制約って、、守られること&創造/想像力を高めることでもある?!

2018.02.12 00:35|思ったこと・気づいたこと
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みなさま、やっほー
いかがお過ごしですか。
また寒くなるようだけど、体調はいかがでしょうか。

わたしは先日、お友達にご縁をいただき、
素晴らしい出会いがありました。
なんとも楽しい時間を過ごしてね、
ひゃーー!嬉しかったです。
でね、お話してたらいろんな気づきもありました。

今日はその中から「制約」に関してです。

ー ・ ー ・ ー ・ ー


わたしにとって「制約」とは、
嫌なことでした。

自由が無いと感じるから。

窮屈で制限される感じがして
自分がやりたいように出来ない感じもあって
嫌だったんですね。

それがですよ!変わったんですよ、奥さん!!


先日、出会えた方達とお話していたら
とあることに関して、どうやらみなさんは
(わたしが勝手に受けた感覚では)
制約を一応受け入れていらっしゃると感じてね、

特におひとりの方に関しては
「しょうがない」とおっしゃった!!

しかも、その方からは、
「本気でしょうがないと思い
 全面的にその制約を受け入れるようなエネルギー」を
わたしは感じてですね、衝撃的だったのです。

「えええ?!制約がしょうがない?
 そうなん??そうなの?!」

と、頭の中がショック状態。
でも同時に、わたしの内のどこかで
制約に納得している自分もいたんですね。

じゃあ、制約ってなんだろう?と。



で、思ったのだけど。


「制約がかかる」ということで、
守られてる部分や利点があると思ったんですよ。


まず、守られてるという部分では、

「制約をかけてくる」=「この範囲内でしなさい」
ということなので、
「この範囲内をしていると大丈夫ですよ」
と言ってきてることだと思うのね。

だから、守られてる。
自分はその範囲内のことをしていれば、
安全圏にいられるということなんだって。


あとね、
「制約をかけてくる」=「制限をつけられる」
ということなので、その制限内で行動しないといけない。

そこで思ったんだけど、

「制限」という枠の負荷がかかってくるということは、
それに反発する力も生まれるということ。
その反発する力は「創造力・想像力」なのかな、と。

だって制限の中で行動しないといけないもんね。
想像力を使って、どうやってその制限をかわして
行動していくかを生み出していかないと
動けないじゃん。

そう、まるで厳しい校則をどうやって
潜り抜けるか探る高校生かのように…

…というのは冗談ですが、
でもほんと、これくらいの遊び心で
自分の腕の見せ所なんだな〜と思った。
これって、自分の想像力がほんと高まるね。


でね、もう一つ思うんだけど、

人間って、無限の中の選択肢から
選び出すのは難しいときがあると感じてます。

ある程度、数が決まってる(制約・制限がある)方が
選びやすいのよね。

これね、イタリアから日本来る度に思う。

イタリアで何かを購入したい場合、
往々にして、種類は、ほんの数種類しかないのね。
だからこの中から選ぶのだけど、
日本に来た時にゃー、もう、種類がありすぎて、、、

ありすぎて何が何か分からなくなるときがある。
で、分からなくなって、結局、
選ばず・買わずに帰ったことがあります。

制約・制限がある方が
選択肢が少ないから便利な時がある。

ー ・ ー ・ ー ・ ー


…と、こんな感じで
制約って、悪いことだけじゃないなぁと
頭でも納得しました。良いこともあるねぇ。。

って「わたしが」制約を嫌ってただけなんだけど!

そこを払拭してもらえ、
結局すべてはわたしの概念なんだなーと
改めてしみじみした日でもありました。






 

「罪悪感」は、ただの包装紙。なにを包んでいるのか見極める。

2018.02.03 00:23|思ったこと・気づいたこと
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立春は明後日という今日この頃。
春は確かに近づいているのだろうけど!
また大寒波がやってくるそうですね。
みなさま、体調はいかがですか?
どうぞ暖かくしてお過ごしくださいませね☆

わたしはおかげさまで風邪知らずで
連日外出しても元気な日々を過ごしています。

今日は、この間、坐禅会に参加した時に
気がついたことのシェアです〜

ー ・ ー ・ ー ・ ー


坐禅会に参加した日の朝。

ボブとちょっとしたことが
きっかけで口論になりました。

でね、そのときにボブは

「きみは瞑想やら何やらとやっているけど
 全然自分で(学んだ教えを)してないじゃん!」

と言ったんですよ。これ聞いて、
わたしは瞬間的にショックを受けちゃってね。


自分の意識では、
学んだ教えを日々自分に適応していた(つもりだ)けど

自分の奥の「向上心」が瞬間的にデカくなり
「幻想の姿
(教えを完璧に習得したらこういう姿であろうという形)」に
全然近づいていないと言ってきた。
まだまだだ、なにやってんの?って。

自分の奥にあった「自分はまだまだ」という
後ろめたさがドンと出てきて
罪悪感が込み上げてきた。


習ってきたことを自分に適応していないだなんて。
学んできたことを習得できてないだなんて。
何やってんの?と。


そのうちすぐに
「いやいや。これはボブの意見だから」
と、気がついたんだけどね。

でも、ボブの意見といえど、
一瞬でも、自分でそこに納得しちゃったほどの
後ろめたさがあるから、
罪悪感がしつこいんですよ。

気を取り直してみようにも
申し訳なさや後ろめたさがあり、
結局、坐禅中もこれがちらついてました。
(ああ、坐禅中ですよ!!どないや…)

もうしょうがないから、坐禅中だけど
ええいっっとその罪悪感を見つめてたらですね、、

突然ふわっと軽くなった感じがして
はっとしたんですよ。


「罪悪感」が悪いんじゃないんだって。


「罪悪感」そのものは悪くないんですよね、
罪悪感が起こる点、そこを見出す必要があるんだと
気がつきました。


例えでいうなら、

罪悪感は「包装紙」みたいなもの。
それを剥がして、
その下にある「物(核の部分)」を手にしないと。


わたしの今回の場合だと、
自分で自分を認めていないこと、
(学びを完全に自分に適応できていないこと)
自分のあるがまますべてを完全に肯定していなかった。
(学びを完全に習得出来ていない自分を肯定できていなかった)

そう、もう一歩踏み込むと、
自分に自信がないこと、
これが「包装紙(罪悪感)」につつまれた
「物(核の部分)」だったなぁ、と。


自分で自分を認めていない
ということは、
自分を殺している、と思うんですよ。

そして、
自分で自分を信じないということは、
他(他人?世間?社会?)を信じてることだと思うのね。


自分を信じないで他を信じてるって
変じゃないか?と思う。
しかも、自分で自分を認めず、
自分を殺してるなんてねぇぇぇ

…と、罪悪感の正体を見つけたら
気がついたら罪悪感は消えていました。

ー ・ ー ・ ー ・ ー


罪悪感は、わるくない。
別にあったって、持っててもいいんだなぁと。
それが出てくる点を見つけるだけなんだと思う。

大切なのは「漠然としたまま持たない」。

自分に正直に。
嘘をつかないで、
とことん正直になるのが鍵と思います。


罪悪感、あってもいいよーー




 

もうひとつの1月会。気軽なシェア会!

2018.01.24 20:30|思ったこと・気づいたこと
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東京は雪が積もりましたね!
あなたのご近所ではいかがですか?
うちの近辺では雪は全く見かけず、
今日は風が強くて寒かった〜!
沖縄の最高気温を見ると暖かそうと思うものの、
日本全体的に寒さが厳しそうですね。
どうぞぬくぬくでお過ごしくださいね。

さて。先週末は、もう一つの1月会でした。
今回は、気軽なシェア会ということで
沢山お話を聞くことができて、
素晴らしさに唸るばかりでした。

人って、気づきがあって
それを行動に持っていくと、
こんなに軽くなったり輝いたり、
ここまで変容するんだなぁと。



わたしたちが生きてるのは「今」で、
永遠に続く「今」しか生きられなくて。

でも、生きる上での行動や思考というのは
過去に経験したことに基づいてる。

「今」しか生きれないのに
「過去」に基づいたデータから生きてるという。。

しかも、その過去のデータの中に
習慣が存在するんですよね。
気づいてないまま、なんとなく惰性で
続けていることとかがある。
でも、気づいてないから、そのまんま
文字どおりの惰性になってて、、、


だから
疑問や違和感が出てきた時はチャンス!


あれ?何?なんで?と見つめていくと
今までの習慣、惰性に刺激を与え
リズムが崩れて、
新しい習慣となる種が出現するのです


だからね、
そのためにもストップすることも
大切だな〜としみじみ思う。

日常生活を走り続けてると、
そのリズムに乗ってるから
ある意味、ルーティンっぽくなるというか、
自分の癖が見え辛いところがあるんですね。

だから、
ときどき、ふと止まって
小さなことに気をとめてみると
視点が変わってくる。


なんで私は今これをしてるんだろう?
なんで私は今これを選んだんだろう?


そして…
新しいリズムがやってくると思います!

「頭では分かってるけど、でも…」。足りないことは何?

2018.01.15 22:01|思ったこと・気づいたこと
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セッションで
「頭では分かってるけど、でも…」
という言葉を聞くことが続いてました。


そうなのよ、「頭では」なのよね〜


でも、実際、いざとなると
また前と同じような思考・行動をしちゃう、と。


これね、なんでだろう?と改めて思ったんですよ。
で、ハッと閃いたんだけど、
それはいくつか要因があって


1)まだ「誰かの言葉のまま」な状態
  自分の言葉に変換されていない

2)言葉に捉われている。
  言葉の表面上しか掴めていない。

3)体験していない(体験が足りない)


…だから、頭だけで分かっているような状態かな、と思った。
もうちょい突っ込んで話すとね、




まず、1の「まだ誰かの言葉状態」。

誰かから的確なことを言われて
「そう、そう!」と共感するものの、
自分の物・自分の言葉になってない。

その人の言葉のまま、なんですよ。

だから、自分の内にしっくり落ちてこない。

こういう時は、
「自分の言葉で表現してみる」。
すると、自分の中で嚙み砕かれて
自分に落とし込むことができるんですね。




次は、2の「言葉に捉われている」。

文字通りなのですが
「言葉だけ」に意識が向いている状態で
そこを超えていないのです。

これは感覚的なことにもなってくるので
文字だけで説明するのは難しいのですが、
わたしたちは感じたことを無理やり文字で
表現しているようなことがあるので、
「言葉だけ」では完全には表現できないんですね。

例えで言うと、
月(内容)を指差す「指(文字)」を見ているような状態。

その先の「月(内容)」を見て(掴んで)欲しいのです!!

なので、言葉だけ、表面の上っ面だけに捉われない。
その言葉が指すことは、何なのか。
自分なりに掴んでいくんですね。
ここには当たり・ハズレ、正解・間違いはありません。
あなたが感じたこと、ただそれだけです。
それでいいの。



3の「体験していない(体験が足りない)」。

これね、例えると

・スポーツジムに入会したけど、行ってない
・マルチ機能のランニングマシーンを買ったけど、走ってない
・水泳の秘技書を買ったけど、泳いでない

ことに似てるかな〜と。

そう!「してない」のに、
もう「してる/した」ような気になってる。

でも本当は「してない」から
「できない/できていない」んですよ。。


あるいは、実際に自分の生活に取り入れたばかりなのに、

・優秀と有名なインストラクターが付いてるものだから
(優秀で有名な人が言ってたから)

・マルチ機能なマシーンを買ったものだから
(いろんなワークショップに参加したから)

・秘技書を超読み込んだものだから
(いろんな情報は頭に積み込んだから)

だから、自分は出来るなどと思ってしまってる。
そんな状況だから、いざとなったときにも
やっぱり出来ないんですよね。。
で「頭では分かってる」となる。

こういう場合は、体験する・体験し続ける。
自分の生活の中に実際に取り込む。
取り込み続けるんですね。
すると「頭だけ」が身体に落ちてきます。



ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー 

「頭では分かってるんだけど、でも…」
ということがもしあれば、
よかったら試してみてね。


自分の言葉に変換して、表現してみる。
言葉に捉われない、その奥を掴む。
体験する、自分の生活に取り入れる。


すると、身体にしっくり落ちてくると思います〜!




 

自分に問題がある(という考え)でなく、自分を表現することが必要な時がある。

2018.01.07 21:39|思ったこと・気づいたこと
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今までブログでも
「相手がすることは
 自分の内を映し出している」
みたいなことを書いてきたと思うんだけどね。

確かにそういうことが当てはまるだろうけど、
全てが当てはまるとは思わないんですよ(!)

あとね、この考え方は、ややもすると
「自分に問題がある」という考え方に陥りやすくなるかなぁと。
自分責めしちゃうのね。



…って、わたしのことです、ハイ。
今日は、うちで起きた出来事を例に
わたしの話です。



ここ数日、
ボブのために日本語翻訳など、
わたしがすること(ボブは出来ない)が
どーんといくつかあり、やったのだけど
ひとつだけやりたくないことがあって、
それはボブも出来るので

「わたしはやりたくないから
 あなたがやって」

と言ったらすっごい文句言われたんですよ。
「僕は君に対してそんなこと言わない」とか
「僕が頼んだことを(君は)しない」とか。

前までは、こんなことを言われたら

「わたしの中の何がこんなことを言わせているのか」
「わたしは何を間違ったのか、何がズレているのか」
「わたしは何を正すべきなのか」
「わたしは一体何を見ようとしているのか」

とまぁ、、、
ドラマで警察官が容疑者に攻め寄る勢いで
自分尋問してました。
自分責めになってたときもあったと思う。

今もね、そうするときもあるけど(あるんかいな)
最近はそっちの方向ではなく

「その時に、
 自分が思ったことを
(自分がしたいことや相手への要求を)
 表現する」ようにしています。

例えば、今回だと、声に出して

「わたしはあなたのために
 沢山のことをしている。
 それが、たったひとつのことを
 拒否しただけで、すべてが消えさられるのは
 かなわんわーー。
 というかさ、いつもあなたの足元に跪き、
 あなたの要望に常に応えるなんてこと出来ないから。
 あなたの召使いじゃないし」


と言いました。
言った瞬間、キツイ言い方したかなと思ってね、、
でも自分責めしないで
「わたしは言った(それで終わり)」にしました。
だって本当に「わたしは召使いじゃない」と
あの時に思ったから。

もしここで「感情が先走ってキツイこと言っちゃったな」と
思うことがあったり、謝りたくなったら
「キツイこと言ってごめん」などと謝ります。


でね、こんな感じで
自分に問題がある、と探すことを止め、
その時に自分が思うことを表現し続けてたらね、
確信したことがある。


自分に問題がある(正すことがある)のでなく
「自分を表現することが必要」なときがあるって。


相手にこう言われるということは…
相手がこうしてくるのは…
状況がいつまでもこうなのは…
…いったい自分の中の何がそうさせている?と
自分のどこが問題なのかと探すのでなく、

「自分はどうしたいのか」

それをハッキリ自分で表現するだけのときが
あるなーーと思います。


思ったんだけどね、
自分の中の問題探しは、
確かに有効でいろんなことがスッキリする。
でも一方、創造性に欠ける部分があってね、
次への展開にもっていくときが
難しいときがある。

しかもですね、
問題は探そうと思えば
キリなく永遠に見つけることができるんですよ。
終わらんよーー


なのでですね、

「自分の中のなにが引っかかっているのか」と
自分の内を見つめつつも
「自分を表現する」ことも同時に大切だと思います。

表現することで、自分の内が整理され
次への展開へと創造性も生まれてきますから。



 

我が子を◯◯呼ばわりする。思ったのだから、その自分を認めてあげる。

2018.01.05 22:01|思ったこと・気づいたこと
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今日は知人と会って話してたのですが、
知人がご自身の成人した子供に不満があったせいか
我が子のことを糞呼ばわりしたんですよ。

わたしは最初、ふーんと聞いてたのですが、
ふと、あれ?と思ってね。
子供がそうなら、その親は……!

そう考え始めたら、
なんだか可笑しくてしょうがなくなって
知人に

「あなたの子供がクソなら
 親のあなたもクソじゃない?
 親クソじゃん!」

と言うと、

「そうだよ!私も糞だから。
 デカイ糞ですよ!」

そう言って、一緒に笑ってました。



子供を育てるということは、
いろいろあると思うんですよ。

そもそものところで、
我が子といえども、自分ではない
「他人」を育てているのですから。

自分が生きていくだけでも
自分のことが分からない
どうしたらいいのか分からなくなることがあるのに、
自分以外の人間を生まれたばかりで何も出来ない
コミュニケーションすら取れない状態の時期から
ずーーーっと育てているんだもん。
(途中からの時もあるけどね)

だからね、我が子といえど
どんな感情が湧いたとしても
どんな言葉が出たとしても
例えそれが嫌いとか、もう嫌だとか
産まなければよかったとか
死ねということであっても、
そう思った自分を否定することなく、
「私は今そう思ったんだ」と
認めるだけなのかな、と思う。

「私は今、そう思うまでの状況にあるんだ」って。


でね、大切なのは、
深刻にならないことかな〜と。

今日の知人を見てたら
深刻じゃないんですね。
笑い飛ばせてる。
「自分も糞だし」とか言っちゃってる。

深刻になっちゃうと、
何事もややこしくなってしまう。
だから、自分に冗談を言えるほどの
遊び心をいつもポケットに入れていられたらなぁと。



話はちょっと変わるんだけどね、

先日、大きめのスーパーへ買い物に行ったとき、
結構な人が行き交う中、
小さな男の子が道路に突っ伏して大泣きしてました。

ほんっと文字どおりで、
正座しておデコを道路にくっつけて泣いてるんですよ。
そのそばで、お父さんと思われる男性が
ただただ立って待っている。

で、わたしは買い物を済ませて
スーパーから出てくると、
男の子は、立ち上がってはいましたが、
まだ大泣きしながら何か言ってるんですよ。
それをお父さんと思われる男性は
またしてもずーっと待ってる。。。

その光景を見て、
わたしは贅沢な時間を過ごされてるんだなーと
思いました。

きっと、男の子は「いやいや期」なんだろうと
想像するのですが、そんな大変な時でもね、
一緒に付き合える時間があるというのは
贅沢だなーと思ったんですよ。

まあね、常に一緒にいる親御さんからしたら
いやいや期のイヤイヤ時間は
たまったもんじゃないと想像するのですが、、
(お疲れさまですよ、ほんと)



…と、話はそれたのですが、
人を育てるのいうのは
ほんっといろいろあるし
いろんな感情・思いが出てくると思う。

そこに良い悪いはなくて、
その時、自分はそう思ったんだ、と
認めるだけなんだと思います。

そして、自分ひとりの時間をとってみたりとかね。

常に子供へ意識が向いてると
自分がおざなりになりがちだから。
そして、ここを読んでくださってる人の多くは
頑張り屋さんだと思うんですよ!
(そうでしょ?!え?気がついてない??ひぃーー)

頑張り屋さんって、自分が磨り減ってるのに
なかなか気づかないんですよね。
で、めちゃ磨り減ってから
「あれ?私、疲れて…る…??」となる。

遅いのよーー

そこまで疲れてると、
人に対しても嫌いとか死ねとか出てきちゃうよ。。

自分にも心をかけてあげよう☆



今日は友人の子供への思いを聞いたら
書きたくなったこと、です。
なので、いつも以上に話の辻褄が合ってないし
脈絡が飛んじゃってマス。。。
最後まで読んでくださってありがとうございます。



2018年。新しい年の始まり。豊かさでいっぱい。

2018.01.01 23:50|思ったこと・気づいたこと
新しい年、おめでとうございます!
いかがお過ごしですか。

わたしはね、
今朝はお友達から頂いた「大福梅」で
お白湯を飲み、お餅を食べて
日本の正月だー!と楽しく過ごしました。

年末にお寺にお参りして
一年の感謝をお伝えしたせいか
気持ちがスッキリしてて、
お年始の挨拶は急がなくていいか〜という思いがあり
お家でゆったりのんびりお正月を過ごしています。



昨年の手放しの後、豊かさに気づき、
それ以降、自分がどれだけ恵まれているか
豊かなのかをものすごく感じるようになりました。

特に強烈にどーんと感じたのが、
ある日、地下鉄の駅でエスカレーターに乗ったときのこと。

セッションに行く途中だったので
音叉が詰まった重いスーツケースを引っ張ってたのですが、
エスカレーターにスーツケースを乗せた瞬間、
ぐわっと閃いたんですよ!

「うわっ!280円で目的地まで
 こんな重いスーツケースごと
 わたしを運んでくれるこのシステム(地下鉄)!!
 なんて素晴らしいんだ?!
 わたしって恵まれてるやん〜〜!」

と、めちゃ感動したんですよ。
すっごい嬉しくて、ありがたいわーと
楽しくもあり。。。

…って、冷静に考えれば、
当たり前のことかもね。
地下鉄に乗れば連れてってくれるのは
もう何十年も当たり前で普通のことで。
それが恵まれてるって、、??


でもさ、考えてみたらね。


わたしは、地下鉄を作ることを
なーんにもしてないんですよ。

駅を作るために、地面に穴を掘ってないし
ましてや駅の建築設計も考えていない。

電車を組み立てるために
材料を集めてないし、
その材料の鉄板すら作ってない。

それなのに、突然地下鉄乗り場に現れて、
たかだか280円払うだけで、
目的地まで重い荷物ごと
連れてってくれるんですよ!!

すごくない??

しかも、時間に正確ときた!
その上、車内は綺麗で清潔で
ふかふかシートで
座って目的地まで行くこともできる。
空調設備も整ってるしね。

いやーーありがたいよ、これ。



でね、実は、

そもそものところで、
今の日本に生まれただけでも
ありがたいとわたしは思うんですよ。

生きるか死ぬかの争いごとのない国。
食べ物に溢れてて
衣服も溢れてる。

町は清潔だし
どこ行っても、いつも清潔なトイレがある。
便座もトイレットペーパーもあるし
水洗で無料で使える。
公園にすら公衆トイレがあって
犯罪の巣窟にならずに
未だにトイレとして設置されてる。

自動販売機が道路に無人で設置されてても
破壊されることなく、綺麗な状態であり続け、
販売機の役割を果たしてるし。

こんなに平和で安全で豊かな国って
ほんと珍しいんじゃないかと思う。



話はちょっと横にそれるんだけど、
よく言われてる
グラスに入っている例え。
この画像を見て、あなたにとっては

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「まだ半分ある」?

それとも

「もう半分しかない」?


これね、
どっちの見方が正しいとかいうのはなくて、
あえて言うのなら

「コップに半分入ってる。
 コップは半分からっぽ。」

という目の前に現れた状態を
見てそのまんまを把握するだけ…かなと思った。


ただ、どっちに意識がフォーカスされているかで
次の展開に影響が出やすい方向があるので、
そこを上手く使おうよ…ということなのかなぁと。


人間って、便利なことにはすぐ慣れてしまう。
そして当たり前になってしまうね。
そしたら、ない/足りないことに
目が行きやすくなっちゃうんだよね。

だから、なおさらのこと
自分の今の環境の
あるがままを見る/つかむことが大切なのかなと思う。

「コップに半分入ってる。
 コップは半分からっぽ。」

という、そのままの状況を
「まだ」とか「もう」という
意味付けをしないで、ただ見る・把握する。

そうすることで、無理やり
「まだある!」という変な高揚感を出す必要もなく
「もうない!」という変な欠乏感を持つこともなく
今の自分がどれだけ恵まれていて
豊かであるかに気づくのだと思います。



さぁ新年が始まりました。

2018年、あなたも、
もうすでに恵まれていて豊かであるので
一緒にこの豊かさを味わっていけたらと思います。

今年もブログを読んでくださってありがとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します☆



 

すべて/キネシをも手放そうと思った年、泣いた年

2017.12.31 23:59|思ったこと・気づいたこと
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みなさま、やっほー!
今年もブログを読んでくださって
ありがとうございました。

セッションやワークショップにも
来てくださって本当にありがとうございます。

こうやっていろんな形で
繋がらせていただいていることは
とてもありがたく、
沢山のインスピレーションを頂戴しました。
本当にありがとうございます。

2017年、あなたにとってどんな年でしたか?

わたしはね、、
今思うのは、崩壊、かな。

(*文字にすると暗い印象になるかもだけど
暗い話じゃないのでさらっと読んでいただけたらと思いマス)


あの、ブログには書いてなかったのですが、
秋頃に自分の内が完全に崩れ落ちてました。

今年は春以降、ほんっと突っ走っててね、
秋に「わたし何やってたんだろう?」と
思った時があり、
その後、ワークやら何やらしてたらね、、

今まであった価値観とか思考が崩れ落ちました。
文字どおり「わたし何やってたんだ?」となって
内がガラガラと崩れ落ちて底辺に触った感があった。

苦しくて、こんな苦しいなら
すべてを手放そうと思ったのね。
そう、キネシも手放そうと思ったんですよ。

わたしね、
前からキネシ・IHはいつ手放してもいい、と
思ってた(つもり)だったんだけど、

実際に手放そうとした瞬間
「今までしてきたことを手放すんだ!?」
という自分への疑問や恐れが出てきた。

「自分では今まで何かを築いたつもりではなかったけど
 その実、築いた(というおごりの)気分があった」

とか、他にもいろいろ気づいた。。

で、そもそものところで
「ヒーリングって何なんだ?」って思ったんですよ。

「セッションって何?」
「わたしセッションしてるけど、これ何?」
「癒しって何なんだ?」って。

まぁ今から思えば、
次元を混乱させて考えてしまってたので
分からなくなってたなーと思うのですが、
でもほんと

わたしは人を変えることはできなくて
人が自ら変化されていってる。
そして、
人は皆すでに癒されている状態であり
幸せであるのに、
ただ自分で苦しくさせてる…

と思うんですよ。

「こうあらねば」
「こうありたい」
「どれが正解なんだ?」

と、自分の外に意識が向いてて
ありもしない正解を
いつまでも探しているのだと思う。

だから苦しくなる。
しかも終わりがない。
だって存在しないことを探してるんだもん。
自分じゃない誰かになろうとしてるんだもの。
そりゃー終わらないわーー


…と、自分のこと言ってますデス(ははは)。


いや〜、こんな調子で苦しさに気づき
どんどん自分の内が崩壊してました。


春のキャサリンの個人セッションで
なんか分からないけど苦しくて痛くて大泣きして、
その後の別のキャサリンのクラス受講中に
苦しくて部屋帰って泣いて、
秋に号泣することがあって
その後も、自分の内が崩壊して苦しくて泣いて。

今年は泣いたわ。

でもね、崩壊して手放したら、
自分がどれだけ持ってるのかに気づいた。

手放したはずなのに、豊かなんですよ。
すでに「持っていた(ある)こと」に気がついた。

手放さないと「持っている」のに気づかないもんだな〜



2017年は崩壊と手放しと泣いた一年でした☆

そして、新しい活動の年でもありました。

わたしの夢、というか、したいことは
人は自分で自分を整えることが出来ると
思い出してもらうことなので、
それを叶えさせてもらえる
ワークショップ開催の実現は
本当にありがたいことでした。

みなさま、2017年も本当にありがとうございました。

新しいお年も
すべての人が自分の輝きに気づいていかれますように☆

感謝と共に


 

仕事とは自分を表現すること、そして、もう既に表現している…ということ。

2017.12.10 21:52|思ったこと・気づいたこと
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今日メッセージをいただいて
ふと思ったことなんだけどね。

あなたにとっての「仕事」の定義はなんですか?
仕事って何かな?



わたしね、
「仕事」とは「自分を表現すること」
と思ってたんですよ。
機会があれば、そうお話ししてました。

でもメッセージをいただいて気がついたのですが、
この言葉だけだと、
何かを探す方向にいってしまう場合があるのかなぁと。

あの、


自分を表現できる仕事を「探す」という姿勢だと
「今の自分」が見えづらくなってしまうかも…
と感じます。そしてそうなると
表現ってなんなの?!と分からなくなったりとか。

というのも、


「今していること」が「自分を表現している」から。


もう既に「今していること」で「自分を表現している」んですね。
なのに、なにか他に、自分を表現できる特別なことがあって
それを探そうとしてしまうと、
意識が外に向きやすくなってしまい、
今、実際に自分が表現していることに意識が向かず
今の自分がおろそかになる場合がある、と感じます。


例えばね。

他に(仕事として)やりたいことがあるけど
今はお金が必要だから縁があった会社で
受付係として働いている。
いつかはあのやりたいことでお金を稼いでいきたい…

ということで、
今している接客を「とりあえずだし」的に
ただお金のためだけだからという意識でいるのは
「今の自分」がおろそかになってるかな、と。

接客でも、自分を表現しているんですね。

お客さんと接することで、
自分が持っている優しさや心配りを表現しています。
そうやって「自分を表現」していると思う。

なので、今、実際に自分がしていることを
「全自分」で意識を持ってしていると
気がついたら、
自分を表現している仕事にいる…
ということになっていると思います。


人って、なんらしかの表現をしながら
生きている生き物なんだろうね。

あなたは何を表現していますか。




"片付け"と"恋愛"の関係

2017.12.07 00:57|思ったこと・気づいたこと
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今日のセッションでお会いした方は
先月もお会いしてたのですが、なんとまぁ!

めちゃくちゃ可愛さが増していらしたのです。

顔もスッキリ小さくなってて
まとっているエネルギーも軽くて
一ヶ月でここまで変われるのか?と驚いたほどでした。

ご自身でワークとかいろいろとされているので
お話を伺うのもとても興味深く、
今日は「片付け」について話してくださいました。

でね、聞いていたら
今までセッションでお会いした方達を
思い出したんですよ。



パートナーが欲しいし
恋愛もしたいのだけど
なぜかそういうことには縁がない…

という場合。

いろいろなことが要因として考えられるのですが
そのうちのひとつは、

以前お付き合いしていた人々が関係している物、
例えば、貰った物、手紙、写真などを
まだ持っている/保管している/家の中に置きっぱなしであることも
要因かも…と考えられます。
(*全員がそうではありません)



たとえ、自分がまだ持っていることすら忘れていても
なんらかの影響を受けている可能性があるんですね。
特に、自分が生活している住空間の中にあるのなら、
顕在意識では気づいていないかもしれないけど、
エネルギー的には影響を受けやすいと
わたしは感じています。
(*繰り返してごめん、皆がそうではありません)



新しい関係を築きたい、のに、
古い関係が自分の住空間にあるわけですから、
流れが入ってこれない。


人によっては、
前に付き合っていた人々からのプレゼントで
溢れた生活をしながらも、
新しいパートナーがいる方もおられますね。
そういう方は、エネルギーの向け方に特徴があると
わたしは感じています。

なので、手っ取り早いのは、
新しい関係を築き上げたいのなら
古い関係での品々は整理した方がいいかなぁと。


あの、元パートナーたちの品々や思い出を
捨てなさいとかそういうことじゃないです。
持っててもいいの。ただ、

「整理」をするんですね。

これは「自分の内の整理」でもあります。
儀式みたいなものかなぁ。

「新しい関係の儀式」みたいな、ね。


思い出の品であっても保管方法はいろいろあるし、
必要と感じられる物はそれ相応に保存し、
もう要らない感じた物とはお別れして
新しい風を入れやすくする。


パートナーを見つけたい場合や
新しい人間関係を築きたい場合、
押入れや引き出しの中を見直し
整理して「新しい関係の儀式」を
してみてくださいね。

折しも時期は12月。
大掃除のエネルギーも手伝ってくれるかも〜!

新しい風が吹きますよう☆


プロフィール

ともこ

Author:ともこ
お会いできたみなさま、
ありがとうございました。
また2017年10月に大阪に行きます。
あなたにお会いできますことを
楽しみにしています〜!

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日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
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