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習慣の威力の凄さ(いろんな意味で)

2018.10.05 00:23|思ったこと・気づいたこと
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ちょこちょこ家のメンテを
していたのですが、
ここしばらく本気でやってました。

窓の木枠に養生ペイントを塗るため
サンドペーパーをかけたりとか。
この作業、粉がかなり出るんですよ、、

粉で室内の床がザラザラするので、
週2・3回程度だったモップがけが
毎日するのようになり。

で、サンドペーパーの作業が
終わってしばらく経ったのに、
家の中が…粉?いや、埃っぽい?
たまに水回りに濡れた埃の跡がある。
それも、ボブのサンダル跡ばかり。

なんや変やな〜〜と思いつつ、
毎日モップがけしてたのですが!
分かったよ、、、


「キッチン・マットを敷かなくなった」のと
「ボブが室内サンダルを変えた
 (埃がくっつきやすい材質サンダルになった)」


…からでした!

そういえば、
ボブがサンダルを買い換えてから
キッチンマットの汚れは激しかった、、
(サンダル替えてからそんなに経ってなかったし、
洗えば綺麗になってたので気に留めてなかったよ!)


謎が解けて嬉しいやら驚くやら。
そして、同時にあっと気づいたのが、


モップ掛けがラクになってること。


気がつかないまま習慣になっていて、
なんの気負いも考えもないまま
ささっと短時間で出来るようになってる。

いや〜〜、習慣って凄いと思った。
威力が強烈。

こんなんだと、習慣になってることを
辞めるのが難しいのも分かるかも…
って思った!

例えば

「タバコを止めたい」
「寝る前に甘い物を食べるのをやめたい」
「延々とスマホ見るのを止めたい」

ということを時々聞くんだけど、
これねぇ、、、
もし、ただ「やめよう」としていたのなら
難しいのもしょうがないかな、と。

というのも、人間って
「なにかをしない」ようには
出来ない生き物と感じるから。
常になにかをしてる生き物じゃない?

だから、ただ止めようとするだけでなく
何か「他のことと置き換える」。

寝る前の甘い物、だと、
カップ一杯の暖かい飲み物、とか。
それも、飲むときは五感を
フル活動させてしっかり楽しんで。

それと、コツがもう一つ。

日常的になっている行動を
いくつか変化させる。

いつも同じ道を通っているのなら、
曲がる角を変えてみるとか。
いつも同じ電車/車両に乗っているなら
違うのに乗ってみるとか。
入浴するとき、いつもとは違う
順番で洗ってみるとか。

なんでもいいのです。
変えてみる。

そう、

日常のリズムを壊す、んですね。

すると、習慣も壊しやすくなるから。

そして、新しいリズムを作っていく。


何か新しいことを習慣にしたい場合も
これと同じです。
日常生活での行動パターンを崩し、
変化をもたらせて、
新しい習慣を入れる。
そうすると「新しいリズム」が
作りやすくなります。


どうかしら?!
何かの参考になれば幸いです。


またね。


天使の羽を見て天使を見ず…になってないかな。

2018.10.02 03:53|思ったこと・気づいたこと
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結構前のことなので
いつどこで聞いた(読んだのかも)か
もう忘れてしまったのですが

「それは天からのメッセージ。
 こうこうで、ああしなさい…云々…」

というのを聞いた(読んだ)時
自分の内にザラッとした感覚が
出ました。なんかしっくりこない。

でも、同時に、
なんでこんな感覚が出たんだ?と
疑問も感じたんですね。
わたしもそういうの信じてたから。

例えば、
デジタル時計で偶然ぞろ目を見た時とか。
歩いてたら道端に鳥の羽を見つけたとか。
突然ふわりと蝶が飛んできたとか。

そういう時って(天使なり何なりの)
存在が通ったのかなと嬉しくなるのです。
(あなたもこういうのないかしら?!)

だから、自分の反応に驚きつつも
このザラッと感を観察してみたのですが
分からなくてねぇぇ

分からない時は、
放っておくのがいいので
空中フックに引っ掛けるように
(*イメージでね)放置してました。


そしたら!!!
ようやく分かった!


先日、ベランダに出ようと扉を開けると
ふわふわの羽毛が落ちていて
「天使が来てたんだ」と思ったんですね。

そんな感じで羽毛を見てたら
何だか歪みに入ったような
不思議な感覚になり、そしてハッとした。
これかーーって。


冒頭の言葉になにか引っかかったのは
「天からのメッセージ」としておきながら
「どうこうしろ」という指示としてしか
捉えていないとわたしは感じたようでした。

メッセージを出したそもそもの存在、
「天(なり何なりの存在)」を
見過ごしてるのでは…?と。

もし見過ごしているのなら、
うわべしか見てないなーと思います。

もちろん、迷ってる時などに
何かのサインを見て、
それはこうしろということか、などと
アドバイス的ヘルプになる場合も
あるとは思うのですが、
そもそものところ、
そのヘルプの存在そのものを
見過ごして(忘れて)やしませんか、と
思うのです。

そして、もっと突き詰めると
「その存在」は何なんですか?と。

ここに気づくとね、
いろんな迷いや悩みが
ふわっととけます。


*** ***


…ということで。

やってみたい "かも" と
思っていたことが、
今回の羽毛の一連で
「やってみたい」になりました。


物事って、平面じゃないと思うのね。
立体的なのだと思う。
だから「見ている」つもりでも
例えば、立体の向こう側は見えておらず
一点しか見ていないときがある。

(また再開しましたらご連絡します)
なので、「見る」こと、
そこから気づくことを
展開していくワークショップを
してみたいと思っています。

詩や物語を使って
立体的に見る体験をしたり
他の人の話(視点・見方)も聞いたりして
「見る」「気づく」に展開があればと
思っています。

興味を持ってくださる方、
いらっしゃるかしら?!


「ワークショップ(WS)」なので
体験参加型ですが、
正解を探すWSじゃないです。
正しい(と思う)ことをするWSじゃない。

何をするにしても
どんな発言であっても
間違いなんてないから。
(これという絶対的正解はないもの!)

安心してご参加くださいね。
あと、無理強いもしませんから!

遊びに行くようにお気楽に〜


「見る、知る、気づく」

ワークショップに
興味を持ってくださったら
ご連絡いただけると嬉しいです。
もしどなたかいらっしゃるのなら
しっかりと形にして開催します。

tomoko.it.IH@gmail.com

どうなるかな?!
ご一緒出来たらとても嬉しいです〜!


またね


 

意識はどこに?(ご遺体/睡眠中/上の空状態では??)

2018.08.23 23:11|思ったこと・気づいたこと
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ボブより先に目が覚めると
睡眠中の彼を観察する時があります。
その時、いつも思うのが

「意識はどこにあるんだろう?」

ということ。

肉体は「ここ」にあるけど、
意識は「ここ」にない感じ…
…だけど「ここ」にもあるような。

うーん、例えで表現すると、
意識はどこかを散歩中だけど
散歩紐で繋がっているような感じ?

で、同じ睡眠でも
「熟睡」と「うたた寝」では
観察してると、違う感じがある。

「熟睡」だと遠い所に行ってる感じ。
「うたた寝」は、ご近所周辺。


じゃあ、そもそものところで
「意識ってなに??」と思ったんですね。


睡眠中は、身体が寝ているから
意識は身体から出て散歩する…
としたとしても。

目が覚めてもボーッとしてるときは
身体は起きてるじゃないですか。
で、ボーッとしてる人を観察すると
意識は「ここ」にないと感じる。
どこかに行っちゃってる。


そして、

寝てもいない
起きてもいない状態、
死んだ場合の意識は??


ご遺体を拝見すると、
そこにあるのは「肉(体)だけ」
という印象をわたしは受けます。

どれだけ御遺体を眺めても
その肉体と意識は切り離されたよう。

「精気」という言葉がありますが、
上手く表現しているな〜と感心します。
遺体には精気が無く、
エネルギーが流れていない感じ。


じゃあ、身体での「肉」の部分で
エネルギーが流せない状態になると
意識は完全に切り離されるのかな?

あれ?意識って魂?
魂ってなんだろう、、、
意識って魂の一部??


…ということを思っていると、

 「人間」という生き物は
 肉体だけで構成されている物でなく
 見えないいろんなことからも
 構成されているんだな〜

ということを感じます。

人間ってすごいなーー



闇のなかで 光をみるには,

2018.08.06 22:45|思ったこと・気づいたこと
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昨日、映画を観てたら
「本当の暗闇を知ってるか?
 今は街中ではいつも灯があるから
 想像がつかないかもしれないね」と
主人公が幼い頃にたいまつを持って
洞窟の奥まで入ったものの
たいまつの火が消えてしまう…
というシーンがありました。

それを観たら
自分のどこかがハッとして、
目は映画の画面を追ってるけど
同時に他のことを観ているようで
ああ、これか!と気が付いた。

闇の中で光とかって、鍵があるかも!


= = = = = = = = =


大変な時とか辛い時とかさ、

「闇の中で光を見出してください」

って、言われたことない?
(かく言うわたしも書いたことあるような)

ほんで、そんなこと聞いてもさ、

「んなこと分かってるわいっっ!
 見えないんだって!!」

とか思ったり…?!あはは〜〜

いや、ほんまに。
見えない時は、見えないもんね。


でね、思ったんですよ。


闇のなかで光をみるには、
どうしたらいいんだろう?って。


どうしたらいいと思う?



わたしが思ったのは、まずは

「闇に目を慣らせる」。

というのもね、
明るいところから
暗いところへ入ると、
目が慣れてないから見えづらい。

それと同じかも、と。


闇を見る。とことん見る。


え?怖い?

それね「未知への恐れ」かもね。
何があるか分からないから怖い。
他は「漠然とした恐れ」。
なんやよう分からんけど怖いとか。
「早合点・勘違いの恐れ」もある。
ほら、夜道をビクビクしながら歩き
道に細長い動く(と思った)の見て
蛇と思ってギャーと叫んだけど
ちゃんと見たら紐だったとか、ね。

「未知/漠然/勘違いの恐れ」
だからこそ見る。見ると正体を知るから。
知ってしまえば、なぁんだってなるよ。


ん?まだ怖い?
自分の泥臭さを見るのが怖い?

あはは〜〜!大丈夫。
みんな同じくらい泥臭いから。

人間、誰しも泥臭さを持ってます。
だから、人間なんだと思う。

泥のない、光だけの人っていないと思う。

だから安心して。自分を見てね。



そして、
闇を見てるのに
それでもまだ光が見えない…のなら、

「闇が足りない=

 とことん暗闇だけを見る」。


怖いからって、
中途半端に気休めの灯りを入れると
目がそれに慣れちゃって
本当の「光」が見えないです。

目や気をチラチラとそらせず、
ちゃんと自分を見てね。



そして、ここまできても、
まだ「光が見えない」というのなら。


そろそろ(自分の状態を)諦めましょう。


あなたはすでに光の中にいるのだから!!


煌々と輝く光の中で
光を探そうったって
見つかるわけありゃしませんがな!


闇って自分の思い込みよ。



さぁ、ゆったりと座って呼吸して。
じっくりと見てみてくださいね。


またね。



「罪」とは、悪行のことじゃない、のかも。

2018.08.03 01:58|思ったこと・気づいたこと
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先日、書物を読んでいたら
突然なにかと何かが繋がったようで
ハッとしました。

「罪」というのは
悪行のことを指しているのでは無い
かもしれない、と。


= = = = = = =


イタリア中部の街、アッシジには
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂があり
その中に「ポルツィウンコラ」と呼ばれる
小さな礼拝堂があります。

ポルツィウンコラ礼拝堂は、
聖フランチェスコが仲間と共に修復し
祈りを捧げていた場所で、
1216年7月のある夜に
聖フランチェスコが
ビジョンを得た場所でもあります。

そのビジョンとは、
イエスが聖母と天使達を伴って
現れたもので、
その際に聖フランチェスコは
「ポルツィウンコラ礼拝堂を訪れ
 祈った者の完全なる罪の赦し」を
乞い、聖母の執り成しもあって
人生で犯した罪の完全なる免除が叶った(*)のです。
(*叶ったのですが。
  教会側の手入れが入り、
  教会にとっては有限の罰の免除となりました)




…という話がふと記憶に上がり、
今になってやっと気がついたんですよ。

わたしがポルツィウンコラを訪れたのは
もう何年も前になるのですが、
そんなに参拝者がいない時で、
少しの間、中に入って座ることが出来ました。
もうなんというか、暖かくて柔らかく
同時に、厳かで研ぎ澄まされていて。
自分という存在が拡張するかのようでいて
その一方で薄く小さくなっているようでした。

あんな素晴らしいポルツィウンコラ礼拝堂を
訪れて祈り、真理に触れることが出来たのなら
もう二度と迷いに入り込まないのだろう、と。

だから「人生での完全なる罪の免除」が
叶うんだ…と思ったんですね。


= = = = = = =


「罪」といえば、悪い行いのことと
一般的には認識されていると思うのですが
罪を「悪行」と理解して聖典などを読むと
観えない部分・たどり着けない域が
あるように感じます。


ということで。わたしの内では、

「罪」というのは
「真理で無い状態」のことでもある

と落ち着きました。
そこからいろんな言葉をもう一度
思い返してみると、いろんなことが
しっくりきています。


さて、ところで。
罪とは真理の状態ではないこと
と前提すると
「真理」とはなにか?となるのですが。


何だろうね?!

何だと思いますか。


わたしの思うとこですが、
真理からズレると
苦しみがある状態だと感じます。


苦しみがある状態とは、例えば

 自分という存在は
 この肉体だけ(と思っている意識状態)

というような、
分離でいる状態のことでもあるかなぁと。


分離した状態だから、
他人が羨ましくなったり
他人の方が優れていると思ったり
しちゃうんですね。
そこから自尊心が欠けたりして
補うために虚栄したり
何かを追い求めたりしたり。
満たされなくて苦しくなる。。。


じゃあ

「分離の状態じゃない自分」とは?
「本当のわたし」とは?

どんな状態だと思う/感じますか?
 (ゆったりと座って、呼吸し、
  目線を落として感じてみてね)




どうだったかしら?!


わたしが今ここで、
わたしが感じることを言葉で書くと
ありきたりの表現になると思うので
ご自身それぞれで想像して頂けたら、
と思います。

ご自身の言葉、感覚が
一番しっくりきますので。



「わたし」って…?!!!



またね。


「人生に意味は無い」への私の反応

2018.07.31 00:17|思ったこと・気づいたこと
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この間、
「人生に意味は無い」
という一文を読んだ時の
自分の反応が興味深かったです。


あなたは
「人生に意味が有る」と思いますか?
「いやいや、無いよ」と思う?


わたしは、むかーしは
意味が有るとずっと思ってました。
それも強く強く思ってたのです。
でも、最近は考えたことなかった。

そんな先日、突然
「人生に意味は無い」という一文に
出くわしたのです。
その時のわたしの反応と言ったら!
大混乱で面白かったです。


まず、意識の方は、
一瞬の間にあちらこちらと移動。
出くわした瞬間の反応は、
以前の名残りどおり
「えっっ?!意味有るんじゃ…」と
なったものの、瞬時に、
言葉の意図することを理解し
「あ、なるほどね」と分かり
落ち着いていたのですが。

身体の反応は違ったのです。

出くわした瞬間、
肉体の内の底から火山のマグマのように
何かが強烈に湧き上がってくる感覚があり
全身に広がって、胸と頭がカーッとなり
それが続くのです。

ここで面白かったのが
「頭(肉体)がカーッとなって」いても
頭(意識)では
「あ、なるほど、そうか」と
完全に理解して落ち着いてるんですよ!

いやもう、、
肉体は悶えてるのに
意識は落ち着いて冷静であり、
しかも、そんなちぐはぐさを
どこからか客観的に観ている自分がいて
その全てが面白くてしょうがなかったです。


でね、この時に思ったのが。

身体には、
肉の部分…細胞的に情報(過去)が
記憶されている場合があり、
意識とは関係なく、
肉体からくる反応があるんじゃないかな、と。

だから

意識で掴んでいることとは別に
身体が違う反応を続けることもある。
(今回のわたしみたいに)

なので、意識とは違う肉体の反応、
例えば
 頭がカーッとなる
 足がすくむ
 腰がひける
などの状態になったのなら、
(客観を意識するなどして)
まずは、落ち着く。

肉体の反応に流されてしまわない。

そして

意識はどういう状態なのか
それを観察すると肉体的にも
落ち着いてくると思います。


内観をずっと続けている方で
「もう手放したと思ったのに
 ある場面になるとムカムカします」
などというようなことを聞く場合が
あるのですが、もしかしたら
肉体の記憶(肉体的な反応)かも
しれませんね。

肉体の記憶といえば。
こんな記事があります。

「記憶を移植」亜研究者らがアメフラシの遺伝子で成功
https://www.bbc.com/japanese/44119676
(*注意!!ナメクジ的な写真がトップにあるので、
 苦手な方はページを開く際にご注意を)

この記事はいろんな可能性を感じ
とても面白かったです。
記憶はどこに貯蔵されているのか。
そして、わたしたちの反応は
どこからくるのか。
興味が尽きないところです。


さて。

最後になったのですが
「人生に意味は無い」という言葉。

どうなんだろうね。

人生に意味は有る?無い?どう思う?


わたしが思ったのは、

「人生への意味付けは
 どういうことなんだろう?」

そして

「人生への意味の有る・無しを
 決めているのは “誰” なんだろう?」

ということです。


例えば、
人生に意味が有るのは、
意味をつけているからであり、
じゃあ、意味をつけるのを止めたら
「人生に意味は無い」ですね。
(*逆もまた然りですね)

そして、意味をつけているのは誰?
私?
じゃあ私とはどういう存在なんだろう。


…ということを突き詰めると
「人生に意味は無い」の言葉の
真相に触れられると思います。


最近ね、日常生活でふと
「夢の中にいるようだ」と感じることが
ありました。

で、もしかしたら本当にそうかも、と。

わたしたちは、不思議の国に訪問中の
“アリス”なのかもしれませんよ〜



…なぁんてね。あはは〜!ホラーかしら?!

どうぞ愉快な真夏の夜の夢を☆

またね。

「樹になる」とは、こういうことかも。

2018.07.08 22:21|思ったこと・気づいたこと
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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
記事を書いてたんだけど、その前に!
西日本で大雨が降ったそうですね。
いつも日本のどこかで何かが起こると
そこに在住していらっしゃる方のことを
思い出します。
岡山といえば…広島といえば…
福岡、熊本、長崎。全部をあげられないのですが
(ごめんね。でも覚えてますよ〜)
いつも思い出しては、みんなが
穏やかな日であるのをお祈りしています。

今日の記事は、
雨についても表現しているのだけど
他意はないです。
わたしがその時受けた感覚を
忘れないうちにお伝えしたいだけでした。
ご了承いただけると幸いです。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



不意にテレビが観たくなる時があります。
そういうときは、テレビを点けて観てると
ハッと閃きがきたり、何かに納得したり。

昨日もテレビが観たくなって観てたら
画面からふと意識がズレて
一本の樹のイメージが浮かんできました。

青空の下に
緑色の葉を沢山のたくわえた大きな樹。

そのままイメージを観てたら、
樹の周りの景色がどんどん変わっていきます。

 風が吹き、
 雨が降って、葉の色が変わってゆき、
 突風が吹いて、葉がどんどん落ちていく。
 樹は幹だけとなる。
 曇がなびいてきて、雪が降り積もり。
 それが溶けたら、
 樹にはまた葉が芽吹き出して、
 沢山の緑色の葉をたくわえている。

この一連を観たらハッとして
「樹になる」とはこのことかと
閃きに打たれたようでした。


= ・ = ・ = ・ = ・ =

樹は、大地に根をはり、そこに立っています。

雨が降ったら、降るまま。
良いことでもなく、悪いことでもなく。
ただそこに樹はある。

季節が変わり、
あんなに脈々していた葉が落ちてしまう。
でもそれも、良いことでもなく、悪いことでもなく。
ただ「葉が落ちる時」なので
抵抗することなく、そのまま落ちるままに。

そして、葉が一枚もなく幹だけのところに
雪が降り積もり、温度も下がり。
でも樹はそのままそこにある。
雪が降る時期なので雪が降るだけ。

そう、

雨にさらされるのも
葉が落ちるのも、
雪に覆われるのも。

そこには、良いも悪いも何も無く。
ただ「そこに樹はある」だけ

ああ、これが、随分前に聞いた
「樹になる」ということなんだ、と。


…どうかな。樹になること、掴めてもらえたかな。

あの、わたしが思ったのは、例えばね、
人間(自分)の都合で「悪い」とか
「嫌なこと」にしてしまってると思った。

濡れるから嫌だと「悪い天気」にしたり。
せっかく自分がたくわえていた沢山の
緑力しい葉っぱは色が変わり落ちていく。
それにいろんな思いが出るけど
でもその実、
ただ「その時期」なだけなんだ、と。
そして冬が来て、乗り越えられる。


こんなことが、
身体の細胞が分かったようです。


「樹になる」はいろんなことを感じるので
先入観なしでご自身で感じていただきたく
私の思うことはあまり書かなかったので
もしかしたら、読むだけでは
ハテナ?なマークが飛び交うだけに
なるかもしれないです。。
なので、よかったら、
樹を感じて(樹になって)みてください。

ゆったりとして、椅子に座り、
目をつぶり、息を吐き、「樹」になる…

今回、わたしがイメージでみた樹は
落葉樹だったので、葉が落ちるお話を
させていただきましたが、
いろんな形があるし
それぞれ、その時で
感じることも違うと思います。

例えば、

常緑樹(冬でも葉が落ちない木)だと
どうなのか。

果樹(果物がなる木)はどうかな?
熟れた果物は、
誰かが食べるかもしれないし、
食べられずに、成熟するだけして
ボトボト落ちていくかもしれない。
…それで?

いろんな形やストーリーがあると思います。
そこで何を感じるのか。

よかったらお聞かせいただけたら
なおさらのこと嬉しいです。

またね。

〜の境地に在るとは、こういうことかも。

2018.07.04 00:30|思ったこと・気づいたこと
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ボブが3組の知恵の輪を持っていて
数日前からそれを借りて遊んでました。

一つ目はすぐに解けて、
二つ目は少し手こずったけど
途中からさらりと解けました。
この時の喜びといったら!
身体から湧き上がる大きな喜びを感じ、
ものすごく嬉しかったのです。

で、いざ3つ目の知恵の輪。

これがねぇ、、、
なかなか解けなくてね。

昨日、サッカーのW杯
ベルギー対日本の試合を観ながら
知恵の輪をカチャカチャ回してたんですよ。
そしたら途中で試合に目が釘付けになり、
でも手は引き続きカチャカチャ動いてたら。

ハッとしたら、知恵の輪は外れてました。

いやーーー…
この瞬間のわたしの感覚を
なんと表現したらいいのやら。

あまりにも自然な流れでした。
外れるのは当たり前、みたいな。

こんな状態だから、
二つ目の知恵の輪を外した時のような
「大きな喜びがドドーっと湧き上がってくる!」
という感覚がまーーったく無かったのです。

「何?この当たり前かのような感覚?
 解けた大喜びが無い?!
 これなに??」

と思った瞬間、あっと閃いたんですよ。

もしかしたら悟りの境地に在るって
こんなのかも、と。


ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー

…ええ、突然「悟り」なんて言葉が
出てきましたが。

例として出しただけですよ〜

「至福の境地」でもいいし
空でもニルヴァーナでもWu Chiでも。

なんしか、そんな境地に在る時って
それが当たり前であまりにも自然だから
「うぉおおおーーー!!」とか
「ぐわーー!きゃー!やったーーー!」
みたいな躍動感がみなぎるような
ジェットコースタ的感覚が無いのだと思った。

だって当たり前だもん。
空気吸ってるのと同じくらい。

呼吸してる時に
「きゃー!息吐けたよ!スッキリ〜♪」
「うぉーー!息吸えたし!!やったー」
って(普段は)一々喜ばないやん?
意識もしないくらいに、
当たり前に自然に呼吸している。

それくらいに!!

わたしたちは、普段から
悟り・至福の境地に在るんだと思う。

ただ、気が付いてないだけで。

というのもさ、なんかね、

「悟り」とか「至福」とか聞くと、
えらい遠いことのように思えたり
お坊さんや修行した人だけのことかと
思っちゃうかも、だけど、
その実、
わたしたち、一般人も
すでに悟りの中、至福の中に在るんだよね。

ただ、気が付いてないだけで。
(繰り返しちゃうんだけど)

わたしたち人間は
あまりにも悟りや至福で在ることが
当たり前なものだから
「他のこと」に気がいっちゃう。
そして、
その「他のこと」でいっぱいになってしまう。

指に小さなトゲが刺さった時のように。

こんな小さなトゲ、しかも
たかだか指一本だけのことなのに!
身体・意識の全部がこのことで
埋め尽くされてしまう。

こんな感じで、
「当たり前・自然な状態」を
忘れちゃった、
気づけなくなったのかなぁ、と。

それを思い出す、気づくには
自分の意識を今ここに在るようにする。
そして、もっと突っ込むと
「自分の」意識と思っているけど、
この「自分(わたし)」とは何なのか。

ここに気が付いて行くことかなと思います。



江戸時代の禅僧:白隠慧鶴(はくいんえかく)が
著した「白隠禅師坐禅和讃」は

 衆生本来仏なり

と始まります。
衆生(しゅじょう)とは
わたしたち人間のことであり、
「わたしたちは本来は仏だ」と。

これね、ほんとだと思ってます。

どうかな?あなたはどう?


ここを話出すとまた長くなるので(!)
今日はこの辺で。

またね。

Happy July


動揺世界に嵌り、我に還る。(元気です!)

2018.06.19 04:01|思ったこと・気づいたこと
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大阪で大きな地震があったそうですね。
みなさま、いかがお過ごしですか。
ご家族やお家の状態はいかがでしょうか。
うちの実家は無事ということをお伝えさせてください。
(いつもありがとうございます)

地震を知って、ネットで検索して。
情報を読んで建築物崩壊の写真などを見て
慌てて実家に電話したりメッセージ送ったりして。。。


そして、途中でハッとしたんですよ。


「わたし、動揺してた!!」って。


動揺してることに気づかないくらい、
動揺世界にどっぷりはまってました。

「我に還るとはこのことか!」と
気づいた瞬間のあの感覚は、
すっごい面白かったです。
シュッと焦点が合う感じ。
実際に視界もクリアになる感じがあって
今にいる、という感覚が戻り
意識がクリアになるんですね。

動揺世界に嵌ってた時は
焦点が合ってないというか、
超直近(動揺だけ)が
目の前にぶら下がってて
それしか見えておらず、
他のことは存在すらしていないような感覚。


…こんな「○○な世界に嵌る」
という状況になったことありませんか?!

「我に還る」にはどうしたらいいの?
って思った?


今回ね、わたしがハッと我に還れたのは
友人が送ってくれたスタンプでした。

「どじょうすくい」の絵だったん(笑)

どじょうすくいよ?!どない??
突然、文脈に関係無く(とわたしは感じた)
どじょうすくいの絵があるなんて、、、

笑えて笑えてね。

そしてハッとして我に還ったのでした。


ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー


ということで。
嵌ってる世界から抜け出すカギは分かったかな。

わたしはね、今回のことからは
「リズムを壊す」ことだと思いました。
あとね、
「今ここに意識を置く習慣」。


「リズムを壊す」は、今回を例にすると
動揺リズムが続いてるとこに
なんも関係無いことがポンと入り、
リズムが壊れた、という。

こんな「リズムが壊れた」経験、ありませんか?
例えば、
パートナーに腹がたち、口喧嘩の真っ最中に
窓から車の衝突事故の大きな音が聞こえてきて
ビックリして、怒りがぶっ飛んでしまった…とか。

ね?

リズムを壊すには、
普段からあまり深刻にならない、
真面目になりすぎないことも助けになるかも。
遊び心をいつもポケットに〜


「今ここに意識を置く習慣」は、
友人から教えてもらったんだけど、
おうちに鳩時計みたいな
30分おきに音がなる時計を設置して、
音が聞こえる度に、していることを止めて
ただ今にあり呼吸する。。

この話を聞くと時計が設置できない
いろんな意見が出てくることもあるだろうけど
(うちもそうデス)
工夫しだいだと思う。
タイマー設置できるものね。
携帯電話にも機能があるだろうし、
パソコンだと検索したらネットであります。

この習慣ね、ほんとおすすめです。

これ続けてたら
「なんや分からんけど時間過ぎてた」
ということがなくなり、
意識が今ここにあるようになってくるから。



今日は、わたしが動揺世界に嵌って、
我に還った、、、というシェア話でした。

またね。

穏やかな風が吹きますよう〜!


その世界に居るとそう存在するわけで。気がつくと…

2018.06.17 03:16|思ったこと・気づいたこと
20180616.jpg

今日、グループ瞑想会に参加しました。
面白い!と思ったことがあったので
そのシェアです。

誘導瞑想で、途中
イメージで時計が見えるのですが、
時計の文字盤が液体だと気が付いたんですね。
あれ?スープ?、、と思った、、

その瞬間、

 液体が壁に存在?!
 あ!液体が入ってるのは陶器!!
 壁にお皿がくっついてスープが入ってて
 時計のようになってる…

…と(文字にすると長くなったのですが)
瞬時で気づいた途端、
すべてが崩れ落ちました。

そして「ああ、これか!」と閃いたんですよ。


ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー
 
最初は「時計が在る」と思ったので
時計が存在してました。
でも途中で
「液体が壁に垂直に存在している」
「重力に反してる(ありえない)」と
思っちゃったのですべてが崩れたんですね。

でもですね。
面白いのがここからなのです!

崩れ落ちた後、
わたしの視点を変えてもう一度見ました。
すると、崩れ落ちた壁や陶器や液体などが
スルスルと元どおり(時計や壁)になり
どんどんと遠く離れていって、、、
時計が在る世界の
重力の関係と重心が見えたのです。
(長くなるのでこれに関しては省略させて頂きます)

ここ(時計の世界)では
重力に反してると思ったわたしが違ってました。
わたしが思う重力方向(床に向かうべき)は
時計の世界ではあり得ない!のです。
でも、その世界を知ると
その世界は存在し、そこに居ることも出来る。


ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー


自分が「その世界」にいる間
(そう思って認識している間)
「そう」存在します。

いったん何か違うと気がつくと
崩れ落ちるんですね。

そして、視点を変えると
その世界がなぜそう存在しているのか
見えてくることもあり
そこに居続けることも立ち去ることも出来る。


どの世界や視点が正解とか立派とか
そういう判断ではなく、
自分が今いる世界を丁寧に生きて気づくこと、
自分はどれを選ぶか、それだけのことで
その選択には正解も間違いもないのだと
思います。

今日のグループ瞑想会からのシェアでした。

みなさま、6月をいかがお過ごしですか。
Have Fun!
プロフィール

ともこ

Author:ともこ
みなさま、
ありがとうございました。
また2018年秋に
お会いできますことを
楽しみにしています〜!

***************
日本とイタリアを行ったり来たり。
筋肉反射を使ってセッションするインテグレート・ヒーリング(Integrated Healing)をしています。
お問い合わせなど、お気軽に、ここの下にある【メールフォーム】からか、
tomoko.it.IH@gmail.comまで、メールをお送りください。

アメブロにミラーブログ置きました。
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