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視点が変われば景色も変わる?ワークショップ開催

2019.01.26 22:01|思ったこと・気づいたこと
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面白い絵本に出会ったので
これを使ったワークショップを
開催したいと思っています!

ご興味を持ってくださる方は
いらっしゃるかしら?!

ご一緒出来たら、すごく嬉しいです。


ワークショップ内容は:


同じ出来事でも、
視点が変わればどういう風に見えるのか
絵本を通してみていきます。

それぞれの立場、景色、物語。

立場が違ったり、視点が違うと
同じ景色でも全く違うように
見えてくるもの。

そこから感じることや
思うことを展開していきます。

きっと、
ご自身と重なる部分があったり、
自分とは関係なさそうであっても
「こんな見方があるんだ!」とか
「こんな思いをしてるんだ」という発見が
あることと思います。

「私」というひとりの人間であっても
時期によっては、感じることや
思うことが違うもんね。
そういうことも感じられると思います。

「絵」を読み解くことで
文字で表現されていないことも
みていきます。

これが面白い!

いろんな隠されたサインを
一緒に読み解いていきましょう〜



現時点では、2月だと

・2月19日(火)

開催出来ます。
もしくは3月のご都合の良い日でも。
(tomoko.it.IH@gmail.comまでご連絡ください)

時間は、10時から13時頃まで
場所は、大阪市科学館の近くのレンタルサロン
料金は、八千円

そして午後は、もしご希望があったら
のんびりお茶でも…と思っています。



ワークショップにご参加下さった皆さんと
(日本に居る間は)
月に一度、大阪で集まっています。
そちらにもご参加頂けます。
あと、ほぼ月1のメールでお便りも
お届けしています。

もしよかったら、ご一緒してくださいね。

よろしくお願いします。

tomoko.it.IH@gmail.com


「祈り」と「呪い」。ある意味同じことかも、、

2019.01.05 20:17|思ったこと・気づいたこと
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明けましておめでとうございます〜!

相変わらずいつ更新するか
分からないようなブログですが、
気が向いた時にでも
お付き合い頂けると
とても嬉しいです。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。


皆さま、
どんなお正月を過ごしましたか?
うちは、のんびりしてました。
ほんっと好き勝手に…

あれ?書いてて
いつものことやと気づいた(笑)



さて、ところで。
数日前、寝る前にハッとして

「祈り」と「呪い」って
ある意味、同じこと??

と思って衝撃が走ったんですよ!


あの、
ドン引きしたままでも
最後までお付き合い頂けたら
嬉しゅうございます。。。

昨日、ボブにこの話をしたら
「何言ってんだよ!また君は…」と
ドン引きされたん、、



話は少しズレるのですが、

わたしね、「呪い」は
信じてなかったんですよ。
まぁそういうことは在るだろうけど
効力は無いだろうと思ってたのです。

でも、「祈り」は信じてた。

ここで、違和感を感じたのです。
片方は信じてないのに
片方は信じているという。


で、「祈り」とは?「呪い」って何?
違いは何だ?と思ったのです。



あなたは、
祈りって何だと思いますか?
呪いは?



わたしにとっての祈りとは、
こうあって欲しいと思う状況…
…例えば、どなたかの体調回復や
 自然環境の穏やかさなどを
願うことであり、

呪いとは、
こうあって欲しいと思う状況…
…例えば、災いが起こるようにとか
 酷い嫌なことが起こるようになどと
願うことです。



ほんじゃあ、祈りも呪いも
「願う」という行動は同じだ、
と気がついたんですね。

願っているその中身が
違うだけじゃん、、と。


あら〜〜
(ある意味)同じことだったとは、、
気がついてなかった!!



きっとね、中身が違うから
祈りと呪いは違うと認識される方も
いらっしゃると思います。
そうなんだと思います。

わたしの認識としては、
願い、ということで
同じだと思ったのね。



祈りも呪いも、
形を創り始める一歩だと思うのです。

どっちが善で
どっちが悪だ

という話ではなく、

自分がそれを
創り出したいのか、
自分がそんな世界で
生きていたいのか、

ということだと思います。


あの、もしかしたら、
呪いとしての災いは
他人にもたらすことだから、
自分の世界ではない、、と
思うかもですが、いやいや。

自分の創ること、が
自分の世界だと思うんですよ。

他人にかけた呪いだって
他人が効果を感じなかったら
他人の世界に入らないじゃん?
それは、もう完全に
創った自分の世界の中だけのこと。

自分の世界に災いが創られたという。


祈りもまた然りですね。




…なんだろ。

今日は、書いてても自分で
結局のところ何が言いたいのか
はっきり分からないのですが(おい)
妙〜にこの話がしたかったので
このまま更新します。

オチのないまま。。。

あ!どなたか落ちがついたら
コメントやメッセージお願いします☆

またね。




 

今年は「自分の内の崩壊」と「静けさ」の年でした

2018.12.30 21:03|思ったこと・気づいたこと
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そろそろ2018年も終わり。
今年はどんなお年でしたか?

わたしはね、、言葉で表現するのなら

「自分の内の崩壊」と「静けさ」かな。


今年はほんと、とことん
自分の内が崩れた年でした。


去年の秋に
「今まで何をしてたんだろう」と
ハッとして、それ以来、
いろんなことが崩れだしました。

ご縁があった禅と
老師との出会いのおかげもあって
自分の内が崩れて崩れて崩壊し、
底辺を触った…と思ったのに
また崩れて、どん底触りまくった感
満載の日々を送りました。

でもね、
崩壊のあとは、
静かで穏やかさがありました。
頭の中のおしゃべりが止まって
いろんなことが終わり、
自分は今まで外へ外へと
何かを常に追い求めていたことを
体感でもって気づき、
それがピタリと止まりました。

なぁんだ、
すべてわたしの内にあったんだ。
いや、「ある」とかじゃないな、、、

…と思ったり。


今まで「こうだ」と思っていたことが
ひっくり返ってしまったんですね。
ああ、違ったんだ、と気づいてしまった。

いろんなことがひっくり返って崩壊し、
苦しくなっちゃって。


とりあえずシンプルにしよう、と
絶え間なく入ってくる情報…
ネットやテレビを止めました。
ずっと読んでたブログもあったのですが
それもすべてやめて、
メールチェックだけ、一日一回程度。
その後はパソコンは閉じて。
スマホも然り。

断捨離ならぬ、断情報。お薦めです。
それと、座ること。瞑想なり禅なり。
しばらく続けると、
自分の内がスッキリしてくる。


あとは毎日シンプルな生活で、
「今、目の前にあること」の生活でした。


おかげさまで
今は落ち着いた穏やかな日々です。


道中は、こんなに苦しいのなら
今まで自分がしてきたことを止めよう、
ブログも止めよう、と思ったのですが。

完全に辞めちゃうのは、
なんか違うなぁと感じて
そのままにしておき、
思い出したときに更新するような形に
なっておりました。

誰が読んでくださっているのか
いつから読んでくださっているのか
まったく分からないのですが、
こんな超適当な気まぐれブログを
今日も開いてくださって
本当にありがとうございます。


自分が書きたいから書いている、、
と前は思っていたけど、
読んでくださる方がいる…
(えっ!いないかも…!勘違い?!)
…から、書いている部分があると痛感した
今年でもありました。

皆さま、本当にありがとうございます。

どうぞ暖かいお年をお迎えください☆

またね。

ともこ


 

「他人を受け入れる」には、いろんな形がある

2018.12.29 18:07|思ったこと・気づいたこと
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わたしは電話が苦手です。
便利だと思うんだけど、
突然に空間に入ってくる感じが嫌で
集中したい時や邪魔されたくない時は
電話を切ってます。

ここ数日忙しくて
電話は家に帰ってから、
あとは、日中の少しの時間しか
電源が入ってませんでした。

そしたら一昨日、外出から帰宅したら
玄関先に母からの差し入れがあったので
母に電話をしたら、出た瞬間から
私へ電話が通じないことの叱責の嵐。

「なぜ電話が通じないのか」
「どこに行ってたのか」
「なにをしてたのか」

挙句には、わたしが外出中は
ボブは何をしているのか
何時に帰ってくるのかと聞かれ、
同居してるわたしすら興味の無い内容で
(ボブから話してくれると嬉しいですが
 彼の行動を逐一知りたいとは思わない)
だんだんと詮索されている気分になり
その旨を母に伝えたら
「これが詮索してるとあなたは言うの?!
 じゃあ電話切るわ」と
一方的に切れてしまいました。


……正直言うとね、

電話が切れたことへの
安心感と開放感があったけど、同時に、
申し訳ないという罪悪感が湧き起こり
自分の内が高波のように荒れました。

「母への対応は冷たかったのでは」
「差し入れを持ってきてくれたのに」
「わざわざ来てくれたのに」
「頼まれていた物を渡せなかった」


…開放感はあるので
自分がしたこと(思ったことを伝えた)の
後悔はないのだけど、
なにこの自分の内の高波!?


たまたまそばにいて
電話の始終を見てたボブに
経緯を話したら、まぁわたしに
寄り添ってはくれたのですが
「母を受け入れなければならない」と。


はい、出ましたよ!彼のお得意です。
いつも「他人を受けいれろ」と言うのよね。
で、いつもわたしは
「そうよね、ボブの言うとおりだわ」と…

…してたけど、今回は違うねん。
「受け入れる」って何なのよ?と思った。



で、ボブと話してて分かった。

「彼の受け入れる」と
「わたしの受け入れる」は違うわ。



彼は悪態をついてでも
苦手な人をそばに置くことを
(苦手な人とも積極的に付き合うことを)
「受け入れること」と言い、

わたしは自分を守るために
自分が苦手な人とは距離を置くことを
(苦手な人とは少ないお付き合いを)
「受け入れること」と言っている…
と気がつきました。



これね、どっちが正解とかじゃない。

人のタイプが違うから。
ボブとわたしは全然違うもん。
だから、自分がしっくりくるような
「受け入れる」形でいいのだと思う。

でね、今回ハッと思ったのが、
わたしみたいなタイプが
ボブのタイプに「受けいれろ」と
言われて、無条件に従うのは危ない。
DVさえ無条件に受け入れる危険がある。

例えば、身内に暴力振るわれても
「しょうがないじゃん。
 あいつの立場も分かってやれよ」とか
言われると、うっかり「そうよね」と、、
(わたしだけか!おい!…)


ちゃうねん。


「他人を受け入れる」には
人それぞれいろんな形があるから
自分の形を見出し、創っていく必要がある、

……ということに、気がつきました。


いや〜、今頃気づくか!と驚いた。
もう二十年以上ボブと一緒にいて
何度「受けいれろ」と言われたことか!

その度にチャレンジして、
苦手な人とも交流して、
嫌な思いをしても、まぁしょうがないと
回数を減らしてでも交流したり。

あの、苦手な人と付き合うのが
ダメとかそういうことじゃないです。

人によって、それが向いてる人と
向いてない人がいる、ということ。

実際に、ボブは平気です。
だから向いているのだと思う。
だからわたしにも「そうしろ」と
平気で言ってくる。時には強要すらも。
でも、わたしは平気じゃない。
わたしは、自分を抑えつけ押し殺してまで
苦手な人と付き合おうとしてた、
だから、わたしは向いていない。

自分を押し殺してまで
他人を受け入れるって、、変でしょ。

「自分を受け入れてない」ですやん!!

あははは〜〜、なにやってんだか!



さて。

話は、母との件に戻り、
これに関しても、

「自分はサイテーの娘だ」と
認めたら、なんやスッキリしました。

これね、面白いと思ったんだけど
「いやいや、そうやない…」などの
労いなどは入らず、
「(自分は)クソのようだと感じる」と
ボブ相手に話してたら
(*言葉遣い申し訳ないです)

「クソだったら
 クソであることしか出来ないんから
 しょうがない」

と諦めの境地に達し、これでいい、と
自分の弱さ(と思ってたこと)も
すっと自分の中に融けこみました。


自分への労いは必要な時もあるけど
時にはそれ抜きで、
とことん自分の弱さと向いあい
どっぷり浸かるのも面白い…
という発見でした!



さて。
長くなったのですが、
今回の件をまとめると



・人の言うことを鵜呑みにしない。
 信じない。

一見、正論のようでも
それは相手の意見であり、
相手の都合で話してるんですよね。
だから、必ずしも自分に当てはまらない。
そうかも〜と思うのなら
自分の言葉(感覚)に置き換える。


・「他人を受け入れる」には、
 それぞれの形があるので
 自分の形を創造していく。



・状況に対して「何かを見出そう」としない
自己ワークをしている方に多いのですが、
「自分の中の何がこの状況を作ったのか」
「自分の何がこれを見させているのか」
「自分の何が原因なのか」という具合に
状況を見る方がいるのですが
それでもいいんだけど、
解決策はそれだけじゃないです。
この次の↓

・自分はどうしたいのか
ただそう行動するだけ、の場合がある。

あの、原因なんて
探そうと思えばいくらでも見つかります。
キリ無いよ。
だからね、いつも原因探しをしていたのなら
今度は創造的な「ただ行動する」ことを
してみたらどうかな、と思います。

目の前に現れた状況に対して
どうしたらいいのかなどは脇に置き、
ただ行動する。



……いかがでしょうか。


でも、まぁ、、アレやね。

「人の言うことを信じない」って
書いてるんだから、、

わたしの言うことも信じないように!

ってことやね!あはは〜


大丈夫。

どん底触ったとしても
いつかは絶対なんとかなるから。

またね。



天使や光だけの世界って、、あるかなぁ

2018.12.24 16:56|思ったこと・気づいたこと
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ここしばらく、何かの折で
「天使だけの世界」や
「ポジティブだけの世界」
などに関して、
会話することが何度かありました。

これは、わたしの意見なのですが


天使だけの世界は無いと思うのです。


そもそものところで、

天使だけ、光だけの世界で
どうやってそれらを「天使・光」と
認識できるのだろう?と思うのね。


で、

天使、悪魔とか
光、闇に分けて、

どちらかにしよう
どちらかに行こうとするから
苦しみが出てくる。


生きる、ということは
天使も悪魔も
光も闇も、
すべてがあるところだと思います。

すべてがあるところなのに
それらを分別し
どちらかだけに行こうとするなんて
無理なこと。
出来なくて当たり前なんですよ。


世間一般的には
「ポジティブ」「ネガティブ」
という括りもあり、どちらかというと
ポジティブが好まれますが、
これも同様で、

ポジティブだけでいられないし
ネガティプだけでもいられない。

そこが混ざったところが
生きるということだと思います。




ところで明日はクリスマスですね。
イエス・キリストの誕生日です。

不思議なことで、
彼の生誕後2000年以上の時が経ってもなお
世界のあちこちで彼のお誕生日が
お祝いされているという。
(ただのパーティーになっている所もありますが)


……思ったんだけどね。

もし、ユダがキリストの人生に登場していなくて

もし、ユダが裏切っていなかったら。


ここまで「イエス・キリスト」として
確立されていたかな?と、思ったんですよ。


「ユダありきのキリスト」


わたしはこの言葉が好きです。



暖かいホリデイをお過ごしください〜

またね。


 

やりたくないけどやらないと居心地が悪い…。そんな時は、

2018.12.12 16:25|思ったこと・気づいたこと
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やりたくないことは
やらなくていいんちゃう?と
思ってるんだけど、でも例えば

「掃除したくないけど
 お風呂上がりに埃が目につくと
 居心地が悪い。
 だから掃除しなければ思うけど
 掃除したくない…」

と、堂々巡りになってしまうのなら。


意識の持ち方を変えてみたらどうかな、
と思います。視点を変えるのね。

「その行動(掃除)をする/しないとは
 自分にどんな都合の良いことをもたらすのか」

ということを見極める。

例えば

・掃除する→部屋が綺麗になり自分の居心地が良い
・掃除しない→他の事(外出やダラダラ等)できる


ってな感じでね、どうなるのか認識するのね。
そして、それを「自分へプレゼント」する!
ええ、遊びね。遊び心で。


この場合は、
・「入浴後の自分へのプレゼント」
もしくは
・「昼間の自分へのプレゼント」
みたいな感じでね。


昼間の自分に
「掃除したくないけど…どうする?
 入浴後の自分にキレイな部屋プレゼントする?」
と自問して、もし
「プレゼントしよう」と思ったら掃除する。
《*掃除しているときの意識はあくまでも
 「プレゼントしている」であり、
 掃除する、ではないです*》

もし「入浴後の自分より、今の自分を優先したい」
となったら
「じゃあ今の自分にプレゼント(掃除しない選択)しよう」
と掃除しない。
そしてプレゼント(掃除しないこと)を思いっきり満喫する。
入浴後、埃を感じたら
「昼間の自分にプレゼントしたなぁ〜」と昼間の自分を思いやる。
《*ここで肝心なのは、
 プレゼント(掃除しないこと)を思いっきり満喫すること》


…と、こんな感じで、遊びの感覚で
「自分へのプレゼント」にすると
苦手だと思ってたことへの
取っ掛かりが軽くなると思います。

(*「ご褒美」という形はお薦めしません。
  ご褒美にしちゃうと
 「頑張らなくては得られない」とか
 「何かしなければ受け取る価値がない」
  などと変なことになっちゃうので
  ただの気まぐれプレゼントってな感じの形)


でね、ここでのカギは、
一度選択したことを振り返らない。


…と、振り返らないと言っても
「◯◯しとけばよかったかも」と
後悔する方がいらっしゃるんだけど、
これは「その時の選択を思いっきり満喫してない」からです。

友人へ何かをプレゼントするときって
「これ喜びそう!」とかワクワクするやん?
そんな感じで行動(掃除)も
「後で自分は喜びそうやな〜」と楽しむのね。

で、今プレゼントを受け取ってる
(行動/掃除しない)のなら
その瞬間を楽しむ。
外出するなり、ダラダラするなり
なんしかそれを思いっきり満喫する。
他のこと考えない。


= = = = = = = = =

行動(掃除)する・しないが
問題じゃないんですね。

「今、自分はどうありたいのか」
それを選択する、だけ。

その時の自分がしたい・出来ることを
選択しただけなのですから。
それで、ええんよ。


ほな、またね。


感謝って…なんだろう?

2018.11.30 19:46|思ったこと・気づいたこと
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お友達からのコメントを読んだら
ふと「感謝って…なんだろう」と
考えてしまいました。

なんだと思う?

わたしはいくつか思ったのだけど
その中で一番しっくりきたのが、


「当たり前なことだけど
 当たり前ではないと
 感じて(知って)いる状態」。


これが感謝かな、と思いました。


そもそものところで、
感謝って「する」ことではなく
湧き上がってくることのように感じます。

感謝として、対象に働きかけるのではなく
(自分の)状態のような感じ。


でね、

「当たり前なことだけど
 当たり前ではない」というのは、

例えば

「心臓が勝手に動いていること」とか。

健康な人にとって、
自分の心臓が勝手に動いてるのは
当たり前なことで、別段何も思わないと
想像するのだけど、でも。

これって、凄くない?!
何もしなくても、勝手に動いて
身体中に血を巡らせてくれてるんですよ!

で、何らかが原因で
心臓がうまく動かない状態になって
初めて「当たり前じゃなかったんだ」と
気づくんだよね。。


他には「空気が吸えること」とか。

これは、空気を吸うための
身体的特徴が整っていることはもちろん、

「フィルターなしでそのまま
 吸えるような空気がある地域」

という、
そういう環境に自分が今居ることも
すごいことだと思うんですよ。

そして、その環境がある日本、
しいては地球という視点で見ると
太陽が照っていて、
光や熱が届いている…


……まぁ当たり前と言っちゃあ
当たり前なんだろうけど、
当たり前じゃないとも思うのね。

そういうことを感じていると
ありがたいな〜という思いが
勝手に湧き上がってきます。



余談ですが、わたしね、
日本のスーパーのデリコーナーや
焼きたてパンコーナーに行く度、
いつも感動してます。ええ未だに(笑)

「こんなに美味しそうな食べ物が
 ズラーーっと並んでるなんて!」と。

日本ってほんと飽食だと思う。
そして清潔でキレイ。

こんな所に居られることは
本当ありがたいなぁと、
この状態を創ってくれている
人々や環境すべてに
感謝が湧き上がってきます。


スーパーのデリの前で、
感嘆の吐息を洩らす日々を
送っているわたしでした!あはは〜

またね。

感謝するのはもう止めようと思ったこと

2018.11.20 16:46|思ったこと・気づいたこと
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以前のわたしは
どんなに厳しい状況になったり
痛みがある経験をしたとしても

「まぁ辛かったけど
 あーでこーで、
 アレに気づけたし
 ありがたかった。
 感謝してる。」

というふうな感じで
感謝な出来事として
捉えていました。


それが。


この間、ふと気づいたんだけど
ここしばらくは
感謝をしてないんですよ。

「そんなことがあった」→「終わり」

という感じで即終わってる。


「あら、わたし感謝してないんだ、、」
とあれこれ思いを廻らせてたら
はっと思ったのが、


感謝をしているから
いつまで経っても
辛い厳しい状況がある


ということ。


だってね、

わたしは
ありがたいと思って
感謝してるもの。

そりゃー、そういう状況を
自分で見出すな〜〜

と気がつきました。


ー ・ ー ・ ー ・ ー

人にも寄るだろうけど、
「ありがたいこと」って
嬉しいじゃない?
手に入るのなら欲しいと思わない?
(わたしは思うのよ、、)

だから、

どんな状況であれ
「ありがたいこと」なら
それを無自覚でも手に入れようと
するんだな〜と思いました。

以前のわたしは
超ポジティブだったから、
いかなる状況でも「良かった事」を
見つけるのは得意だったのね。
意識しないですぐ見つけられたので
もうほんと無自覚でしてた。
そして感謝してた。


あの、
感謝するのがダメと
言いたいわけじゃないです。
「厳しい状況の中でも
 光を見出すことが出来る」
という練習が必要な時もあるけど
それが要らない時もある、と思うのね。

じゃないと、
いつまで経っても
光を見たいがために
厳しい状況を迎えようとしてしまう、、
、、以前のわたしのように。


今回はそんなお話でした。

またね。



我慢する人。そして、不満を溜めない人のピュアな思い。

2018.11.09 20:26|思ったこと・気づいたこと
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わたしのワークショップで
ご一緒してくださった方へ(ご希望であれば)
月に一度お便りメールをお送りしてます。

主にはわたしが経験したことからの話で
先月分は、ボブとの喧嘩(言い合い)の
話から我慢についても触れていました。


わたしは無自覚で我慢する癖があります。

小さい頃から

・女は我慢するもの
・夫を立てる
・目上を立てる
・忍耐は美徳
・和を尊ぶ
・良い子(物分り/聞き分けが良い)であることが素晴らしい

という教えをずっと受け、
それが今でも自分のどこかにあるんですね。

そして、非日常的なことなどで
気を取られてしまう場合は特に
「上記の教え」が無自覚でオン状態になり
気がつかないまま他を優先し
自分を抑圧させて
我慢してしまうことがあります。

先月のことで例をあげると、
日本へ行く準備の最中だったので
自分のリズムを感じることより
「日本へ行く準備」そして
それに関することを無自覚で優先していました。

 例えば

「準備をしなければ」と思っているところへ
→夫から「早くしろ」と言われると
→→準備を間に合わせるために早くするのは正論だと
  無自覚で思い
  無自覚で従う


ということをしていました。
ええ、気がつかないでしてたんですよ!

で、気がつかないとはいえ、
自分ではなく、他を優先しているので
不満が溜まっていくという。
(無自覚での我慢)

これはもう、自分で気がつくしかないのよね。
その場その場で、
自分で自分の声が聞けるようになるしかない。

ある意味、筋トレみたいなものだと思う。

最初は、自分の声をその場で聞く筋力が弱いから
できないのは当たり前。
何度も後になって「また流されてた、、」と
思うけど、これを繰り返して筋力つけていく。

聞けてなくてもいいんですよ。
というか、それが当たり前というか。
だってトレーニング中なんだもの。
ただ、筋トレを繰り返していくだけ。



…おっと、話が逸れてきたので戻します。

こんな感じで、
「無自覚で不満を溜めてた」という
お便りを送信したら

不満を溜めないタイプの方から
「相手をもっと推し量るべきなのかな」
というフィードバックを頂戴しました。

そうよね〜〜。

不満を溜めないタイプでお優しい方だと
無自覚で我慢する人に対して
もっと不満を言いやすい環境を作るべき?
とか思っちゃうよね。

でもね、わたしが思うのは、
もし「本気で心底」何かを思ったのなら
そうしたらいいと思う。
でも、そうでないのなら。
相手に合わせて無理に変わる必要ないです。
自分じゃなくなるから。
これほどズレたことはないと思う。

でね、わたしのような無自覚で我慢人間は
不満を溜めない人のありのままの存在が
めちゃありがたいんですよ。

「あ、こうしたらいいのか〜」とか
「そんなはっきり言ってもいいのか」と
お手本になってるから。



でね、

*ここからが今日の本題*



無自覚で我慢したわたしにとって
フィードバックで頂いた
「不満を溜めない方の思い」に
素晴らしいと暖かくなった部分がありました。

ご承諾を頂いたので、ご紹介します。


《ここから》

私の場合、相手が身近な人であればあるほど、結構思ったことをすぐに言っているなーと。

私の場合、喧嘩になっても、言いたいことをいうのは、その相手に対して私自身がいつも直球勝負&正直でいたい、と思っている部分と
何を言っても許してくれるだろうと言う、身近な相手ゆえの甘え、その両方があるように思います。

《ここまで》



「何を言っても許してくれるだろう」という思いは
相手と自分への深い信頼と愛から、なんですね。

そして、相手に対して自分自身が
いつも直球勝負&正直でいたい、
というのも、相手への愛と想いです。

いや〜、これを読んで、正直、
わたしは相手も自分もそこまで深く
信頼してなかったかも…と思いました。
というか、
「何を言っても許されるだろう」なんて
自分に対しても完全に思えてないわ〜

自分で自分を許せない、みたいな、、ね。

そんなん、
自分で自分を完全に信頼していないと
他を無自覚で優先させてしまいますやん。

ええ、、もう、、自信の問題でもあるで、
わたしよ。。。


もうね、不満を溜めない方の
ピュアな想いに感心して暖かくなりつつ
同時に、自分はどうなんだ?と
むむーーと唸ってしまいました。


さぁ、自信の筋トレもだーー!


またね。




自分のモノサシ。相手のモノサシ。

2018.11.06 16:59|思ったこと・気づいたこと
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Hello! 皆さまいかがお過ごしですか。
わたしは大阪に着きました〜!

9月の台風の被害は大きかったと
聞いてはいたのですが、
街路樹が根っこから倒れた状態の
根の部分だけがまだ放置されているのを
実際に目にすると、台風の威力を
想像だけでなく身体で感じました。

そして今はイタリアの方で
被害をもたらしていますが
おかげさまでうちはみな大丈夫です。
いつもありがとう〜☆


話は変わるのですが。

叔母の体調がここ数年よくなくて、
先月に入ってから急に悪くなり
わたしも日本に着いてから
会いに行くことができました。

言葉では会話が出来なかったのですが
話しかけると返事をするかのように
声で反応してくれて、
エネルギー的に感じてみると、
叔母はコミュニケーションしてくれていると
クリアに感じました。
肉体を使ってはっきりと
表現できないだけなんだと思った。

なんかね、
しょっちゅう書いてるような
気もするけど、人間って
肉体だけの生き物じゃないと
こういう時にものすごく
感じさせてもらえます。


叔母は、ある宗教の経験な信者でした。
「死んだら私はもう存在しないから
 祈らないで欲しい。
 (祈りの対象にはしないで欲しい)」
「お葬式はしないで欲しい」
というような、普段の日本で行われるような
死後の式とは違うことを望んでいました。

なので、彼女の宗教での追悼式が行われ
参列させて頂きました。

わたしにとってはこちらの宗教での
参列は初めてで、すべてが
新しい経験だったわけですが、
追悼式でお話をされる中で
伝道活動(宗教への勧誘)を
なさるのを聞いて、正直なところ
「ここで勧誘かーー!」と
思ってしまいました。

でもね。

叔母を思うと、
これは叔母の真意だと感じるんですよ。

話の中にもあったように
叔母の意図であり望みだった、と。


叔母は本当に経験な信者で
仲間の方達にも愛されていたようで、
式の間中、あちらこちらで
泣いているのが聞こえていたし、
式が終わってから、わたしの所まで
「ご親族の方ですか?」と
わざわざご挨拶に来てくださる方も
いらっしゃいました。

そして、この時にも
叔母とのエピソードの合間に
宗教への勧誘がありました。

正直に書くと、
何度も勧誘にあって
しつこいなと思ってしまったのですが、
でもやっぱり、叔母を思うと
この方も言ってるように、
それが「叔母が望んでいたこと」であり
「叔母の望みを伝えてくれている」だけ
なんですよ。

わたしが「勧誘されている」と
思ってるだけ。


この感覚の違いは、わたしと彼女達とでは
物の見方・考え方が違うから、なんですね。


わたしは「わたしのモノサシ(定規)」があり
彼女達は「彼女達それぞれのモノサシ」がある。

わたしのモノサシを当てて、彼女達を
見ようとするから、ズレが出てしまう。

そして、彼女達も彼女のモノサシを
わたしに当てようとするから、無理がある。

人それぞれのモノサシは違うので
もうしょうがないと思う。
そして、それが当たり前だとも思います。

わたしにはわたしの物の見方考え方があり
彼女達にはそれぞれの物の見方考え方がある。
きっとお互い理解出来ないようなことも
あるだろうけど、そこは「そうなんだ」と
そのままそう在ることを認識するだけで
いいと思いました。

そこを無理やり、自分のモノサシを
相手に当てようとするから
理解不能やいざこざが出てくるのだと
思います。


相手が「そう在る」ことを
認めるだけでいい。

そして

自分は「こう在る」だけ。


すると、いろんなモノサシがある中で
まぁるい日々になるのでは…
と思いました。

みんなが居心地が良いといいね。


またね。




プロフィール

ともこ

Author:ともこ
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

アメブロにミラーブログ置きました。
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もしアメブロの方がご都合が良ければ
そちらでも宜しくお願いします。
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