのは、
「記憶や気持ちが欲してる場合」と
「身体が欲してる場合」があるから。

「記憶や気持ちが欲してる場合」って、
それを食べたときに楽しかったから、などという
「懐かしさ」や「食べたときの感情(楽しさ)の追体験をしたい」
だけであって、身体にとっては必要で無い場合があるのね。
だから、口に入れると一瞬追体験で
気持ちがふわっと上がるけど、
でも、咀嚼してたら、
なんか身体は拒否ってる(摂取したくない)
感じだなーとなることもある。

そして「身体が欲してる場合」は、
「ただ甘い物が欲しいだけ」であって、
他の甘い物(乾燥果物)で
オッケーな場合が多々ある。

だから、毎回白砂糖ベースの甘い物を
食べたくなったら身体に聞いてたのだけど。

エゴを可愛がるようになってから、
それを止めました。
食べたくなったら、身体に聞かずに
さっと買って食べることにした。

そしたらね、気がついたの。
わたし、白砂糖に対する恐怖があるって。
毒を食べてる、という恐怖。
(*白砂糖は毒だという感覚は、わたしの考えです)

「甘い物を欲する時は
 記憶や気持ちが欲してる場合と
 身体が欲してる場合がある」

なぁんて言ってたけど、
その実、奥には、恐れが隠れてた。

で、思ったのね。
もし、明日、誰かが臨床結果と共に
「白砂糖は身体に悪いことはなく、逆に身体に良かったです!」
なぁんて発表したとしたら?
白砂糖抜きの生活をしてたことに対して後悔しないか、と。

そしたらね、そんな生活してたことにはちっとも後悔しないけど、
ただ、ヌテッラのコルネットを避けてたことは
ちょっと寂しいかなーと思った。

で、ここが基準なんだ、と気がついた。

今までしてたことに対して、
その行為は無意味や無駄な行動だったとしても、
後悔や執着、引っかかることははないかどうか。
もしモヤモヤしたり、なんかスッキリしない、
なんか引っかかるなどがある場合は、
何かを我慢してたり、
自分を抑圧してたり、
自分を強制させてるのかも、と思った。
そして、奥には本当の原因が隠れてる。
わたしにとっては、それは「恐れ」や「恐怖」でした。

*****************************

今回シェアさせてもらったエピソードではね
「恐れがあった」と気がついた後、
結局は以前のわたしの行動と
ほとんど変わっていません。
(スラングはたまーに出てくることがありますが)

白砂糖ベースの甘い物を食べたいと思ったら、
身体に確認する時もまた出てきた。
でもね「確認する」ときは、確実に「代用物OK」です。
逆にいうと、身体が
「白砂糖じゃなくて、他の甘い物にして」
って言ってるのが分かるようになった。
で、身体に確認しないで、さっと買って食べるときは、
そのときは気持ちも満たされて、
身体もちゃんと受け入れてくれてるのが分かる。
身体は嫌がってないのね。

身体の声が分かるようになってきた。

結局は、行動は前とほとんど
変わってないけど、変わったんだなぁ、と。
そして、すべては恐怖からきてるんだ、と
改めて気づかせてもらえました。
本当の根源のとこを知って、
行動なりのオリジナルの部分が変化して、
何かが根本的に変わってるんだな、と感じた。

あとはね、自分の感覚がすごい軽い。
自由という感覚が以前にも増してます。

いや〜〜、エゴは、最高の友達だと思ったよ。
どっぷり肩を組んで仲良くなったら、
今まで知らずにいたことを見せてくれる。
ものすごい楽しいことを教えてくれる。
そして、
次の次元へ持って行ってくれるんだなぁ、と。

エゴ、いいね。

「パブロフの犬」止めました

2015.05.15 03:55|自己ワーク
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前回の記事で書いてた
「反射的反応」についてなんだけどね。

ある日、
ジェットコースターに乗ってるような感じする、
と気がついたの。
振り回されてるような感じだった。
なんでこんななのかなーと思ったらね、
感情に振り回されてるって気がついた。
反射的に反応して、突発に出てきた感情に。

今回、わたしが気がついたのは、
過去に自分が経験してきた中から
似たような状況や
ある一定の条件が揃った状況になると
反射的に反応してたということ。

でね、ふと思ったの。
これって、パブロフの犬みたいだって。
(パブロフの犬:犬にエサを与えるときに必ずベルを鳴らすようにしたところ、エサが無くてもベルを鳴らすと犬がよだれをたらすようになるというもの。パブロフ博士が1902年に発見。条件反射の喩えとして用いられる。こちらより引用)
だから、パブロフの犬はもう止めようと思った。

反射的に反応してしまう、ということは、
自分の外に意識が向いている、と思ったのね。
だから、自分の意識がどこにあるのか気をつけてた。
自分の中に意識が向いてること、
そして、ちゃんと自分軸にいることを感じてから
対応していこう、とした。

そしたらね、ラクになった。

そして面白いこと発見した!
反射的に反応してしまい(そうになり)、
自分の中で化学反応的な体感が
出てくると思うのだけど、そのときに、
意図的に「自分軸にいる」とする/
自分軸の感覚を今一度ちゃんと感じようとするとね、
時空間の歪みのような「時空間ポケット」みたいなのを
一瞬感じ取れると思うの。
わたしの場合は、ほんと「歪み」みたいな感じで
真っ白な亀裂みたいな感じ。
で、それを感じ取ったらそこに入る。
そうすると、そこは穏やかでした。
「空(くう)」みたいな感じだった。
自分の感覚がものすごく穏やかになれるのね。
これには助けてもらった。

**************************

「時空間ポケット」ね、ボブにも話したんだけど、
難しいって言われた。
わたしの感覚としてはね、

外に向いてる意識を
自分軸に移動させる。
その意識を移動させる瞬間に、
時空間の歪み(時空間ポケット)がある感じ、です。

これは、外に向いてる意識を
自分軸に移動させる時だけでなく、
自分がなにかしている際の行動から行動への
意識を動かすときにも気をつけていると、
「歪み(時空間ポケット)」は
ある感じがわたしはしました。

なので、面白そうと思ってくださった方、
自分の意識を動かす瞬間を感じてみてください。
そこでなにかを感じ取ってもらえるんじゃないかなぁ、と。

でも、この「時空間ポケット」を
感じ取れなくても大丈夫。
ちゃんと「自分軸にいる」ことをすると
外部のことに引っ張り回されない、という感じで、
「外」ではなく、内側の「自分」の感覚を得ます。
これで大丈夫。

**************************

でね。
この『「パブロフの犬」止めますプロジェクト(仮名)』。
次から次へと目の前の事に対処していく状況の中では
ほんと役立った。
うっかりしそうになると「パブロフの犬」と
唱えるだけで『自分』を思い出せるし。

ただね、疑問がちらりと湧いた。
これって、逃げてるのかな?と。
ちゃんと向き合ってないのかな?って。
でも日々の状況が状況だったので、
そのまま「パブロフの犬は止める」を続けてたらね。
分かったよ。

これね、逃げてるんじゃないと感じた。
意識の在り方の調整、みたいな感じだった。
で、向き合って掘り下げる必要があることだったら、
後からまた穏やかな形で出てきてた。

「反射的な反応」であったとしても、
感情ってね、
自分が過去に経験したことが基準で
それぞれの感情が湧いてくると思うのね。
だから「うわ、また反応してる」と気がついた時点で
もう手放せてるんだと感じた。
IHのプロトコルでいう「扁桃体」や
「記憶の部屋」のクリアリングみたいな感じ。

で、もっと気づきが必要、
向き合って掘り下げが必要なことは、
自分が穏やかで在るときに
顕在意識に上げてきてくれてました。
なので、ほんとラクだった。
穏やかに向き合えたから。

**************************

思うんだけどね。

「感情に振り回されること」
「ドラマに入り込むこと」って
悪いことじゃないと思うのね。

それをするため、味わうために
ここ(地球なり三次元なり)に居るとも
とれると思うから。
そして、そこから学ぶこともあるから。

ただ、それを
「自分の選択でしているかどうか」なんだと思う。

「自分が選択して、感情(or ドラマ)を味わっているのか」と
「感情(or ドラマ)に自分が振り回されているのか」。

この違いはものすごく大きいと思う。

感情(or ドラマ)を味わうことを選択してもいいし、
もう感情に振り回されることを止めることを選択してもいい。

大切なのは「自分が選ぶこと」であって、
どちらでも良いんだと思う。
そして、もし辛さやしんどさを感じるのなら、
自分はどうしたいのか、を見つめてみる。
そこからね、抜け出すカギが見つかるから。

で、まだ辛さ・しんどさの中にいることを
選択したとしてもね、
自分でそう選択してるから、
前に感じてた辛さとは違う「別なこと」になってる。
その中になにかギフトが隠されてるのを感じてるから
そのまま続行することにも前向きで、
ただ「そのこと」の中に「在る」ようになる。
これは、振り回される辛さとは全く違うものだから。

ということで。
『「パブロフの犬」止めますプロジェクト(仮名)』。
わたしにとってはほんと役に立ったワークでした。
もしよかったら、自分の意識がどこにあるか、
見つめてみてくださいね。面白いと思うよ〜
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ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますこと、
再会できることを楽しみにしています〜!
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日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
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お会いできることを楽しみにしてます。

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