動揺世界に嵌り、我に還る。(元気です!)

2018.06.19 04:01|思ったこと・気づいたこと
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大阪で大きな地震があったそうですね。
みなさま、いかがお過ごしですか。
ご家族やお家の状態はいかがでしょうか。
うちの実家は無事ということをお伝えさせてください。
(いつもありがとうございます)

地震を知って、ネットで検索して。
情報を読んで建築物崩壊の写真などを見て
慌てて実家に電話したりメッセージ送ったりして。。。


そして、途中でハッとしたんですよ。


「わたし、動揺してた!!」って。


動揺してることに気づかないくらい、
動揺世界にどっぷりはまってました。

「我に還るとはこのことか!」と
気づいた瞬間のあの感覚は、
すっごい面白かったです。
シュッと焦点が合う感じ。
実際に視界もクリアになる感じがあって
今にいる、という感覚が戻り
意識がクリアになるんですね。

動揺世界に嵌ってた時は
焦点が合ってないというか、
超直近(動揺だけ)が
目の前にぶら下がってて
それしか見えておらず、
他のことは存在すらしていないような感覚。


…こんな「○○な世界に嵌る」
という状況になったことありませんか?!

「我に還る」にはどうしたらいいの?
って思った?


今回ね、わたしがハッと我に還れたのは
友人が送ってくれたスタンプでした。

「どじょうすくい」の絵だったん(笑)

どじょうすくいよ?!どない??
突然、文脈に関係無く(とわたしは感じた)
どじょうすくいの絵があるなんて、、、

笑えて笑えてね。

そしてハッとして我に還ったのでした。


ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー


ということで。
嵌ってる世界から抜け出すカギは分かったかな。

わたしはね、今回のことからは
「リズムを壊す」ことだと思いました。
あとね、
「今ここに意識を置く習慣」。


「リズムを壊す」は、今回を例にすると
動揺リズムが続いてるとこに
なんも関係無いことがポンと入り、
リズムが壊れた、という。

こんな「リズムが壊れた」経験、ありませんか?
例えば、
パートナーに腹がたち、口喧嘩の真っ最中に
窓から車の衝突事故の大きな音が聞こえてきて
ビックリして、怒りがぶっ飛んでしまった…とか。

ね?

リズムを壊すには、
普段からあまり深刻にならない、
真面目になりすぎないことも助けになるかも。
遊び心をいつもポケットに〜


「今ここに意識を置く習慣」は、
友人から教えてもらったんだけど、
おうちに鳩時計みたいな
30分おきに音がなる時計を設置して、
音が聞こえる度に、していることを止めて
ただ今にあり呼吸する。。

この話を聞くと時計が設置できない
いろんな意見が出てくることもあるだろうけど
(うちもそうデス)
工夫しだいだと思う。
タイマー設置できるものね。
携帯電話にも機能があるだろうし、
パソコンだと検索したらネットであります。

この習慣ね、ほんとおすすめです。

これ続けてたら
「なんや分からんけど時間過ぎてた」
ということがなくなり、
意識が今ここにあるようになってくるから。



今日は、わたしが動揺世界に嵌って、
我に還った、、、というシェア話でした。

またね。

穏やかな風が吹きますよう〜!


その世界に居るとそう存在するわけで。気がつくと…

2018.06.17 03:16|思ったこと・気づいたこと
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今日、グループ瞑想会に参加しました。
面白い!と思ったことがあったので
そのシェアです。

誘導瞑想で、途中
イメージで時計が見えるのですが、
時計の文字盤が液体だと気が付いたんですね。
あれ?スープ?、、と思った、、

その瞬間、

 液体が壁に存在?!
 あ!液体が入ってるのは陶器!!
 壁にお皿がくっついてスープが入ってて
 時計のようになってる…

…と(文字にすると長くなったのですが)
瞬時で気づいた途端、
すべてが崩れ落ちました。

そして「ああ、これか!」と閃いたんですよ。


ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー
 
最初は「時計が在る」と思ったので
時計が存在してました。
でも途中で
「液体が壁に垂直に存在している」
「重力に反してる(ありえない)」と
思っちゃったのですべてが崩れたんですね。

でもですね。
面白いのがここからなのです!

崩れ落ちた後、
わたしの視点を変えてもう一度見ました。
すると、崩れ落ちた壁や陶器や液体などが
スルスルと元どおり(時計や壁)になり
どんどんと遠く離れていって、、、
時計が在る世界の
重力の関係と重心が見えたのです。
(長くなるのでこれに関しては省略させて頂きます)

ここ(時計の世界)では
重力に反してると思ったわたしが違ってました。
わたしが思う重力方向(床に向かうべき)は
時計の世界ではあり得ない!のです。
でも、その世界を知ると
その世界は存在し、そこに居ることも出来る。


ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー


自分が「その世界」にいる間
(そう思って認識している間)
「そう」存在します。

いったん何か違うと気がつくと
崩れ落ちるんですね。

そして、視点を変えると
その世界がなぜそう存在しているのか
見えてくることもあり
そこに居続けることも立ち去ることも出来る。


どの世界や視点が正解とか立派とか
そういう判断ではなく、
自分が今いる世界を丁寧に生きて気づくこと、
自分はどれを選ぶか、それだけのことで
その選択には正解も間違いもないのだと
思います。

今日のグループ瞑想会からのシェアでした。

みなさま、6月をいかがお過ごしですか。
Have Fun!

星を観るには暗闇の中へ

2018.05.17 18:13|思ったこと・気づいたこと
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この間、デイヴィッド・リンチの映画
「ストレイト・ストーリー」を観たら、
エンドロールが星空(とわたしは認識)で
それを眺めてたらハッとしました。

星を観るには暗闇の中へ入る必要がある、と。


都会の夜はあちこちに灯りがあり、
星が見えずらい。

自然の中では、夜は真っ暗で
空には沢山の星が輝き、
天の河も観える。

暗ければ暗いほど、星が観える…


そうか!星を観るには
真っ暗闇の中に入れば観えるんだなーと。


でも、暗闇って。

真っ暗の中に入るのは恐怖を感じることもある。
だからつい余計な灯りを点けたくなるんだけど、でも。
点けちゃうと星は観えなくなる。

だから何も考えず
暗闇の中に入り
その中にただ「在る」。

すると星が観えてくる…


ー ・ ー  ・ ー ・ ー ・ ー


ということに気が付いたら、
もう一つ、あっ!と気づいたことがありました。

これが、以前何度か聞いた
『embrace(抱きしめる)』
ということなのかも、と。

以前はつい文字通りにとってしまい、
「embrace(抱きしめる)」と聞いても
抱きしめて…ほんでどないやねん?と
いまいちピンと来なかったのですが、
抱きしめる、というのはどういうことなのか。
ここを体感し体得する必要があったんだな〜と。



暗闇の中に在ると
絶対に星が観えてくる。
もし観えない〜となったとしても
それはただ、
暗闇に目が慣れる必要があったりするだけ。
なので、
暗闇の中でただ在る。
すると、そのうち風が吹いて観えてきますから。

絶対に観えますよ。

愛が奇跡を見せる、のかも。

2018.04.23 04:00|思ったこと・気づいたこと
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お久しぶりです、こんにちは!
日本は夏日になったそうですね。
ひゃー、もう暑いとは、、
イタリア中部はようやく春らしい暖かさ。
気が早い方達はもう海辺で太陽を浴びてらっしゃいます。
(イタリアは肌がこんがりしているのがカッコイイのです!)

みなさま、お元気?
…というより、まだ読んでくださっている方が
いらっしゃるのかしら?!と思うくらい
超久しぶりな更新ですが。
いかがお過ごしですか。
わたしは、イタリアに帰って来てから
自然と断捨離ならぬ「断情報」な状態でした。
一日に一度メールだけをチェックしたら
ネットに全く繋がらず、
情報を入れず・出さず。
ものすごく穏やかで心地好いです。
自分の内が静か。

前回の記事で「いろんな事が終わった」
というようなことを書いた記憶があるのですが
その頃以来、自分の頭の中も静かなんですね。
おしゃべりが止まった。
そして、断情報になったこともあり、
ますます自分のうちが静かで穏やかになってます。

最近は天気が良い日が多く
気温も上がって来たので、
海辺の散歩をちょくちょくしてます。
サンダル履いて家を出て、海に着いたら
裸足になって太陽に焼けた砂の上を歩き
ひんやりした海水に足をさらす。
打ち寄せる波をうけ、さざなみの音を
聞きながら歩く時間はとても幸せです。

…と、こんなシンプルな生活を送ってます。
最近は毎日こんな感じ。


今月早々は、キリストの復活祭がありましたね。
うちも遠方の家族も来てて
数日前に帰って行かれました。
いつもは静かな生活なので
人、それも大勢の人に会うと
いろんな物の見方があるんだなーと
色々と自分に問うたり
いろんなことを考えたりすることがあり
そして、復活祭ということでですね。


思ったんだけどね。

「愛が奇跡を起こす」
という言葉があるけど、
そうなんだろうけど

もしかしたら

「愛が奇跡を見せる」のかも、と。


そもそものところで
「奇跡」って何だろう。

そこに気づく必要があるかな、と思う。

わたしたちは奇跡に包まれてるんじゃないかと思ったんですよ。

わたしたちが今こうやって存在してる始まり、
あれだけ大量にある精子の一つが
卵子の中に到達し、分裂して、人間となり
母体から産まれて、育って…

ということ自体がもう奇跡なんじゃないか、と。

心臓が、わたしが意識しなくても、勝手に動いてる。
肺も勝手にヘコんだり膨らんだりして
呼吸してる。



物事をどう見るか。
そこから何を見出すか。

愛ってなに
奇跡ってなんなのか。


そんなことをね、想ってました。


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制約って、、守られること&創造/想像力を高めることでもある?!

2018.02.12 00:35|思ったこと・気づいたこと
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みなさま、やっほー
いかがお過ごしですか。
また寒くなるようだけど、体調はいかがでしょうか。

わたしは先日、お友達にご縁をいただき、
素晴らしい出会いがありました。
なんとも楽しい時間を過ごしてね、
ひゃーー!嬉しかったです。
でね、お話してたらいろんな気づきもありました。

今日はその中から「制約」に関してです。

ー ・ ー ・ ー ・ ー


わたしにとって「制約」とは、
嫌なことでした。

自由が無いと感じるから。

窮屈で制限される感じがして
自分がやりたいように出来ない感じもあって
嫌だったんですね。

それがですよ!変わったんですよ、奥さん!!


先日、出会えた方達とお話していたら
とあることに関して、どうやらみなさんは
(わたしが勝手に受けた感覚では)
制約を一応受け入れていらっしゃると感じてね、

特におひとりの方に関しては
「しょうがない」とおっしゃった!!

しかも、その方からは、
「本気でしょうがないと思い
 全面的にその制約を受け入れるようなエネルギー」を
わたしは感じてですね、衝撃的だったのです。

「えええ?!制約がしょうがない?
 そうなん??そうなの?!」

と、頭の中がショック状態。
でも同時に、わたしの内のどこかで
制約に納得している自分もいたんですね。

じゃあ、制約ってなんだろう?と。



で、思ったのだけど。


「制約がかかる」ということで、
守られてる部分や利点があると思ったんですよ。


まず、守られてるという部分では、

「制約をかけてくる」=「この範囲内でしなさい」
ということなので、
「この範囲内をしていると大丈夫ですよ」
と言ってきてることだと思うのね。

だから、守られてる。
自分はその範囲内のことをしていれば、
安全圏にいられるということなんだって。


あとね、
「制約をかけてくる」=「制限をつけられる」
ということなので、その制限内で行動しないといけない。

そこで思ったんだけど、

「制限」という枠の負荷がかかってくるということは、
それに反発する力も生まれるということ。
その反発する力は「創造力・想像力」なのかな、と。

だって制限の中で行動しないといけないもんね。
想像力を使って、どうやってその制限をかわして
行動していくかを生み出していかないと
動けないじゃん。

そう、まるで厳しい校則をどうやって
潜り抜けるか探る高校生かのように…

…というのは冗談ですが、
でもほんと、これくらいの遊び心で
自分の腕の見せ所なんだな〜と思った。
これって、自分の想像力がほんと高まるね。


でね、もう一つ思うんだけど、

人間って、無限の中の選択肢から
選び出すのは難しいときがあると感じてます。

ある程度、数が決まってる(制約・制限がある)方が
選びやすいのよね。

これね、イタリアから日本来る度に思う。

イタリアで何かを購入したい場合、
往々にして、種類は、ほんの数種類しかないのね。
だからこの中から選ぶのだけど、
日本に来た時にゃー、もう、種類がありすぎて、、、

ありすぎて何が何か分からなくなるときがある。
で、分からなくなって、結局、
選ばず・買わずに帰ったことがあります。

制約・制限がある方が
選択肢が少ないから便利な時がある。

ー ・ ー ・ ー ・ ー


…と、こんな感じで
制約って、悪いことだけじゃないなぁと
頭でも納得しました。良いこともあるねぇ。。

って「わたしが」制約を嫌ってただけなんだけど!

そこを払拭してもらえ、
結局すべてはわたしの概念なんだなーと
改めてしみじみした日でもありました。






 

「罪悪感」は、ただの包装紙。なにを包んでいるのか見極める。

2018.02.03 00:23|思ったこと・気づいたこと
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立春は明後日という今日この頃。
春は確かに近づいているのだろうけど!
また大寒波がやってくるそうですね。
みなさま、体調はいかがですか?
どうぞ暖かくしてお過ごしくださいませね☆

わたしはおかげさまで風邪知らずで
連日外出しても元気な日々を過ごしています。

今日は、この間、坐禅会に参加した時に
気がついたことのシェアです〜

ー ・ ー ・ ー ・ ー


坐禅会に参加した日の朝。

ボブとちょっとしたことが
きっかけで口論になりました。

でね、そのときにボブは

「きみは瞑想やら何やらとやっているけど
 全然自分で(学んだ教えを)してないじゃん!」

と言ったんですよ。これ聞いて、
わたしは瞬間的にショックを受けちゃってね。


自分の意識では、
学んだ教えを日々自分に適応していた(つもりだ)けど

自分の奥の「向上心」が瞬間的にデカくなり
「幻想の姿
(教えを完璧に習得したらこういう姿であろうという形)」に
全然近づいていないと言ってきた。
まだまだだ、なにやってんの?って。

自分の奥にあった「自分はまだまだ」という
後ろめたさがドンと出てきて
罪悪感が込み上げてきた。


習ってきたことを自分に適応していないだなんて。
学んできたことを習得できてないだなんて。
何やってんの?と。


そのうちすぐに
「いやいや。これはボブの意見だから」
と、気がついたんだけどね。

でも、ボブの意見といえど、
一瞬でも、自分でそこに納得しちゃったほどの
後ろめたさがあるから、
罪悪感がしつこいんですよ。

気を取り直してみようにも
申し訳なさや後ろめたさがあり、
結局、坐禅中もこれがちらついてました。
(ああ、坐禅中ですよ!!どないや…)

もうしょうがないから、坐禅中だけど
ええいっっとその罪悪感を見つめてたらですね、、

突然ふわっと軽くなった感じがして
はっとしたんですよ。


「罪悪感」が悪いんじゃないんだって。


「罪悪感」そのものは悪くないんですよね、
罪悪感が起こる点、そこを見出す必要があるんだと
気がつきました。


例えでいうなら、

罪悪感は「包装紙」みたいなもの。
それを剥がして、
その下にある「物(核の部分)」を手にしないと。


わたしの今回の場合だと、
自分で自分を認めていないこと、
(学びを完全に自分に適応できていないこと)
自分のあるがまますべてを完全に肯定していなかった。
(学びを完全に習得出来ていない自分を肯定できていなかった)

そう、もう一歩踏み込むと、
自分に自信がないこと、
これが「包装紙(罪悪感)」につつまれた
「物(核の部分)」だったなぁ、と。


自分で自分を認めていない
ということは、
自分を殺している、と思うんですよ。

そして、
自分で自分を信じないということは、
他(他人?世間?社会?)を信じてることだと思うのね。


自分を信じないで他を信じてるって
変じゃないか?と思う。
しかも、自分で自分を認めず、
自分を殺してるなんてねぇぇぇ

…と、罪悪感の正体を見つけたら
気がついたら罪悪感は消えていました。

ー ・ ー ・ ー ・ ー


罪悪感は、わるくない。
別にあったって、持っててもいいんだなぁと。
それが出てくる点を見つけるだけなんだと思う。

大切なのは「漠然としたまま持たない」。

自分に正直に。
嘘をつかないで、
とことん正直になるのが鍵と思います。


罪悪感、あってもいいよーー




 

もうひとつの1月会。気軽なシェア会!

2018.01.24 20:30|思ったこと・気づいたこと
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東京は雪が積もりましたね!
あなたのご近所ではいかがですか?
うちの近辺では雪は全く見かけず、
今日は風が強くて寒かった〜!
沖縄の最高気温を見ると暖かそうと思うものの、
日本全体的に寒さが厳しそうですね。
どうぞぬくぬくでお過ごしくださいね。

さて。先週末は、もう一つの1月会でした。
今回は、気軽なシェア会ということで
沢山お話を聞くことができて、
素晴らしさに唸るばかりでした。

人って、気づきがあって
それを行動に持っていくと、
こんなに軽くなったり輝いたり、
ここまで変容するんだなぁと。



わたしたちが生きてるのは「今」で、
永遠に続く「今」しか生きられなくて。

でも、生きる上での行動や思考というのは
過去に経験したことに基づいてる。

「今」しか生きれないのに
「過去」に基づいたデータから生きてるという。。

しかも、その過去のデータの中に
習慣が存在するんですよね。
気づいてないまま、なんとなく惰性で
続けていることとかがある。
でも、気づいてないから、そのまんま
文字どおりの惰性になってて、、、


だから
疑問や違和感が出てきた時はチャンス!


あれ?何?なんで?と見つめていくと
今までの習慣、惰性に刺激を与え
リズムが崩れて、
新しい習慣となる種が出現するのです


だからね、
そのためにもストップすることも
大切だな〜としみじみ思う。

日常生活を走り続けてると、
そのリズムに乗ってるから
ある意味、ルーティンっぽくなるというか、
自分の癖が見え辛いところがあるんですね。

だから、
ときどき、ふと止まって
小さなことに気をとめてみると
視点が変わってくる。


なんで私は今これをしてるんだろう?
なんで私は今これを選んだんだろう?


そして…
新しいリズムがやってくると思います!

「頭では分かってるけど、でも…」。足りないことは何?

2018.01.15 22:01|思ったこと・気づいたこと
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セッションで
「頭では分かってるけど、でも…」
という言葉を聞くことが続いてました。


そうなのよ、「頭では」なのよね〜


でも、実際、いざとなると
また前と同じような思考・行動をしちゃう、と。


これね、なんでだろう?と改めて思ったんですよ。
で、ハッと閃いたんだけど、
それはいくつか要因があって


1)まだ「誰かの言葉のまま」な状態
  自分の言葉に変換されていない

2)言葉に捉われている。
  言葉の表面上しか掴めていない。

3)体験していない(体験が足りない)


…だから、頭だけで分かっているような状態かな、と思った。
もうちょい突っ込んで話すとね、




まず、1の「まだ誰かの言葉状態」。

誰かから的確なことを言われて
「そう、そう!」と共感するものの、
自分の物・自分の言葉になってない。

その人の言葉のまま、なんですよ。

だから、自分の内にしっくり落ちてこない。

こういう時は、
「自分の言葉で表現してみる」。
すると、自分の中で嚙み砕かれて
自分に落とし込むことができるんですね。




次は、2の「言葉に捉われている」。

文字通りなのですが
「言葉だけ」に意識が向いている状態で
そこを超えていないのです。

これは感覚的なことにもなってくるので
文字だけで説明するのは難しいのですが、
わたしたちは感じたことを無理やり文字で
表現しているようなことがあるので、
「言葉だけ」では完全には表現できないんですね。

例えで言うと、
月(内容)を指差す「指(文字)」を見ているような状態。

その先の「月(内容)」を見て(掴んで)欲しいのです!!

なので、言葉だけ、表面の上っ面だけに捉われない。
その言葉が指すことは、何なのか。
自分なりに掴んでいくんですね。
ここには当たり・ハズレ、正解・間違いはありません。
あなたが感じたこと、ただそれだけです。
それでいいの。



3の「体験していない(体験が足りない)」。

これね、例えると

・スポーツジムに入会したけど、行ってない
・マルチ機能のランニングマシーンを買ったけど、走ってない
・水泳の秘技書を買ったけど、泳いでない

ことに似てるかな〜と。

そう!「してない」のに、
もう「してる/した」ような気になってる。

でも本当は「してない」から
「できない/できていない」んですよ。。


あるいは、実際に自分の生活に取り入れたばかりなのに、

・優秀と有名なインストラクターが付いてるものだから
(優秀で有名な人が言ってたから)

・マルチ機能なマシーンを買ったものだから
(いろんなワークショップに参加したから)

・秘技書を超読み込んだものだから
(いろんな情報は頭に積み込んだから)

だから、自分は出来るなどと思ってしまってる。
そんな状況だから、いざとなったときにも
やっぱり出来ないんですよね。。
で「頭では分かってる」となる。

こういう場合は、体験する・体験し続ける。
自分の生活の中に実際に取り込む。
取り込み続けるんですね。
すると「頭だけ」が身体に落ちてきます。



ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー 

「頭では分かってるんだけど、でも…」
ということがもしあれば、
よかったら試してみてね。


自分の言葉に変換して、表現してみる。
言葉に捉われない、その奥を掴む。
体験する、自分の生活に取り入れる。


すると、身体にしっくり落ちてくると思います〜!




 

自分に問題がある(という考え)でなく、自分を表現することが必要な時がある。

2018.01.07 21:39|思ったこと・気づいたこと
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今までブログでも
「相手がすることは
 自分の内を映し出している」
みたいなことを書いてきたと思うんだけどね。

確かにそういうことが当てはまるだろうけど、
全てが当てはまるとは思わないんですよ(!)

あとね、この考え方は、ややもすると
「自分に問題がある」という考え方に陥りやすくなるかなぁと。
自分責めしちゃうのね。



…って、わたしのことです、ハイ。
今日は、うちで起きた出来事を例に
わたしの話です。



ここ数日、
ボブのために日本語翻訳など、
わたしがすること(ボブは出来ない)が
どーんといくつかあり、やったのだけど
ひとつだけやりたくないことがあって、
それはボブも出来るので

「わたしはやりたくないから
 あなたがやって」

と言ったらすっごい文句言われたんですよ。
「僕は君に対してそんなこと言わない」とか
「僕が頼んだことを(君は)しない」とか。

前までは、こんなことを言われたら

「わたしの中の何がこんなことを言わせているのか」
「わたしは何を間違ったのか、何がズレているのか」
「わたしは何を正すべきなのか」
「わたしは一体何を見ようとしているのか」

とまぁ、、、
ドラマで警察官が容疑者に攻め寄る勢いで
自分尋問してました。
自分責めになってたときもあったと思う。

今もね、そうするときもあるけど(あるんかいな)
最近はそっちの方向ではなく

「その時に、
 自分が思ったことを
(自分がしたいことや相手への要求を)
 表現する」ようにしています。

例えば、今回だと、声に出して

「わたしはあなたのために
 沢山のことをしている。
 それが、たったひとつのことを
 拒否しただけで、すべてが消えさられるのは
 かなわんわーー。
 というかさ、いつもあなたの足元に跪き、
 あなたの要望に常に応えるなんてこと出来ないから。
 あなたの召使いじゃないし」


と言いました。
言った瞬間、キツイ言い方したかなと思ってね、、
でも自分責めしないで
「わたしは言った(それで終わり)」にしました。
だって本当に「わたしは召使いじゃない」と
あの時に思ったから。

もしここで「感情が先走ってキツイこと言っちゃったな」と
思うことがあったり、謝りたくなったら
「キツイこと言ってごめん」などと謝ります。


でね、こんな感じで
自分に問題がある、と探すことを止め、
その時に自分が思うことを表現し続けてたらね、
確信したことがある。


自分に問題がある(正すことがある)のでなく
「自分を表現することが必要」なときがあるって。


相手にこう言われるということは…
相手がこうしてくるのは…
状況がいつまでもこうなのは…
…いったい自分の中の何がそうさせている?と
自分のどこが問題なのかと探すのでなく、

「自分はどうしたいのか」

それをハッキリ自分で表現するだけのときが
あるなーーと思います。


思ったんだけどね、
自分の中の問題探しは、
確かに有効でいろんなことがスッキリする。
でも一方、創造性に欠ける部分があってね、
次への展開にもっていくときが
難しいときがある。

しかもですね、
問題は探そうと思えば
キリなく永遠に見つけることができるんですよ。
終わらんよーー


なのでですね、

「自分の中のなにが引っかかっているのか」と
自分の内を見つめつつも
「自分を表現する」ことも同時に大切だと思います。

表現することで、自分の内が整理され
次への展開へと創造性も生まれてきますから。



 

我が子を◯◯呼ばわりする。思ったのだから、その自分を認めてあげる。

2018.01.05 22:01|思ったこと・気づいたこと
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今日は知人と会って話してたのですが、
知人がご自身の成人した子供に不満があったせいか
我が子のことを糞呼ばわりしたんですよ。

わたしは最初、ふーんと聞いてたのですが、
ふと、あれ?と思ってね。
子供がそうなら、その親は……!

そう考え始めたら、
なんだか可笑しくてしょうがなくなって
知人に

「あなたの子供がクソなら
 親のあなたもクソじゃない?
 親クソじゃん!」

と言うと、

「そうだよ!私も糞だから。
 デカイ糞ですよ!」

そう言って、一緒に笑ってました。



子供を育てるということは、
いろいろあると思うんですよ。

そもそものところで、
我が子といえども、自分ではない
「他人」を育てているのですから。

自分が生きていくだけでも
自分のことが分からない
どうしたらいいのか分からなくなることがあるのに、
自分以外の人間を生まれたばかりで何も出来ない
コミュニケーションすら取れない状態の時期から
ずーーーっと育てているんだもん。
(途中からの時もあるけどね)

だからね、我が子といえど
どんな感情が湧いたとしても
どんな言葉が出たとしても
例えそれが嫌いとか、もう嫌だとか
産まなければよかったとか
死ねということであっても、
そう思った自分を否定することなく、
「私は今そう思ったんだ」と
認めるだけなのかな、と思う。

「私は今、そう思うまでの状況にあるんだ」って。


でね、大切なのは、
深刻にならないことかな〜と。

今日の知人を見てたら
深刻じゃないんですね。
笑い飛ばせてる。
「自分も糞だし」とか言っちゃってる。

深刻になっちゃうと、
何事もややこしくなってしまう。
だから、自分に冗談を言えるほどの
遊び心をいつもポケットに入れていられたらなぁと。



話はちょっと変わるんだけどね、

先日、大きめのスーパーへ買い物に行ったとき、
結構な人が行き交う中、
小さな男の子が道路に突っ伏して大泣きしてました。

ほんっと文字どおりで、
正座しておデコを道路にくっつけて泣いてるんですよ。
そのそばで、お父さんと思われる男性が
ただただ立って待っている。

で、わたしは買い物を済ませて
スーパーから出てくると、
男の子は、立ち上がってはいましたが、
まだ大泣きしながら何か言ってるんですよ。
それをお父さんと思われる男性は
またしてもずーっと待ってる。。。

その光景を見て、
わたしは贅沢な時間を過ごされてるんだなーと
思いました。

きっと、男の子は「いやいや期」なんだろうと
想像するのですが、そんな大変な時でもね、
一緒に付き合える時間があるというのは
贅沢だなーと思ったんですよ。

まあね、常に一緒にいる親御さんからしたら
いやいや期のイヤイヤ時間は
たまったもんじゃないと想像するのですが、、
(お疲れさまですよ、ほんと)



…と、話はそれたのですが、
人を育てるのいうのは
ほんっといろいろあるし
いろんな感情・思いが出てくると思う。

そこに良い悪いはなくて、
その時、自分はそう思ったんだ、と
認めるだけなんだと思います。

そして、自分ひとりの時間をとってみたりとかね。

常に子供へ意識が向いてると
自分がおざなりになりがちだから。
そして、ここを読んでくださってる人の多くは
頑張り屋さんだと思うんですよ!
(そうでしょ?!え?気がついてない??ひぃーー)

頑張り屋さんって、自分が磨り減ってるのに
なかなか気づかないんですよね。
で、めちゃ磨り減ってから
「あれ?私、疲れて…る…??」となる。

遅いのよーー

そこまで疲れてると、
人に対しても嫌いとか死ねとか出てきちゃうよ。。

自分にも心をかけてあげよう☆



今日は友人の子供への思いを聞いたら
書きたくなったこと、です。
なので、いつも以上に話の辻褄が合ってないし
脈絡が飛んじゃってマス。。。
最後まで読んでくださってありがとうございます。



プロフィール

ともこ

Author:ともこ
みなさま、
ありがとうございました。
また2018年秋に
お会いできますことを
楽しみにしています〜!

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

アメブロにミラーブログ置きました。
読者登録など便利な機能があるので。
もしアメブロの方がご都合が良ければ
そちらでも宜しくお願いします。
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